テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

ワイドビノ

2012-01-16 19:06:14 | 双眼鏡 望遠鏡

非常に変わった双眼鏡です。
もともとはオペラグラスの一種で、ガリレオ式と云う古式ゆかしい光学系故、シンプルである反面、光学的な収差、歪みについては、レンズに厳しい性能が求められるため、低倍率2.3倍です。
ところが、こんな中途半端な性能が、実はある用途にぴったり適しており、もとはロシア製で、一旦製造中止になったにもかかわらず、製造を中国に移管して再販売されています。
星座を見るのに、非常にイイ!、のです。
一般的な星見用機材といえば、望遠鏡や双眼鏡、倍率も6~数百倍と、天球に展開する星座を見る用途とは、正反対です。
星座は肉眼でみるもの、ですが、今の世の中では、「星空のきれいな地域では」という前提が付いてしまいます。光害の多く、くすんだ夜空では、見える星の限界等級が低く、星図や星図ソフトを元にしても、見えにくい星が多く、探すのが大変な星座が多いのです。
そこで出番なのが、低倍率で見掛け視界が広く、口径比が大きいため集光力が高いこの手の双眼鏡です。おおよそ2等級、限界等級が上がり、肉眼で3等星までしか見えない星空で5等級くらいまで見え、それより上の等級はより明るく見えるようになります。
”目がドーピングされたよう”というのが、売り文句です。


アヤシイ装具も発売されていて、こういうのを装着して町中を闊歩すると、間違いなく捕縛されます。



個人的に使用しているのは、コレです。

さらに口径が大きく、光学性能の高いカメラ用のアクセサリーレンズを二つくっつけたモノ。テレコンビノなどと呼ばれてます。滑らないよう、ベロクロテープを巻いてます。倍率も低いためさらに広視野で、パンフォーカスで無限遠にピントが合います。
オリオン、夏の大三角形も一望でき、スグレモノです。

キャリーカート

2012-01-15 22:24:09 | Outdoor
仕事柄、しばしば、重い荷物を車から降ろした後、数百m運ぶ必要があります。
総重量(個数)が多い場合、素直に4輪台車を持参するが、わざわざ台車を別に積み込む必要のない、両手でもてる範囲の荷物、しかし数百m運ぶには負担になる荷物を運ぶのにキャリーカートを物色していました。
ホームセンター等で安価に販売している折りたたみ式は、取っ手の高さが低く、体を傾げないと斜めにして引っ張れないので、却下。
結局、ガーデンマスター  折りたたみ式ハンドキャリー GT-50W シルバーという大きめのカートを購入、便利に使っています。


一番の特徴は通常のカートよりトレッドがやや広く安定してる事。
また、タイヤがゴム製なので、ステレオトミーな敷石の歩道でも、かなり静かに運べます、遠征時に使うRIMOWAのキャリーよりもずっと静か。
取っ手も充分に高い位置まで伸ばせ、ゴム質の持ち手が手に馴染む。
スッキリしたデザインなので、機材等を電車で運ぶ場合でもギリギリ違和感なく使え、大きなタイヤのおかげで、段差にも強い。
折りたたむと6センチほどの薄さになり、自立し、しかもタイヤ接地面が内側に上がるため、置いた場所が汚れにくいので、車の中や事務所内のスキマに置きっぱなしで全く邪魔にならない。
荷物のバランス(平衡)が取りやすく、軽い力で引ける。
欠点としては、バランスを取って固定するのには付属のゴム紐一本では不足。
丈夫さと引き替えにアルミの角フレームが太いので、別購入のゴム紐含め、フックがフレームに掛けづらい。などでしょうか。

