みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 ユキに電話をする

2019-10-09 06:07:20 | 日記
今日はずいぶん涼しい日でした。私は、梅やんがデイサービスへ行った後、昼まで読書して、午後は3時間余りの間、家の上の道刈りと下の畑跡の草刈りをしました。この草刈り作業を梅やんは81歳までしてくれていました。自分がする様になって父母の苦労がよく分かります。力仕事をすると私の心臓の動脈がザックッザックと拍動します。私の健康は大丈夫なのか知らん。
鹿の食害が減り、野菊の花も復活しました。


梅やんは4時半にデイサービスから帰り、洗濯物を取り入れて畳みました。




私は外の炭火釜で夕食のカレーライスの具の煮込み作業をしました。


梅やんはシチューカレーを全部食べました。それから私はユキ妹に電話を掛けて、梅やんとかわりました。


シチューカレーはユキが贈ってくれたものですから。


梅やんは普通に話をしていました。ユキが東京の方に居るという事は理解している様子です。


道の上からカシドマルを眺めると稜線がきれいに見えます。
梅やんは、昼はデイサービスで風呂に入り、夜は先ほど家の風呂に入り、今やっと寝てくれました。それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 朝は素直な梅やん

2019-10-09 06:07:00 | 日記
昨日の朝、梅やんをトイレに誘導すると、「ありがとう」と何度も何度も言いました。パジャマから外出用に着替えさせる時も「ありがとう」と言います。朝食の時に座って「モリのお陰でワタシはうちに居れる。自しんじゃけん気安いわ」と。そして、「デイの授業料は月にいくらいるんぞ?」と聞いてきました。私が月額15000円だと答えると「ようけいるのう。ご飯もろうて食べるからのう」と言いました。「モリは仕事は何をしよんか?」とも聞いてきます。
このように、朝の梅やんは素直で優しくて、しかも会話が成り立つのです。デイサービスの利用料は実際にはもっとかかりますが。


私が昼間行った鴨島町の休耕田にコスモスの花が咲いていました。秋桜。
梅やんはデイサービスと木沢診療所での骨粗しょう症の注射を終えて、夕方、家に帰りました。


しゅうしだいらと六郎山。この辺りは地主さんが景観に配慮して広葉樹を植林しています。梅やんの実家は六郎山の尾根筋を下ってきた辺りに有りますが見えません。六郎山やロクロ谷には昔、木地師が居たそうです。


帰ってきた梅やん。
家に日本年金機構から郵便葉書が来ていました。年金振込通知書です。令和元年12月の国民年金老齢基礎年金支払額は75409円ですと。2ヶ月分ですから2で割って介護保険料と後期高齢者医療保険料が差し引かれて、月33954円です。
梅やんの年金が少ないのは昭和35年からずっと掛けていたのが国民年金だけでしたからです。梅やんは林業労働者でしたから。私が中学3年になったばかりの頃、母が学校に呼ばれてシマダ先生と3人で進路の相談がありましたが、母は将来の私の職業を「事務員にさせたい」と話していました。国民健康保険と国民年金ではやっていけないと考えていたのでしょう。



夜になると、梅やんは私に聞いてきました。「2〜3日前にウチに来て泊まって帰った男と女は誰ぞ?モリの身内かなんかだろう。泊まって飯食べさせてあげたのにありがとうも言わずに帰ったわ。誰ぞ、愛想が無い。」と、セツ姉の事は思い出せないようでした。その後、チイ叔母に電話していましたが、やや興奮しておりなかなか寝ませんでした。
この様に、梅やんの精神活動は日内変動があります。認知症の脳活動は血圧の様なもので1日のうちで良かったり悪かったりの変動があるようです。
それでは今日はこの辺で。梅やんはデイサービスに行きます。