世界水泳女子200メートル平泳ぎ
渡辺香生子選手 抜群の追い上げでぶっちぎりの金メダル
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150808/k10010182541000.html
優勝しての第一声が、「みなさんに感謝したい」という素晴らしい言葉。自分一人の力では勝てない。本当に嬉しいです。オリンピックの内定も出たし、気を緩めず頑張っていきたいとコメント。
竹村コーチの、「苦しい時はがんばっている時、辛い時、しんどい時こそ笑顔を出そう」言葉で共に歩んでの金メダル。
金メダルに輝いた星選手、渡部選手共にメッセージ力が強い。聞き手に共感、感動をしっかり伝えてくれる。できそうでできないことである。
私の青空
この大戦で約300万人の日本人が亡くなった。誰に責任があるのか。この時期になるとマスコミに乗せられ「戦争ものがたり」に組み入れられてしまう。美化しては決してならぬ。殺し合いだ。もう書きたくない、聞きたくない。ただ戦争は絶対してはいけない。沖縄、本土空襲、広島、長崎から敗戦。俺の小さい時の記憶の一部を辿ってみよう。
自然が残されていた。富士山が目の前に。小川もあった、タニシもいた。畑には黄金の肥溜め。ポットン便所。井戸。水汲みは辛かった。蚊帳なんて知ってるかな。ターニングポイント、生活が一変したのは桜堤団地ができたこと。昭和34(1959年)年6月、俺が中学2年の時に完成。
昭和39年(1964年)10月10日が東京オリンピック。
次の記事から敗戦から繋がる自分の生き様を考えてみた。
(昭一とひさしをたどって:5)笑いは、一瞬でわからせる 2015年8月7日16時30分
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11904689.html?ref=pcviewer
そして「あの戦争が終わったときのあの青空」「あのときに見た青空。自由という感じが、空にまで届いているような、あの伸び伸びとした気持ちをいつまでも持ち続けたいな」といって、歌ったのが「私の青空」だった。
https://www.youtube.com/watch?v=GWDUnf9T5WA
〈夕暮れに仰ぎ見る輝く青空/日暮れてたどるは我が家の細道/狭いながらも楽しい我が家〉(訳詞・堀内敬三)
2人が同時代を生き、ぶつかりながら、いくつも作品を残した幸運を思う。バカみたいな方法で、大事なことを伝えること。みんなが言う話は疑うこと。死の前で人は同じだからこそ、生きる喜びはあること。笑いには、それらを一瞬でわからせる力がある、と教えてくれた。「戦後」はこんな知恵も生んだのだ。
エノケンから高田渡・漣の父子、大瀧詠一にまで受け継がれてきた「私の青空」
http://www.tapthepop.net/song/28346
戦後の貧乏生活 直感で思い出すもの
プロレス 力道山、シャープ兄弟 吉祥寺
ボクシング 白井義孝
ラジオ 赤胴鈴之助 サンマの臭い
水泳 山中毅 シドニーオリンピック 古橋 真空管
喜劇 ロッパ、アチャコ、エノケン、金語楼
歌 美空ひばり 小学校の登下校
朝鮮人 トタン小屋
戦争の傷跡 傷痍軍人、混血児、パンパン、基地(砂川問題)
遊び メンコ、ベーゴマ、紙芝居 水飴、爆弾、盆踊り、屋台
医者 ヤブ医者
遊び場 小金井公園、広場、田無、深大寺、大沢
花火 井之頭公園 ナイアガラの滝 事故があって中止に
スポーツ かけっこ、野球、紙グローブ、相撲
街 吉祥寺 ラーメン、おんぼろバス、ランドセル