※
どれくらい走っただろう。
馬の速度が徐々に落ちてきた。
大の大人ふたりを乗せているのだから、つぶれてしまってもおかしくない。
追っ手もこない様子なので、趙雲は馬の足を止めさせた。
暗くてよくわからないのだが、ひっそり寝静まった民家のそばである。
井戸があったので、そこにもたれかけるようにして潘季鵬を置く。
そうして、闇の彼方を振り返る。夏侯蘭は無事だろうか。
「……」
潘季鵬が、ちいさくうめき声をあげた。趙雲は、駆け寄り、血と泥で汚れた顔を覗き込む。
「潘季鵬、おれがわかるか?」
「……」
唇が、言葉を作ろうとするのだが、声がでない。
趙雲は、井戸の水を汲み、潘季鵬に含ませてやった。
過去のいざこざも、これほどまで無残な姿を見れば、どこかへ吹っ飛んでしまう。
着物はぼろぼろ、あちこちに鞭打たれた傷があり、癒えないまま晒されていたために、皮膚が変色している。
虫にたかられている箇所すらあり、水を飲ませながらも、趙雲はその姿に涙した。
公孫瓚の元へと導いてくれたときの、故郷の民謡を大声で唱和していた男の面影がなくなっている。
この男は死ぬのだろうか、と趙雲は考え、悲しみのあまり、また涙した。
死んでほしくない。
たとえ袂を別った相手とはいえ、道を示してくれた恩人であることに変わりはないのだから。
ちかくの民家の納屋があり、そこの扉が開いていたのを幸いに、趙雲はそこに潘季鵬を運び込み、出来うる限りの手当てをした。
夜が明けると、雨は止んだものの、易京の町はものものしく、宮城を襲った賊に心当たりがある者に対し、報奨金をあたえるとの触れが出回った。
どうやら夏侯蘭はうまく逃げおおせたらしい。
趙雲は、兵士たちの目を盗むようにして外に出て、夏侯蘭との連絡を取ろうとしたが、叶わなかった。
代わりに、かつて潘季鵬に恩を受けたという男が見つかり、その男と協力して、潘季鵬を運び出した。
男は、懇意にしているという医者を呼び、潘季鵬の手当てをした。
趙雲もおなじく、看病をつづけた。
潘季鵬の顔色は徐々によくなり、まだ言葉は発せられないものの、わずかに意志を示せるまでに回復していた。
医者の見立てでは、左腕の腱と筋が切れており、もう使い物にならないだろう、体中に残る傷の痕は残るだろうが、危険な状態からは脱け出せているから、これから悪化して、命を失うようなことにはならないはずだ、と言った。
趙雲は、潘季鵬が歩けるようになったら、共に易京を出て、常山真定に連れて行こうと考えた。
すくなくとも、いまだ兵士たちが警戒を解かない易京にいるよりはマシである。
潘季鵬のほうは、まだうめき声程度しか声を出せないでいた。
さらにしばらくして、潘季鵬は上半身を起き上がらせることができるまでになった。
左腕は、医者の言うとおり、もう言うことをきかなかったが、利き腕である右手は無事で、軽いものなら、普通に掴めるまで握力が回復した。
潘季鵬の口が動いた。
またなにかを訴えようとしている。
掠れた声が出る。
うめき声ではない。はっきりとした言葉だ。
趙雲は側に寄り、その言葉に耳をかたむけた。
※
翌朝、趙雲は、与えられる限りの路銀を男に預け、単身、易京を後にした。
二度と振り返らなかった。
そうして、二度と戻ることもないだろう。
空はふたたび曇天につつまれ、はるか彼方の地平では、雷雲が大地に稲光を落としているのが見えた。
怒りはない。ただ、むなしい。
うせろ、うらぎりもの。
潘季鵬のかすれた声はそう告げて、趙雲を突き放した。
おのが夢に背いた子に対する、最後の言葉がそれであった。
以来、趙雲は潘季鵬の消息を知らない。
つづく…
※ 本日より、1話分の文字数を減らしています。
その代わり、更新頻度を上げていきます。
今後ともどうぞよろしくお願いします('ω')ノ
