問う
経文は分明に候
天台、妙楽、伝教の未来記に言ありや
答う
汝が不審逆しまなり
経文に分明ならば釈を尋ねべからず
釈の文が経に相違せば
経を捨てて釈につくべきか如何
彼いわく
道理至極せり
しかれども
凡夫の習い経は遠し
近き釈、分明ならば
今少し信心を増すべし
今いわく
汝が不審ねんごろなれば
(不審と仲良しならば)
少々釈をい出すべし
★天台大師いわく
後の五百歳遠く砂道に潤う
★妙楽大師いわく
末法の初め冥利無きにあらず
★伝教大師いわく
正・像やや過ぎおわって
末法甚だ近きに有り
法華一乗の機
今正しく是れ其の時なり
何をもって知ることを得る
安楽行品にいわく
末世法滅の時なり
★またいわく
代を語れば
則ち像の終わり末の初め
地を尋ぬれば
唐の東羯の西
人を尋ねれば
五濁の生・闘諍の時なり
★経にいわく
猶多怨嫉況滅度後と
此の言まことに所以あるなり
■釈尊の出生は
住劫第九の減
人寿百歳の時なり(住劫寿命)
百歳と十歳の中間(住劫年齢)
在世五十年(娑婆にいた住劫年)
滅後二千年と一万年(住劫寿命で滅したのは2回、その滅後二千年と一万年に娑婆で出生)
【住劫第九の減
住劫は20段階ある
初め人の寿命は無量歳
↓
100年に1歳減じ
無量歳から10歳になるまでを
第一減劫
↓
10歳から100年に1歳増す
8万歳で再び100年に1歳減じ
10歳になるまでを
第二減劫
増減を繰り返し
二十劫は10歳から無量歳に至る
増のみ】
■其の中間に法華経の流布の時
二度あるべし
在世の八年
滅後には末法の五百年なり
しかるに天台・妙楽・伝教は
進んでは在世法華経の時にも漏れさせ給いぬ
退いては滅後末法の時にも
生まれさせ給わず
中間である事を嘆かせ給いて
末法の始をこいさせ給う御筆なり
■例せば阿私陀仙人が
悉田太子の生まれさせ給いしを見て
悲しんでいわく
「現世には九十に余れり
太子の成道を見るべからず
後生には無色界に生まれて
五十年の説法の坐にも列なるべからず、正像末にも生まれるべからず」
と嘆きしが如し
道心ある人人は
此を見聞きして
喜びたまえ
正像二千年の大王よりも
後世を思う人人は
末法の今の民である
此を信じれば
南無妙法蓮華経と唱える来人(任につくための人)となるべし