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弥縫策
読み方:びぼうさく
物事を取り繕うために講じる処置、といった意味の語。
欠点を隠すための、一時的な間に合わせ、といった負の意味で用いられることが多い。
なお、「弥縫」は縫い合わせて取り繕うことを指す語。
■だれが「年金だけでOK」と考えているのか
今回の議論を聞いている多くの国民も醒めている。
「老後の生活は年金ですべてまかなえる」と考える人が、いまどれほどいるだろうか。
日本の貯蓄率は欧米に比べて高い。
それは年金だけでは生活費が不足するという認識が一般的だからだ。
一方で、貯蓄がなければ、年金だけで生活するしかない。
高齢世帯のうち、貯蓄をつくる余裕のなかった人、特に自営業などで国民年金しか受給できない人は、働ける限り働いている。
生活費の不足を補うためだ。
国会議員に言われなくても、すでに自助努力しているのだ。
それでは年金は何のためにあるのか。
■年金は「保険」であって、「貯金」ではない
厚生年金の正式名称は「厚生年金保険」である。
国民年金も掛け金は「保険料」だ。
本来、年金は「保険」であって、「貯金」ではない。
老後、生活が立ち行かなくなった人には年金(保険金)を支払うが、十二分の所得や資産のある人には支払わない、あるいは減額する、そうした弱者を助ける制度が前提になっている。
世界で初めて老齢年金保険制度をドイツの宰相ビスマルクが導入したのは、鉱山労働者が退職後、身体を患い生活が困窮するのを助けるためだった。
困窮世帯が増えることで社会主義が浸透することを避けるのが狙いだったとも言われている。
つまり、貧困対策、困窮者救済が年金制度の当初の狙いだったわけだ。
■金持ちも「年金は貰わないと損」と考えている
戦後の日本の年金制度では、あたかも掛け金が貯金であるかのような宣伝がなされてきた。現役時代の50%以上の所得を補償しますというのが最たるものだ。
だから、豊かな生活を送るのに十分な所得や資産のある高齢者でも、年金は貰わないと損だと考えるようになった。
自分は年金を掛けてきたのだから貰って当然というわけだ。
だが日本の年金制度は支払った掛け金を積み立てている「積立方式」ではなく、保険料がそのまま現在の高齢者の年金給付に充てられる「賦課方式」になっている。
貯金ではないのである。
■増税より保険料増のほうが実施しやすい
政府が、年金をあたかも貯金であるかのように国民に思わせてきた理由がもうひとつある。増税に反対する国民も社会保険料負担の増加は受け入れてきたからだ。
いずれ自分の年金給付として戻ってくると思うから反対が小さいわけだ。
例えば国民所得のうち、どれだけが租税負担と社会保障負担に回されてきたかを示す「国民負担率」をみると、これが鮮明だ。
平成元年度(1989年度)の租税負担は27.7%、年金や健康保険などの社会保障負担は10.2%だった。
それが実績が出ている最新の29年度(2017年度)では、租税負担は25.3%、社会保障負担は17.6%である。
税負担はむしろ低下しているのに社会保障負担は大きく増えたのである。
国民負担率合計は42.9%と過去最高を更新している。
さすがに年金や健康保険の保険料をこれ以上引き上げることは難しい。
後は消費税など租税負担を増やしていくしか方法はない。
今回の報告書を巡る問題は財務省の深謀遠慮が背景にある、という指摘もある。
「老後は2000万円の赤字」というのを喧伝し、十分な年金を支払うためには、もはや増税しかないと言いたいというのだ。
老後の豊かな生活を国が保障すべきだと言い始めれば、当然、その分の負担は国民自身が負わなければならない。
高負担なくして高福祉はない、というのは当たり前の話だろう。
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パソコン変換にも出てこない読めないゾ...結局のところ支えきれず消費税UP、税金UP、年金、医療、介護諸々UPしか無くなるだろう。
ムダ削減と騒いでハリきってやったものの程なく頓挫したアホーがいたが...。