中将
「式部丞がところにぞ、気色あることはあらむ。すこしづつ語り申せ」
と責めらる。
式部丞
まだ文章生(もんじゃうのしやう)にはべりし時、かしこき女の例をなん見たまへし。
かの馬頭の申したまへるやうに、おほやけごとをも言ひあはせ、わたくしざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむかたもいたり深く、才の際、なまなまの博士恥づかしく、すべて口あかすべくなんはべらざりし。
それは、ある博士のもとに、学問などしはべるとて、まかり通ひしほどに、あるじのむすめども多かりと聞きたまへて、はかなきついでに言ひよりてはべりしを、親聞きつけて、盃もて出でて、わが両(ふた)つの途歌ふを聴けとなん、
聞こえごちはべりしかど、
おさおさうちとけてもまからず、
かの親の心を憚りて、さすがにかかづらひはべりしほどに、いとあはれに思ひ後見(うしろみ)、
寝覚めの語らひにも、身の才つき、
おほやけに仕うまつるべき道道しきことを教へて、いときよげに、消息文にも仮名といふもの書きまぜず、
むべむべしく言ひまはしはべるに、
おのづからえまかり絶えで、
その者を師としてなん、
わづかなる腰折文(こしおれぶみ)作ることなど習ひはべりしかば、
今にその恩は忘れはべらねど、
なつかしき妻子とうち頼まむには、
無才の人、なまわろならむふるまひなど見えむに、恥づかしくなん見えはべりし。
まいて、君達(きむだち)の御ため
はかばかしくしたたかなる御後見は
何にかせさせたまはん
はかなし、口惜しと、かつ見つつも
ただわが心につき、宿世の引く方はべるめれば、男しもなん、仔細なきものははべるめる
★気色
一風変わった面白いこと
★文章生
学制では、大学の教官として
博士→1人
助教→2人
音博士・書博士・算博士→各2人
学生定員→400人
〈平安時代では、諸学科中、文章道が最も重んぜられた〉
★才の際
学問の程度
★学問
漢詩文を学ぶこと。和文学は学問の対象としていない
★わが両(ふた)つの途
白楽天「秦中吟」十首の一節
『自分は貧しいが、娘は良い妻になろう。可愛がってほしい』
という趣旨の歌
★道道しきこと
正統で大切な知識・教養
漢字をいうことが多い
★いときよげに
感覚的に清潔な美しさ
精神的なことには使わない
★仮名といふもの
軽蔑的語調があり、女はカナで手紙を書き、男は漢字ばかりの消息文を書くのが一般的
★むべむべしく
文面が漢文で理屈ばっている
★腰折文
下手な漢文
★君達(きむだち)
権門の子
学問できずとも出世できるから、こんな妻を考慮する必要はない
■中将「式部丞のところにこそ、一風変わった面白い話があろう。少しずつ話してみよ」
〈式部丞の体験談〉
まだ私が文章生だったとき、賢い女の例を見ました。
公事の相談相手となってくれ、私生活での世渡りの心がけも造詣が深く、学才の程度は生半可な博士が顔負けするほどで、万事につけて、人に口を出させる隙もない程でした。
出逢いは、ある博士の所に、学問などしようと通っていた時のことです。
主人には娘たちがたくさんいると聞いて、ちょっとした機会に言い寄ったのですが、親が聞きつけて、盃を持って来て「私が『二つの道(娘を可愛がってほしいという趣旨の歌)』を歌うから、聞け」と、その歌を私に言って聞かせました。
ですが、うちとけた気持ちにもならず、親の気持ちに気兼ねして、なんとなく関わりを持っていましたところ、女はたいへん情を込めて世話してくれて、寝覚めの語らいからも知識が身につき、役所勤めに必要な学問も教えてくれて、美しい筆跡で、消息文にはカナを交えず漢字だけで、もっともらしい言いまわしを書きます。
そんな具合だから、自然と私は女と切れることもできずに、その女を師匠として、どうにか下手な漢文をつくることを習いましたから、今もその恩は忘れません。
しかし、女を親しみの持てる妻として頼りたいけれど、無才な私だから、みっともない振る舞いを見られでもした場合、恥ずかしく感じます
若殿様方には、このような賢くてしっかり者の妻は、何の役に立ちましょう。つまらない、くやしいと思いながらも、私の心はその女としっくりといって、宿縁に引かれて離れられないこともあるらしいから、男というものは、まったくたわいない生き物です。
つづく