みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 木の上のサル親子

2019-10-11 06:19:56 | 日記
一昨日の夜から梅やんは、私の顔を見るなり「飯はあるんか、メシを炊こうか」と言い、夕食が終わると「ふろをわかしてくれ、お前も風呂に入れ。ワシは昨日も風呂に入っとらん」と言いました。3回同じ事を言うと私は、やめてくれ、こちらの頭がおかしくなるからと注意をしますが、更に梅やんは「ここはワシのうちぞ。好きなようにする」と言って聞きません。


梅やんはこうして風呂に入り、「メシを炊いておくれ」と言って寝ます。夜が明けると、私は燃えるゴミ用の袋に使い捨ての紙オムツと紙パンツを入れて上の県道脇に持って行きます。猿の家族が、3匹、高い木に登り何かの実を食べて騒いでいました。


それでも梅やんは朝食を食べて洗い物をしてから、迎えのデイサービスの車に乗って行きました。


私は午前中1時間、夕方1時間の草刈りをして、間は日本近現代史の本を読んで休みました。
副食にジャガイモを炭火で蒸して、焼いてみると、美味しそうな出来上がりです。


梅やんは夕食の後ですが、美味しそうにジャガイモを食べました。写真のザルが焦げて溶けているのは、梅やんが独り暮らしでボケ始めた頃にガスコンロで溶かしてしまった物を今も使用しているからです。
今朝は風呂の水が流しっぱなしであふれていました。4時にオムツ替えでトイレに起こしました。


「ワシはこんなに小便が出るんか」と言いながらトイレから出て来ます。ここで私は、手を洗うように指示を出します。手を洗えと。指示しないとそのまま寝てしまうからです。


今朝は早朝ウォーキングです。霧の六郎谷です。


西三子山です。今日はお天気が良さそうにありません。梅やんはデイサービスに、私は三好市へ移動日です。一晩は梅やんを独り暮らしさせます。それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 ユキに電話をする

2019-10-09 06:07:20 | 日記
今日はずいぶん涼しい日でした。私は、梅やんがデイサービスへ行った後、昼まで読書して、午後は3時間余りの間、家の上の道刈りと下の畑跡の草刈りをしました。この草刈り作業を梅やんは81歳までしてくれていました。自分がする様になって父母の苦労がよく分かります。力仕事をすると私の心臓の動脈がザックッザックと拍動します。私の健康は大丈夫なのか知らん。
鹿の食害が減り、野菊の花も復活しました。


梅やんは4時半にデイサービスから帰り、洗濯物を取り入れて畳みました。




私は外の炭火釜で夕食のカレーライスの具の煮込み作業をしました。


梅やんはシチューカレーを全部食べました。それから私はユキ妹に電話を掛けて、梅やんとかわりました。


シチューカレーはユキが贈ってくれたものですから。


梅やんは普通に話をしていました。ユキが東京の方に居るという事は理解している様子です。


道の上からカシドマルを眺めると稜線がきれいに見えます。
梅やんは、昼はデイサービスで風呂に入り、夜は先ほど家の風呂に入り、今やっと寝てくれました。それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 朝は素直な梅やん

2019-10-09 06:07:00 | 日記
昨日の朝、梅やんをトイレに誘導すると、「ありがとう」と何度も何度も言いました。パジャマから外出用に着替えさせる時も「ありがとう」と言います。朝食の時に座って「モリのお陰でワタシはうちに居れる。自しんじゃけん気安いわ」と。そして、「デイの授業料は月にいくらいるんぞ?」と聞いてきました。私が月額15000円だと答えると「ようけいるのう。ご飯もろうて食べるからのう」と言いました。「モリは仕事は何をしよんか?」とも聞いてきます。
このように、朝の梅やんは素直で優しくて、しかも会話が成り立つのです。デイサービスの利用料は実際にはもっとかかりますが。


私が昼間行った鴨島町の休耕田にコスモスの花が咲いていました。秋桜。
梅やんはデイサービスと木沢診療所での骨粗しょう症の注射を終えて、夕方、家に帰りました。


しゅうしだいらと六郎山。この辺りは地主さんが景観に配慮して広葉樹を植林しています。梅やんの実家は六郎山の尾根筋を下ってきた辺りに有りますが見えません。六郎山やロクロ谷には昔、木地師が居たそうです。


