執務室に入ったとたん、仰天した。
麋竺の席に、劉備が座っていたからである。
劉備は孔明を見ると、片手に書簡を持ちつつ、もう片手で軽く挨拶してきた。
「おはよう、孔明」
「おはようございます、わが君。いったい、どうなさったのですか」
「どうもこうも、子仲どのの代わりだよ。今日も休みだって聞いたから」
孔明がちらっと孫乾や簡雍のほうを見ると、かれらは会釈しつつ、気まずそうな顔をした。
どうやら、劉備は押しかけで事務仕事に参加しているようであった。
「雑務は、わたくしたちで引き受けますのに」
孔明が言うと、劉備はわらった。
「なあに、気にするな、ちょっとした気分転換でここに座っておるのだ。このところ、おまえを隆中から軍師として招いてからずうっと、事務のほうは任せきりであったからな。どうしているだろうかと思ったのだよ。今日いちにち、いっしょに働こうぜ」
憎めないお方だなあと孔明は感心する。
狭量な者なら、自分を信用していないので、監視に来たのではとうがった見方をするかもしれない。
だが、もしそんなふうに思う者がいたとしても、劉備の楽しそうな顔を見れば、自分もこころが明るくなって、疑った自分を恥じさえするにちがいない。
そも、劉備は孔明が隆中から招聘されるまでは、ほぼひとりで、八面六臂の活躍をしてきていたということは、麋竺から聞いていた。
事務仕事にしても、細かいところまでお手のものなのだ。
お言葉に甘えて、手伝っていただこうかと思い、孔明は自分の席についた。
「子仲どのは、まだお加減が悪いのですか」
「悪いと聞いている。季節外れの感冒かねえ、あのひとは丈夫で朗らかなのが取り柄なのに」
劉備は心配そうにぼやく。
子仲というのは、麋竺のあざなである。
麋竺は妹が劉備の夫人になっているため、新野においても特別な扱いを受けていた。
なにせ、席次はつねに劉備の次。
孔明より上座にすわり、歓待を受けるのが常だった。
商人の出身ながら、人の好さと品の良さが同居する穏やかな性格で、かれを嫌う者を孔明は見たことがない。
※
しばらく、無言でせっせと手を動かした。
想像したとおり、麋竺が抜けていることで、孔明の担当する事務仕事は、いつもの倍になった。
しかし劉備が思った以上の早さでどんどん仕事を回してくれるため、案件が滞ってイライラするようなことは起こらなかった。
劉備は手際よく右から左へと仕事を流していく。
孔明も、そのほかの事務に携わる者たちも、劉備がいることで程好く緊張し、むしろいつもより仕事がはかどっているほどであった。
しばらくして、劉備が言った。
「ここにいると、調練場の兵たちの掛け声がよく聞こえてくるな」
「調練の仕上がりは上々のようです」
「結構なことだ。以前より、新野は荊州の最前線だから兵を鍛えるのを怠っていなかったが、とくにおまえや徐庶が調練のしかたを効率のよいものに変えてからは、余計に強くなってきたようだ」
「おそれいります」
徐庶と孔明が新野にやってくる前は、調練はやみくもに鍛えることに集中しすぎていた。
休みなく動かされる兵は、たしかに鍛えられているようであったが、しかしあまりに苛烈な訓練が連続して行われていたため、死者が出るようなこともあった。
徐庶がまず、それをやめさせて、兵に休みをとらせるようにした。
徐庶の引継ぎをした孔明は、さらに兵たちの身体を効率的に鍛えられるように調練の順番を精査して変えた。
すると効果はてきめんで、兵たちはどんどん強くなっていった。
「新野の兵がつよくなれば、州都の襄陽にいる劉表どのも喜んでくださるだろうよ。わしほどに役立つ居候は、ほかにいないってな」
自虐ではなく、心からそう思っているようで、劉備の笑顔は屈託がない。
「曹操、なにするものぞ、だ。おまえと、わしの強い強い兵たちがいれば、百人力だ」
劉備の調子の良いことばに、その場にいた者たちが賛同して、そうだ、そうだ、と声をあげる。
だが、慎重な孔明は、それには賛同しなかった。
袁紹の戦いに勝利した曹操は、そのまま突進するように北へ兵を向け、一気に袁家の息子たちを屠った。
後顧の憂いがなくなった曹操は、いま、荊州を狙って侵攻の準備を進めていると聞く。
このところ、仕事の中に、中原からの流民が起こす揉め事が入らなくなったのも、曹操が中原をうまく治めている証拠だ。
かつては、荊州には多くの流民が入り込んでいた。
ほとんどが土地を追われた農民であったが、かれらはまず、荊州の最前線に位置する新野に入ってくる。
もちろん、食い詰めているため、かれらは図らずも荒んでおり、新野の地元の民ともめ事を起こすことが少なくなかった。
ところが、その揉め事が、さいきんはほとんど起こらない。
それというのも、流民が入ってきていないからであり、なぜかといえば、曹操が土地を失った農民に屯田をさせるようになったためだった。
屯田のおかげで、生産力も増え、ひいては兵力の増強にもつながっていると聞く。
曹操は残酷な男ではあるが、兵法家としても政治家としても一流なのである。
それを相手に戦わねばならないときが、刻一刻と近づいてきている。
その緊張が、孔明に軽口を叩かせなかった。
