輝ちゃんつれづれに 

インスタ・LINE、スレッズ、mixi2を始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

今を一生懸命に生きる

2015年08月20日 23時41分50秒 | 日記

知らないうちに消えていったもの

銭湯の三助さん

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1266209511475.html 

近世では,商家や町家の下男の通り名であったが,次第に風呂屋の男の使用人に用いられるようになった。燃料を町内や廻り場から集め,釜を焚き,また特に洗い場で浴客のあかすり,肩もみを行う職業として知られた。

 私は風呂屋の隣で生まれた。風呂屋の名前は「清水湯」だったと思う。夜は遅いし休みもないし汚いし絶対に自分にはできない仕事と思っていた。一生懸命風呂屋の主人を支えていたのが「三助」だった。ご主人は石川県富山の人だった。なぜかお風呂屋さんは石川県の人が多い。

真面目な三助がいた。男湯女湯関係なしにあかすり、肩もみをする人だった。水道が完成し内風呂が多くなる中で、また、燃料の高騰などで風呂屋の経営が厳しくなり三助がいなくなった。同時に風呂屋の廃業も多くなった。何十年前の当たり前のことがあっという間に消え去ってしまうのだ。銭湯は日本文化の基本だったような気がする。裸になれば格差はないのだ。挨拶もするし近所の付き合いができる。銭湯・三助に代わるものはないのかな。湯気の中の富士山の絵は夢を与えてくれたような気がする。

 懐かしい仙川公園で

http://www.mitakanavi.com/spot/park/sengawa.html 

 杏林大学病院に女房を下ろしてLEOくんと待機。駐車場に入れても暑いからどうするか考えた。三鷹中高の前にセブンがある。その裏は仙川公園だ。久しぶりに足を踏み入れた。蝉の声が我々を圧倒する。動画を撮ってみた。

北野に住んでいる頃はランニングの折り返し点だった。長崎の平和記念像はいい。こんな三鷹の端っこではなく、三鷹駅の南口に堂々と置いてほしい。今日は誰も遊んでいなかった。

ちょっと工夫をしなくては

加齢とともに物忘れが・・・。前日に大雑把にやらなければいけないこと、やりたいことをメモしておけばどうだろう。

  

Yさんにメールの返信。

Kさんにメールの送信。

郵便局で国保の振り込み。

ケヤキネットで当選の確定を行う。それをNさんにメール。

Nさんにテニスの会費を振り込む。(振込先の確認)

Sさんの作文指導。(キーワードとプロットをもらう)

楽々自分史原稿の原稿用紙への印刷。(ウイザードを使うことで解決)

杏林大学病院にMRI画像を取りに。(待機中に仙川公園に)

ガソリン

本の購入・受け取り(注文してあったのが届いていた。八重洲ブックセンター)

買い物(ニトリ、コジマ、武蔵境)

残暑見舞い(三通)

ブログ材料探し(三助)

Evernoteの学習(できなかった)

通知表のHPへの組み込み(できなかった)



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