輝ちゃんつれづれに 

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30年 あの時何を そして今は

2015年08月12日 22時41分46秒 | マツンのおもい

日航制服のまま消えた母へ「夢継ぐよ」墜落事故30年

http://digital.asahi.com/articles/ASH8B7FX2H8BUTIL03Z.html?iref=comtop_6_01 

520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故は12日、発生から30年を迎えた。

文藝春秋九月特別号川上千春さんの独占手記(妹・川上慶子と私の30年)を読んだ。30年という歳月が区切りでマスコミに出ているようだ。マスコミに振り回されないでほしい。日航機墜落物語には組しないでほしい。しかし、事故を風化させてはいけない。供養し続けることが大事なんでは。

  12日の日記13日の日記

30年前の自分はどうだったのか。三つあげてみる。

一つ目、私の30年前の6時56分は自動車の中だった。カーラジオから飛行機が不明になったと繰り返し速報が入った。甲州街道の高井戸近辺だった。薄暗い遠くの空に無事であってほしいと祈りを込めた。全国高校定時制通信制第18回ソフトテニス大会が無事終わり疲れきって運転をしていた。墜落場所はわからない。どうも群馬県上野村らしいという。

二つ目は、私にとって上野村は強い思い出がある。T学園は関東近県から来た生徒が学園・寮生活を送っている。I君は上野村に実家があり夏休みが終わりテニス合宿に来た。聞いてみると物凄い山の中だという。交通も不便で学園に来るまで大変だということを。

三つ目は、卒業記念文集に書いた。

昭和60年度         起こせ新風 仲間とともに 

”生きる”とは何なのだろうか。日航の事故で瞬間に命を奪われた人。何にも抵抗できない、理由・理屈なんてないんだ。あらためて問い直そう、どう生きるかを。勇気・決断・努力。好きなことばだ。

私の朝食 その2 夏バテ防止


外出のない限りゆっくり食べる。朝の始まりはコーヒーを飲みながらメール等のチェック。G線上のアリアを聞きながらkさんにメール。それが終わると朝食の準備。当然、私が作る。この朝食が食べられないときは体調が悪いとき。

  

夏だけ一品加えた。新物砂丘らっきょう漬。

玉ねぎスープ /玉ねぎ、人参、トマト、卵
ウィンナーエッグ /ウィンナー、卵、青葉、チーズ、トマト、ラッキョウ
パン
果物/バナナ
ヨーグルト

きちんと食べていれば体重もコントロールできる。当然テニスをやっていても軽快なフットワークになる。1年中続けばいいが・・・。生き物だからそうはいかない。


 

コメント (2)
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