なにか言われるかな、と周瑜をうかがう。
周瑜は、あらかた手紙を読み終わると、平素と変わらぬ明るい調子で言った。
「こちらに色よい返事をしている者は、果たして信頼できるだろうか。
どちらにも良い顔をして、二股をかけるような半端な人物は、わが陣には不要ぞ」
「そ、それはごもっともでございます」
龐統は、卓の上に周瑜がさりげなく仕分けた、こちらにいい返事を寄越した者たちの手紙を見た。
あきらかに数が少ないが、くわえて、あきらかに信頼できそうにない人物たちからの手紙ばかりだった。
龐統が、これぞと見込んだ人物は、馬良や陳震らをはじめ、ほとんどが劉備につくと明言している。
周瑜は、とんとんと指先で卓を叩きつつ、言う。
「荊州の者たちは、われらのことを良く知らぬから、われらを荊州に対する侵略者になるかもしれないと警戒しておるのだろう。
それにしても、漢王朝に心を寄せる者の多いことにはおどろかされるな。
董卓が洛陽を焼いたとき、われらが孫文台《そんぶんだい》(孫堅)さまがいちはやく漢王朝の墳墓を直したことを、みなは忘れたのか……」
嘆き、かすかに苛立つ周瑜に、龐統は言った。
「世間は過去のことを忘れてはおりませぬ。
孫家が洛陽で墳墓を直し、かつ、得た玉璽を守り通したのは漢王朝への忠義の証。
だからこそ、孫家は揚州にて人心を得ているのですから」
「しかし、それすら血筋の前には、かすむようだ。
劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)や劉琦《りゅうき》にくらべると、わが将軍は、手紙にあるように、たしかに漢王朝にとっては他人だ。
われらが天下を得るにあたって、その事実とどう折り合いをつけるか、そこが大切になって来ような」
「左様で」
曹操のように、漢王朝の正統な後継者を保護するか、あるいは、劉備のように漢王朝復興を看板にかかげるか。
簒奪者として史書に名をのこすのは、だれもが嫌がるところである。
しかし、龐統としては、あえて汚名をかぶる覚悟がなければ、天下の建て直しなどできまいと思っていた。
とはいえ、それを声高に主張して孫権に突っぱねられた魯粛と言う前例があるので、慎重な龐統は黙っている。
「それにしても……申し訳ござらぬ、わが力が及ばぬばかりに、ことごとく色よい返事を得ることができませなんだ」
龐統がこぼすと、周瑜は白い歯を見せて笑った。
「なに、貴殿の力が及ばなかったとは思っておらぬ。
たまたま、孔明どののほうが、先にみなに強い印象与えただけのことだと、わたしは思うておる。
状況は刻々と変わる。これからも、荊州の者たちに手紙を送り続けてくれ」
地味な仕事だが、ほかに人心に訴える手段はすくない。
心得ました、と龐統が軽く頭を下げると、不意に周瑜が言った。
「しかし、孔明どのは目立ちすぎるな」
「は」
「すこしばかり、おとなしくしてもらわねばならぬ」
涼しい顔で、周瑜はそう言って、何を想像しているのか、微笑んでいる。
なにか恐ろしい予感がして、龐統は口をつぐんだ。
周瑜は単なる美貌の将というだけではなく、大胆なこともやってのける男である。
そして、計算高く振舞うこともできるのだ。
『なにか企んでおられる』
そう思うと、龐統は孔明が気の毒になった。
周瑜に睨まれて、揚州から無事に出られる人間はいない。
それほどに、周瑜の力はすみずみにまで及んでいるのである。
と、そのときである。
「銅鑼が聞こえませぬか」
「うむ、聞こえるな」
龐統と周瑜が顔を上げたとき、ちょうどそこへ部将のひとりが飛び込んできた。
「都督、急ぎ御仕度をなさってください、敵が襲来してまいりましたっ」
それを聞いた周瑜の動きは早かった。
すぐさま、別の部屋に控えていた従者たちに命令し、鎧姿に転じる。
そして、大股で部屋を出ると、凛とした声で、大騒ぎになっている軍に命令した。
「みな、いよいよ曹賊がやって来たぞ! われらの力を存分に見せつける良い機会だ!
