るるの日記

なんでも書きます

「やればわかる」と教える信者

2021-04-29 08:32:21 | 日記
やればわかる(信じて祈るなど)は、やることで解った気になる(人もいる)ということか

そうゆうタイプの人は
自分のなかで、やったこと(信じて祈るような行動)に辻褄を合わせるようになる。あらゆる出来事を辻褄合わせのため取捨選択する
ゆえに、信じて祈るをやればやるほどその行動を肯定する考え方になるので
「やれば、わかる」
「変わった」
「幸せになった」
という体験が言える

変わった、幸せになったというのは
人間生きていればそのような体験はする。しかし宗教盲信者は、あたりまえや普通は、あたりまえではなく特別視する、、悪いことではないがバランスが必要だ

他の宗教を比較否定する宗教

2021-04-29 08:17:03 | 日記
宗教を学び信者の気持ちを本当に理解できたのであれば、相手の宗教より自分の宗教の方が正しいとは考えないでしょう。どちらが正しい、間違っているかは人間の主観でしか、はかれない

比較することは、争いと自尊心の満足感、または劣等感を生む
比較して自分たちの優位性を示す者は、比較しないと自分自身では、自分の信じる宗教が本当に正しいのか判別できないということ

自分の真心で「この宗教は最高」だと胸を張っていたら、わざわざ他宗教や宗派を比較し否定することは不要。余計な比較するのは、、疑いがあるからか、真心から信じてないから

そして、個々に同じ宗教を信じる理由があるということ、違う宗教を信じる理由があるということ、無宗教である理由があるということ。人はいろんな考えを持つ。それは全ての人間の共通点です

家族を好きになれない辛さを救ってほしい

2021-04-29 07:52:52 | 日記
家族
親・兄弟など家族を好きでないといけない。好きで当たり前という観念は、テレビドラマや映画で家族の理想状態として描かれているのを見て作られた
「どうして?
なぜ?
家はこうじゃないの?」
と辛くなる
自分はなぜ家族を愛せないのかと、辛くなる。自分を裁く。

人には人を嫌う自由がある
嫌いな人を嫌うのは素直
ものすごく嫌な人を嫌うのはあたりまえ。

仏さまに抱かれたい
嫌いなままでいい、、人を嫌いになることでの自己嫌悪の癖はなかなかとれないが、苦しみそのままの状態で祈ると、そのままでいいと楽になる。救われる


好事魔多し

2021-04-28 10:12:27 | 日記
悪霊とは、物事をマイナスでしか考えることができない非建設的・破壊性の意識で人生を観ている人物で、こうした悪霊が死ぬと、悪鬼となり人の邪魔をする。

悪鬼は生きている人を使役して邪魔をしかける。仕掛け上手な悪鬼は【好事魔多し】な形で仕掛ける。だから物事が成功する寸前とか、発動する前にそうした仕掛けにあうことが多く、注意が必要

古戦場跡の亡霊のはらいかた

2021-04-28 09:59:28 | 日記
■地獄思想は日本古来の死後世界観を恐怖のどん底に落とし、死後の世界の保証を仏に求めるようになった。この呪縛にかかった時期は平安時代中期以降、源信僧都の「往生要集」に地獄のさまが紹介されてからのこと。浄土教主・阿弥陀如来以外は人類の罪は救えないとした。親鸞は「臨終に一声だけの念仏で、いかなる極悪深重な罪人でも、来いよ来いよのお招きで極楽浄土へ往生できる」と説いた
これで地獄への呪縛は解除されたのである

■古戦場跡には兵士が地縛霊となっている所がある。一定の時刻になりと法螺貝を鳴らして喚声とともに両軍の兵士が現れて戦いを始めたりするが、そうした地区は全国至る所にある

それを浄霊しようとして幾多の霊能者が力を注いだが、いまだに消滅していない地区も多い

■不思議なのは、こうした古戦場で、多くの念仏を捧げたのに、どうして彼らは成仏しないのか、ということである。「彼らが唱えなかったからだ」ということになるだろうが、地獄では、仏菩薩といえども、そうした亡者の霊は救えないのであろうか?それとも念仏は気休めか?

■仏教の重要説法に【識】という語がある。これは宇宙に遍満する精神。または、親鸞のように【たましひ・(一教行信証)】と解する人もある。だから死後は識だけが遺るとする

■般若心経では【一切が空】であるから【識もまた空なり】と言い切る。死ねば宇宙の普遍意識の中に溶解するから、個人の識(認識・精神・たましひ)はこの地上に遺らないとする

■神道では【物の気】といわれる半物質的なものが遺るとされる。
つまり想念。想念は個人の識・たましひ、などから独立して存在する。古戦場の亡霊とは半物質的独立想念の塊であり、それが地獄を形成している。それを消滅させねばならない

■人間が放出した想念によって、場は汚れたり壊れ、その汚れた破壊想念は【物の気】となり、自然界に憑依浸透して各種の異常を発生させる

先の古戦場の霊については、激戦当時の想念が。現地の山野に浸透し残存している。個別の本体霊が地縛されているわけではない。産業廃棄物のようなものであるから、これを処理するには、焼却するしかない
そこで、古来こうした場所で柴灯護摩が何度も執行されてきた

■なぜ浄化しないのかといえば、修法者が本体霊が迷っているという認識で招霊という形式をとるから、想念は飛来しない

■物の気は半物質であるから、吸収紙の役割の憑代で、物の気を吸収し、祈りの聖火の中に投入し焼却して焼却する。そうすると、その場所の地獄の幽界は消滅する、、が、次は修法者の意識(認識)は消滅しない

個人意識は、
★言葉の祓
【大祓の詞】をとなえて浄化

★水の祓
海、川、滝、井戸などの水浴で浄化。海が最良。流すことに意味があるのでシャワーもいいが、風呂場では周囲に残気が残るのでよく洗い浄める必要がある

★霊の祓
高級神霊降臨なさると、瞬時に「物の気、怨念、執念」などは消滅する。儀式が厳重、清潔でなければ高級神霊は降臨しない