白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

レイチェル/生と水のエチカ9

2019年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム
レイチェルはまたもや「ナイフ」を登場させる。めくるめく揺れ動く幻覚の中で、なのだが。しかし幻覚を見ているレイチェルにとって幻覚は確かな現実だ。そしてウルフは常に事物と事物の《あいだ》において小説家の実感としての真相を語ってはこなかっただろうか。かつてテレンス=ヒューウェットは「絨毯と壁に柔らかな陽射しが点々と揺らめいているのを見」てレイチェルがその「揺らめき」こそ「全世界」の真相ではないかというレイチェルの問いに答えていた。むしろ「がっちりしている」と。だがその彼が今度は、レイチェルが幻覚の揺らめきならびに恐怖の中で、揺らめきならびに恐怖そのものに変化しているとき、何もできない。まったく何の役にも立たない。ただ単に平凡な対応に終始してしまうように見える。しかしこういうとき、「役に立つ」、とはどういうことをいうのだろうか。「役に立たない」ことも結果的に有効だったとおもえるようなことがありはしないだろうか。しばらく読み進めてみよう。

「『見て、丘のへりをみな転がり落ちていくわ』突然彼女が言った。『転がるって、レイチェル?何が転がるんだ?何も転がっていないよ』『お婆さんよ、ナイフを持っている』テレンスにだけ答えているのではなく、彼を超えて先の方を見ていた。向かいの棚にある花瓶を見ているようだったので、彼は立ってそれを下ろした。『さあ、もう何も転がらないよ』と愉快そうに言ったが、彼女は同じところを寝たまま見つめ続け、話しかける彼にもう何の注意も払わなかった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.251」岩波文庫)

ヒューウェットの言動はまことに頼りない。的外れもここまで来るかと思わせる。だがレイチェル=ウルフにとって当時のイギリス人男性というのは所詮この程度でしかなかった。それでもテレンス=ヒューウェットを職業小説家として描いたウルフは実に皮肉な態度で告発したものだと感心する。だからといって、小説家のデビュー作はこのような告発型テロに限るというわけではない。「船出」を見てもそのように読めばそう見えるという形式に留まっている。実際、「船出」発表時、文芸評論家らによる一般的な作品評は「奇妙な」作品だが(小説家としての)才能はありそうだ、という作家論と作品論との入り混じった「奇妙な」ものだった。どちらがどれほど奇妙だったかは問題ではない。さらにいえば奇妙であればあるほど良いとは誰もいっていないし奇妙さを売りにしても読者は単に疲れるだけだ。その意味で「船出」は生きているときには死んでおり、死んでしまってから再評価という形で見直しが始まった、奇妙な、亡霊的に徘徊する作品である。だが、作家論と作品論とがどうしても入り混じってしまうということは実に奇妙な出来事ではなかろうか。もしその光景をウルフが見ていたとすれば、自殺してしまう前に一度は本心から笑うことがあったかも知れない。ところで、「奇妙に入り混じった光景」について、思い起こしておきたい文章がある。ほかならぬレイチェルが幻覚という「非現実的」な現実のうちにあるからである。周囲からは「うつろ」に見える。

「この四ヶ月間ずいぶん汽車に乗った。ベルリンからライン河畔へ、ブレーメンからシュレージエンへと縦横にだ。すると、いつであれ午後三時、あるいはいつでもいい、ごくありふれた光のもとでおこるのだ。線路の左右の小さな町、あるいは村、工場、風景の全体、丘、畑、林檎の木、散在する家、それらすべてが入りまじり、一つの顔をもち、内側にあってはまったく不確かで実にたちが悪いくらい非現実めいた、独特の曖昧な表情をし、ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.207』岩波文庫)

何度も言うが神秘主義とは何の関係もない。むしろそのような宗教的なものとはほど遠い関係にある。宗教的な気分とか雰囲気とかいったうさんくささに意識を奪われてしまっては肝心の見えるものも見えてこない。ホフマンスタールは時代と時代との裂け目にいた。その後の問題含みの言動とはまた別のところで《あいだ》を知ることができた稀有な文章家だったといえる。その意味で或る時代と別の或る時代とのずれが生じるその交錯点で、世界がずれる一定の時間を自分の身体がずれて多様体化していく動きとともに感じもし意識することもできていた。しかしそれができたからといって偉いとか偉くないとかいう話にはならないのである。ともかく、意識化の不可能を告げた震源地はニーチェであり、またクロノス(時計時間)的には逆になっているが、その動きを動きそのものの総体として可視化して見せたのはマルクスである。ここではその点を押さえておけば後はそう難解な作品ではけっしてない。レイチェルにとっての現実=幻覚は続く。

「彼が口づけをするとまぶたは大きく開いた。しかし彼女に見えたのは、男の首をナイフで切り落とそうとしている老婆だけだった。『落ちる!』レイチェルが呟いた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.261」岩波文庫)

今上げたセンテンスで気をつけたいのは、「男の首をナイフで切り落とそうとしている老婆」、という部分について。単純に復讐心に燃えたかつての美女が老いてのちにそそり立つ男根を切り落としにくるといったステレオタイプ(常套句)的な解釈を横行させてはいけない。フロイトの目線は正しいこともあればそうでないこともある。ここでは、そうでない、というほうがすでに正しい。というのは、小説家論になってしまうが、ウルフはけっして男性を憎んでいないからだ。彼女はそのような復讐心(ルサンチマン)を生命力の武器に変えて行動しようとする馬鹿馬鹿しい幼稚な次元にいない。事情はむしろ逆であって、年齢性別国籍を問わず尊敬すべき人物には礼儀をもって答えるし、尊敬できない人物であったとしても、それ相応の態度を取り出してきて返礼するに過ぎない。或る意味、相手が尊敬できない場合は幾分かの軽蔑を含むというニーチェの言葉が、ウルフにも当たっているかもしれない。幾分かの軽蔑であって、復讐心(ルサンチマン)などという不愉快なものとは距離を置くという当時のイギリスでは当たり前の態度なのだ。それがなぜか東アジア、特に日本とか韓国とかに入ってくると、何かまったく別のものへと変形され、変形されつつありがたく受け取るという態度に変わる。まるで「こそどろ」なのだ。しかし「こそどろ」という意味で日韓は、少なくともその体育会系活動家の言動はまるで双子に見えて仕方がないのはどうしてだろうか。それはそれでまた問題だろうけれども。しかしこの問題は八十年代バブルの時期にすでにいったん解決する方向に動いたことはあった。日韓問題という対立型だったが。対立的ではあっても、むしろそれゆえに、ヘーゲル弁証法の土台の上で闘争/逃走しつつ揚棄していこう、という開かれた方向が見出されてはいた。少なくとも、東京の一流と比較すればなるほど二流かも知れないが、京都大学有志と大阪の私立大学有志との間では「日韓問題」をめぐって非常に活発な議論が交わされていた。なお、「こそどろ」といってもジュネのような驚嘆に値する態度と混同してはならないだろう。

レイチェルに戻ろう。彼女は問題の鍵を「解き明かしてくれるものを聞くか見る」かする。もしその場にドストエフスキーがいたとするなら、実際に見えている「光景」がそれだ、とただちにいうだろうシーンである。

「実際六日間もレイチェルは外の世界のことは気付かずにいた。目の前を絶えず通り過ぎる熱い、赤い、めまぐるしい光景を追うのに、持てる限りの注意力を費やす必要があったからだ。その有様を熟視し、その意味を捉えることが極めて重要であるとわかっていても、それを解き明かしてくれるものを聞くか見るのが、いつも一瞬遅れてしまう。だから他人の顔ーーーヘレンの顔、看護師の顔、テレンスの顔、医者の顔ーーー時々すぐ傍にまで強引に近付こうとする者の顔にいらいらさせられた。注意力をそらし、目前をよぎる光景の意味を捉える糸口を見失わせてしまうからだ。しかし、四日目の午後、レイチェルは突然、ヘレンの顔をまわりの光景と明確に区別して見ることができなくなった。ベッドの上に屈んでくるヘレンの唇が広がり、何か早口で言っているらしいが、まったく意味がわからない。見えるものすべてが、ある策略か、冒険か、逃亡を企んでいるようだった。彼らがしていることの実態は絶え間なく変化している、それにはいつも何か理由があるはずで、レイチェルは何とかしてそれを捉えようと懸命になった。今彼らは森の中に野蛮人といる、今は海上にいる、今は高い塔のてっぺんにいる、今は飛び降りてくる、今は飛んでいく。しかし今こそ重大局面となったというまさにその時、決まって何かが彼女の頭の中に滑り込んでくるので、もう一度すべてを捉え直す努力をしなければならない。暑さに息が詰まった。ようやくすべての顔が遠くに行った。彼女はねばねばする深い淀みの中に落ち、ついには全身呑み込まれた。何も見えず、聞こえるのは頭上に波打つ海のかすかな水音だけだった。彼女を苛(さいな)んでいた者は皆彼女は死んだと思ったが、死んではいず、海底で身を丸めていた。横たわったまま時に闇を、時に光を見ている彼女の身体を、時々何者かが海の底で転がした」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.264~265」岩波文庫)

しかしドストエフスキーだけでよいのか、という問いを立ててみよう。確認しておきたいことは、ドストエフスキーを読みやすいものにしたのは、あるいはモダンな作品に読み替えた功績はミハイル・バフチンにある。それ以前は本当のところ、何だかわからないが途轍もなく重大なことが書かれてある、という程度の認識しかなかったというのが真相だろう。だからバフチン以前、日本では埴谷雄高のように、精神病者には何か他者とは違った予言者的能力があるかのように書く小説家が現れた。精神病者は他者だ。そこまでは正しい。しかし他者は他者でもどこにでもいる平凡な他者でしかない。健常者の身体の中にも幾らかはいる。だからそれは自分にとって最も親しいものでもある。さらに分類するとすれば、軽度の「サイコパス」ならそこらへんにうようよいる。経済の専門誌をぱらぱらめくっていると会社の社長とか大企業の大株主とかの中にも時々見かける。彼ら彼女らは刃物以上に中身の濃い暴力的搾取者でもあることが実に多いというほかない。なぜかはわからない。しかしそのことと共に考えることができるかと思われるが、とりわけ東アジアでは、これまたなぜかはわからないが、自分で自分自身から「始めた」とか「気づいた」とかいう錯覚が多過ぎるようにおもわれる。他者への配慮が欠けている。礼儀知らずが多過ぎる。外国からの輸入思想に対しても、実をいうと、広い意味での「翻訳者」を必要としたという経緯が、日本《と》韓国の「関係」の中に入るといとも容易に忘れ去られてしまうというあり得ない断層が平然と隆起してくる。しかしそれはいったん専門家に任せよう。ここでは分身のモチーフに触れておこう。

