白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

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2005年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム
共同によると、先日、生後まもない二女に暴行をはたらいていた男がつかまった。
二女の皮膚には落書きされたあとが残っていた。マーカーで、「波田陽区ざんねん」。と、あったらしい。
「殴る蹴る」といった暴行のあとが明確なDV(ドメスティック・バイオレンス)なら、今日、ようやくではあるが、その判断基準が司法の場で、はっきり示されるべきだという世論が形成されつつある。
このたびのDVでは、さらにそうした暴行だけではなく、「落書き」そのものも「暴行」であるとの主張がなされた。前橋地検の見解である。

凶悪犯罪のメッカであるアメリカは、DV研究の先進国でもある。
暴力とは何か。どんな行為が、いつどこで、どのような線を越えたとき、それは暴力へと、あるいはDVへと変貌するのか。アメリカはそうした「研究材料」にもことかかない国だ。
悲惨である。悲惨ではあるが、だからこそ、そこから学ばれるべきこともまた、少なくないといわねばならない。

落書きに戻ろう。
いうまでもなく、名前が出ている芸人には関係がない。関係があるのは、書き込まれた「ことば」の質、
もしくはそうした質を持つ「ことば」を人体に無断で書き込む、という行為それ自体だ。
暴行の現場を知った者の神経をさかなでし、にもかかわらず容疑者は、鬱積していたストレスの解消のための形態として「落書き」という形式を選択し、つまり「ゆがみ」を生じさせ、吐け口を置き換えた。
被害者はまさにそのとき、不満解消のためだけに選別された「玩具」でしかなかった。「おもちゃ」にされていたのは、まちがいなく、加害者の二女であった。
落書き行為の「質」を検討したうえで、それを「暴行」として位置付けた前橋地検の姿勢は、この国の刑法史上、画期的進歩であるといわねばならない。
なんでもかんでも暴行だとかDVだとかで片付けようとするのではなく、こうしたきわめて緻密な研究成果の応用力が試される犯罪に関して、欧米にくらべればまだまだとはいえ、その「質」をも見逃すことなくシフトした。