つづく
麋竺の席に、劉備が座っていたからである。
劉備は孔明を見ると、片手に書簡を持ちつつ、もう片手で軽く挨拶してきた。
「おはよう、孔明」
「おはようございます、わが君。いったい、どうなさったのですか」
「どうもこうも、子仲どのの代わりだよ。今日も休みだって聞いたから」
孔明がちらっと孫乾や簡雍のほうを見ると、かれらは会釈しつつ、気まずそうな顔をした。
どうやら、劉備は押しかけで事務仕事に参加しているようであった。
「雑務は、わたくしたちで引き受けますのに」
孔明が言うと、劉備はわらった。
「なあに、気にするな、ちょっとした気分転換でここに座っておるのだ。このところ、おまえを隆中から軍師として招いてからずうっと、事務のほうは任せきりであったからな。どうしているだろうかと思ったのだよ。今日いちにち、いっしょに働こうぜ」
憎めないお方だなあと孔明は感心する。
狭量な者なら、自分を信用していないので、監視に来たのではとうがった見方をするかもしれない。
だが、もしそんなふうに思う者がいたとしても、劉備の楽しそうな顔を見れば、自分もこころが明るくなって、疑った自分を恥じさえするにちがいない。
そも、劉備は孔明が隆中から招聘されるまでは、ほぼひとりで、八面六臂の活躍をしてきていたということは、麋竺から聞いていた。
事務仕事にしても、細かいところまでお手のものなのだ。
お言葉に甘えて、手伝っていただこうかと思い、孔明は自分の席についた。
「子仲どのは、まだお加減が悪いのですか」
「悪いと聞いている。季節外れの感冒かねえ、あのひとは丈夫で朗らかなのが取り柄なのに」
劉備は心配そうにぼやく。
子仲というのは、麋竺のあざなである。
麋竺は妹が劉備の夫人になっているため、新野においても特別な扱いを受けていた。
なにせ、席次はつねに劉備の次。
孔明より上座にすわり、歓待を受けるのが常だった。
商人の出身ながら、人の好さと品の良さが同居する穏やかな性格で、かれを嫌う者を孔明は見たことがない。
※
しばらく、無言でせっせと手を動かした。
想像したとおり、麋竺が抜けていることで、孔明の担当する事務仕事は、いつもの倍になった。
しかし劉備が思った以上の早さでどんどん仕事を回してくれるため、案件が滞ってイライラするようなことは起こらなかった。
劉備は手際よく右から左へと仕事を流していく。
孔明も、そのほかの事務に携わる者たちも、劉備がいることで程好く緊張し、むしろいつもより仕事がはかどっているほどであった。
しばらくして、劉備が言った。
「ここにいると、調練場の兵たちの掛け声がよく聞こえてくるな」
「調練の仕上がりは上々のようです」
「結構なことだ。以前より、新野は荊州の最前線だから兵を鍛えるのを怠っていなかったが、とくにおまえや徐庶が調練のしかたを効率のよいものに変えてからは、余計に強くなってきたようだ」
「おそれいります」
徐庶と孔明が新野にやってくる前は、調練はやみくもに鍛えることに集中しすぎていた。
休みなく動かされる兵は、たしかに鍛えられているようであったが、しかしあまりに苛烈な訓練が連続して行われていたため、死者が出るようなこともあった。
徐庶がまず、それをやめさせて、兵に休みをとらせるようにした。
徐庶の引継ぎをした孔明は、さらに兵たちの身体を効率的に鍛えられるように調練の順番を精査して変えた。
すると効果はてきめんで、兵たちはどんどん強くなっていった。
「新野の兵がつよくなれば、州都の襄陽にいる劉表どのも喜んでくださるだろうよ。わしほどに役立つ居候は、ほかにいないってな」
自虐ではなく、心からそう思っているようで、劉備の笑顔は屈託がない。
「曹操、なにするものぞ、だ。おまえと、わしの強い強い兵たちがいれば、百人力だ」
劉備の調子の良いことばに、その場にいた者たちが賛同して、そうだ、そうだ、と声をあげる。
だが、慎重な孔明は、それには賛同しなかった。
袁紹の戦いに勝利した曹操は、そのまま突進するように北へ兵を向け、一気に袁家の息子たちを屠った。
後顧の憂いがなくなった曹操は、いま、荊州を狙って侵攻の準備を進めていると聞く。
このところ、仕事の中に、中原からの流民が起こす揉め事が入らなくなったのも、曹操が中原をうまく治めている証拠だ。
かつては、荊州には多くの流民が入り込んでいた。
ほとんどが土地を追われた農民であったが、かれらはまず、荊州の最前線に位置する新野に入ってくる。
もちろん、食い詰めているため、かれらは図らずも荒んでおり、新野の地元の民ともめ事を起こすことが少なくなかった。
ところが、その揉め事が、さいきんはほとんど起こらない。
それというのも、流民が入ってきていないからであり、なぜかといえば、曹操が土地を失った農民に屯田をさせるようになったためだった。
屯田のおかげで、生産力も増え、ひいては兵力の増強にもつながっていると聞く。
曹操は残酷な男ではあるが、兵法家としても政治家としても一流なのである。
それを相手に戦わねばならないときが、刻一刻と近づいてきている。
その緊張が、孔明に軽口を叩かせなかった。
つづく