レイチェルは「いつも一瞬遅れ」ると感じる。言語化する前に通り過ぎてしまう。レイチェルは「ヘレンの顔をまわりの光景と明確に区別して見ることができなくな」る。「此性」とはそういうものだ。そういう現実があるだけだ。すでにクロノス(時計時間)は死滅しアイオーン(感性的時間・永劫)が支配しているのだから。それでいい。「アイオーン」は「ディオニュソス」と等値可能だ。ゆえに「ディオニュソス」=「絶え間なく変化」する「陶酔」である。幻覚とは「或る一刻」を支配する「陶酔」なのであって、だから、社会的文法からの脱却である限りで恐怖と単純な破壊であり、また同じ条件において官能であり破壊の悦びである。一見、混乱に見える。だがそうではなく、ウルフの意向も汲むとすればなおのこと「融合」というべきだろう。

「実際この日レイチェルは、まわりで起こっていることを意識していた。暗く淀んだ沼の水面に出て、波で浮いたり沈んだりするのを感じていた。自分の意志は一切無くなっていた。波の上に横たわり、身体のいくらかの痛みとかなりの衰弱を意識した。波は山の斜面に変わった。身体は溶ける雪の流れとなり、その上に両膝が骨だけとなって高く聳える山の峰になった。確かにヘレンと自分の部屋は見えたが、すべてがとても青白く、半透明になっていた。時々目の前の壁の向こうを見通すことができた。時々ヘレンが出ていき、レイチェルの目が届かないところまで行ってしまった。部屋も奇妙にも広がる力を持っていて、レイチェルは声を張り上げると、時にはそれが鳥となって遠くに飛び去るのだが、果たして話し相手の人にまで届いたのかどうかは確かではなかった。いろいろな物事が、レイチェルの目に見える形で一瞬現れる力をまだ持っていたが、その一瞬、一瞬の間の間隔、あるいは裂け目は極めて大きかった。ヘレンが片腕を上げて薬を飲ませてくれるのに、時には一時間もかかるほど、ぎごちない一つ一つの動きの間に休みがあった。身をベッドに寝ている身体を起こしてくれる時のヘレンは巨人のようで、落ちてくる天井のように彼女の上に覆いかぶさった。しかしレイチェルは、長時間にわたり、ただ肉体がベッドの上に浮き、精神は肉体のどこか遠い隅に追いやられているか、逃げ出して部屋のまわりを飛びまわっているのを意識しているだけだった。どの光景も見るにはある程度の努力を要したが、特にテレンスを見るには最大限の努力が必要だった。彼は、こちらが何かを思い出したいと願う時には、精神と肉体が合体することを強いたからである。レイチェルは思い出したくなかった。彼女の孤独を妨げられるのは煩わしかった。彼女は独りでいたかった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.274~275」岩波文庫)

わかりづらいかも知れない。「部屋も奇妙にも広がる力を持っていて、レイチェルは声を張り上げると、時にはそれが鳥となって遠くに飛び去る」。だが想起しよう。ではなぜゴッホの絵画は多くの人々にとって理解可能なのかと。「精神と肉体が合体することを強いた」。そう「強いた」社会的苦痛すなわち社会的制度的圧力が原因で統合失調症を発症したと今では理解されている。「精神と肉体」とは必ずしも一致するものではけっしてない。だから拘束された身体からの脱出こそ自由への破壊なのだ。身体は絶え間なく新陳代謝している。その意味で固有性としての身体はおそらく最も重要かつ貴重である。だが見えない糸でがんじがらめに束縛された身体であればそのようなものは不要である。嘘ではないならきっとわかるに違いない。ヒューウェットはおもう。ただし解離状態でこうおもう。解離の経験者であれば難なく理解できるだろう。「その一瞬、一瞬」については後で述べる。

「非現実の霞が深く立ちこめていて、彼の身体全体が麻痺しているという感覚を行き渡らせていた。これがぼくの肉体だろうか?これが本当にぼくの手だろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.279」岩波文庫)

次のセンテンスも解離のうちにヒューウェットが考えることだ。その通り。解離のうちにも「意識的」に「考える」ことは可能である。複数の経験者からの聞き取りからも明白だと言っておこう。もっとも、医師の立場ではなく、別の病棟(アルコール病棟)からの訪問者に聞かせてくれた体験なのだが。残念なのは解離の経験者の多くが被害者としての虐待経験者であるということだろう。長期入院者の場合、解離して見える自分の身体に「慣れ」すら持ってしまっているケースもままある。幼少時期の被虐待体験がどれほど凄まじいものであったか。そしてその体験は後に家庭という枠組みに執拗に固着するようになるか、それとも家庭という枠組みに完全に見切りを付けて自分で自分自身の自立をさっさと成し遂げようとする方向へ向かうか、いずれにしても彼ら彼女らの内面はドゥルーズ&ガタリを経由して抽出されたホフマンスタールの描写のように奇妙な合成物に見える。家庭というがんじがらめの法的制度が、その中では、どれほど荒れ狂った現実を出現させるのか。当事者は幼少時期のその体験をほとんど当たり前として捉える。家族制度は本来、実にしばしば荒れ狂うものだと。打ち砕かれた壁はしばらく我慢していればそのうち誰かが直してくれるだろうと。誰かが来なかったら来なかったでそのままにしておいても屋根くらいはあるからと。ところがたまたま出来た友人の家を訪れてみて、家具とか壁とかの余りにも整然たる様相を目の当たりにして、人間として言葉を失うのである。本当はどこの世帯もそれほど理路整然としていないにもかかわらず、彼ら彼女らの目には天国と地獄ほどに違って見える。そこで気づかなければならない。カルト団体に引き込まれてしまう前に。しかし下手な介入は事態をより一層深刻な破壊へと追い込むばかりだ。にもかかわらず支援者がいない。では、彼ら彼女らは一体どのような夢を見るのか。寝ているときの夢だが。それは成人(だいたい二十歳程度)して以降も「白昼夢」となっていきなり路上に出現したりする。いわゆる「就職活動」の合間にも。実に驚くべき強烈なエネルギーを保存しているものだと変な意味で感心してしまうほどである。しかしそのような人々はどれくらいを占めているのか、あるいは個別的に見た場合、どの程度まで脳神経システムを加工=変造されてしまっているのか。そしてそれが実生活上、どのような影響を及ぼしているのか、あるいは及ぼしていないのか、及ぼしている場合は何がいつまでどのようになのか、はっきりした調査結果はまだまだ明瞭でないし、必ずしも明瞭にしなくていいケースもあるわけで、わかっていない部分が多過ぎる。日本政府は一体何にどれほどの予算を注ぎ込んでおり、それをいかに活用してきたのか、さっぱりなのだ。テレンス=ヒューウェットの意識明瞭な解離状態は続く。

「二階に上がる途中、彼はずっと自分に言い続けていた。『これはぼくに起こったのではない。ぼくに起こったはずがない』彼は手すりの上の自分の手を不思議そうに見た」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.284」岩波文庫)

ようやく来るところまで来ることができた。

「彼は自分であると共にレイチェルでもあると思えた。ーーーこれが死だ、なんでもない、呼吸が止まることだ。これが幸せだ。完全な幸せだ。ふたりは今これまでいつも望んでいたもの、生きている間は不可能だった結合を得たのだ。ーーー二人の完全な結合と幸せはますます広く渦巻く輪となって部屋に満ちわたるように思われた。この世で未だ満たされずに遺された望みは一つもなかった。ふたりは決して奪われることがないものを与えられた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.286」岩波文庫)

ヒューウェットは「完全な結合」と感じており、書き手としてウルフがそう感じるよう命じているわけだ。ウルフは、自分が常々望んでいる「生」は、多様体としてと同時に単独性としての「ほかならぬ私の死」との交換関係に入る限りでのみ、始めて手に入れることができるものだ、と考えていた。しかしウルフは小説家として文章に自分自身を賭けており、そう簡単に死ぬわけにはいかない。作品として不十分だ、というのではなく、文体に満足していない、と感じていたからだ。したがって次作、次々作へと、その文体とともにきっちり移動を遂げていくことになる。その前に「完全な結合」ということについて、「船出」では、いったんベルクソンにおぎなってもらおうとおもう。なかでも「相互浸透」「緊密な融合」などの言葉に着目したい。

「あたかも或るメロディーの楽音を言わば全部が溶け合ったような状態で想起するときに起こるように、ーーーこれらの楽音は継起しはするが、それでも私たちはそれらを相互に統覚しているわけであって、それら楽音の全体は、その諸部分が、たとえ区別されはしても、それらの緊密な結びつきそのものによって相互に浸透し合うような生き物になぞらえうるとは言えまいか。その証拠に、メロディーの一つの音を不当に強調して調子を乱すようなことがあると、その誤りを告げ知らせるのは、長さとしては度を越したその長さではなく、そのことによって楽節全体にもたらされた質的変化なのである。したがって、区別のない継起というものを考えることができる。しかも、その各々が全体を表し、ただ抽象することのできる思考にとってのみ全体から区別され、分離される諸要素の相互浸透、緊密な結合、内的組織化として考えることができる。このようなものこそ、おそらく、同一でありながら変化する存在者、何ら空間の観念をもたないような存在者が持続について形成するであろう表象である」(ベルクソン「時間と自由・P.122~123」岩波文庫)

次のセンテンスではもうレイチェルはいない。と、おもうだろうか。エヴリンにレイチェルが憑依する。といえばまるでホラーのようだ。けれどもホラーとは元来どういうものだったろうか。それはポーが発明して打ち捨てられていたものをボードレールが偶然見つけて世に問うた一つの表現「形式」だった。マルクスにいわせればそれもまた「諸力の関係」の一つである。実際に幽霊が存在するといっているわけではない。そういう超常現象ではまったくなく、ホフマンスタールが「いわくいいがたい」と呼んだもの、「分身」という別名を持つものではなかったかというのである。エヴリンはレイチェルと融合する瞬間の関係の構造を説明するために登場する。こんなふうに。

「決断することが彼女にはとても難しかった。生まれつき、最終的なもの、すでに出来上がったものは嫌いだった。続けて、やり続けていきたいーーーいつも、続けていきたい。間もなくここを発つので、彼女は自分の衣類をすべてベッドの上に並べた。みすぼらしい着古しもあった。両親の写真は、箱に片付ける前に、しばらく手に取って見た。レイチェルもこれを見たのだ。突然、人の持つ個性、時にその人が所有したり、手に取ったりしたものによって保持されるその人の個性が強烈に蘇り、彼女を圧倒した。レイチェルがこの部屋に一緒にいると感じた。あたかも自分は船に乗っていて、日常の生活は遠くの陸地のように現実ではない、と感じた。しかしレイチェルがここにいるという思いは次第に薄れ、やがて現実のものと感じられなくなった。実際にレイチェルはほとんど知らない人だったのだ。しかしこの一時的な感覚がエヴリンを落ち込ませ、疲れさせた。あたしはこれまでの人生で何をしていたのだろう?どんな未来があたしを待ち受けているのだろう?何が見せかけで何が真実なのだろう?あの求婚とか、親密な関係とか、冒険とかいうものが真実なのか、スーザンとレイチェルの表情に見たあの満ち足りた気持ち、あれはあたしがこれまで味わったどんな感情よりも真実なのだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.303~304」岩波文庫)

