身の上を知れば、あわれであった。
十五をすぎたばかりとはいえ、すでに立派に独立した人間である。
だが、独立するまで重ねてきた歳月の中に、どれほどの酷い傷跡が、あの少年の身に刻まれているのだろう。
ふつうの子弟ならば、まだ人生のはじめ。
これから花を咲かせるときである。
花安英の身に、離れず付きまとう印象。
爛熟した果実。
あれは、薄汚い仕事をこなすために、少年の時をゆがめて、早成をうながした結果によるものなのか。
「花安英が『壷中』ならば、なぜ蔡瑁や蔡夫人の密会のことをわれらに教えたのだ?」
「わからぬ」
身も蓋もない否定のことばに、思わず趙雲の言葉はつまる。
孔明は、おのれの頭髪のほつれた部分を、指先で弄びつつ、絶句する趙雲を見る。
「花安英のことは、さっぱりわからぬ。あれのどこが、わたしと似ていると? 程子文め、生きていたなら、きっと問い詰めてやったのに」
こいつも、程子文のことは、まるで、いまでも生きているように語るのだな、といささか気味悪く思っていると、孔明は、視線を趙雲に向けた。
「似ているか?」
「見た目の派手さは似ているかもしれぬが、中身はどうだろうな。俺は、花安英と深く付き合ったわけではないし」
「深くなんて付き合ってみろ、主騎は解任だ」
「よほど、花安英と一緒にされるのがいやなようだな。向こうも毛嫌いしていたようだが。そういうところが似ているといわれる所以《ゆえん》ではないのか」
「なんであろうな。わたしには、あまり人を好き嫌いで分ける性質ではないのだが、あの少年だけはだめなのだ。うまく表現できないのであるが、『見たくない』のだ」
「なんだそれは」
「体調が悪いときや、なにかが噛みあわず、思うとおりに身なりを整えることができなかったときは、鏡を見たくないだろう。
ああいう、心の奥底を素手でかきむしられているような、なんともいやな心境になるのだ」
近親憎悪、という言葉が頭をちらりとかすめたが、孔明がふて腐れる可能性があったので、趙雲は黙っておくことにした。
まだ聞かねばならないことがある。
趙雲が、花安英が刺客ではないかと判断するのをためらった理由のひとつに、喋りすぎる、ということがあった。
何かから目を逸らさせるために、口からでまかせを連呼していたのではない。
あとから思い返せば、花安英の言葉は、程子文のこと以外は、すべて真実なのである。
敵と見なす孔明の代理ともいうべき自分に、なぜ真実を語ったのか。
そして疑問がある。
花安英と程子文が『壷中』だとすると、なぜ、程子文だけが殺されねばならなかったのか?
趙雲はふたたび、程子文の手紙に目をおとした。
『劉公子のお守りは、退屈極まりないものであったが、よいこともあった。
それはおまえさんと出会えたことだ。これは厭味ではない。
正直、おれはもう人生がどうでもよくなっていた。
『壷中』にはうんざりしていたし、かといって、連中から逃れることはできない。
連中は、自分たちの秘密が外部に漏れることを恐れていたからな。
もっとも、恐れているのは、『壷中』の成り立ちに関することであったがね。
信じられぬかもしれないが、おれたちはみな、父と母、という言葉を使うことも禁じられていた。
連中は、おれたちに食事と、寝床さえ与えておけば、親のことなんぞ忘れてしまうだろうと考えていたようだ。
だが、実は大人になって、親の年に近づいていくと、かえって親のことを思い出すようになるものだということを、計算していなかったらしい。
劉公子の側にいるあいだは、じつに暇であった。
公子のご気性はおまえさんも知っているだろう、ともかく部屋でじっとしてばかりだ。
そんなふうだから、考える時間もたっぷりあった。
何度も、いっそ曹操のいる中原か孫氏が割拠している江東、あるいは益州、そうでなければ涼州へ逃げようと考えた。
だが、とうとう果たせなかった。
どんな方法を考えてみても、頭の中で、おれは連中に追いかけられて捕らわれる。
連中の優秀さは、仲間であるおれがいちばんよく知っている。
どう考えても、駄目なのだ。
やがておれは、どうやって死ぬか、そればかり考える人間になっていたのだ。
花安英の奴は、そんなおれが不満だったらしい。
あいつは『壷中』のなかでもずば抜けて優秀だった。
おれとちがって、ちゃんとした家の息子だったらしいから、そもそもが違うのだろう』
つづく
※ いつも当ブログにお越しいただきありがとうございます(^^♪
昨日、サイトにウェブ拍手をしてくださった方、
ブログランキングおよびブログ村に投票してくださったみなさま、ありがとうございました!
