劉備と関羽が幕舎から出て行くのにつづき、孔明と趙雲も周瑜のいる旗艦に乗り込む。
すでに魯粛が先に待ち受けていて、やはりかれも申し訳なさそうな顔をしていた。
「都督は船室におります。劉豫洲《りゅうよしゅう》、おれがいながら申し訳」
ない、と言いかけたのを、劉備はよいから、というふうに手ぶりで止めた。
「ちょっとわしが出向けば、問題が複雑にならずにすむわけだ。貴殿が謝る必要はない」
劉備のことばに、魯粛は恐縮したらしく、頭を下げた。
忙しいとはよく言ったもので、船の中は兵士たちが荷物や武器を持って右往左往していた。
どうやら、ここで積み荷を入れ替えて、陸口《りくこう》での決戦にすぐに挑むつもりらしい。
かれらの邪魔にならないように身をかわしつつ、五人は周瑜の待つ船室へと向かった。
船室の前には、威圧的な態度を隠さない黄蓋や甘寧、呂蒙、周泰といった将軍たちが待ち受けている。
かれらは儀礼的に挨拶はしたものの、体中に殺気をまとっていた。
これから戦に出かけようとしているので、気が立っているにしても、わざわざ出向いた同盟相手に対し、無礼な態度である。
関羽が一喝しかけたのを、劉備が素早く止めて、五人はなんとか船室の入口をくぐった。
周瑜は美々しい鎧姿の上に、あいかわらず見事な織りの錦を身にまとっている。
それだけでもはっとするのに、周瑜自身が輝かんばかりにはつらつとしているのだから、海千山千の劉備も、周瑜に呑まれそうになっているのが、孔明にもわかった。
だが、やはり劉備は劉備で、周瑜の輝きを跳ね返すような人懐っこい笑みを浮かべたまま礼を取る。
「お初にお目にかかる。劉備、あざなを玄徳と申す。周都督ですな」
周瑜のほうは、相手がそこまで遜《へりくだ》ってくるとは思っていなかったようで、あわてて劉備の側によってきた。
「おお、わざわざのお出まし、申し訳なく存ずる。
わたしが周瑜、あざなを公瑾と申します。ぜひ公瑾とお呼びください。お会いできてよかった」
最後の言葉は本心からのようだ。
劉備には、こういう、対面する人のこころを和らげる魅力がある。
「お忙しいなか、会う機会を作っていただき、ありがたく存じます」
「ほんとうに申し訳ござらぬ、見ての通りでして。
陸口についたなら、すぐさま戦となりましょう。その準備に追われ、目の回るような忙しさです」
「曹操はすでに江陵《こうりょう》を出たようですからな」
「やつらの船団が到着するのが先か、われらが先か。急がねばなりませぬ」
「われらもお手伝いさせていただきたいのですが、何をすればよろしいですかな?」
劉備の問いに、一拍の間があった。
「いえ」
と、周瑜はまっすぐ劉備を見たまま、真顔で答える。
「劉豫洲におかれましては、われらが蹴散らす曹操の敗残兵を討ち取るお手伝いをしていただきたい」
『やはりか!』
さすがの孔明も頭に血が上った。
なんという無礼。
何という思いあがり。
やはり周瑜は、孫権とは違って、自分たちの水軍だけで曹操を討とうとしているのだ。
周瑜は船室から出ようともしないで、樊口《はんこう》に待機する劉備と劉琦《りゅうき》の水軍を、敗将の軍として見下して、その実態を見ることもしない。
あの百万近い曹操の軍をしのぎ、生き残った者たちを軽んじているのだ。
自分たちが大敵を討ち果たすので、あまりものを片付けろ、という。
劉備にもそれが分かっただろうに、たいしたもので、顔色一つ変えない。
関羽のほうが爆発寸前だったが、これは隣に控える趙雲がうまくけん制していた。
劉備は、屈託なく答える。
「すこしでも公瑾どののお役に立てるのなら、喜んでそうしましょう」
これには、周瑜もたじろいだようである。
顔の片方だけをゆがめて笑うという、器用な表情になって、言った。
「劉豫洲にそう応じていただけて、助かります」
もし否と言っていたなら、外にいる将軍たちがこの部屋に雪崩れ込んでくる算段だったのではないか?