エブリンには今後もそういうことが起こるだろう。あるいはエヴリンではないかもしれないが。ではさっき上げた「その一瞬、一瞬」について。それはすぐれて物質的な運動だ。

「じぶんに影響を与える物質と、みずからが影響を与える物質のあいだに置かれていることで、私の身体は行動の一箇の中心である。すなわち、受容された印象が巧みにその経路をえらんで変形され、遂行される運動となるような場所である。私の身体があらわすものは、だからまさしく私の生成の現勢的な状態、じぶんの持続にあって形成の途上にあるものにほかならない。より一般的にいえば、生成のこの連続性ーーーこれがレアリテそのものなのだーーーにおいて、現在の瞬間は、まさに流れさってゆく流れのただなかで私たちの知覚がふるう、ほとんど一瞬の切断によって構成されるものであって、この切断面こそが、ほかならぬ物質的世界と呼ばれるものなのだ。私の身体は、その物質的世界の中心を占めているのである。身体は、この物質的世界の中で、それが流されるのを私たちが直接に感得するものである。かくて身体の現勢的な状態のうちに、私たちの現在の現在性が存している。物質は、それが空間中にひろがっているものであるかぎり、私たちの見るところでは、不断に再開される一箇の現在と定義されなければならない。逆にいえば、私たちの現在は、じぶんの存在にぞくする物質的なありかたそのものなのだ。いいかえれば、現在とは感覚と運動の総体であって、他のなにものでもない。しかもこの総体は、持続の各瞬間に対して決定され、各瞬間にとって唯一のものである」(ベルクソン「物質と記憶・P.276~277」岩波文庫)

総括としてテレンスの友人ハーストがやってくる。

「テレンスに対して信義に欠けているという思いは一切無いままに、彼はふたりのことを考えるのをやめていた。人々の動きと声が、その部屋のさまざまな場所から集まってきて、彼の目の前で一つの模様にまとまっていくように思われた。彼は静かに座ったまま、ほとんど目には見えないものを見つめ、その模様が創り出されていくのを、満足して見守っていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.320」岩波文庫)

ハーストは「ほとんど目には見えないものを見つめ、その模様が創り出されていくのを」しっかりと確認する。この「ほとんど目に見えないもの」はなんとなく集まってきては一つの「力」として何らかの「模様」を生成する。と見るや否やただちに「模様」は溶けていきまた「ほとんど目に見えないもの」としてあちこちに散っていく。二度とない一回限りの反復を通り過ぎていく。なお、ハーストは将来を法律家として嘱望されたケンブリッジ大学出身のいわゆる秀才だ。法律家志望の若年層に総括の場を与えたのはウルフの洒落もしくはユーモアというものだったに相違ない。

レイチェルはレイチェルなりの方法を求めた。後に「意識の流れ」として語られることになる小説の方法で。しかし「船出」は「意識の流れ」の代名詞たるジョイスに似ているだろうか。似ていない。ジョイスにはジョイスなりの「意識の流れ」があり、また同時に別の仕方でウルフの「意識の流れ」がある、とは言えるかもしれない。ところがウルフの場合、小説という方法で、「意識の流れ」という方法とは何か別の、まったく異なる事件を起こしてしまったかも知れない、とおもうのである。機会があればさらにウルフ作品を取り上げてみたいとおもう。

なお、ここでのディオニュソスに関する解釈は次のニーチェの一節を参照した。あながち間違ってはいないと考える。

「『《ディオニュソス的》』という言葉で表現されているのは、統一への衝動であり、個人、日常、社会、実在を越えでて、消滅の深淵を越えでてつかみかかるはたらき、すなわち、より暗い、より豊満な、より浮動的な諸状態のうちへと激情的に痛ましく溢れでるはたらきであり、あらゆる転変のうちにあって変わることなく等しきもの、等しい権力をもつもの、等しい浄福をめぐまれているものとしての、生の総体的性格へと狂喜して然(しか)りと断言することであり、生の最も怖るべき最も疑わしい諸固有性をも認可し神聖視するところの、大いなる汎神論的共歓と共苦であり、生産への、豊饒への、回帰への永遠の意志であり、創造のはたらきと絶滅のはたらきの必然性の一体感である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇五〇・P522~523」ちくま学芸文庫)

BGM

レイチェル/生と水のエチカ8

2019年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム
レイチェルはテロリストに《なる》。ウルフはレイチェルに関して実に幅広い感受性を与えている。それはしかし、ヒューウェットがレイチェルに向かってこういうからではない。「きみはまるでぼくの脳みそを吹き飛ばしそうに見える」「もしも岩の上に立っていたとしたら、ぼくを海に突き落とすだろうと思う」からではない。これはいわば「口説き文句」、ただ単なる「ステレオタイプ」(常套句)に過ぎないので注意しておこう。しかしヒューウェットはまるで何の疑いもなしにそう言ったわけではないだろう。どこか頭の隅では、本当にやるかも知れない、という直感的なものが含まれているように思われる。レイチェルは無邪気にこう反応する。

「レイチェルは繰り返した。『もしも岩の上に一緒に立っていたとしたらーーー』海に振り落とされ、あっちこっちに流され、世界の根っこにまで押しやられるーーーちぐはぐな想像だとしても楽しかった。彼女は跳びはね、部屋の中を動き回り始めた。屈んだり、椅子やテーブルを脇へ押しのけたり、まるで実際に水中を突き進んでいるようだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.193」岩波文庫)

レイチェルは「ちぐはぐな想像だとしても」、自分の側が「突き落とされる」女であるとして捉えている。そして「突き落とされる」女の側に立って想像してみたとき彼女の思考は爆発的に世界を拡張する。家具類を破壊したりあるいはそれらと遊んでみたり。水を得た魚=人魚に《なる》。

「『わたしは人魚!泳げるわ』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.194」岩波文庫)

まるで子どもだ。というより、子どもなのだ。子どもへの生成変化がある。同時にテレンス=ヒューウェットは保護者に《なる》。それまではレイチェルのほうが現実的という意味で確実に大人びていたわけだが、その関係がここで急転する。テレンスは、はしゃぐレイチェルを「見守る」保護者として大人になっている。そして気をつけよう。子どもはいつ何をしでかすかまったく予想がつかない生き物でもあるということを。さらに、両者のうちの片方が大人になってしまっているときに限って特にそうだということを。

「『きみはいつも他の何かを求めている』ーーー『きみは理解できないーーーきみは理解しないーーー』ーーー今彼女は、彼の言っていることはまったく以て本当だと思った、わたくしは一人の人間の愛よりも、もっと多くのものーーー海、空を求めているのだ。再び振り返り、遠い青に目を馳せた。それは海と空が出会うところで、静かに澄み渡っていた。たった一人の人間だけを求めることは到底できなかった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.201」岩波文庫)

このセンテンスが、いわゆる「テロ」だ。彼女には「たった一人の人間だけを求めることは到底できな」い。「もっと多くのものーーー海、空を求めている」。しかしヒューウェットに対するこの「テロ」はどこに狙いを付けているのか。「それは海と空が出会うところ」、「海」と「空」の《あいだ》であり、伝統的な読解にしたがったとしてもそれは「永遠」を意味している。言い換えれば「死にたい」と彼女はいっている。長い間ヨーロッパでは、永遠の生は死であるという観念が横行していた。そしてそれは宗教的行司の場では極めて実質的なものとして受け取られてもいた。しかし実行する人間はそれほどいなかった。日常生活ではどう考えても現実味はなかったからである。ところがウルフはそのような欺瞞的な宗教的教義について我慢がならなかった。自分自身を女性という窮屈な身体に閉じ込めたばかりか、意味不明な母性というものまででっち上げ、性的役割分担という根拠のない社会的暴力をしずしずと押し進め、世界中に普及させ、にもかかわらずまったく何ら恥じるということを知らない宗教という社会的権能の何という破廉恥ぶり。その下品さ。それにしてもなお、死による「永遠の生」の実現というキリスト教的公式は、ごくふつうに考えれば不可能なことははっきりしている。だから人々はキリスト教を信仰はしても実行はしない。ところがレイチェルを典型的とする「反-没個性化」の思想は、ここではなるほど「自殺」という言葉は出てこないにせよ、思想という仮の形式をまとって、ウルフ作品では身も蓋もない思想としてよく出てくる。レイチェルは何より合理性を重んじる一方で非合理的な思想をどんどん拡大再生産させていく。そしてウルフはフェミニストとしては当然のことながら、次のように第二のテロを平然と敢行する。照準を同性に合わせている。

「嫌なのは、見られるからではなくて、必ず人にとやかく言われるからなのよ。特に女の人から。女の人が嫌というのではないけれど、感情にかかわることになると砂糖にたかる虫みたいで、きっといろいろ訊かれるわ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.212」岩波文庫)

さて、レイチェルはここまで言った。男性はどう答えるべきか。あるいは答えることができるか。できるとすればそれはどのような言葉もしくは態度でか。それはわからないとしかいえない。しかしあえて「答えない」という言語もあるのではないか。もちろんある。そしてそれも「あり」だ。しかし返答を迫られたにもかかわらず答えられなかった側の権威失墜は致命的であることを覚悟しなければならない。それでもテレンス=ヒューウェットが持ちこたえられたのはなぜだろう。これはこれでまた単純なことなのだ。ただ単に彼の周囲の女性たちがレイチェルのようではなかったからである。ヒューウェットはレイチェルの告発的テロに対してあえて答えるどころか、「まあ、〔女ってのは〕そうだからね」とでもいうような同意を示しておくだけでよかったのだ。むきになって反論する必要は全然なかった。作品発表は一九一五年。先進国イギリスでもなお、女性の地位は所詮その程度のものとしか考えられておらず、また力としてもその程度のものしか与えられていなかった。もっとも、与えられるのを待つのではなく自分で自分自身のほうから獲得するものだ、と主張することはできた。しかし書き加えられるのはさらなる「仮面」ばかりで、「素顔」ではなく、まともに相手にされないことが多かった。あたかも「パリ・コミューン」ででもあるかのように単発的なもので終わってしまうこともたびたびだった。しかし粘り強かったことは確かだ。それはすでに歴史が証明している。

だが「素顔」とは何だろうか。ニーチェは反語的にこう洩らす。

「私たちが着けている最良の仮面は、私たち自身の素顔である」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・一一六三・P.595」ちくま学芸文庫」)

それでも「最良の」としかいえない。わからないのだ。素顔とは何なのかということが。これからもわからないとしか言いようがないだろうとおもうのだが。もっとも、「物自体」の概念を廃棄することができれば、という条件付きではあるが。しかしもしそれが見えたとしたら。そのときその人はおそらく「気が狂っている」といわれるだろう。そういう問題だ。ここではこれ以上触れる必要はないだろうとおもう。

また、合理性を目指して不合理を達成するというのは往々にして人間社会の常だが、合理性と不合理性とは同居することができる。そのときそれを指して何といえばいいのかよくわからないけれども、ともかくこの同居は可能なのだ。そのとき極めて意識的であることも。スピノザから。