価格相応の充分な使い勝手をもつ、楽で便利な道具です。


異形

2012-01-14 23:40:22 | 脱線して底抜け
ヒトのこと。

生物学的には、ヒトが異形の生き物であることに、議論の余地はありません。
私が嫌いなコトバに、”万物の霊長”という語がありますが、飛べず、速く走れず、鋭い牙や爪を持たず、やわらかすぎる肌でありながら、考え、天地のコトワリとその成果を享受できる唯一の存在だと云うことから、書経等に語源を発する普遍的な概念です。
云うまでもなく、現生人類は種として1種類しかいないので、自らをそのように定義しているのですが、太古、ヒトには類縁の種(ネアンデルタール、デニソワ、フローレスなど)がおり、現生人類の祖が彼らとの生存競争に勝利した結果、唯一になっているにすぎません。
ライオンとトラのどちらが生物として上か、なんて問いが無意味なように、彼ら絶滅したヒトの類縁種がヒトよりも劣るという思い込みは不毛で、ライオンとトラが交雑可能なように、ヒトと彼らにも交雑した痕跡がある以上、万物の霊長というコトバは不遜にしか聞こえません。
故に、ヒト以外の生物の霊性を積極的に肯定しない、一神教(基督教、回教など)は、エゴイスティックですらある、と考えています。
本質的に善良であるはずの宗教の教義や、仲間組織の維持の為に同種間の殺戮を是とし、自ら作り出した道具である貨幣のために生殺与奪を厭わず、繁殖を目的としない交尾やペアリングが主流である、そういった異形をもって、自ずからを特別なものと思うのは傲慢です。
なにより、太古の類縁種、ヒトと同じように、道具を使い、集団で暮らし、組織で繁栄を図っていた彼ら、を絶滅させたのは、ヒト以外ではあり得ないと思うのです。

西尾維新≒新井素子

2012-01-13 21:02:24 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
実はこのタイトルとは全然別の視点で記事を書いていて、あらぬ方向へ結論がたどり着き、どうしたもんだろう、と眠気に身を委ねて、没記事の憂き目に陥ろうかとしていた幸薄い文章であることを、お詫びしておきます。

西尾維新と云いますと、出版界におけるラノベの主幹らしい。さる高校の女子図書委員にうかがったトコロでは、貸出率でトップだとのこと。
三十路を超えても精力的に厨二病の聖典のような小説を、書き下ろしでドンドン発表されている。決して嫌みやこき下ろす意図はなく、感嘆しながら、好意を持って評価しているツモリです。リスペクトといっていいかもしれない。

筒井康隆翁が、その昔、笑える文章(ギャグ)にかつて無い価値を付与したように、ラノベの文体、文章、過剰な形容詞や感嘆詞、これらがラノベ以外の小説とは相容れない新しい価値を生み出しているとも思う。

かつて、新井素子が精力的に活動していた頃、あの文章、過剰に説明的な文章が折角のSF的アイデアをスポイルしているという意味合いの批評がありましたが、いわゆる”キャラが立った”登場人物が主体の小説にそんなことを云うのは野暮だよぉ、と思っていました。

西尾維新の一連の一人称の語りのハナシのなかで、女性が語る話をいくつか読んで、飾らなくて、読者の意識をさわさわとくすぐり、内輪ネタ満載な同人誌のような小説、読み手を裏切る(驚かす)ことを信条とし、読み手を気持ちよくすることを目的とする、ラノベの中では変わらぬスタンスで書かれていると思うし、読んでいてちょっと愉しい、その感じが、かつての新井素子風かなと。








テロリスト

2012-01-12 21:19:50 | 脱線して底抜け
オウムの特別手配犯と、その蔵匿容疑者が相次いで出頭した。

彼らは、紛れもないテロリスト(国家体制に反逆し、無辜の市民を虐殺し、社会を震撼させた団体)の一員であって、逃避行に疲れた男女などでは決してない。
組織的な支援なしに、隠れ果せることは不可能だし、出頭したタイミングも、彼らを支援するモノにとって都合の良い時期であった。

報道では彼らの生活ぶり等を掘り下げるモノが目立つが、本質はテロリストの潜伏であり、その支援者、組織はまだ厳然と存在しているという事実は揺るがない。

敢えて云いますが、オウムは、人類史上初めて、大規模に毒ガスを用いたテロを行った、しかも、数万人、数十万人規模での死者をだすのに充分な量の兵器(毒ガス)を準備し、大虐殺計画を実行しようとしており、当時の捜査進捗状況のちょっとした違いがあれば、その悪夢が眼前に展開されていてもおかしくなかった、のです。