ほんとうにどれだけ励みになっていることでしょう。
これからもがんばりますので、引き続き、とうブログをごひいきに♪
十五をすぎたばかりとはいえ、すでに立派に独立した人間である。
だが、独立するまで重ねてきた歳月の中に、どれほどの酷い傷跡が、あの少年の身に刻まれているのだろう。
ふつうの子弟ならば、まだ人生のはじめ。
これから花を咲かせるときである。
花安英の身に、離れず付きまとう印象。
爛熟した果実。
あれは、薄汚い仕事をこなすために、少年の時をゆがめて、早成をうながした結果によるものなのか。
「花安英が『壷中』ならば、なぜ蔡瑁や蔡夫人の密会のことをわれらに教えたのだ?」
「わからぬ」
身も蓋もない否定のことばに、思わず趙雲の言葉はつまる。
孔明は、おのれの頭髪のほつれた部分を、指先で弄びつつ、絶句する趙雲を見る。
「花安英のことは、さっぱりわからぬ。あれのどこが、わたしと似ていると? 程子文め、生きていたなら、きっと問い詰めてやったのに」
こいつも、程子文のことは、まるで、いまでも生きているように語るのだな、といささか気味悪く思っていると、孔明は、視線を趙雲に向けた。
「似ているか?」
「見た目の派手さは似ているかもしれぬが、中身はどうだろうな。俺は、花安英と深く付き合ったわけではないし」
「深くなんて付き合ってみろ、主騎は解任だ」
「よほど、花安英と一緒にされるのがいやなようだな。向こうも毛嫌いしていたようだが。そういうところが似ているといわれる所以《ゆえん》ではないのか」
「なんであろうな。わたしには、あまり人を好き嫌いで分ける性質ではないのだが、あの少年だけはだめなのだ。うまく表現できないのであるが、『見たくない』のだ」
「なんだそれは」
「体調が悪いときや、なにかが噛みあわず、思うとおりに身なりを整えることができなかったときは、鏡を見たくないだろう。
ああいう、心の奥底を素手でかきむしられているような、なんともいやな心境になるのだ」
近親憎悪、という言葉が頭をちらりとかすめたが、孔明がふて腐れる可能性があったので、趙雲は黙っておくことにした。
まだ聞かねばならないことがある。
趙雲が、花安英が刺客ではないかと判断するのをためらった理由のひとつに、喋りすぎる、ということがあった。
何かから目を逸らさせるために、口からでまかせを連呼していたのではない。
あとから思い返せば、花安英の言葉は、程子文のこと以外は、すべて真実なのである。
敵と見なす孔明の代理ともいうべき自分に、なぜ真実を語ったのか。
そして疑問がある。
花安英と程子文が『壷中』だとすると、なぜ、程子文だけが殺されねばならなかったのか?
趙雲はふたたび、程子文の手紙に目をおとした。
『劉公子のお守りは、退屈極まりないものであったが、よいこともあった。
それはおまえさんと出会えたことだ。これは厭味ではない。
正直、おれはもう人生がどうでもよくなっていた。
『壷中』にはうんざりしていたし、かといって、連中から逃れることはできない。
連中は、自分たちの秘密が外部に漏れることを恐れていたからな。
もっとも、恐れているのは、『壷中』の成り立ちに関することであったがね。
信じられぬかもしれないが、おれたちはみな、父と母、という言葉を使うことも禁じられていた。
連中は、おれたちに食事と、寝床さえ与えておけば、親のことなんぞ忘れてしまうだろうと考えていたようだ。
だが、実は大人になって、親の年に近づいていくと、かえって親のことを思い出すようになるものだということを、計算していなかったらしい。
劉公子の側にいるあいだは、じつに暇であった。
公子のご気性はおまえさんも知っているだろう、ともかく部屋でじっとしてばかりだ。
そんなふうだから、考える時間もたっぷりあった。
何度も、いっそ曹操のいる中原か孫氏が割拠している江東、あるいは益州、そうでなければ涼州へ逃げようと考えた。
だが、とうとう果たせなかった。
どんな方法を考えてみても、頭の中で、おれは連中に追いかけられて捕らわれる。
連中の優秀さは、仲間であるおれがいちばんよく知っている。
どう考えても、駄目なのだ。
やがておれは、どうやって死ぬか、そればかり考える人間になっていたのだ。
花安英の奴は、そんなおれが不満だったらしい。
あいつは『壷中』のなかでもずば抜けて優秀だった。
おれとちがって、ちゃんとした家の息子だったらしいから、そもそもが違うのだろう』
つづく
※ いつも当ブログにお越しいただきありがとうございます(^^♪
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ほんとうにどれだけ励みになっていることでしょう。
これからもがんばりますので、引き続き、とうブログをごひいきに♪