どれくらい走っただろう。
馬の速度が徐々に落ちてきた。
大の大人ふたりを乗せているのだから、つぶれてしまってもおかしくない。
追っ手もこない様子なので、趙雲は馬の足を止めさせた。
暗くてよくわからないのだが、ひっそり寝静まった民家のそばである。
井戸があったので、そこにもたれかけるようにして潘季鵬を置く。
そうして、闇の彼方を振り返る。夏侯蘭は無事だろうか。
「……」
潘季鵬が、ちいさくうめき声をあげた。趙雲は、駆け寄り、血と泥で汚れた顔を覗き込む。
「潘季鵬、おれがわかるか?」
「……」
唇が、言葉を作ろうとするのだが、声がでない。
趙雲は、井戸の水を汲み、潘季鵬に含ませてやった。
過去のいざこざも、これほどまで無残な姿を見れば、どこかへ吹っ飛んでしまう。
着物はぼろぼろ、あちこちに鞭打たれた傷があり、癒えないまま晒されていたために、皮膚が変色している。
虫にたかられている箇所すらあり、水を飲ませながらも、趙雲はその姿に涙した。
公孫瓚の元へと導いてくれたときの、故郷の民謡を大声で唱和していた男の面影がなくなっている。
この男は死ぬのだろうか、と趙雲は考え、悲しみのあまり、また涙した。
死んでほしくない。
たとえ袂を別った相手とはいえ、道を示してくれた恩人であることに変わりはないのだから。
ちかくの民家の納屋があり、そこの扉が開いていたのを幸いに、趙雲はそこに潘季鵬を運び込み、出来うる限りの手当てをした。
夜が明けると、雨は止んだものの、易京の町はものものしく、宮城を襲った賊に心当たりがある者に対し、報奨金をあたえるとの触れが出回った。
どうやら夏侯蘭はうまく逃げおおせたらしい。
趙雲は、兵士たちの目を盗むようにして外に出て、夏侯蘭との連絡を取ろうとしたが、叶わなかった。
代わりに、かつて潘季鵬に恩を受けたという男が見つかり、その男と協力して、潘季鵬を運び出した。
男は、懇意にしているという医者を呼び、潘季鵬の手当てをした。
趙雲もおなじく、看病をつづけた。
潘季鵬の顔色は徐々によくなり、まだ言葉は発せられないものの、わずかに意志を示せるまでに回復していた。
医者の見立てでは、左腕の腱と筋が切れており、もう使い物にならないだろう、体中に残る傷の痕は残るだろうが、危険な状態からは脱け出せているから、これから悪化して、命を失うようなことにはならないはずだ、と言った。
趙雲は、潘季鵬が歩けるようになったら、共に易京を出て、常山真定に連れて行こうと考えた。
すくなくとも、いまだ兵士たちが警戒を解かない易京にいるよりはマシである。
潘季鵬のほうは、まだうめき声程度しか声を出せないでいた。
さらにしばらくして、潘季鵬は上半身を起き上がらせることができるまでになった。
左腕は、医者の言うとおり、もう言うことをきかなかったが、利き腕である右手は無事で、軽いものなら、普通に掴めるまで握力が回復した。
潘季鵬の口が動いた。
またなにかを訴えようとしている。
掠れた声が出る。
うめき声ではない。はっきりとした言葉だ。
趙雲は側に寄り、その言葉に耳をかたむけた。
※
翌朝、趙雲は、与えられる限りの路銀を男に預け、単身、易京を後にした。
二度と振り返らなかった。
そうして、二度と戻ることもないだろう。
空はふたたび曇天につつまれ、はるか彼方の地平では、雷雲が大地に稲光を落としているのが見えた。
怒りはない。ただ、むなしい。
うせろ、うらぎりもの。
潘季鵬のかすれた声はそう告げて、趙雲を突き放した。
おのが夢に背いた子に対する、最後の言葉がそれであった。
以来、趙雲は潘季鵬の消息を知らない。
つづく…
※ 本日より、1話分の文字数を減らしています。
その代わり、更新頻度を上げていきます。
今後ともどうぞよろしくお願いします('ω')ノ