帰ってきた梅やん。
家に日本年金機構から郵便葉書が来ていました。年金振込通知書です。令和元年12月の国民年金老齢基礎年金支払額は75409円ですと。2ヶ月分ですから2で割って介護保険料と後期高齢者医療保険料が差し引かれて、月33954円です。
梅やんの年金が少ないのは昭和35年からずっと掛けていたのが国民年金だけでしたからです。梅やんは林業労働者でしたから。私が中学3年になったばかりの頃、母が学校に呼ばれてシマダ先生と3人で進路の相談がありましたが、母は将来の私の職業を「事務員にさせたい」と話していました。国民健康保険と国民年金ではやっていけないと考えていたのでしょう。



夜になると、梅やんは私に聞いてきました。「2〜3日前にウチに来て泊まって帰った男と女は誰ぞ?モリの身内かなんかだろう。泊まって飯食べさせてあげたのにありがとうも言わずに帰ったわ。誰ぞ、愛想が無い。」と、セツ姉の事は思い出せないようでした。その後、チイ叔母に電話していましたが、やや興奮しておりなかなか寝ませんでした。
この様に、梅やんの精神活動は日内変動があります。認知症の脳活動は血圧の様なもので1日のうちで良かったり悪かったりの変動があるようです。
それでは今日はこの辺で。梅やんはデイサービスに行きます。








みなみの梅やん介護日誌 何故か呑み込まなくなった梅やん

2019-10-08 05:24:00 | 日記
昨日は、私は休み。正午まで寝て、草を刈る気もしなくて、日本近現代史の本を読みました。年金生活になるとこういう身体の状態になっていくのを感じます。

午後3時半に梅やんをデイサービスまで迎えに行きました。五倍木フシノキの橋から黒滝山がきれいでしたのでカメラにうつしました。
坂州の農協の店で鮭を買い、焼いて夕食のおかずにしました。

梅やんはこのように噛み砕いて呑み込まずに皿に戻しています。最近ずっとこの癖になり、注意すると「明日食べる」と言って機嫌が悪くなります。「いちいち監視するな、ここはワシの家じゃ」と言います。飲み込む力が弱くなるのはどうしてでしょうか。

今日も梅やんはデイサービスです。私は鴨島まで所用にいて来て、午後4時から木沢診療所にて梅やんのテリボン注射です。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 遠ざかるお母さん

2019-10-07 05:47:31 | 日記
またウコッケイたちが元気に鳴き始めました。タヌキが捕まったから安心したのだろうか。
昨日はセツ姉が朝から洗濯、台所の掃除、食事づくり、お墓の掃除と大忙しの働きをしてくれました。梅やんは、洗濯物干しがやっと出来た後はほとんど居間に座っているだけでした。「飯あるか?飯が足らん」と飯の心配ばかりしています。昼食の時、セツ姉は「実家で住める事は幸せでよ」と梅やんに言いました。
墓掃除
アケビが熟れていました。
アケビを手にする梅やん

座って見ている梅やん
ちょうどこの日は那賀町でのサイクリング大会が有って多勢の選手たちが奥へ走って行きました。
サイクリング大会
セツ姉たちは午後2時前に徳島市へ帰って行きました。
セツ姉の車が去る
セツたちが帰った後、梅やんはポツリと言いました。「姉も愛想のない奴じゃ!何日も泊まって居ってありがとうも言わずにいんだわ」。次いで2時間程経つと、「マサと一緒に来た女は誰ぞ?知らん人じゃ、マサの嫁さんか、愛想の無い奴じゃ。セツ姉は来なんだ」と本気で言いました。そして頭が痛いと言います。私が、頭のどの辺りが痛いのかを聞くと、前頭葉のあたりが痛いと言います。いつも頭の前の部分が痛むらしい。梅やんの前頭葉に変化が起こっているのかも知れません。
マサ君はセツ姉の長男でもう48歳です。生まれた後から発達障害が有りますが、梅やんは孫のマサ君のことはちゃんとわかっていました。それなのに実の娘のセツ姉を忘れかけているのでしょうか。私はセツたちが徳島市の自宅に着いた後、電話を掛けて梅やんにお礼の話をさせました。
夜もまた梅やんは怒りだしました。私が外にいると、「中に入って飯を食え。一緒に飯も食わんのならもう別れんか。出ていてくれ、エエ人の所へ行け。ここはワシの家じゃ」と言ってわざわざ外に出て来て文句を言いました。
易怒性が現れてくるアルツハイマー型認知症です。母の性格が変わってしまい、昔の母の姿は遠去かるばかりです。
それでは今日はこの辺で。