「精神は明瞭判然たる観念を有する限りにおいても、混乱した観念を有する限りにおいても、ある無限定な持続の間、自己の有に固執しようと努め、かつこの自己の努力を意識している。ーーー精神の本質は妥当な観念ならびに非妥当な観念から構成されている。したがって精神は妥当な観念を有する限りにおいても非妥当な観念を有する限りにおいても自己の有に固執しようと努める。ところで精神は身体の変状〔刺激状態〕の観念によって自己を意識するのであるから、したがって精神は自己の努力を意識している。ーーーこの努力が精神だけに関係する時には《意志》と呼ばれ、それが同時に精神と身体とに関係する時には《衝動》と呼ばれる。したがって衝動とは人間の本質そのもの、ーーー自己の維持に役立つすべてのことがそれから必然的に出て来て結局人間にそれを行なわせるようにさせる人間の本質そのもの、にほかならない。次に衝動と欲望との相違はといえば、欲望は自らの衝動を意識している限りにおいてもっぱら人間について言われるというだけのことである。このゆえに《欲望とは意識を伴った衝動である》と定義することができる。このようにして、以上すべてから次のことが明らかになる。それは、我々はあるものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するがゆえにそのものを善と判断する、ということである」(スピノザ「エチカ・第三部・定理二・P.178~179」岩波文庫)

欲望という問題に付き合わないといけない。しかし欲望に関してここでは述べない。というのは他のところで、もう十分述べてきたとおもうからだ。欲望するのは簡単だが欲望について述べるのは大変疲れるという事情もある。次へいこう。

「ソーンベリ夫人は、ふたりと一緒に門まで歩いていった。芝や砂利の上を、とてもゆっくりと優雅な足取りで横切りながら、終始花と鳥について話していた。娘が結婚してから植物の勉強を始めたの。これまでの人生をずっと田舎で過ごして、いま七十二歳だけれど、まだ一度も見たことのない花が数えきれないほどあるのは素晴らしいことよ。年を取った時に、他の人たちに頼る必要のない、自分でしたいことがある、というのは良いことよ。ただ不思議なことに、年取ったと感じることはないの。いつも自分は二十五歳で、それより一日若くも、一日年を取っているとも感じないの」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.238」岩波文庫)

レイチェルではないが、「ソーンベリ夫人」が、年齢を超越して、年齢の生成変化=移動のアクチュアルな思考を起動させている。「ダロウェイ夫人」ではこうだった。「自由な移動」というより「移動の自由さ」に力点を置きたい。

「彼女はとても若いような気もし、お話にならないほど老けた気もした。ナイフみたいにあらゆるものの中へ切りこむし、外部にいて眺めてもいる。タクシーの群れを眺めていると、遠い遠い海の上にひとりぼっちでいるような、そんな気持ちによくなるし、たった一日でも生きていることが、とてもとても危険だという感じが、しょっちゅうする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.13~14」角川文庫)

なお、前に述べたが、今上げたセンテンスでクラリッサ・ダロウェイは多様体として「ナイフ」に変化し「あらゆるものの中へ切りこむ」という微分化=差異化の運動を実践していることを思い出しておこう。

さて、「頭痛」のモチーフが出てくる。統合失調症との関連で見ていくのが妥当だろうとおもう。

「炎暑と、踊る大気のせいで、庭もまた異様に見えたーーー木々はあまりに遠く、あるいはあまりに近く、頭が痛いのはほぼ確かと思えた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.241」岩波文庫)

文法からの脱出が始まる。それは同時に身体からの解放をも意味する。わけがわかっていない恋人テレンス=ヒューウェットは差し当たり詩を与えるのだがレイチェルの反応は極めて深刻というほかない。だがそれは元の身体に戻るという意味で深刻なのであって、むしろ社会的にあらかじめ束縛された女性という身体=文法的に文節・規律化された身体からの解放という意味では自由への意志である。だからこういうことが生じてくる。

「難しくて辛かったのは、形容詞があるべき所になかなか納まらないことだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.246」岩波文庫)

さらに。

「部屋の中のあらゆるもの、ベッド自体と、それぞれ異なった感覚を持つ四肢五体から成る自分の肉体とが日ごとに重要になった。彼女は外の世界から完全に切り離され、交わりを持てず、ただ自分の肉体だけの孤立する存在となった。ーーーレイチェルは寝返りを打って目を冷ますと、あの果てしのない夜のただ中にいた。十二時で終わらず、さらに二桁の時刻が続くーーー十三時、十四時、さらには二十時、次には三十時、次には四十時に至る無限の夜だった。夜がその気になったら抑える術がないことをレイチェルは知った」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.246~247」岩波文庫)

順調といえば順調な、むしろ快調な速度であちらこちらの解体が始まる。ようやくディオニュソスがそれ相応の態度で出現したといえよう。「無限の夜」とある。ここでもまた「此性」としての「或る一刻」が到来していると考えておく。

BGM

レイチェル/生と水のエチカ7

2019年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム
「エリザベス」。懐かしい名だ。

「エリザベス女王の時代以降その川を見た者はほとんどなく、エリザベス朝の航海者が目にした景色を変えるようなことはその後何も起こらなかった。エリザベス朝から現在までの時間は、水がこの両岸の間を流れ始めた時からの年月に比べれば一瞬のことにすぎず、至る所に緑の茂みがあり、小さな木々は、皺のよった孤独な大木となっていた。変化といえば太陽と雲の変化によるものだけで、波打つ広大な緑の山塊は次々に到来する世紀を迎えては送り、水は両岸の間をとぎれることなく流れ、時には大地、時には木々の枝を洗い流してきたが、同じ世界の別の所では、一つの町がもう一つの町の廃墟の上に建てられ、町の住民は時が経つにつれてより明確に自己を表現し、他人との違いを明らかにしてきた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.135~136」岩波文庫)

水としてのレイチェルはとても長いあいだほとんど変わらぬ光景を見せつつ光景としても物質としてもいずれにしても同時にそれとして流れてきた南米のジャングルの川だ。その周りを取り囲んでいるのはウルフの文章にある通りだったろう。ところがレイチェルらはイギリスからの異邦人に過ぎない。異邦の地で異邦人として彼女は意識せざるをえない。「別の所では、一つの町がもう一つの町の廃墟の上に建てられ、町の住民は時が経つにつれてより明確に自己を表現し、他人との違いを明らかにしてきた」し、今もしていると。どこかヘーゲルの匂いがしないだろうか。むしろヘーゲルなのだ。建設と破壊との交互作用を繰り返しながら、という点では。時間が導入されている。クロノス(時計時間)が。しかしレイチェルの望みはクロノス(時計時間)ではない。アイオーン(感性的時間あるいは永劫)に《なる》ことなのだ。ダブルバインドされたこのテーマはウルフを生涯捉えて離さない。ウルフもまた離れようとしない。

彼ら彼女らの一行はピクニックに出かける。そこでヒューウェットはおもう。

「不思議にも船がヒューウェットと一体になると、起き上がって船を操る意味が失われるのと同じで、もはや自分自身の抑えられない感情と争っても役に立たなかった。ヒューウェットは自分の知っていることすべてからどんどん引き離され、船が滑らかな川の水面を滑るように進むにつれ、ヒューウェット自身も防壁を越え、境界標を通過し、未知の水域に入っていった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.138~139」岩波文庫)

ヒューウェットもまた変身するわけだが、ここではいつもよりも少しばかり冒険してみる。「船」に《なる》。すると彼は「自分の知っていることすべてからどんどん引き離され」「防壁を越え、境界標を通過し、未知の水域に入ってい」く。「プラットフォーム」化していた「ミセス・バリーの客間」から切り離される。そこで、ヒューウェットが、ではなく、レイチェルが、著しく反応する。

「『恐ろしいーーー恐ろしいわ』再びの沈黙の後、レイチェルは呟いたが、そう言いながら、彼女は、自分自身の感情を思い返すよりも、絶え間なく聞こえてくる激しい水音のことを考えていた。荒々しく無分別に駆けめぐる水音が、遠くで、絶えることなく続いていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.148」岩波文庫)

レイチェルは自分で自分自身の内部を外部から受け取る。「荒々しく無分別に駆けめぐる水音」。それはなるほど「恐ろしい」。だがこれほど「身近な」ものもまたとないのだ。彼女は自分自身に触れているのだから。このようなとき、クロノス(時計時間)はほとんど息切れしている。アイオーン(感性的時間あるいは永劫)の支配下にあるほかない。「境界標を通過し」てしまった船は、通過と同時にアイオーンと合体・融合している。ところがこの船はほかの誰でもないヒューウェットなのだ。彼は突拍子もないことをいきなり口にしたりしもするが、基本的にのんきである。

「日中の暑さは収まり始め、お茶を飲む時にはフラッシング夫妻もよくしゃべるようになっていた。彼らが話すのを聞いていると、テレンスは、今や事物は二つの異なった層に分かれて進行するように思えた。一方ではフラッシング夫妻が、頭上の空中のどこか高い所で話している。一方自分とレイチェルは共に世界の底に落ちていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.151」岩波文庫)

テレンス=ヒューウェットは確かに基本的にのんきなのだが、おもっているほど何も気づかないほどではない。或る意味、鋭い。彼ら一行はジャングルの中で「二つの異なった層に分かれて進行する」と、テレンス=ヒューウェットは感じ取っている。上と下とに分かれていることに気づく。フラッシング夫妻は上に、一方、テレンス=ヒューウェットとレイチェルは「共に世界の底に落ちてい」る。ウルフがどう考えていたにしろ、ここでの主題は無意識をおいて他にあるだろうか。そこから生命が誕生してくる暗黒世界だ。それは常に下層にある。ニーチェに言わせれば「机の上」にではなく「机の下」で起こっていることであり、俗にいう「下半身問題」である。そこには時間というものは始めから存在しない。フロイトはそれを「エス」(それ)と呼んだ。というのも、「それ」は「それ」としか言いようがなかったからだ。

「比喩をもってエスのことを言い現わそうとするなら、エスは混沌(こんとん)、沸き立つ興奮に充ちた釜(かま)なのです。われわれの想像では、エスの身体的なものへ向かっている末端は開いていて、そこから欲動欲求を自分の中へ取り込み、取り込まれた欲動欲求はエスの中で自己の心理的表現を見出すのですが、しかしどんな基体の中でそれが行われるのかはわれわれにはわからないのです。エスはもろもろの欲動から来るエネルギーで充満してはいます。しかしエスはいかなる組織をも持たず、いかなる全体的意志をも示さず、快感原則の厳守のもとにただ欲動欲求を満足させようという動きしか持っていないのです。エスにおける諸過程には、論理的思考法則は通用しません。とりわけ矛盾律は通用しません。そこには反対の動きが並び存していて、互いに差し引きゼロになったり、互いに譲り合ったりすることなく、せいぜいそれらは支配的な経済的強制のもとでエネルギーを放出させようとして妥協しているだけです。ーーーエスの中には時間観念に相当するものは何も見出されません。すなわち時の経過というものは承認されません。そして、これはきわめて注目すべき、将来哲学によって処理されるべき問題だと思われますが、そこには時間の経過による心的過程の変化ということがないのです。エスの境界線を決してふみ越えることのなかった願望興奮や、同時にまた抑圧によってエスの中へ沈められてしまった諸印象は、潜在的には不死であって、数十年経った後でもまるで新たに生じたかのような状態にあるのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.290~291」新潮文庫)

