■アンソニー・トゥー博士追悼〈パート5/最終回〉
親友が思い出を語った!
日本各地での講演会、メディアとのインタビュー、オウム真理教サリン事件の中川智正死刑との15回に及ぶ面会など、アンソニー・トゥ―博士の傍らには、必ず同じ人物の姿がありました。博士の親友、安福達雄さん(90)です。トゥー博士と行動を共にするたびに、安福さんは趣味のビデオカメラを回していました。それでは、思い出 . . . 本文を読む
■アンソニー・トゥー博士追悼〈パート4〉
父親の杜聰明氏は「台湾医学の父」
山本徳造(本ブログ編集人)
▲杜聰明博士
アンソニー・トゥー(杜祖健)博士に影響を与えたのが、父親の杜聰明博士でした。日清戦争で勝利した日本は、清国から台湾を割譲したのですが、阿片が蔓延っていました。阿片吸引の悪習に心を痛めた杜博士は総督府と協力し、見事台湾から阿片を駆逐。その後も台湾医学の発展に貢献した . . . 本文を読む
■アンソニー・トゥ―博士追悼〈パート3〉
毒物研究に没頭した日々
アンソニー・トゥー(杜祖健)博士が渡米したのは1953年のことでした。ノートルダム大学、スタンフォード大学、エール大学で学んだ後、ユタ州立大学、コロラド州立大学で教鞭を。専門はヘビ毒でした。私生活では1957年に日系アメリカ女性と結婚、5人の子供(娘3人、息子2人)を授かります。1998年からコロ . . . 本文を読む
■アンソニー・トゥー博士追悼〈パート2〉
初対面は新宿でのインタビューだった
山本徳造(本ブログ編集人)
私がアンソニー・トゥー(Anthony T.Tu、台湾名=杜祖健)博士と初めて会ったのは、平成30(2018)11月26日のことです。大阪台湾交流協会の野口一会長の紹介でした。博士が滞在していた新宿のホテルですが、見つけるのに一苦労。あまりにも小さなビジネスホテルだったか . . . 本文を読む
■アンソニー・トゥー博士追悼〈パート1〉
鮮やかに颯爽と旅立つ
山本徳造(本ブログ編集人)
アンソニー・トゥー(Anthony T.Tu、台湾名=杜祖健)博士が11月2日午後(日本時間)、滞在先のホノルル市内で逝去されました。享年94歳。トゥー氏は毒物研究の世界的権威として有名で、白井健康元気村のブログに寄稿されたり、インタビューにも応じられるなど、深い関係にありました。謹ん . . . 本文を読む
2024-04-19 「The News Lens」アンソニー・トゥ回顧録⑧最終回
脳裏に刻まれた空襲の光景 ふたたび終戦前後の台湾について
杜祖健(Anthony T. Tu)
筆者紹介
台湾出身の米国の化学者。コロラド州立大学名誉教授。1930年、台北市生まれ。 日本統治下の台湾で初の医学博士となった杜聡明氏の三男。台湾大理学部卒後、渡米。ノートル . . . 本文を読む
2024-04-06 「The News Lens」アンソニー・トゥ回顧録⑦
州が変われば法変わる、連邦政府との衝突も!…米国で暮らすなら知っておきたい保険と法律の重要性
杜祖健(Anthony T. Tu)
筆者紹介
台湾出身の米国の化学者。コロラド州立大学名誉教授。1930年、台北市生まれ。 日本統治下の台湾で初の医学博士となった杜聡 . . . 本文を読む
2024-01-06 「The News Lens」アンソニー・トゥ回顧録⑥
保険加入の有無で医療費は天地の差 狭き門の医師志望者はメキシコをめざす…米国の医療事情
杜祖健(Anthony T. Tu)
筆者紹介
台湾出身の米国の化学者。コロラド州立大学名誉教授。1930年、台北市生まれ。 日本統治下の台湾で初の医学博士となった杜聡明氏の . . . 本文を読む
2023-12-07 「The News Lens」アンソニー・トゥ回顧録⑤
「水とアドバイスはタダ」?「後妻業」裁判へのアドバイス
杜祖健(Anthony T. Tu)
筆者紹介
台湾出身の米国の化学者。コロラド州立大学名誉教授。1930年、台北市生まれ。 日本統治下の台湾で初の医学博士となった杜聡明氏の三男。台湾大理学部卒後、渡米。ノートルダム大、 . . . 本文を読む
2023-09-30 「The News Lens」アンソニー・トゥ回顧録④
台湾人化学者が共産圏で人情を実感「私がみたモスクワ、ウラジオストク」
杜祖健(Anthony T. Tu)
筆者紹介
台湾出身の米国の化学者。コロラド州立大学名誉教授。1930年、台北市生まれ。 日本統治下の台湾で初の医学博士となった杜聡明氏の三男。台湾大理学部卒後、渡米。ノ . . . 本文を読む