彼らとその起こした事件の異常さは、村井幹部の刺殺、国松長官狙撃など、上記のテロにとどまらず、根の深さは恐ろしいほどです。

HPL

2012-01-11 23:23:17 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
H.P.ラヴクラフト、コズミック・ホラーの元祖です。
人類に先立ち、宇宙の深淵、地球の海底や極地で蠢いた邪神のような生き物と、その末裔、それらを信奉するヒト、それらと混血しメタモってしまう怪異を描き続けた作家です。
といっても生来病弱だったラヴクラフトは、生前の世間の評価は高くなく、46歳で夭折したあとに、オーガスト・ダーレスらがラヴクラフトの造った世界観をまとめ上げたクトルゥフ神話大系によって、その非凡な才能が評価されることになりました。

ラヴクラフトの作品は、創元のラヴクラフト全集9冊と怪奇小説傑作集3の「ダンウィッチの怪」でほぼその全貌に触れることができ、このことは、日本の出版業界の偉業のひとつだと思っています。
昨今の多種多様なメディアで提供される軽いホラーのなかでよく登場するクトルゥフ神話、はたまた、コミック化されたりもして、浮ついたブームの様にも思える状況なのですが、かの全集の初版は1974年であり、30年以上に渡って積み上げられてきた紛れもない”ラヴクラフトの本(作品群)”なのです。

食べ物としての海産物が、嫌悪、といってよいくらいキライだったらしく、その性向が例えば「インスマウスの影」のなかの”インスマウス面(づら)”などと云う表現にも顕現している様にも感じます。

ラヴクラフトは少年の頃から天文学に通じ、またその作品中で、同時代の他の作家やその作品を登場させるあたり、現在のオタク文芸同人に通ずるところがあり、もっとも古い時代の厨二病患者ではなかったかとすら考えています。

私的な話ですが、何度も登場するアーサー・マッケンの「パンの大神」によってマッケンに興味をもち、「夢の丘」という小説、そのなかの子犬が子ども達に殺されるくだりは、読んだときに吐き気をもよおし、読まなきゃよかった、と後悔させられた強烈な印象があります、嫌いな本では無いんですけれどね。


ライ・クーダー

2012-01-10 22:34:27 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
もっとも好きなギタリスト、ミュージシャンであります。
ワタシの音楽のルーツは、すでに解散していたビートルズでした。
まだ習う前の英語の単語をひとつひとつ追いかけ、エアチェックした歌をききながら口ずさみ、それがきっかけとなり、レッドツェッペリンその他、洋物の音楽ばかり聴きながら育ったのであります。
当時、パイオニアのカーステレオ、ロンサムカーボーイのCMにライ・クーダーのアクロス・ザ・ボーダーラインという歌が使われ、来日した彼が、レコード屋で自分の歌が流れているのを耳にして、耳まで赤くするほどテレた、という逸話を聞いて、イケイケ奇矯な人物が多いミュージシャンのなかで、ちょっと変わったヒトだなあと感じたことを憶えています。

スライドギターの名手であり、アメリカの古い歌を好んで取り上げ、しかもライ・クーダー節にしてしまう、音楽に対して非常に真摯に取り組むヒトで、クラシック系でしか使われていなかったデジタル録音(PCM録音)をロック系で最初に行ったバップ・ドロップ・デラックスなど、前向きでもあります。

いくつかの歌は、いまでも、いつ聴いてもワタシの心を震わせ、ギター、ハーモニカ、パーカッション、技巧と情熱で奏でられるシンプルなメロディーとリズムが鮮やかな感動と愉しみを感じさせてくれます。

いまではウチに満足に稼働するターンテーブルが無いので、聴くのはもっぱらCDかMP3ですが、最新作のプル・アップ・サム・ダスト・アンド・シット・ダウンはLPレコード(3枚組み!)でも発売されているのを知り、古いトーレンスのターンテーブルをオーバーホールしようとして、昨年国内の代理店が取り扱いをやめ、細々と修理のみ受け付けている状況になっているコトを知り、NEC CD-803に飛びつき、いろんなCDプレイヤーを変遷しまくったワタシではありますが、寂しく感じたりも致しました。


追記

ライ・クーダーさんですが、なかなかバブルガムをふくらませることが出来ず、何回も失敗を繰り返したという逸話を思い出しました。
なんか、ステキでしょう?