あの老いぼれを切り刻み、河の魚のエサにしてしまえ!」
おうっ、とその場の兵士たち、武将たちが、周瑜の威勢のいい命令に応じた。
龐統が見るかぎり、だれの目も星のように強く輝いている。
死んだ目をしている者はひとりもいない。
周瑜のさすがの統率力というべきだろう。
周瑜は龐統をふり返ると、穏やかに言った。
「すこしばかり戦ってくる。孔明どののことは、またのちほど相談させてくれ」
「分かり申した。どうぞご武運を」
ありがとう、と言って、周瑜は颯爽と出撃していった。
『すこしばかり、か。たいした余裕だ』
龐統は感心するほかない。
そしてまたあらためて、周瑜に目をつけられた孔明に、深く同情するのだった。
つづく
周瑜は、あらかた手紙を読み終わると、平素と変わらぬ明るい調子で言った。
「こちらに色よい返事をしている者は、果たして信頼できるだろうか。
どちらにも良い顔をして、二股をかけるような半端な人物は、わが陣には不要ぞ」
「そ、それはごもっともでございます」
龐統は、卓の上に周瑜がさりげなく仕分けた、こちらにいい返事を寄越した者たちの手紙を見た。
あきらかに数が少ないが、くわえて、あきらかに信頼できそうにない人物たちからの手紙ばかりだった。
龐統が、これぞと見込んだ人物は、馬良や陳震らをはじめ、ほとんどが劉備につくと明言している。
周瑜は、とんとんと指先で卓を叩きつつ、言う。
「荊州の者たちは、われらのことを良く知らぬから、われらを荊州に対する侵略者になるかもしれないと警戒しておるのだろう。
それにしても、漢王朝に心を寄せる者の多いことにはおどろかされるな。
董卓が洛陽を焼いたとき、われらが孫文台《そんぶんだい》(孫堅)さまがいちはやく漢王朝の墳墓を直したことを、みなは忘れたのか……」
嘆き、かすかに苛立つ周瑜に、龐統は言った。
「世間は過去のことを忘れてはおりませぬ。
孫家が洛陽で墳墓を直し、かつ、得た玉璽を守り通したのは漢王朝への忠義の証。
だからこそ、孫家は揚州にて人心を得ているのですから」
「しかし、それすら血筋の前には、かすむようだ。
劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)や劉琦《りゅうき》にくらべると、わが将軍は、手紙にあるように、たしかに漢王朝にとっては他人だ。
われらが天下を得るにあたって、その事実とどう折り合いをつけるか、そこが大切になって来ような」
「左様で」
曹操のように、漢王朝の正統な後継者を保護するか、あるいは、劉備のように漢王朝復興を看板にかかげるか。
簒奪者として史書に名をのこすのは、だれもが嫌がるところである。
しかし、龐統としては、あえて汚名をかぶる覚悟がなければ、天下の建て直しなどできまいと思っていた。
とはいえ、それを声高に主張して孫権に突っぱねられた魯粛と言う前例があるので、慎重な龐統は黙っている。
「それにしても……申し訳ござらぬ、わが力が及ばぬばかりに、ことごとく色よい返事を得ることができませなんだ」
龐統がこぼすと、周瑜は白い歯を見せて笑った。
「なに、貴殿の力が及ばなかったとは思っておらぬ。
たまたま、孔明どののほうが、先にみなに強い印象与えただけのことだと、わたしは思うておる。
状況は刻々と変わる。これからも、荊州の者たちに手紙を送り続けてくれ」
地味な仕事だが、ほかに人心に訴える手段はすくない。
心得ました、と龐統が軽く頭を下げると、不意に周瑜が言った。
「しかし、孔明どのは目立ちすぎるな」
「は」
「すこしばかり、おとなしくしてもらわねばならぬ」
涼しい顔で、周瑜はそう言って、何を想像しているのか、微笑んでいる。
なにか恐ろしい予感がして、龐統は口をつぐんだ。
周瑜は単なる美貌の将というだけではなく、大胆なこともやってのける男である。
そして、計算高く振舞うこともできるのだ。
『なにか企んでおられる』
そう思うと、龐統は孔明が気の毒になった。
周瑜に睨まれて、揚州から無事に出られる人間はいない。
それほどに、周瑜の力はすみずみにまで及んでいるのである。
と、そのときである。
「銅鑼が聞こえませぬか」
「うむ、聞こえるな」
龐統と周瑜が顔を上げたとき、ちょうどそこへ部将のひとりが飛び込んできた。
「都督、急ぎ御仕度をなさってください、敵が襲来してまいりましたっ」
それを聞いた周瑜の動きは早かった。
すぐさま、別の部屋に控えていた従者たちに命令し、鎧姿に転じる。
そして、大股で部屋を出ると、凛とした声で、大騒ぎになっている軍に命令した。
「みな、いよいよ曹賊がやって来たぞ! われらの力を存分に見せつける良い機会だ!
あの老いぼれを切り刻み、河の魚のエサにしてしまえ!」
おうっ、とその場の兵士たち、武将たちが、周瑜の威勢のいい命令に応じた。
龐統が見るかぎり、だれの目も星のように強く輝いている。
死んだ目をしている者はひとりもいない。
周瑜のさすがの統率力というべきだろう。
周瑜は龐統をふり返ると、穏やかに言った。
「すこしばかり戦ってくる。孔明どののことは、またのちほど相談させてくれ」
「分かり申した。どうぞご武運を」
ありがとう、と言って、周瑜は颯爽と出撃していった。
『すこしばかり、か。たいした余裕だ』
龐統は感心するほかない。
そしてまたあらためて、周瑜に目をつけられた孔明に、深く同情するのだった。
つづく