「都督にお願いがございます」
孔明はだいぶ頭に血が上っていたので、つい、口を開いた。
「この戦の見届け役を、この孔明にお申し付けください」
周瑜は意外だったらしく、ほう、と驚いた顔をした。
「それはかまわぬ。しかし、よろしいのですか、劉豫洲」
劉備は、もちろん、と即答した。
「孔明がこの同盟の生き証人になることをお許しいただけるのなら、わたしとしてもありがたいことです。孔明にも勉強になりますし」
「では孔明どの、引き続き陸口へ付いてこられよ。
ただし、ご自身の身は、ご自身で守るように。
われらは曹操に当たるのに手いっぱいになってしまうから」
「心得ております、お邪魔はいたしませぬ」
礼を取りつつ、孔明は、この戦で、ひっかき傷のひとつでもかならずつけて、周瑜に意趣返しをしてやろうと、こころに決めた。
つづく
すでに魯粛が先に待ち受けていて、やはりかれも申し訳なさそうな顔をしていた。
「都督は船室におります。劉豫洲《りゅうよしゅう》、おれがいながら申し訳」
ない、と言いかけたのを、劉備はよいから、というふうに手ぶりで止めた。
「ちょっとわしが出向けば、問題が複雑にならずにすむわけだ。貴殿が謝る必要はない」
劉備のことばに、魯粛は恐縮したらしく、頭を下げた。
忙しいとはよく言ったもので、船の中は兵士たちが荷物や武器を持って右往左往していた。
どうやら、ここで積み荷を入れ替えて、陸口《りくこう》での決戦にすぐに挑むつもりらしい。
かれらの邪魔にならないように身をかわしつつ、五人は周瑜の待つ船室へと向かった。
船室の前には、威圧的な態度を隠さない黄蓋や甘寧、呂蒙、周泰といった将軍たちが待ち受けている。
かれらは儀礼的に挨拶はしたものの、体中に殺気をまとっていた。
これから戦に出かけようとしているので、気が立っているにしても、わざわざ出向いた同盟相手に対し、無礼な態度である。
関羽が一喝しかけたのを、劉備が素早く止めて、五人はなんとか船室の入口をくぐった。
周瑜は美々しい鎧姿の上に、あいかわらず見事な織りの錦を身にまとっている。
それだけでもはっとするのに、周瑜自身が輝かんばかりにはつらつとしているのだから、海千山千の劉備も、周瑜に呑まれそうになっているのが、孔明にもわかった。
だが、やはり劉備は劉備で、周瑜の輝きを跳ね返すような人懐っこい笑みを浮かべたまま礼を取る。
「お初にお目にかかる。劉備、あざなを玄徳と申す。周都督ですな」
周瑜のほうは、相手がそこまで遜《へりくだ》ってくるとは思っていなかったようで、あわてて劉備の側によってきた。
「おお、わざわざのお出まし、申し訳なく存ずる。
わたしが周瑜、あざなを公瑾と申します。ぜひ公瑾とお呼びください。お会いできてよかった」
最後の言葉は本心からのようだ。
劉備には、こういう、対面する人のこころを和らげる魅力がある。
「お忙しいなか、会う機会を作っていただき、ありがたく存じます」
「ほんとうに申し訳ござらぬ、見ての通りでして。
陸口についたなら、すぐさま戦となりましょう。その準備に追われ、目の回るような忙しさです」
「曹操はすでに江陵《こうりょう》を出たようですからな」
「やつらの船団が到着するのが先か、われらが先か。急がねばなりませぬ」
「われらもお手伝いさせていただきたいのですが、何をすればよろしいですかな?」
劉備の問いに、一拍の間があった。
「いえ」
と、周瑜はまっすぐ劉備を見たまま、真顔で答える。
「劉豫洲におかれましては、われらが蹴散らす曹操の敗残兵を討ち取るお手伝いをしていただきたい」
『やはりか!』
さすがの孔明も頭に血が上った。
なんという無礼。
何という思いあがり。
やはり周瑜は、孫権とは違って、自分たちの水軍だけで曹操を討とうとしているのだ。
周瑜は船室から出ようともしないで、樊口《はんこう》に待機する劉備と劉琦《りゅうき》の水軍を、敗将の軍として見下して、その実態を見ることもしない。
あの百万近い曹操の軍をしのぎ、生き残った者たちを軽んじているのだ。
自分たちが大敵を討ち果たすので、あまりものを片付けろ、という。
劉備にもそれが分かっただろうに、たいしたもので、顔色一つ変えない。
関羽のほうが爆発寸前だったが、これは隣に控える趙雲がうまくけん制していた。
劉備は、屈託なく答える。
「すこしでも公瑾どののお役に立てるのなら、喜んでそうしましょう」
これには、周瑜もたじろいだようである。
顔の片方だけをゆがめて笑うという、器用な表情になって、言った。
「劉豫洲にそう応じていただけて、助かります」
もし否と言っていたなら、外にいる将軍たちがこの部屋に雪崩れ込んでくる算段だったのではないか?
「都督にお願いがございます」
孔明はだいぶ頭に血が上っていたので、つい、口を開いた。
「この戦の見届け役を、この孔明にお申し付けください」
周瑜は意外だったらしく、ほう、と驚いた顔をした。
「それはかまわぬ。しかし、よろしいのですか、劉豫洲」
劉備は、もちろん、と即答した。
「孔明がこの同盟の生き証人になることをお許しいただけるのなら、わたしとしてもありがたいことです。孔明にも勉強になりますし」
「では孔明どの、引き続き陸口へ付いてこられよ。
ただし、ご自身の身は、ご自身で守るように。
われらは曹操に当たるのに手いっぱいになってしまうから」
「心得ております、お邪魔はいたしませぬ」
礼を取りつつ、孔明は、この戦で、ひっかき傷のひとつでもかならずつけて、周瑜に意趣返しをしてやろうと、こころに決めた。
つづく
※ 赤壁の戦いで、同盟締結後に、孔明がどこまで江東にいたかは、はっきりしていませんので、こういうエピソードを入れてみました。
三国志演義だと、ここから周瑜と孔明の暗闘がはじまるわけですが……今回のお話はどうなりますか?
どうぞ次回もおたのしみにー(*^▽^*)