ノギス

2012-01-09 22:05:50 | 脱線して底抜け


ノギスです。
上からミツトヨ製、廉価なデジタル式、普段持ち歩いているポリカ製です。
ミツトヨ製はいまや他の2つの校正用としてしか使用しておらず、ポリカ製は電池や電極間など導通してはマズいモノの測定によく使います。
デジタルキャリパーは、巷間の評価では結構できの良くない個体も多いようですが、ウチのは精確で好調なので、高価な国産デジタルを買わずに済んでいます。何より表示が読み取りやすいのが良し、です。

ノギス、というコトバはどこか日本語っぽい語感だなと感じていたのですが(英語だとバーニヤキャリパー)、調べてみると、Petrus Noniusというポルトガル数学者、Pierre Vernierというフランス人がノギスの基本形を考案したので英語圏ではVernier callipers と、日本では独語読みのノニウスが和風に訛って、ノギスと呼ばれるようになったとのこと。語感に得心が行きました。

また、デプスバーと呼ばれる深さや段差を測る機構は、三豊製作所のオリジナルだとのこと。結構使用頻度の高い機能です。

ヘッドランプ変遷

2012-01-08 20:57:40 | 懐中電灯
最初にヘッドランプを使ったのは、夜釣りの時でした。
まだ幼く、夜間登山など、まだまだムリな頃の話です。

夜釣りに同行してくれるオトナのヒトが着けている、カーバイドヘッドランプの強力な光に目がくらみながらも、買ったのはBF-182、ナショナルの標準機です。
単三乾電池4本使用しますが、2本でも灯く、ずれやすいライトでした。

次に買ったのがBF-184の初期型、グレーのゴム質のベゼルを回転すると灯き、さらに回転することで、光束の拡散具合を調整でき、3本バンドになったことでズレにくい、夜遊びの友でした。

薄暮に行動したり、軽いケービングを混ぜた登山をするようになって、上記BF-184の原型(?)ペツルのミクロを手に入れ


その後、ランタイムを延ばしたい要求からブラックダイヤモンドのジェミニを買い、薄明るいLEDだけなら公称1000時間のランタイムに驚き、

LEDヘッドランプを渉猟するようになっていった。

運転-中央線

2012-01-07 23:08:08 | 日記
結構ながい時間自動車を運転する方で、一日に5~6時間運転しているコトも多い。
当然日中の幹線道路は渋滞停滞も多いのですが、頻繁に停止を繰り返すノロノロの状態より、運転中に最も眠くなるのは、ある程度混雑している道路を、低速で運行しているとき、です。

ここ2~3年、運転中に強く意識しているのが車線中央のライン。
常に車体の中央で、車線の中央をトレースするような感覚で運転しています。
(左ハンドル含め)複数のクルマを運転するので、車幅感覚や、ボンネットの形状で中央をトレースするのでなく、着座したオシリの位置と路面の感覚を意識して、大体、中央から幅40センチ以内(左右に20センチ)で走行するようにしています。
着座位置の高い1ボックスやRVでは分かりにくいかもしれませんが、中央線(もしくは目視による車線中央)の路面が、自分の臀部のやや車体中央より、をトレースするような感覚です。時折、左右のミラーを交互に見て、実際の車幅と車線幅のクリアランスを確認し、オシリセンター感覚を補正しながら、合流や分岐する車線においても、かなり意識して、クリッピングポイントまで、中央を維持するようにしています。

この運転により、常にある程度の長さの路面を見ようとするので、渋滞でも車間距離が詰まらず、常に緊張感を保つことで、眠くなるのを防止できます。

唄おう

2012-01-06 22:16:58 | 脱線して底抜け
カラオケではない。

無伴奏、歌詞もそらんじて唄える曲がキホン。

鼻歌はやめよう。

児童唱歌推奨。

自分の好きな歌、もっと推奨。

歌詞が分からなくなったら、後で調べよう。

10曲は唄おう。


以上のことを自分に課して実行してみると、いろいろなことが
見えてくるかも。
ワタシの場合、意外と好みが渋いコトと、
直接、頭蓋内に響く、自分の声によるメロディの、
音楽性に、極く単純に楽しくなり、気分が高揚しました。

