標津町川北には「標津第二川北海軍航空基地掩体壕跡」が4基あります。
本土決戦に備え、またソ連からの侵略を防護するために昭和18年から5㌔平米の土地に1200メーターの滑走路、掩体壕12基、兵舎、通信室などが作られました。兵員は28から35名で敗戦まで駐屯しましたが、一度も飛行機は飛ばず、攻撃もされず終わりました。おそらく配備する飛行機は無かったと思います。
現在はコの字型に盛り上げられた土塁があるだけです(写真中央の茶色)。
レアな史跡ですが、観光バスも是非お立ち寄り下さい。
本土決戦に備え、またソ連からの侵略を防護するために昭和18年から5㌔平米の土地に1200メーターの滑走路、掩体壕12基、兵舎、通信室などが作られました。兵員は28から35名で敗戦まで駐屯しましたが、一度も飛行機は飛ばず、攻撃もされず終わりました。おそらく配備する飛行機は無かったと思います。
現在はコの字型に盛り上げられた土塁があるだけです(写真中央の茶色)。
レアな史跡ですが、観光バスも是非お立ち寄り下さい。