ここで実際の性交があったかなかったかは問題にならない。重要なのはこの「通過」だ。ここからようやく歴史性は始まる。ウルフの文章は大変丁寧で、ともすれば一読者の立場を忘れて好感を持ってしまいそうになる。もちろん、そうであっていいのだが。

「大いなる漆黒の世界が、彼らを取り囲んでいた。穏やかにその中に引きこまれていくにつれ、暗闇は測り知れない厚みと持続性を備えているように思えた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.177」岩波文庫)

というふうに。

だがレイチェルはヒューウェットの思う次元に留まってはいない。そしてテレンス=ヒューウェットは恋人であるレイチェルを咎める。

「『きみはぼくのことを完全に忘れていたね』テレンスは咎めるように言って、レイチェルの腕を取り、甲板を歩き出した。『ぼくは決してきみを忘れないよ』『ああ、違う』レイチェルは囁いた。忘れていたのではない。ただ星がーーー夜がーーー闇がーーー。『レイチェル、きみは巣でまどろんでいる小鳥みたい。きみは眠っている。眠りながら話しているんだ』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.177~178」岩波文庫)

レイチェルは「巣でまどろんでいる小鳥」に《なる》。確かにそうだ。けれどもそれだけだろうか。レイチェルは船を自分の上に浮かべながらいずれは大西洋という大海原へ運び去っていく水ではなかったか。彼女は「小鳥」に「星」に「夜」に「闇」に《なる》。そしてもちろん「水」にも《なる》。そしていずれは《大西洋》にもなってどんどん変態を遂げていくのだ。この系列は奇妙に入り混じりながらいつも高速で移動している。彼女は停止ということをまったく知らない。むしろ世界を知ってしまっている。逆説的だが事情はこうだ。ベルクソンはいう。

「まず極限的にいえば、《瞬間的になりたつ》再認といったものが存在する。これはまったく身体だけで可能となる再認であって、そこには明示的な記憶がすこしも介入してこない。その再認は行動にあってなりたち、表象において成立するものではない」(ベルクソン「物質と記憶・P.183」岩波文庫)

何度も繰り返し訪れたことのある街路を前にして人は迷うということは稀にしか起こらない。むしろ無意識のうちにいつものコースあるいはあらかじめ頭の中で整頓しておいたコースを考えもせず散歩してまた元の位置に戻ってくることができる。それがベルクソンのいう「《瞬間的になりたつ》再認」というものの事例である。「慣れ」については前に述べた。その「慣れ」は身体が何度も同じことを反復=思考することで確かなものとして身体に定着する。だから慣れていない人は意識を固定することができず、定められたコースを「《瞬間的になりたつ》再認」という形で一挙に下描きすることはできない。ところがレイチェルにはそれができる。彼女は、判然とはしないが或る種の世界地図を持っている。それはあのランボーが持っていた地図と同様のものだ。ランボーは若い頃、実際の海を見たことがなかった。にもかかわらず彼は見事に「酔いどれ船」を一挙に書き上げてしまいはしなかっただろうか。抽象的なのではない。むしろ逆に現実的であり過ぎたためだ。或る出来事の経験から即座に無数の出来事を見抜き学び取ってしまう。驚くべき学習能力の高さと速さ。稀にでしかないが、この、ごくふつうの社会の中にも、そのような人間は生まれてくる。第一次世界大戦前後はそういうことが比較的多かったことは事実だろう。それよりももっと早くになるとまた急に数が少なくなっているように思われる。けれども、さしあたりマルクスの名を特記しておきたい。また謎なのは、異様ともいえる「学習能力」の高さと速さから生まれたマルクスとかランボーとかカフカとかヴァレリーとかウィトゲンシュタインらの出現にもかかわらず、彼ら彼女らに否定的な日本政府が推し進めている「生涯学習」とはこれからどのようなものになっていくのかという問いとともに、同時に何を創設=生産していくのかという問いが目の前に宙吊りにされており、極めて興味深いといえる。学問の場が果たして彼ら彼女らを上手く吸収できるだろうか。もし上手く吸収できない場合、あるいは彼ら彼女らを学問の場から閉め出してしまう場合、彼ら彼女らは路上へ放出される。すると今度は逆に彼ら彼女らは路上に《なる》。彼ら彼女らは路上だ。路上は通路だ。通路の諸系列と化した様々なネットワークを通じて世界と繋がる交通網。彼ら彼女らは世界だ。

それはそうと。では「《瞬間的になりたつ》再認」が存在するとして、その認識は、もし言い換えることができるとすれば、一体どのようなものとして捉えることができるのか。あるいはできないのか。答えは、できる、である。

「私の現在と呼ばれるものは、直接的な未来に対するじぶんの態勢であり、つまりは切迫している私の行動である。私の現在は、かくてまさに感覚ー運動的なものなのだ」(ベルクソン「物質と記憶・P.279」岩波文庫)

ベルクソンのいう「切迫している私の行動」。しかしこの「切迫性」をあえてさらに切迫させてしまってもいけない。それはそれでまた危険なのだ。

「生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけねばならない」(ドゥルーズ「記号と事件・P.277」河出文庫)

次へ行こう。

「ほら、レイチェルはあそこで自分の音楽に熱中して身体を揺らし、ぼくのことは忘れているーーーしかしぼくは彼女のそんな資質が好きだ。それが彼女にもたらしている個人を超えた性格が好きだ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.181」岩波文庫)

テレンス=ヒューウェットはレイチェルの良き理解者だ。それも稀に見る良き理解者だろうとおもう。しかし理解者に留まる。レイチェルは「侵入禁止」と告げていなかっただろうか。「『お互いに一番悪いものを出し合うだけーーーわたくしたちは離れて生きていくべきだわ』」、と言ってはいなかったろうか。同一化を求める一方で、しかしなぜそういったのか。一般性としての「同一化」ではないのだ。彼女が求めているのは。似て非なるものだ。同一化ではけっしてなく、もっと互いに侵しがたいこと。融合することだ。まさしく宇宙論的な発想だというほかない。しかしボードレールはどうだったろうか。あるいはボードレールが見いだした格好になっているポーは。誰よりもヴァン・ゴッホは。超人的な人間。そのような人間は実にしばしば出現している。とはいっても、何も歴史上の有名人として考えてはならない。むしろ生きているうちは死んでいたと言ったほうが正しい人々であって、間違っても有名人とは縁もゆかりもないケースがほとんどである。ところが本当に次のセンテンスなどは実にポーめいているのである。レイチェルはいう。

「『テレンス、あなたは今まで感じたことがないの?全世界がいくつもの巨大な物質の塊りでできていて、その中で人間は光の断片でしかないってーーー』彼女は絨毯と壁に柔らかな陽射しが点々と揺らめいているのを見たーーー『あれみたいな、ね?』『ないな』とテレンス」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.184」岩波文庫)

テレンス=ヒューウェットの返事はつれない。「ないな」、と一言おいて、「ぼくは、がっちりしている」と答える。もう手遅れだ。取り戻せない致命的ミスだ。決定的な瞬間を逃した。だがしかし、決定的な瞬間もまた錯覚ではなかったか。レイチェルはいう。ヒューウェットが考えている「恋」について、それがもし「世間でいう恋」というものであるならば、自分がおもっていることは「恋」では「ない」と。求めていることは世間でいう「恋」などとはまったく違うのだと。通じ合えないということ。始めから、通じ合うことはないということ。後になればあるのか。そうではない。後になればなるほど、実は何一つ通じ合えてはいなかったとますます明白になる自分を自分自身に対して晒すばかりだ。レイチェルがもしポーだったとしよう。晩年のポーはアルコール依存症で全身を痛め付けて死んだ。酒場で死んだも同然だった。レイチェルは、と問う前に、なぜアルコールだったのかと問うてみよう。ボードレールは主にアルコールだ。マリファナとかアヘンとかも試してはいるが。ところがゴッホはどうだろう。これといって何もない。絵画があるだけだ。もりもりと盛り上げられた油絵の塊が今にも動きだしそうな異様な描き方で盛り上げられてあるだけだ。ニーチェはどうか。アヘンは集中力を鈍らせてしまうとして遠ざけた。そしてレイチェルを生んだウルフもアルコールに耽溺していない。逆にアルコールに耽溺した人々もまた多い。フィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、カポーティなど、途切れることがなさそうな勢いを見せている。しかしこれらの小説家はアルコールの力を借りて書いたとばかりも言えない。アルコールに依存してしまったのはもうすでに晩年のことであり、だがその晩年において彼らの筆力は見る見る低下していることはいろいろな研究者がとっくの昔に研究し発表してしまった。レイチェル=ウルフというケースは、これら男性芸術家と比較して、壁の向こう側にいるといえる。男性芸術家を馬鹿にしているわけでは何らない。したいともおもわない。そういうことではなくて、レイチェルの言葉にもっと耳を傾けたいとおもう、というふうに感じさせるものがあると言うことしか許されていないような気がしないだろうか、としかいえない。

「肘掛け椅子に深く座っているテレンスを見、いろいろな家具、隅にある彼女のベッド、空一杯に枝を広げている木が見える窓ガラスに目を向け、時計が時を刻む音を聞き、それらすべてと彼女の便箋との間に横たわる深い淵に驚いた。世界が一つで分け難いものとなる時は来るだろうか?もしかするとテレンスでさえーーーいま遠く離れたところにいるのかもしれない」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.190」岩波文庫)

「驚いた」とある。何に。「それらすべてと彼女の便箋との間に横たわる深い淵に」。すべてはあらかじめ「分割済み」なのだ。彼女がこの世に生まれたときすでに世界はすべて「SOLD OUT 」と明示されていた。言語によって規則正しく分割されていた。しかし言語なしにレイチェルはない。文法なしに世界は成立しない。文法による支配に従う限りでレイチェル=ウルフは生きていることができる。レイチェルは望む。「世界が一つで分け難いものとなる時」を。全世界の融合を。別の意味で考えれば極めて危険な全体主義イデオロギーともなる禁じられた希望だ。けれども一つの個別的な身体ともう一つの個別的な身体とは一挙に融合できるわけがない。彼女にはそのことが痛いほどわかっている。だから余計に融合を望んだのかもしれない。「溶ける」ということはウルフ作品における大きなテーマだ。これがニーチェになるとディオニュソスという言語へ変換されるわけだが。そうできれば事態はもっと簡単になるだろう。とはいえ、ディオニュソスとして単純に片付けてしまうにはまだ遠く、違いを認めないわけにはいかない。

BGM

レイチェル/生と水のエチカ6

2019年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム
レイチェルにとって余りにも馬鹿馬鹿しいと考えるほかない礼拝が終わった。そして「高所に辿り着い」ている。彼女は「山上のキリスト」に《なる》。ただし、その一日を巡って罵りと反省の場所を得たというに過ぎないが。意識ははっきりしている。

