阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

無線LAN 3

2014年04月12日 00時00分01秒 | 日記

親機が旧館の下駄箱の上で、ちょうど換気口の下にあります。その換気口の
すき間からもれでる電波を捕えるのは東隣の建物の室内では無理ですので、
外の洗濯機の横のコンセントに直付けすることにしました。今は大丈夫ですが
夏の暑さと冬の寒さにたえられるでしょうか、屋内仕様の製品だと思いますので。

パソコンにはLANケーブルでつなぎます。TESTしたところ4-5Mの
スピードでした、旧館の無線LANでは20から30M、出ていますので
10分の1に落ちていますが、NET検索には問題ないでしょう。

明日は30人様のご予約、明後日日曜日も30人様のご予約です、日曜日が市会議員
選挙の投票日、27人立候補で22人の定員です、激戦ですので、是非とも投票に
行かねばなりません。そういえば今まで棄権したことはないですね。

今回は革新系の市長派の方が過半数を取れるかが注目点ですが、個人的には禿頭の
同級生の〇子さんの旦那に、息子の同級生や、お客様が出られておられるので、
皆さん受かっていただきたいのですが、平井家は6票しかありませんので、家族協議を
して、多分日曜日になると思いますが、決めるとおもいます。まぁー長男が
決めてくれるから禿頭はおまかせで参ります。
(しかし、一番うるさいのはわたしかも!)

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無線LAN 2

2014年04月10日 23時29分08秒 | 日記
中継器の設定はAOSSで簡単に出来たのですが、東の建物での受信状態は
PM11を過ぎていますので、試すのは無理ですので、明日にいたします。

で昨日は孫娘の池田中学校の入学式です、真ん中が孫ですが、頭一つ同級生
より背が高いので、これからどれほど背が伸びるのか楽しみでもあります。

禿頭の中学生時代は、大きな女の子はそれを気にしている素振りの子がいたような
気がしますが、今の時代の子はそうでもないようです、気にしないでいてほしい気も
しますしね。
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無線LAN

2014年04月09日 21時32分51秒 | 日記

旧館を挟んで、西側は新館、東側は倉庫兼料理長夫婦の仮住まいの建物です。

新館にはTELとケーブルTVにLANケーブルは付けてもらっていますが、東の建物には
TVは映りますが、TEL回線もNET回線もありません。

現在旧館には、無線LANの親機を設置しています、バッファローWZR-HP-AG300H
です。3Fまでは問題なく使用していますが、4Fまでは届きません。

でこの電波を東の建物で利用できればと、(孫娘の入学式のため本日休業でしたので、)
中継器をさがしさがしさがしつかれましたがやっと見つけました。

バッファローのWLAE-AG300Nです、明日届きます、果たして結果は?
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馬医 2

2014年04月08日 22時37分54秒 | 日記
本日4月8日 転換期を語る『戦後70年への視点』で立花隆さんの記事が徳島新聞に
掲載されていました。少しだけ引用いたします。

聞き手=共同通信記者・関谷充人
--日本は来年、戦後70年です。大きな歴史の流れに、どう位置付けられるでしょうか。

「70年という時間は、世代が交代し、一国の歴史的記憶を完全に塗り替えてしまうような時間です。われわれは決して忘れてはならないとされてきた、あの戦争の記憶を失う瀬戸際まできていると思います。あの戦争が国民に強いた犠牲の大きさの記憶ではなく、あの戦争を始める決断をした日本の為政者たちがそろいもそろっておろかの限りとしかいいようがない決断をしたという記憶をです」

--別の決断は可能だったのでしょうか。

「一国の指導部の愚かさは一国を滅ぼすに至る。 中略  今、冷静に考えれば、いかなる犠牲を払ってでも戦争を始めるべきではなかった。あの戦争はさけられなかったのか。そんなことはありません。米国の強硬姿勢に追い詰められた最後の段階で、木戸幸一内大臣は日記にもう一つの選択肢を記しています。三国干渉のときと同様もう一度『臥薪嘗胆』を選ぶてがあるかもしれないと。今なら誰が考えてもそれが正解でしょう 中略」

--戦後日本が得たものとは何ですか。

「憲法9条でしょう。敗戦後、焼け野原の何もない状態から日本は経済的に急成長し世界的成功国家になった。これは9条によって戦争を完全に放棄したからです。戦後日本の繁栄の根本には憲法があったんです」

あとは略しますが、立花隆さんのお話はまさしくその通りと今の禿頭は納得しておりますが、数年前の禿頭であれば、自主憲法制定派でありましたので、(仏法を学ぶにつれ思想信条が変化してまいりました)道元様のおしゃっる通り、「参学眼力の及ぶばかりを見取会取するなり」だから、日々精進を怠ってはいけない、学ぶにつれ自己が変わって参ります、恐ろしいばかりです、青年時代岡潔先生にあこがれ、58歳にして玉城康四郎先生にてドカンの意味を教えていただき、65歳にして道元さまと青山先生にお会いすることができました。これからどうなるのでしょう??

そして馬医の話は?

