みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 2人の祖母

2019-01-18 04:10:31 | 日記
南野家の葬儀は家族葬だった。故人は昭和59年から平成12年まで縫製業の会社社長を務めた人だった。晩年は自宅で療養生活していたが転倒して、約10年間は車椅子から寝たきりの施設介護生活だったという。昭和5年生まれの89歳で、母より半年遅い生まれだった。ご冥福を祈る。


昨日の梅やんはデイサービスでした。私が葬儀に行くため午前8時半に先に家を出て、午後4時15分に帰宅してみると、梅やんはデイサービスから帰り、白いチャボとナゴヤコーチンのニワトリを鶏小屋から出して餌を与えていました。これが楽しみなんでしょう。


夕食時、私は梅やんに「南野のおばあさんはきれいな顔をしていたよ。孫のマー君たちも来ていて、山のばあちゃんはどうなん?と聞いてくれたよ。」と葬式の様子を話しました。生前の写真を出して見せてあげると、この人には会ったことがないなあと梅やんは言いました。

喪主はユキ妹、ジーっと見入る梅やん。

これからは孫のマー君たち、若い人々の時代です。マー君の祖父母は戦後すぐの大阪で商店を始めて、昭和のうちに徳島に移転し、地域の働く人々の共同作業所を起こしました。祖父が病気で先立ち、祖母は平成の最後の年に亡くなりました。立派な人でした。梅やんは認知症のため覚えていないけれど、マー君の誕生を2人の祖母は共に喜び、会っていたのです。時は移り過ぎ、人は去り、新しい時代がやって来ます。

それでは今日はこの辺で。