「やがて彼女はこの一日のことすべてを、思いのままに罵り始めた。始めから終わりまで惨憺たる一日だった。まず礼拝堂での礼拝、それから午餐、そしてエヴリン、そしてミス・アラン、そして道を塞ぐペイリー夫人。一日中みんなにじらされ、はぐらかされていた。今はようやく、ある種の危機を経験した結果でもあろうか、世界全体の真相を正確に見渡せる高所に辿り着いていたのだった。その眺めを彼女は酷く嫌悪したーーーいろいろな教会、政治家、はみ出し者やら大物ペテン師たちーーーダロウェイ夫人のような連中、バックス牧師のような輩(やから)、エヴリンとあのおしゃべり、道を塞ぐペイリー夫人。一方、絶えず脈打つ彼女自身の鼓動は、体の奥底に渦巻く熱い感情の流れが波打ち、もがき、争っていることを訴えていた。しばらくは彼女の肉体が世界の全生命の源として、ここ、かしこに吹き出そうとしていたが、今やバックス氏に、時にエヴリンに、さらにはずっしりとした愚鈍の塊りに、重苦しい世界全体の重圧に押さえ込まれていた。苦悶するレイチェルは、あらゆるものが間違っている、誰も彼もが愚かだと、両手をより合わせるばかりだった。下の方の庭にいる人たちを目にしたレイチェルは、あれは、わたくしの邪魔をする以外には何の目的もなく、あちこちに漂流している物体のようなものだと想った。あの連中は、世界中の他の人たちは、みんな何をしているのか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.124~125」岩波文庫)

罵りの対象の中に「道を塞ぐペイリー夫人」が含まれている。ペイリー夫人は老女である。車椅子に乗っている。そしていかにも悠々と誇らしげに他人の前を通り過ぎていく。老人には常に敬意を表すべきである。とりわけ車椅子に乗っている老いた貴婦人の前では、とでも言いたげな様子で満足げにレイチェルらの前を通り過ぎるのだ。それこそ「古き良き時代の大英帝国の伝統」だと言わんばかりの態度で。レイチェルはそのことが頭に来て仕方がない。レイチェルにとっては女性を女性という名の身体の中に閉じ込め、もしかしたら受け取れたかもしれない「自由さ」をあらかじめ奪い取り、母性という名の意味不明な人格を押し付け、そしてそれを神の名において永遠に縛り付けようとするキリスト教の教義の上にあぐらをかいた不遜な態度にしか見えない。

ところで、もともとはずっと多様だった生と性と身体とを暴力的に一致させ、その後にこのような生の一般化がなされるまでには少なからず時間がかかったこともまた確かだ。その辺りの事情についてニーチェはこう述べている。

「われわれの行為、観念、感情、運動すらもーーーすくなくともそれらの一部分がーーーわれわれの意識にのぼってくるということは、長いあいだ人間を支配してきた恐るべき『やむなき必要』の結果なのだ。人間は、最も危険にさらされた動物として、救助や保護を《必要とした》、人間は《同類を必要とした》、人間は自分の危急を言い表し自分を分からせるすべを知らねばならなかった、ーーーこうしたすべてのことのために人間は何はおいてまず『意識』を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを『知る』こと、自分がどんな気分でいるかを『知る』こと、自分が何を考えているかを『知る』ことが、必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。《意識にのぼって》くる思考は、その知られないでいる思考の極めて僅少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。ーーーというのも、この意識された思考だけが、《言語をもって、すなわち伝達記号》ーーーこれで意識の素性そのものがあばきだされるがーーー《をもって営まれる》からである。要すれば、言葉の発達と意識の発達(理性の発達では《なく》、たんに理性の自意識化の発達)とは、手を携えてすすむ。付言すれば、人と人との間の橋渡しの役をはたすのは、ただたんに言葉だけではなく、眼差しや圧力や身振りもそうである。われわれ自身における感覚印象の意識化、それらの印象を固定することができ、またいわばこれをわれわれの外に表出する力は、これら印象をば記号を媒介にして《他人に》伝達する必要が増すにつれて増大した。記号を案出する人間は、同時に、いよいよ鋭く自分自身を意識する人間である。人間は、社会的動物としてはじめて、自分自身を意識するすべを覚えたのだ、ーーー人間は今もってそうやっているし、いよいよそうやってゆくのだ。ーーーお察しのとおり、私の考えは、こうだーーー意識は、もともと、人間の個的実存に属するものでなく、むしろ人間における共同体的かつ群畜的な本性に属している。従って理の当然として、意識はまた、共同体的かつ群畜的な効用に関する点でだけ、精妙な発達をとげてきた。また従って、われわれのひとりびとりは、自分自身をできるかぎり個的に《理解し》よう、『自己自身を知ろう』と、どんなに望んでも、意識にのぼってくるのはいつもただ他ならぬ自分における非個的なもの、すなわち自分における『平均的なもの』だけであるだろう、ーーーわれわれの思想そのものが、たえず、意識の性格によってーーー意識の内に君臨する『種族の守護霊』によってーーーいわば《多数決にかけられ》、群畜的遠近法に訳し戻される。われわれの行為は、根本において一つ一つみな比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的である、それには疑いの余地がない。それなのに、われわれがそれらを意識に翻訳するやいなや、《それらはもうそう見えなくなる》ーーーこれこそが《私》の解する真の現象論であり遠近法である。《動物的意識》の本性の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、ーーー意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、群畜的標識に《化する》。すべて意識化というものには、大きなしたたかな頽廃が、偽造が、皮相化と一般化が、結びついている」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五四・P.393~395」ちくま学芸文庫)

ニーチェは「意識の内に君臨する『種族の守護霊』」と呼ぶ。様々な言語共同体をたった一つの規則・文法で一つにまとめ上げ縛り付ける共同体の法あるいは掟というものを指していわれている。この規則・文法のもとを離れたところでは、人々は何一つ意識することはできない。何一つ共通のものを持つこともできない。人と人とは通じ合うことができない。しかし言語共同体の規則・文法を嫌というほど自分の身体に刻み込み、その文法の命じる限りでのみ、人は人として認められ同時に何らかのコミュニケーション関係に入ることができる。そうするためには共同体を支配することが必要になるわけだが、支配するためには一度に共同体の成員全体を習慣的に集わせる場が必要になってくる。勃興期の資本主義社会で教会が果たしていた絶大な機能。二十世紀初頭においてもなおキリスト教会は大変巨大な権力を持っていた。そしてそこでは誰もが個別性を奪い取られ、一般化され、凡庸化され、「道徳」の名において畜群化されるための儀式が習慣的に行われる。

「群畜的本能。ーーー道徳というものにぶつかる場合、いつでもそこにわれわれは人間の諸々の衝動や行為の評価と等級づけのあるのを発見する。これらの評価と等級づけは、いつでも、ある共同体や群畜存在の要求の表現なのである。《これらのものに》とって第一に役立つーーーまた第二にも第三にも役立つーーーもの、それがまたすべての個々人の価値を定めるうえの最高の規準でもある。道徳によって、個人は、群畜存在の機能であるように、また機能としてだけ自分を価値づけるように、導かれる。一共同体を維持する諸条件は他の共同体のそれとは非常に違っていたから、きわめてまちまちな道徳が存在した。さらに、もろもろの群畜存在や共同体、国家や社会に今後おこるでもあろう本質的な変革を頭におけば、次のようにわれわれは予言することができる、ーーーこれからも随分と変り種の道徳があらわれるだろう、と。道徳性とは、個々人における群畜的本能のことである」(ニーチェ「悦ばしき知識・一一六・P.210」ちくま学芸文庫)

キリスト教はどこまでもレイチェルを苦しめ抜く絶大な権力機構でしかなかった。そしてそこで個々人はその個別性を抹殺され、金太郎飴のように誰もが同様に育て上げられる。そのような人々を観察してみると、彼ら彼女らの内部にはいつもどこか鼻持ちならない嘲笑的態度が目に付く。それがレイチェルにはいつも耐え難いものとして映るほかないのだが同時に耐えることを強いるのである。彼女は耐え難い世界にいる。しかし耐えなくては生きていくことができない。この、生きている限りずっと長引くダブルバインド(板ばさみ)状態はレイチェルに統合失調症に《なる》ことを要求するのである。

「頭上で枝がそよぐたびに、埃か花の小さな粉が皿の上に落ちてくる。レイチェルはこうしたすべてのことの少しずつを、見たり聞いたりしていたが、彼女の眼差しは、川が小枝の落ちてくるのを感じて空を見上げると言われるのにも似て定かでなく」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.128~129」岩波文庫)

レイチェルは、彼女にはよく起こることだが、しばしば意識が「空を見上げると言われるのにも似て定かでなく」なる。そのようなとき、とりわけ彼女は幻覚的光景の中を安らっていることが多い。むしろ彼女にとってはそのほうがより一層「真実」なのだ。この目線からものを見ると、他人は妙にそらぞらしく、いつも何らかの嘘を付いているというふうにおもわれてくる。だが本当に他人は嘘を付いているのだろうか。或る意味ではそうだ。人々がいつも付けている仮面の下に素顔はない。仮面の下にはさらなる仮面があるだけだ。

「いついかなる場合でも、裸のものの真理は、仮面、仮装、着衣のものである。反復の真の基体〔真に反復されるもの〕は、仮面である。反復は、本性上、表象=再現前化とは異なるからこそ、反復されるものは、表象=再現前化されえないのであって、反復されるものはつねに、おのれを意味するものによって意味され、おのれを意味するものをおのれの仮面とし、同時におのれ自身、おのれが意味するものの仮面となる、ということでなければならないのだ」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.62~63」河出文庫)

さて、スーザンは一通りしゃべる。その「おしゃべり」なことと言ったら、とてもではないがレイチェルのような繊細な精神では耐えることができない。ほとんど「いじめ」といってよい。レイチェルはこうおもう。

「スーザンは自分の生活にも性格にも、しみじみと満足感を覚え、声は山のように高かった。一方レイチェルは突然、彼女の親切で、控えめで、哀れな所にさえまったく目を塞ぎ、激しい嫌悪を感じた。スーザンが不誠実で残酷な女になると見た。太って子だくさんになり、優しい碧眼は浅く水っぽく、薔薇色の頬は凝結して乾いた赤い血管の編み目となるのが見えた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.130」岩波文庫)

次のセンテンスではまたウルフの思想が顔をのぞかせる。この思想はウルフがヒューウェットを通して言わせている思想よりも遥かにウルフに近い。だけでなく、ウルフが自殺を遂げるその日までウルフの中の奥底深くを或る種の力として流れていくものでもある。

「『そう、それは誰でもそうなんだわ!』レイチェルは声を大きくした。『誰も感じないーーー誰も何もしないで人を傷つけるだけ。そうよ、ヘレン、世界は悪だわ、生きること、欲すること、それがそのまま苦しみの極みーーー』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.133」岩波文庫)

だから人間は早く死んでしまったほうがよくはないか、という思想となって出現してくる。事実、「ダロウェイ夫人」ではセプティマスの言葉を通してすでに露骨に語られている。