耳だけで聴く音楽(iPodなど)とは違います。
もうずっと前に手放してしまった30cmウーファーの3ウェイスピーカー、
或いは、実際のライブやホール、肉体を直接刺激する音楽の愉しみ、
そんなものをあらためて思い出しました。





魚眼と複眼

2012-01-05 23:21:44 | 懐中電灯

ウチにある懐中電灯でフロントマスクが個性的なモノふたつ、であります。
分かるヒトにはスグ分かる、当時の人気機種なのですが、正解の商品名は、白文字で書いておきます。
Wolf-Eyes Night Hunter XM-L U2
Wolf-Eyes Super Storm Personal NW

魚眼はパイレックス製の耐熱、対ショック性を重視したレンズで、光束を絞ったり、拡げたり、結構な調整範囲があります。
複眼は当時のこのクラスとしては、最大級の1000トーチルーメンを発する明るい製品でしたが、一年半経った現在のこのクラスは2000トーチルーメンに迫ろうかという製品が出ています。
もっともこのライトの明るさが衰えたワケではないので、いまもって「わっ、まぶしぃっ、なにソレ!」を超える、「わっ、すごっ、コッチ向けるなよっ!」であるコトには変わりがありません。
最近の高出力ライトを見ていて感じるのは、上記のようなヒトとヒトの会話が出来るような距離での明るさとしては、とうに必要な光量は超えていて、今以上の大光量が生かされる使用場面は、ある程度の距離を照らす、サーチライトのような役割ではないかと思うのです。
もっとも、バッテラのように近距離をムラのない超大光量で照らす用途のものもあります。ただ前回の記事のルナソルの様に、至近距離は小光量の拡散光で、遠くは大光量の収束光でというコンセプトは理に適っていると思うので、昨今よくある2000トーチルーメンのさほど収束度合いが強くない照射光のライト、しかも大光量故に、ランタイムもさほど長くない、っていう製品が必要なのか、って疑問に思うのです。
この疑問は250トーチルーメンながら本当に使い勝手の良いハンマーヘッドを思うと更に強くなります。LEDの進化(大光量、高効率)を生かしているとは言い難い製品より、もっとLED素子の高性能に見合った光学系(配光)、コンセプトと妥当なコストの製品が欲しいなと感じるのです。
最大光量のみの競争でなく、言わば、高次元な中庸を行く製品、それは、オーソドックスなシングルエミッタのリフレクターのライトかもしれないし、多灯、コリメーター可変照射のライト、あるいは今までにないコンストラクチャーのライトが登場するかも、と云う期待を持っています。



McGizmo LunaSol 20

2012-01-04 11:07:39 | 懐中電灯
以前に紹介しましたSunDropと同じ、アメリカの個人工房McGizmoさんの LunaSol 20 です。

ボディーパーツのほとんどがチタン製、配線はスターリングシルバー、レンズはサファイアガラス(前回のAeonもそうでした)、特注の専用リフレクターと贅を尽くした高価なライトです。

CR123タイプのバッテリー1本のライトですが、2ステージのスイッチで、まず周囲の3つの日亜310CSが灯り、次に中心のOSRAM Golden Dragonが同時に灯ります。その上、ヘッドを締め込むツイストスイッチと、バッテリースリーブによるテールピストンスイッチが単独でも、組み合わせても使えます。
つまり、テールをプッシュする2段階のモーメンタリスイッチ(押している間だけ点灯)、と、ヘッドツイストによる2段階のオルタネートスイッチ(その状態を保持する)、の組み合わせが使え、ヘッドツイストで、柔らかいムラのない拡散光で近くを照らしながら、一瞬テールを更に押して遠くを照らす、という使い方などができます。
この2ステージのスイッチはMcGizmoさんの意見が取り入れられたという(?)SUREFIREのA2にも同様な機構(テールの締め込みとプッシュスイッチ)がありますが、単なる光量の切り替えでなく、同時に照射パターンも変わるという合理的で便利なしくみです。最近のヘッドランプには、同様な機構(光量、照射範囲の切り替え)が備わったモノが多いのですが、手持ちの懐中電灯では非主流のようです。

