はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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臥龍的陣 雨の章 その19 斐家の惨劇

2022年06月20日 10時37分09秒 | 英華伝 臥龍的陣 雨の章


斐仁の館はひっそりと静まり返っていた。
世間では、|夕餉《ゆうげ》の支度であわただしく、雨で暗いこともあり明かりが灯されているというのに、この静まりようは、尋常ではない。
門を叩くと、だれの返事もない。
軽く押してみると、ゆっくりとそれは開いた。
不用心にすぎる。
趙雲は、すぐさま剣を抜いた。
なんらかの気配を感じて警戒したのではない。
なんの気配も感じられなかったので、かえって警戒したのである。

あれからすぐに、一家で遁走したとは思えない。
陳到の部下に、見張りをつけさせていたのだ。
その見張りたちはどうしているのだろう。
陳到が屋敷に呼び戻されたとき、一緒に帰ってしまったのか?

そんな手落ちをするか?

答えは否。
とすれば、この屋敷の静寂は、それだけで怪しい。
斐仁はあれから、ここへ帰ってきたのだろうか。

陳到の話どおり、あちこちに金のかかっていることがすぐにわかる屋敷であった。
庭の風情からしてそうだし、調度品から建具のしつらえに至るまで、豪族並みの贅沢ぶりであった。
いくら金持ちの親戚の遺産があろうと、ただの兵卒が、これほどの不動産を維持できるものだろうか。

屋敷の奥に入ると、戦場で嗅ぎなれた、血の臭いが鼻腔をついた。
どくん、と耳元で心臓が跳ねた音がする。

静まりかえった屋敷のあちこちに、人が倒れていた。
どれもみな、死んでいる。
中には、陳到の部下の、あわれな姿もあった。
惨劇に気付き、屋敷へ飛び込んだものの、逆に討たれてしまったのだろう。
女も男も、年よりも子どもも、関係なかった。
屈んで、その身体に触れると、まだ温かい。
息をしている者がいないかと淡い期待を寄せ、ひとりひとり、様子をのぞいたが、みな息絶えていた。

見事な手際である。
どれもほぼ一撃で、急所を狙って絶命させている。
下手人は複数だったのか、あるいは単独だったのか、まだわからない。
だが、斬り口がどれも似ているので、複数だったとしたら、おなじ場所で鍛錬を積んだ仲間同士なのだろう。
そこいらにある豪奢な調度品には、なにひとつ手をつけておらず、家人に服の乱れはない。
盗賊のしわざではない。

がたり、と物音がした。
振り返ると、斐仁であった。
全身、雨に濡れた姿で、みなが死に絶えた、おのが屋敷をぼう然と見回す。
そうして、ただ一人、生きている趙雲に、ぴたりと眼差しを当てる。
そして、押し殺した低い声で、うなるように言った。
「貴様も、『壷中』の人間であったか!」
「なんだと?」
「これが代償というわけだな!」
吠えるように言うと、斐仁は討ちかかってきた。
趙雲はそれを受ける。

人を斬ることに慣れている。
最初に抱いたのは、その印象であった。
迷わず、相手の急所を狙い、わずかな隙も見逃さず、すばやく白刃を繰り出してくる。
やはり、ただの倉庫番ではなかった。

「斐仁、誤解だ。おまえの家族を殺したのは、おれではない!」
「だまれ! 言い訳は無用!」
はげしい怒りに取り付かれた斐仁の刃は、そのひとつひとつが、疾風のようであった。
さすがの趙雲も、その気迫には、受身にならざるを得ない。
なにより趙雲は、斐仁を殺したくなかったのだ。


つづく

※ 本日、2022年6月20日より、隔日連載です。
あらためてよろしくお願いします。


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