レイチェルはまたもや「ナイフ」を登場させる。めくるめく揺れ動く幻覚の中で、なのだが。しかし幻覚を見ているレイチェルにとって幻覚は確かな現実だ。そしてウルフは常に事物と事物の《あいだ》において小説家の実感としての真相を語ってはこなかっただろうか。かつてテレンス=ヒューウェットは「絨毯と壁に柔らかな陽射しが点々と揺らめいているのを見」てレイチェルがその「揺らめき」こそ「全世界」の真相ではないかというレイチェルの問いに答えていた。むしろ「がっちりしている」と。だがその彼が今度は、レイチェルが幻覚の揺らめきならびに恐怖の中で、揺らめきならびに恐怖そのものに変化しているとき、何もできない。まったく何の役にも立たない。ただ単に平凡な対応に終始してしまうように見える。しかしこういうとき、「役に立つ」、とはどういうことをいうのだろうか。「役に立たない」ことも結果的に有効だったとおもえるようなことがありはしないだろうか。しばらく読み進めてみよう。
「『見て、丘のへりをみな転がり落ちていくわ』突然彼女が言った。『転がるって、レイチェル?何が転がるんだ?何も転がっていないよ』『お婆さんよ、ナイフを持っている』テレンスにだけ答えているのではなく、彼を超えて先の方を見ていた。向かいの棚にある花瓶を見ているようだったので、彼は立ってそれを下ろした。『さあ、もう何も転がらないよ』と愉快そうに言ったが、彼女は同じところを寝たまま見つめ続け、話しかける彼にもう何の注意も払わなかった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.251」岩波文庫)
ヒューウェットの言動はまことに頼りない。的外れもここまで来るかと思わせる。だがレイチェル=ウルフにとって当時のイギリス人男性というのは所詮この程度でしかなかった。それでもテレンス=ヒューウェットを職業小説家として描いたウルフは実に皮肉な態度で告発したものだと感心する。だからといって、小説家のデビュー作はこのような告発型テロに限るというわけではない。「船出」を見てもそのように読めばそう見えるという形式に留まっている。実際、「船出」発表時、文芸評論家らによる一般的な作品評は「奇妙な」作品だが(小説家としての)才能はありそうだ、という作家論と作品論との入り混じった「奇妙な」ものだった。どちらがどれほど奇妙だったかは問題ではない。さらにいえば奇妙であればあるほど良いとは誰もいっていないし奇妙さを売りにしても読者は単に疲れるだけだ。その意味で「船出」は生きているときには死んでおり、死んでしまってから再評価という形で見直しが始まった、奇妙な、亡霊的に徘徊する作品である。だが、作家論と作品論とがどうしても入り混じってしまうということは実に奇妙な出来事ではなかろうか。もしその光景をウルフが見ていたとすれば、自殺してしまう前に一度は本心から笑うことがあったかも知れない。ところで、「奇妙に入り混じった光景」について、思い起こしておきたい文章がある。ほかならぬレイチェルが幻覚という「非現実的」な現実のうちにあるからである。周囲からは「うつろ」に見える。
「この四ヶ月間ずいぶん汽車に乗った。ベルリンからライン河畔へ、ブレーメンからシュレージエンへと縦横にだ。すると、いつであれ午後三時、あるいはいつでもいい、ごくありふれた光のもとでおこるのだ。線路の左右の小さな町、あるいは村、工場、風景の全体、丘、畑、林檎の木、散在する家、それらすべてが入りまじり、一つの顔をもち、内側にあってはまったく不確かで実にたちが悪いくらい非現実めいた、独特の曖昧な表情をし、ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.207』岩波文庫)
何度も言うが神秘主義とは何の関係もない。むしろそのような宗教的なものとはほど遠い関係にある。宗教的な気分とか雰囲気とかいったうさんくささに意識を奪われてしまっては肝心の見えるものも見えてこない。ホフマンスタールは時代と時代との裂け目にいた。その後の問題含みの言動とはまた別のところで《あいだ》を知ることができた稀有な文章家だったといえる。その意味で或る時代と別の或る時代とのずれが生じるその交錯点で、世界がずれる一定の時間を自分の身体がずれて多様体化していく動きとともに感じもし意識することもできていた。しかしそれができたからといって偉いとか偉くないとかいう話にはならないのである。ともかく、意識化の不可能を告げた震源地はニーチェであり、またクロノス(時計時間)的には逆になっているが、その動きを動きそのものの総体として可視化して見せたのはマルクスである。ここではその点を押さえておけば後はそう難解な作品ではけっしてない。レイチェルにとっての現実=幻覚は続く。
「彼が口づけをするとまぶたは大きく開いた。しかし彼女に見えたのは、男の首をナイフで切り落とそうとしている老婆だけだった。『落ちる!』レイチェルが呟いた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.261」岩波文庫)