テールにはトリチウム管が埋め込まれていて、暗闇でほんのり光ります。

Aeon HA-III Black

2012-01-03 09:57:22 | 懐中電灯


EDCライトとして完成度の高いMuyshondt(メイスン)のAeon(イオン)という小型ライトです。


CR2電池を使い、充分な明るさとランタイム(照射時間)をそなえた、お気に入りのライトで、耐久性信頼性も高く、CREE社のXR-E、当時としてはランクのR2を控えめな350mWで駆動していますので、小型ライトにありがちなスグ熱くなることもありません。
光色は当時のR2ランクに多いやや黄緑色がかった、純白の光ではありませんが、屋外使用では却って見やすいかもしれません。

以前紹介した壱式とおなじように、傑作の小型ライトだと思います。

フィルター

2012-01-02 23:42:16 | 写真機 画像
フィルムカメラ全盛時、私が一番ニガテとしたのが、俗に言うポートレート撮影でした。
portrait、語源は por(前に)L.trahere(引く、描き出す)と古フランス語にあるらしく、ぽーと、れーとと区切って発音するのではなく、ぽー、とれいとと区切るのが正しいことになります。
一般に肖像写真といってもお見合い写真のように人物だけのかちっと決まったモノから、その人物の趣味や持ち物、行動と一緒に撮されたモノまで多岐にわたりますが、キホンはその人物の顔、表情がはっきりと判別できるということになります。
人物の半身、全身像を撮すには一般に35nn写真機で80~150mm位の焦点距離のレンズが適しているとされ、それ以下の焦点距離、40~60mmでは、半身像で顔がある程度の大きさで写っているとパースペクティブの効果で僅かにゆがみ、また、対象とカメラの距離も近いため、撮られる意識が高まり過ぎ、表情が硬くなりがちです。またあまりに長い焦点距離のレンズの場合、立体感が失われたり、明るいレンズで背景をボカしても、人物が周囲に埋没しがちになり、対象の人物の視線もコチラに届きにくいので、冷たい感じにになることがあります。

このように、アタマではポートレートのコトを分かってはいても、今ひとつ自分で気に入った写真が撮れなくて、対象の人物からは、コレで充分、すごくきれいに撮れてるよ、なんて云われても、苦手意識がつきまとうのでした。

今にして思えば、フレーミングとアングルの自由度のなさが、私を萎縮させていたのではないかとおもいますが、そんななかで私が頼ったのがコレ、
ツァイスのソフターIIとKenkoのポートメイト(B)です。

ソフターの方はいわゆるソフトフォーカス系の特殊効果フィルターですが、フォギーなどのように、ぱっと見たとき、ピンボケか、と思わせるような写真ではなく、きっちりとピントの芯はありながら、柔らかな輪郭を描き、特に逆光で日中シンクロ撮影などした場合、一種幻想的な効果をうむ、上質なフィルターで、同様の目的の他社品に較べ倍以上の価格も納得できる優れたモノです。

ポートメイトは、
カラー写真における人物の肌色はマゼンタ色光成分の占める割合が多く、
これに反して肌の小ジワやシミ、ソバカス、毛穴などの細部はマゼンタ光の補色関係にある緑色光の結像が大きく影響しています。
ポートメイトはこの緑色光による像(小ジワやシミなど)をソフトに調和させることにより、美しい肌に描写出来ます。

らしく、実際に顔のアップで肌をきれいに見せる効果があるようです。

この2種類のフィルターを使った写真は、多少のためらいや照れはあったとしても、例外なく好評で、被写体の人物の満足感を、撮る側の写真に対する不満足感への代償としていたような次第です。

もちろん上記のフィルターの話については女性に限った話で、ワタシにはいくら頼まれたとしても男性のポートレートを撮るようなおぞましい行為は出来ません。