輝ちゃんつれづれに 

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オリンピック考 8 世界がゆづるで湧いている

2018年02月17日 23時51分20秒 | マツンのおもい

○羽生選手がオリンピック2連覇

今日も生で羽生選手の演技をみることができた。

地響きのような観衆の応援力。

ゆづるワールドに惹きづり込まれてしまう。

積み重ねてきた絶対的な自信の裏付けだろう。

男子では66年ぶりの快挙という。

久しぶりに日本中が明るいニュースで湧いた。

羽生・宇野が金・銀で同じ表彰台に。

新聞社の報道を比較してみよう。

朝日 羽生結弦、自分に勝った孤高の金「僕はアニメの熱血系」

https://digital.asahi.com/articles/ASL2K52X2L2KULZU004.html?iref=comtop_8_01 

毎日 羽生連覇 右足首けがに耐えて栄冠

https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20180218/k00/00m/050/073000cv

読売 羽生結弦連覇、宇野昌磨は銀…初のダブル表彰台

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2018/figure-skating/20180217-OYT1T50033.html?from=ycont_top_txt 

日経 羽生の闘志 フィギュア会場を支配 

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27058860X10C18A2UU2000/ 

産経 羽生演技「剣闘士の気迫、少女の柔らかさ」韓国紙も絶賛

http://www.sankei.com/world/news/180217/wor1802170024-n1.html 

インタビューの中に、「多くの人の支えに感謝」という言葉が出てくる。支えるという言葉のみに絞って考えたらいい言葉に出会った。

 たとえば、行為は一種のエネルギーの連続体です。今、私がしていることには、必ず過去に「因」があり、その「果」として、今この行為が表れ出ていると考えるのです。

今、インタビューを受けている「果」の「因」は。私が芥川賞を獲ったことです。さらにその「因」を遡ると、私が「百年泥」という小説を書いたことです。一瞬一瞬の因と果が永遠と続いていく。私は「因」と「果」の大きな川の流れの中にいるに過ぎないと考えるようになりました。

 もし私が、二十代、三十代だったら、「芥川賞を獲れたのは自分一人の能力のおかげだ」と思うかもしれません。ですが今はそうは思えません。この受賞は、自分のあり方を支えてくれた無数の人のおかげだと思っています。そのように考えるのは、私が謙虚だからではなくて、物事というのは、そういうあり方をしているからです。

私というのは、私であって私ではありません。先ほどの因果の話と考え方は同じです。人間同士はコミュニケーションします。それは同時にお互いの一部をやり取りし合うことです。すると一人の人間の中に、おびただしい他の人間の存在が入り込んで、グチャグチャに混ざり合う。お互いがお互いを交換し合いながら、人間は存在していると考えるようになりました。だから、これだけ嬉しいことがあっても、「一人の力でできた」などとはとても思えません。仏教を学んだことで、そのように考えられるようになりました。

(文藝春秋3月特別号 百年泥 第58回芥川賞 石井遊佳

 インタビュー 東大で仏教を学び、夫とインドへ)

 

 


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