今上げたセンテンスで気をつけたいのは、「男の首をナイフで切り落とそうとしている老婆」、という部分について。単純に復讐心に燃えたかつての美女が老いてのちにそそり立つ男根を切り落としにくるといったステレオタイプ(常套句)的な解釈を横行させてはいけない。フロイトの目線は正しいこともあればそうでないこともある。ここでは、そうでない、というほうがすでに正しい。というのは、小説家論になってしまうが、ウルフはけっして男性を憎んでいないからだ。彼女はそのような復讐心(ルサンチマン)を生命力の武器に変えて行動しようとする馬鹿馬鹿しい幼稚な次元にいない。事情はむしろ逆であって、年齢性別国籍を問わず尊敬すべき人物には礼儀をもって答えるし、尊敬できない人物であったとしても、それ相応の態度を取り出してきて返礼するに過ぎない。或る意味、相手が尊敬できない場合は幾分かの軽蔑を含むというニーチェの言葉が、ウルフにも当たっているかもしれない。幾分かの軽蔑であって、復讐心(ルサンチマン)などという不愉快なものとは距離を置くという当時のイギリスでは当たり前の態度なのだ。それがなぜか東アジア、特に日本とか韓国とかに入ってくると、何かまったく別のものへと変形され、変形されつつありがたく受け取るという態度に変わる。まるで「こそどろ」なのだ。しかし「こそどろ」という意味で日韓は、少なくともその体育会系活動家の言動はまるで双子に見えて仕方がないのはどうしてだろうか。それはそれでまた問題だろうけれども。しかしこの問題は八十年代バブルの時期にすでにいったん解決する方向に動いたことはあった。日韓問題という対立型だったが。対立的ではあっても、むしろそれゆえに、ヘーゲル弁証法の土台の上で闘争/逃走しつつ揚棄していこう、という開かれた方向が見出されてはいた。少なくとも、東京の一流と比較すればなるほど二流かも知れないが、京都大学有志と大阪の私立大学有志との間では「日韓問題」をめぐって非常に活発な議論が交わされていた。なお、「こそどろ」といってもジュネのような驚嘆に値する態度と混同してはならないだろう。
レイチェルに戻ろう。彼女は問題の鍵を「解き明かしてくれるものを聞くか見る」かする。もしその場にドストエフスキーがいたとするなら、実際に見えている「光景」がそれだ、とただちにいうだろうシーンである。
「実際六日間もレイチェルは外の世界のことは気付かずにいた。目の前を絶えず通り過ぎる熱い、赤い、めまぐるしい光景を追うのに、持てる限りの注意力を費やす必要があったからだ。その有様を熟視し、その意味を捉えることが極めて重要であるとわかっていても、それを解き明かしてくれるものを聞くか見るのが、いつも一瞬遅れてしまう。だから他人の顔ーーーヘレンの顔、看護師の顔、テレンスの顔、医者の顔ーーー時々すぐ傍にまで強引に近付こうとする者の顔にいらいらさせられた。注意力をそらし、目前をよぎる光景の意味を捉える糸口を見失わせてしまうからだ。しかし、四日目の午後、レイチェルは突然、ヘレンの顔をまわりの光景と明確に区別して見ることができなくなった。ベッドの上に屈んでくるヘレンの唇が広がり、何か早口で言っているらしいが、まったく意味がわからない。見えるものすべてが、ある策略か、冒険か、逃亡を企んでいるようだった。彼らがしていることの実態は絶え間なく変化している、それにはいつも何か理由があるはずで、レイチェルは何とかしてそれを捉えようと懸命になった。今彼らは森の中に野蛮人といる、今は海上にいる、今は高い塔のてっぺんにいる、今は飛び降りてくる、今は飛んでいく。しかし今こそ重大局面となったというまさにその時、決まって何かが彼女の頭の中に滑り込んでくるので、もう一度すべてを捉え直す努力をしなければならない。暑さに息が詰まった。ようやくすべての顔が遠くに行った。彼女はねばねばする深い淀みの中に落ち、ついには全身呑み込まれた。何も見えず、聞こえるのは頭上に波打つ海のかすかな水音だけだった。彼女を苛(さいな)んでいた者は皆彼女は死んだと思ったが、死んではいず、海底で身を丸めていた。横たわったまま時に闇を、時に光を見ている彼女の身体を、時々何者かが海の底で転がした」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.264~265」岩波文庫)