「こんな世界に子供を産み出すわけにはいかない。苦悩を永続させるわけにはいかない、喜怒哀楽がさだまらず、ただ気まぐれと虚栄の煙を、その時その時であちらへこちらへと渦巻かせる、この好色な動物の子孫を、繁殖させるわけにはいかない。ーーー事実はこうだ、人間てやつは、その時かぎりの楽しみを増すに役立つ以上の親切も信仰も慈悲ももっていないのだ。彼らは群れをなして獲物を追う。その群れは荒野をあさりまわり、金切声を立てながら荒野の中へ姿を消す。彼らは倒れたものを見すてて行く。彼らは漆喰(しっくい)で固めたしかめ面のような表情をしている。店には、口髭(くちひげ)を蠟(ろう)でかため、珊瑚(さんご)のネクタイピンをつけ、白いワインを胸にのぞかせ、うれしそうにしているブルーウァーがいるーーー心の中はまるで冷たくべとべとしているのだーーーあいつの天竺葵(ゼラニウム)は戦争でめちゃめちゃにされーーー料理女は気が狂った。あるいは、なんとかアメリカって女が、かっきり五時に、お茶のコップをくばって歩いているーーー横目でにらみ鼻であしらう淫猥(いんわい)な欲張り女。そしてトムとかバーティとかいう連中が悪徳の濃い滴りをにじみ出させていいる糊(のり)の利いたワイシャツの胸を出している。やつらはおれが、やつらの妙な裸体姿の絵を手帳に描くのを、ご存知ないのだ。通りを、大馬車がガラガラ音を立てて彼のそばを通りすぎた。獣性が新聞売子のポスターの上で吼(ほ)え立てていた。男たちは鉱山で生き埋めにされ、女たちは生きながら火あぶりにされた。そしていつかは、トットナム・コート街で運動にだされたというよりは、むしろみなの慰みものに供された狂人どもの乱れた列がゆっくりと彼のそばを歩いて、うなずいたり、歯をむき出してにやにや笑ったりして行くのであった。一人一人がいくらか申し訳なさそうに、しかし得意そうに、おのれの絶望的な苦悩をふり撒(ま)いて歩いた。そしておれも気狂いになるんだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.141~143」角川文庫)

第一次世界大戦がもたらしたこのような思想は、だが、当時はありふれたものだった。大戦集結後しばらくしてどんどん発生してきた。それは主に戦争に行った若年層のあいだで広がった。無関心、無表情、ニヒリズム、シニカルな嘲笑的冷笑主義、極端な個人主義、あるいはフロイトの報告にあるような様々な神経症という形を取って突如出現した。このような圧倒的な社会的トラウマを社会的規模で強いられたヨーロッパ。そしてそこにスターリンのソ連、ナチスのドイツ、ムッソリーニのイタリアが産声を上げる。しかし大日本帝国の場合はまた事情が転倒している。それはすでに日露戦争後から始まっていたと言える。というのは、日露戦争で勝利したのはロシアではなく日本の側であるにもかかわらず、なぜ日本の取り分がこれほどまでに少ないのか、という疑惑として生じた。しかしその疑惑の念は大正時代に訪れた「大正デモクラシー」という社会運動として展開される原動力になった。根底にあるのはあくまでも帝国主義的資本主義なのだが、そのうわべは民主主義へ向かう社会運動として展開されたのだ。第二次世界大戦は最初は第一次世界大戦が残したものを種として関係諸国が内部に孕んだ民衆の社会運動という形式を取って見せていたばかりでなく、実際に帝国主義に反対する運動として様々な形態へ散り散りに展開した。反対運動はしかし、帝国陸軍主導の政権によって、そしてそれに資本を注入する財閥によって、完膚なきまでに潰されていく。そうした諸事情の再編成・再再編成、再生産・拡大再生産が、第二次世界大戦へと収斂していくのだ。

「好意と悪意が行き交い、一緒になること、別れることがあった背後に大きなことが起こっているーーー恐ろしいほどに大きなことが。小枝と枯葉の下で蛇が動くのを見たかのように、彼女の安心感が揺さぶられた。一瞬の休息、一瞬の気晴らしがあった後で再びあの底知れぬ道理に合わぬ法則が頭をもたげ、あらゆるものがその法則の命ずるままに作られては壊されるのだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.133~134」岩波文庫)

ここでレイチェルは「あらゆるものがその法則の命ずるままに作られては壊される」と感じる。それはいつも彼女の精神が不安定なときに起こる。というより、安定と不安定との《あいだ》、設立と崩壊との《あいだ》で起こる。「彼女の安心感が揺さぶられた」とあるような時に。物事はそれが何であれ常に運動しているものではあるが、ふだん人間はそれをこのように感じることはあまりない。しかしレイチェルは違うのだ。彼女は自分で自分自身をもっと大切にしようと考える。ところが、もともと繊細な神経の持ち主の彼女は、考えれば考えるほど事物の真相に迫っていかざるを得ない。あらゆる事物は連結と切断とを不断に繰り返しつつ常に既に動的状態にあるのだと。しかしそれは何もウルフに特有の現象だったわけではまったくない。多少なりともそのように考える人々が急速に増殖してきた時期に当たっているというに過ぎない。ウルフのみが特別だったわけではない。たとえば経済学者のケインズがそうだ。ケインズはウルフを中心とするブルームズベリー・グループに属していた。帝国主義という怪物とソ連という怪物との《あいだ》で思考した人々の一人である。結果的にケインズは、バブルと暴落とを繰り返すばかりで不安定極まりなく無責任なアメリカ経済を救うことになる。始めは随分嫌われていた。アメリカ社会ではバブルと暴落の嵐が吹き荒れているにもかかわらず敬遠された。ケインズが社会主義者に映ったのだ。しかしケインズ抜きにアメリカは自分で自分自身の作り出した資本主義の危機を脱することはできないと知る。何よりソ連を恐れた。そこで仕方なしにケインズ理論を受け入れた。ところがこれがアメリカ経済に上手くはまった。資本主義左派としてのケインズの誕生である。したがって、戦後日本の高度経済成長の基盤になったのもまたアメリカ経由のケインズ理論なのだが、日本では社会主義右派あるいは保守として語られることになる。資本主義陣営からは嫌われた。しかし膨大な規模をもってする大建築とか大規模団地建設とか高速道路設立とかの実現はケインズなしに語ることはできない。やっていることは確かに社会主義右派あるいは保守の方法である。それでも思想・信条レベルではあくまで資本主義だと言い張って聞かないという幼稚な態度が高度経済成長期の日本の知識人の姿だった。ところが勘違いしてならないことは、アメリカ経由であれイギリス経由であれ、日本に輸入されると何かが変質するという重大な変形作用がいつも働いていたことだ。この変形作用は第二次大戦後に限っていえることではない。それはすでに明治維新前後には発覚していた不可解な非合理的というほかない独特の風土だった。そのことは丸山眞男が詳しい。だがさしあたり、ここでは関係がない。また、ケインズ主義も、ネット社会の実現によってとうとう駆逐されてきたことは今の世界が何より雄弁に語っているであろう。

さて、人間が一緒になったり別れることになったりする背景についてレイチェルは考える。その「背後に大きなことが起こっている」と。実をいうと「背後」には何もない。何もないのだが、レイチェル=ウルフにとって、それこそが余りにも重要な「神秘」ではないのかと問うのだ。なぜ人間は「生きているのか」と同時に「死んでいないのか」という神経症的で二元論的な問いにいつもしばしば晒されている。これでは相当タフな人間であってもどこかで精神がまいってしまう。折れてしまう。神経症的なだけでなく、さらにそこにダブルバインドがのしかかってくる。これで死なないほうがどうかしている、とおもわないではいられない。

レイチェルの精神状態はパターン化することができる。知りたければこの周囲のページに目を落としてみると、より一層理解できるだろうとおもう。

「鮮明だった世界の眺めは霞み始めた」「熱を帯びた靄(もや)に覆われた世界が広がって」「夢の世界から実体感のある生身の世界に入った」ーーーなど。

また、レイチェルがそう望んで止まない単独性ということについて。他人が感じるのとは違った差異的な「ほかならぬ私の感覚」について、スピノザを参照しておきたい。

「各個人の各感情は他の個人の感情と、ちょうど一方の人間の本質が他方の人間の本質と異なるだけ異なっている」(スピノザ「エチカ・第三部・定理五七・P.231」岩波文庫)

BGM

レイチェル/生と水のエチカ5

2019年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム
次のセンテンスはよく見かける光景ではないだろうか。

「木立は美しく、大きく枝を広げ、そこに座って話をしている間中ヘレンは、木漏れ日のまだら模様や葉の形、白輪の大花が緑の中のあちこちに座している姿に目を向けていた。半ば無意識に見ていただけだったが、そこに織り成されている図柄が会話の一部となっていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.30」岩波文庫)

書き込まれているように「半ば無意識」であることが条件だといえるかもしれない。このような場面では、人々の会話は意識の多くの集中を必要としない。むしろ「半ば」自然に任せたままでいるほうがいいことがある。とすれば「無意識」=「自然」という定式ができあがる。それで構わない。そうしてこそ、人は「そこに織り成されている図柄」を「会話の一部」として取り込む妥当な態度が生じてくる。事情はそうなっているのだということも、人々の頭の中ではほとんど意識されていない。このようなケースでは言語崩壊の不安に襲われることはまずないといえる。人間はそのようにして、というのは「半ば無意識」のうちに、意識に掛かる無駄な負荷を節約しようとするのだ。

しかしこのことは意識がやることだろうか。意識は意識的に「半ば無意識」に陥るというわけだろうか。そうではない。周囲と人間とは一挙にそういう場面を作り上げてしまう。人間とは、その意味では、周囲の一部でもある。そして意識とは、それが内部に含まれる諸条件のうちのほんの一部分に過ぎない。どちらが先かとは言えないのだ。意識は身体のうちのほんの一部を占める尖った先端に過ぎない。意識の優先は人間の意識の錯覚によるものでしかない。むしろ身体に優先権を与えるべきである。

「より驚嘆すべきものはむしろ《身体》である。いくら感嘆しても感嘆しきれないのは、いかにして人間の《身体》が可能になったか、ということである。すなわち、〔身体を構成する〕各生命体は、依存し従属しながらも、しかも他方では、或る意味で命令し、そして自分の意志に基づいて行為しながら、そこに、これらかずかずの生命体のこのような巨大な統合〔としての身体〕が、全体として生き、成長し、そして或る期間存続することがいかにして可能であるのか、ということであるーーー、そして、これは明らかに意識によって起こるのでは《ない》!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三四三・P.192」ちくま学芸文庫)

