イースターを前にした先週の金曜日に、アメリカ人の知人が亡くなりました。癌と宣告され、ケモセラピーを開始しておよそ一ヶ月でした。家族が帰宅したらうつ伏せに倒れていたそうです。深夜ですが、警察を呼んで午前2時までの検死でした。1週間をかけてのセレモニーが続き、やっと今日が火葬でした。アメリカ人は普通、火葬をせずに埋葬(土葬)と思っていましたが、いろいろのやり方があるようです。明日はグッドフライデイですが、その1週間目に当たるので家族は家で静かに過ごすのが慣わしのようです。タバコ好き、酒好きの人でしたから、癌と告知されてからも、治療中も決してそれをやめなかった人でした。早く定年してからは、毎日が近所のバー通いだったそうです。同じような境遇の人も沢山いるようで、以前倒れたときにはそのバーのなじみの人が救急車をよんで一命を取り留めたのでした。早くリタイアして放蕩の日々を過ごすのが良いのか、最後まで仕事をして現役でこの世を去るのが良いのか、ゴールラインは見えませんが、私も近づいていることは確かです。考えさせられた知人の死でした。
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一両日葬儀式で参列したのですが、葬儀会館での儀式は今までのとはまた違った形式、読経も同じ文言を唱えるのですが、節回しが全く違うというのももありました。
生前の故人を投影して短いビデオを流されたときには一緒に悲しみにつられて故人の慈しみ深い家族愛が見られました。
お友達の死は人としてこの世に生きたにしては寂しすぎます。