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馬医

2014年04月08日 00時00分26秒 | 日記
NHK BS日曜日PM9の「馬医」にはまっています。
禿頭の親父の世代の人々は朝鮮、中国の方々を見下した呼び方でされる人が
多かった気がします。先の大戦が
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一粒の米もし死なずば 3

2014年04月06日 22時27分57秒 | 仏法
もう一つ松原先生のご本より、感動したお話を引用いたします。

私(注:松原泰道先生のこと)が感動したのは、樋口清之先生(国学院大学名誉教授)が
執筆された、やはりお弁当の話で、概要をご紹介しましょう。

    私の友人で、貧しさに耐えてよく勉強するのがいました。彼が学問に意欲を
   持ったのは、小学校時代持っていったお弁当が動機だったというのです。

    彼はある日、やはり母が作る父の弁当をまちがえて持って学校へ行きます。
   彼は言う、「オヤジの弁当は軽かったが、オレのは重かった」と、そして彼は
   はじめてオヤジの弁当箱にはご飯は半分しか入っておらず、自分のには一杯
   入っていたこと。オレの弁当のお菜はメザシだったが、オヤジのは味噌がご飯の
   上に載せてあったことを知ったのです。
    父と子の弁当箱の内容をいちばんよく知っている母も、父も黙っている。
   オヤジは筋肉労働をするのに、子供の分量の半分にしておかずのない弁当を
   を持っていく。「これが親というものの愛情なのか」と思うと泣けて、彼はその
   弁当がたべられなかったと申します。
    そして彼は「あの親たちに将来決して心配はかけまい。よい成績をとろう」と
   決心するのです。

樋口先生が紹介されたこのご友人が戦死されたのは悲しいことです。樋口先生はこの
お友達の紹介とともに、、また大切なことを、こう教えてくださいます。

    もしも彼の両親が、「お父さんの弁当の中味が少ないが、お前にはちゃんとした
   お弁当をつくっている」と言ってしまったのでは何もなりません。両親とも黙って
   いるところに、子どもが感動したのではないでしょうか。
         (樋口清之「家族の和は”愛”詳意」『るんびにい』241号

思いますのに、神仏は人間に愛や慈悲を与えても決して言挙げ(言葉に出して言いたてること)などしません。言挙げしない事実に感動できて自分の人生を豊かにすることができるのが、人間の持つ能力でありましょう。炊事をするのも仏事なら、感謝の念が生まれるのも仏事です。  

以上、松原泰道先生著 『自己を生き抜く』道元の「典座教訓」を読む、より
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一粒の米もし死なずば 2

2014年04月05日 23時02分49秒 | 仏法
昨晩の続きです。

2つのソロバンを必要とする意味がはじめて彼にもわかります。
提宗和尚の言葉はさらに烈しくなります。

「米のありがたさを知らない者は、生きていることのありがたさを知らない。
生きていることのありがたさを知らない者は、生きるねうちのない人間だ。迷うのが
当然だ!」

提宗和尚の痛罵が、幽学の心胆をふるえさせますが、このことが、幽学に自己の眼を
開かせるとともに、貧しい農民にために力を尽くす実践家としてのスタートを切らせる
のです。

”一粒の米”の重さに心して、洗米炊飯係りの禿頭も仕事をしようとするのですが、すぐ
忘れてしまい、お米を流してしまいます、お米だけではないのです、全てが仏の展開と
自覚すれば、自ずから出来るはずですが、そこに参るには・・・
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昨晩は寝てしまったようです。続きです

2014年04月04日 23時27分35秒 | 仏法
大原幽学(1858年没)は、江戸後期の教育家であるとともに社会運動の実践者です。
幽学は当時の貧しい農民救済のため、今日の産業組合運動の先駆である「先祖(株)組合」を組織しましたが、農民の
結集を恐れた徳川幕府の嫌うところとなり、関係者に迷惑をかけた責任を負って幽学は62歳で自殺しました。
中略
史実に基づき、高倉テル氏は、長編小説を書いていますが、その中提宗和尚と大原幽学との最初の出会いを、次の
ように描写しています。

「何でわしの所へ来た?」

「どう生きたらよいか、わかりませんために」

「これまでは、どう生きてきた?わからんで生きてきたのか?」

「はい」

「わからんでも寝ていては生きられまい?米を食って生きてきただろう?25年の間、米を食って生きてきただろう?
その米は誰が作った?」

「百姓が」

「何という名の百姓だ?」

「・・・・・」

「知らんか?名も知らんでは礼を言ったこともあるまい。25年の間養ってもらって、一言の礼も言った事もあるまい
礼を言うものだとも思っていないのじゃないか?」

「・・・・・」

「そういう恩知らずの人間が、どう生きたらいいか、わからんのと生意気なことが言えると思うか?」

「・・・・・」

「世の中は、すべての人間が助け合って生きているのだ、中略、まず米をとげ!」

中略

「お前の根性がどれだけ腐っているか証拠を見せてやる。ここに1粒の米がある。いまお前が、とぎながら流し元へ
こぼした米だ。1粒の米位と思っているだろう。1粒の米がどれほど大切か教えてやろう」

それから幽学は、寺のソロバンを2つ借りてきて和尚のまえへ置きます。和尚は

「1粒の米が地へ落ちると、その米から24の芽が出て24本の稲となる。1本の稲は秋になると、それぞれ300粒の実を結ぶ
すると、1粒の米はその秋に幾粒の米となる?」
幽学はソロバンを入れた。

「7200粒」

「この7200粒を翌年そのまま蒔いたとすると、その年の秋には幾粒の米となる?」と幽学に計算させます。
 
続く
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一粒の米もし死なずば

2014年04月03日 22時11分41秒 | 日記
洗米炊飯担当の禿頭には、耳の痛いお話があります。

以下は松原泰道先生のご本より紹介いたします。
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Take outで 柔らかいものでお刺身1人前のご注文です

2014年04月01日 22時28分14秒 | 料理
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