ベルクソンもまた、意識を中心に据えてはいない。むしろ「中心」の「複数性」に着目している。というより、着目しよう。

「つまり、こうである。神経システムには、表象を創りだすことはおろか、準備することに役だつ装置すら、なにひとつそなわっていない。神経システムの機能は、刺戟を受容して、運動の装置を組みたて、この装置のうち可能なかぎり多数のものを、与えられた一箇の刺戟に対して提供することにある。神経システムが発達するにつれて、ますますその数をふやし、より遠くまで及んでゆくのが、空間中の地点である。神経システムは、空間の複数の地点を、たえずそれだけ複雑化する運動機構に関係づけてゆくことになるが、この空間中の地点がより数多くのものとなり、またより遠くのものとなりうるのである。かくて神経システムが私たちの行動に対して開いておく自由度が拡大するはこびとなるけれども、ほかならぬその点にこそ、神経システムが増大して完成されてゆくことの意味が存している。とはいえ、神経システムが構成されるのは、動物の系統の発端から終端へといたるまで、行動がしだいに必然的に定められたものではなくなってゆくためであるとするならば、知覚も、その進歩が神経システムの進展に規制されているかぎりでは、これまたかんぜんに行動に向けて方向づけられているのであって、純粋認識へと向かっているのではない、と考える必要があるのではないだろうか。そうなれば、この知覚がますます豊かになってゆくということ自体ひとえに、不確定な部分が増大してゆくことを象徴的に指標するものとなるはずではないか。この不確定な部分とは、生命体が事物に対してふるまうさいに、その選択に委ねられる部分なのである。それでは、この不確定性を真の原理と見なすところから出発しよう。この不確定性がいったん想定されると、そこからみちびき出しうるものは、意識的な知覚の可能性ばかりでなく、その必然性ですらあるのではないかということを、探求してみよう。ことばをかえれば、たがいにつながりあい、緊密にむすびあっている、物質的世界と呼ばれるこのイマージュのシステムが与えられており、そのうえ当のシステムのそこかしこに、生命ある物質によって代表される、《現実的な行動の複数の中心》が存在しているものと想像してみるとしよう。そこで私としては言いたいところであるが、それらの中心のそれぞれについて、その周囲にはイマージュ群が配置されており、当のイマージュ群はくだんの中心の位置にしたがい、またその中心とともに変化するものであることが《必要となる》。さらにまた、その結果として意識的な知覚が生じ《なければならない》のであり、かくてまた、どのようにしてその知覚が出現するのかを理解することも可能となるのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.61~62」岩波文庫)

再びレイチェル。

「海は大変穏やかで、崖下には波が寄せては返していたが、底にある岩の赤味が見えるくらい澄んでいた。世界の誕生の頃もこのようであり、それ以後もずっとそのままだったのだ。おそらくあの水を、ボートや身体で掻いた人間はこれまで一人もいなかっただろう。衝動に駆られて彼女はその永遠の平和を乱そうと、手元にあった一番大きな石を投げた。それは水面を打ち、波紋が広がっていった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.33」岩波文庫)

「衝動」。レイチェルは衝動に《なる》や否や「石」に《な》って、「水面を打ち」、「波紋」に《なる》。そして「波紋」のまま水面《を》広がっていく。あえて《を》としたのは、レイチェルはこのシーンで格助詞にも《なる》からだ。「波紋」であるとともに格助詞としても動く。何も名詞にばかり《なる》とは誰もいっていないのではなかろうか。

「『小説ね』彼女は繰り返した。『なぜ小説なの?曲を書くべきだわ。音楽って』ーーー彼女は目をそらし、頭が回転を始め、顔には何かの変化が起こり、全体の魅力に欠けてきた。『音楽ってそのものずばりでしょ。言うべきことすべてを一気に言うの。書くというのはーーー』適切な表現が見つからず、彼女は地面に指先をこすりつけていた。『マッチ箱を擦ってばかりいるみたいだわ』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.35」岩波文庫)

半覚醒状態のレイチェルのほうが「魅力的」だとヒューウェットはおもっている。「うっとり」、とある。レイチェルは「うっとり」している。水面の風景に融合していきながら。

そしていう。「音楽ってそのものずばりでしょ」。おもわず「ドビュッシーか?」と思ってしまいそうなところだが、それは誰にもわからないというしかない。そこまで書いてしまうと逆に小説という形式の柔軟性が失われてしまうだろう。もし固有名詞を持ち出してくるとすれば、何でもいいのかもしれないけれども、その代わりに次にこのようなシーンに遭遇したとき、必ず何か音楽かそれとも音楽と等価の関係を維持できうる何かを持ち出してこなければ、どこか不親切な小説になってしまうに違いない。ウルフはとても広い意味で「自由さ」を目指して書いている。この「自由さ」を失ってしまえばウルフ自身を襲うのは常に死だと決定的になっているわけだから、それは意識的に避けられなければならないのだ。もっとも、他の場面で実在する作曲家の固有名詞はすでに登場している。バッハやベートーベン、ワーグナーなど。しかしそれらはあくまで註釈のレベルであって、「水」のモチーフと混同されるべきではない。

さて、またもやレイチェルは一人でいることの「自由さ」を隠そうとしない。彼女は「歌」に「風」に「海」に《なる》。場所は特に海岸でなくてもよく、ここでは「リッチモンド公園」の「散歩」においてである。

「『リッチモンド公園を散歩して、一人で歌って、それが誰にとっても何の関わりもないことだとわかっていると幸せなの。いろんなことを見ているのが好きーーーあの夜、わたくしたちがあなたたちを見て、あなたたちはわたくしたちを見ていなかった時みたいにーーーその自由さが好きーーー風みたい、海みたいでいるのが』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.49」岩波文庫)

しかし、彼女の分身はただそれらだけだろうか。「見ている」とあるが。もしかして彼女は「目」ではないだろうか。

「アポロン的陶酔はなかんずく眼を興奮させておくので、眼が幻想の力をうる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.96』ちくま学芸文庫)

アポロンが「陶酔」するとはどういうことか。ディオニュソスと同盟しているときに限って、である。さらにこの「目」はもちろん運動状態にある。どのような運動状態だといえるだろうか。

「眼は光を拘束するのであり、眼それ自身が拘束された光なのである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.264」河出文庫)

レイチェルは何と「拘束された光」にも《なる》。それにしても「拘束された」とは言い得て妙というほかない。もっとも、ドゥルーズが「船出」ならびに「レイチェル」に関して何か言っているというわけではないけれども。

「『ぼくは人の足を囲むチョークの丸い線は見えないんだ。時には見えるといいな、と思うけどね。その線は恐ろしく複雑でこんがらがっているんだと思う。とてもこうだ、とは言えない。ますます判断がつかなくなるんだ。わかるかな?それに人がどう感じているのかは決してわからないんだ。誰もが闇の中にいる。わかりたいとは思う。でも、ある人が別のある人について持つ意見ほどばかばかしいものはないと思わないかい?わかっていると思って先に進むけれども実際にはわかっていない』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.54~55」岩波文庫)

ヒューウェットは正直者である。正直「過ぎる」といってよい。文字通りであって、この部分については、何一つ付け加える必要もないだろう。だが、少ししゃべり過ぎる。

「『ぼくが小説を書いてしたいことは、きみがピアノを弾いてしたいこととほとんど同じだと思うよ』振り向いて肩越しに彼は言った。『ぼくらは物の背後にあるものを見たいんだ。そうだろう?ーーーあの下の方のいくつもの灯火を見てごらん』彼は続けた。『ばらばらに散らばっているね。いろいろなものがあの光のようにやってくるのをぼくは感じるんだーーーそれをみんな結び付けたいんだ。きみは模様を描く花火を見たことがある?ーーーぼくは模様を作りたいんだーーーそれがきみもしたいことかな?』通りに出たふたりは並んで歩けるようになった。『わたくしがピアノを弾く時?音楽は違うわーーーでもあなたの言うことはわかる』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.56」岩波文庫)

ウルフの思想がまた大きく顔を出している。「それをみんな結び付けたい」ーーー「模様を作りたい」。レイチェルは実はもっと違う意味でウルフの思想の代弁者であるのだが、ヒューウェットはそこまでいくことはない。「越えたい」と思いはするけれどもそれが直接的な死を意味することはない。だからこれはウルフの思想の一端たりえていてもウルフ自身ではない。小説家としてはまだほんのデビュー作なのだが、その点ですでに意識的な書き分けを心得ていたのかもしれない。

次の部分は極めて近現代的な要素を含んでいる。

「『ホテル』と『ヴィラ』の間には、ある種の情報交換が行われるようになり、一日中、ほとんどいつでも、どちらにいても、もう片方で何が行われているかを推測できた。『ヴィラ』と『ホテル』という言葉は、二つの違う暮らしがあることを意識させ、顔見知りから友達へと発展する機会を与えた。というのも、ミセス・バリーの客間と繋がると、必ずそこからイギリスのいろいろな場所と繋がるたくさんの枝に分かれていったからだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.59」岩波文庫)

数年前、ネット社会の実現に伴って「プラット・フォーム」の創設という具体案が提出されたことがあった。その後どうなっているのかさっぱりなのだが。ともかくこのシーンで描かれていることは紛れもなく資本主義社会の実現に伴って出現した「プラット・フォーム」構想のプロト・タイプであって、ここでは「ミセス・バリーの客間」がそれに相当する。他者どうしを連結させる機能が与えられていることから見ても明らかだろう。

「『嵐が丘』から『人と超人』、そしてイプセンの戯曲に至るまで、彼女が読んだ本のどれ一つとして、作品中に見られる愛の分析から、女主人公の感じたことは今レイチェルが感じていることだと思わせるものは無かった。わたくしが抱いているこの感情には名前がない、と思った」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.65」岩波文庫)

レイチェルは彼女自身であるときの個別性を問題にしている。レイチェルが何ものかとして世界と融合する或る時刻、不意打ち的に訪れる或る時刻のみに限って他と差異化された単独性を問題にしている。だからそれは言語という一般化・均質化・凡庸化されたものではない。言語へ置き換え不可能なものだ。したがって「この感情には名前がない」と彼女は洞察する。「名前」を与えられ言語化されてしまえばその「感情」はもうレイチェルのみに限って他と差異化された単独性を失ってしまう。言語なら何度も繰り返し反復可能だが、彼女の目指す個別性は反復されえないがゆえに本当に貴重な一回限りのものである。ベルクソンはいう。

「根底的な差異が、反復によって構成されなければならないものと、本質的に反復されえないものとのあいだに存在することを、どうして承認せずにいることができるだろうか」(ベルクソン「物質と記憶・P.163」岩波文庫)

レイチェルの精神状態は本当に深刻だといわざるをえない。余りにも敏感過ぎる。囚われた身体から脱出したいという切実な願い。しかしそれは第一次世界大戦前後の社会にあってはありふれた敏感さだったともいえる。当時、たとえば「永遠」とは何を指していわれていただろうか。死である。死において始めて得られるだろう「永遠」。善悪を超えてその彼岸へと向かう「エネルギー」の貯蔵庫としての無意識。真か偽かを問わないあるいは問えないという約束に同意した上で、資料として読む限りで、フロイトの論考は大いに参考になるだろう。

ところでつい先ほどウルフの書き分けについて述べた。ヒューウェットとレイチェルとは恋人どうしであるにもかかわらず身体としても思想的にも別々であり、どのような形式を取ることになっても、おそらく平行線のまま推移するに違いないという個別性について。それは次のような文章の中でも見て取ることができる。

「もしかすると、あの夜レイチェルが庭で口にしたことは正しかったのかもしれない。『お互いに一番悪いものを出し合うだけーーーわたくしたちは離れて生きていくべきだわ』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.97」岩波文庫)

BGM