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美味すぎるタイ少数民族の料理 【連載】呑んで喰って、また呑んで(59)

2020-08-19 21:59:15 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで(59

美味すぎるタイ少数民族の料理

●タイ・ダンサイ

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 


 新型コロナウイルスの影響で、大勢で食事を囲むことはなくなった。たとえ大勢でなくても、食事中に大声で歓談するのもご法度である。飛沫が飛び散るからだ。そんなわけで、押し黙って食事をするのが普通になった。もはや食事を楽しむどころではない。それと同じような食事風景を思い出した。もう40年も前になろうか。
 私と北川雅夫カメラマンがタイ北部ロイ県のラオス国境にもっとも近いダンサイを訪れたのは、1978年の12月のことだった。このダンサイでタイ共産党のゲリラと戦う民兵組織「赤い野牛」を取材するためである。
 その2年前の10月、バンコクで「タマサート大学事件」が起きた。タノム元首相の帰国に反対する学生たちと警官隊が衝突し、学生側に数多くの死傷者を出した事件である。このとき警官隊に合流した反共団体の中に国内治安作戦司令部のスッサイ・ハサディン少佐(当時)率いる「赤い野牛(タイ語でカチンデン)」がいた。
 この事件後、タイ軍部によるクーデターが起き、学生たちはラオスやタイのジャングルに潜伏せざるを得なくなったのである。私たちが訪れたダンサイでは、共産ゲリラが出没していた。ハイウェイの建設を妨害するためだ。ハイウェイ建設を請け負う会社は共産ゲリラの破壊活動に困り果て、「赤い野牛」に助けを求めた。こうして「赤い野牛」の民兵約500名が矢面に立つことなったのだ。
 彼らの軍事キャンプはハイウェイ建設現場に沿って10カ所点在していた。私たちが最初に訪れたのは、司令本部が置かれているキャンプで、約2500㎡の敷地に約100名の「兵士」が駐屯している。兵舎はすべて竹でつくられており、私たちは司令官の小屋をあてがわれた。
 夕刻になって、参謀のジャー・ヘアという名の青年が私たちの小屋に顔を出し、
「夕食の用意ができました」
 と伝える。
 小屋を出ると、すでに兵士たちが5、6人で車座になって地面にあぐらをかいていた。輪の真ん中に料理が並べてある。「佐官」待遇の私たちには、特別にテーブルと椅子が用意されていた。ジャー参謀と一緒に着席するやいなや、兵士たちが「待ってました」とばかりに一斉に食事を始めるではないか。その速いこと速いこと。しかも誰もが無言だ。
 その日の夕食は、鶏肉の唐辛子炒めと豚肉とキャベツの炒め物、それに白菜のスープが。主食は長細いインディカ米である。美味い。民兵のキャンプで、こんな美味にありつけるとは、夢にも思わなかった。唐辛子の刺激がいやがうえにも食欲をそそる。
 私が皿に盛られたご飯を平らげたとき、もう兵士たちは食事を終えていた。食事時間は3分もかからなかったのではないか。食事を楽しむというより、体力を維持するためにかきこんだという感じである。しかし、私はご飯をお代わりして、ゆっくりと食事を楽しむことに。白菜のスープもチキンベースの上品な味付けである。私は思った。タイ料理とは少しばかり違う、と。一体、何料理なのか。
 食後、私は何人かの兵士にインタビューしたが、料理の謎が解けた。彼らのほとんどがムソーと呼ばれる少数民族の出なのである。タイには少数民族が多い。ムソー族もその一つだ。別名ラフー族とも呼ばれるが、そのルーツは中国雲南省にある。130年ほど前にタイ北部に移り住んだという。その数5万人。チェンライ、チェンマイ、メイホンソン、ランパン、タークなどの各県に居住している。
 兵士たちには、タイの市民権がない。15歳の少年兵は字が書けなかった。生まれ故郷の村には学校がないので、まともな教育が受けられなかったのだ。21歳の兵士もムソー族だったので、タイの国軍に入れなかった。そこで「赤い野牛」の兵士になったという。
 このキャンプで困ったのは、アルコールが禁止されていることだ。ま、軍事キャンプだから仕方がないか。そう思っていたのだが、年が明けてから、チェンマイの中華料理屋で「赤い野牛」の野戦軍司令官、つまり実戦部隊のリーダーでムソー族の若大将、ソムチャイ・チャイファンと会食したのだが、彼もアルコールは口にしなかった。同席した同組織の事務長、ピラサック(ラムカムヘーン大学生)もそうである。彼が言う。
「われわれ『赤い野牛』の幹部は、酒を呑むのを禁じられているんですよ」
 そういえば、バンコクで会ったスッサイ将軍も酒を呑まない。どうやら、私には向かない組織であることは確かなようだ。しかし、ムソー料理だけは、私の舌にぴったりだった。あの味は今でも忘れられない。

 


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