しかしドストエフスキーだけでよいのか、という問いを立ててみよう。確認しておきたいことは、ドストエフスキーを読みやすいものにしたのは、あるいはモダンな作品に読み替えた功績はミハイル・バフチンにある。それ以前は本当のところ、何だかわからないが途轍もなく重大なことが書かれてある、という程度の認識しかなかったというのが真相だろう。だからバフチン以前、日本では埴谷雄高のように、精神病者には何か他者とは違った予言者的能力があるかのように書く小説家が現れた。精神病者は他者だ。そこまでは正しい。しかし他者は他者でもどこにでもいる平凡な他者でしかない。健常者の身体の中にも幾らかはいる。だからそれは自分にとって最も親しいものでもある。さらに分類するとすれば、軽度の「サイコパス」ならそこらへんにうようよいる。経済の専門誌をぱらぱらめくっていると会社の社長とか大企業の大株主とかの中にも時々見かける。彼ら彼女らは刃物以上に中身の濃い暴力的搾取者でもあることが実に多いというほかない。なぜかはわからない。しかしそのことと共に考えることができるかと思われるが、とりわけ東アジアでは、これまたなぜかはわからないが、自分で自分自身から「始めた」とか「気づいた」とかいう錯覚が多過ぎるようにおもわれる。他者への配慮が欠けている。礼儀知らずが多過ぎる。外国からの輸入思想に対しても、実をいうと、広い意味での「翻訳者」を必要としたという経緯が、日本《と》韓国の「関係」の中に入るといとも容易に忘れ去られてしまうというあり得ない断層が平然と隆起してくる。しかしそれはいったん専門家に任せよう。ここでは分身のモチーフに触れておこう。
レイチェルは「いつも一瞬遅れ」ると感じる。言語化する前に通り過ぎてしまう。レイチェルは「ヘレンの顔をまわりの光景と明確に区別して見ることができなくな」る。「此性」とはそういうものだ。そういう現実があるだけだ。すでにクロノス(時計時間)は死滅しアイオーン(感性的時間・永劫)が支配しているのだから。それでいい。「アイオーン」は「ディオニュソス」と等値可能だ。ゆえに「ディオニュソス」=「絶え間なく変化」する「陶酔」である。幻覚とは「或る一刻」を支配する「陶酔」なのであって、だから、社会的文法からの脱却である限りで恐怖と単純な破壊であり、また同じ条件において官能であり破壊の悦びである。一見、混乱に見える。だがそうではなく、ウルフの意向も汲むとすればなおのこと「融合」というべきだろう。
「実際この日レイチェルは、まわりで起こっていることを意識していた。暗く淀んだ沼の水面に出て、波で浮いたり沈んだりするのを感じていた。自分の意志は一切無くなっていた。波の上に横たわり、身体のいくらかの痛みとかなりの衰弱を意識した。波は山の斜面に変わった。身体は溶ける雪の流れとなり、その上に両膝が骨だけとなって高く聳える山の峰になった。確かにヘレンと自分の部屋は見えたが、すべてがとても青白く、半透明になっていた。時々目の前の壁の向こうを見通すことができた。時々ヘレンが出ていき、レイチェルの目が届かないところまで行ってしまった。部屋も奇妙にも広がる力を持っていて、レイチェルは声を張り上げると、時にはそれが鳥となって遠くに飛び去るのだが、果たして話し相手の人にまで届いたのかどうかは確かではなかった。いろいろな物事が、レイチェルの目に見える形で一瞬現れる力をまだ持っていたが、その一瞬、一瞬の間の間隔、あるいは裂け目は極めて大きかった。ヘレンが片腕を上げて薬を飲ませてくれるのに、時には一時間もかかるほど、ぎごちない一つ一つの動きの間に休みがあった。身をベッドに寝ている身体を起こしてくれる時のヘレンは巨人のようで、落ちてくる天井のように彼女の上に覆いかぶさった。しかしレイチェルは、長時間にわたり、ただ肉体がベッドの上に浮き、精神は肉体のどこか遠い隅に追いやられているか、逃げ出して部屋のまわりを飛びまわっているのを意識しているだけだった。どの光景も見るにはある程度の努力を要したが、特にテレンスを見るには最大限の努力が必要だった。彼は、こちらが何かを思い出したいと願う時には、精神と肉体が合体することを強いたからである。レイチェルは思い出したくなかった。彼女の孤独を妨げられるのは煩わしかった。彼女は独りでいたかった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.274~275」岩波文庫)
わかりづらいかも知れない。「部屋も奇妙にも広がる力を持っていて、レイチェルは声を張り上げると、時にはそれが鳥となって遠くに飛び去る」。だが想起しよう。ではなぜゴッホの絵画は多くの人々にとって理解可能なのかと。「精神と肉体が合体することを強いた」。そう「強いた」社会的苦痛すなわち社会的制度的圧力が原因で統合失調症を発症したと今では理解されている。「精神と肉体」とは必ずしも一致するものではけっしてない。だから拘束された身体からの脱出こそ自由への破壊なのだ。身体は絶え間なく新陳代謝している。その意味で固有性としての身体はおそらく最も重要かつ貴重である。だが見えない糸でがんじがらめに束縛された身体であればそのようなものは不要である。嘘ではないならきっとわかるに違いない。ヒューウェットはおもう。ただし解離状態でこうおもう。解離の経験者であれば難なく理解できるだろう。「その一瞬、一瞬」については後で述べる。
「非現実の霞が深く立ちこめていて、彼の身体全体が麻痺しているという感覚を行き渡らせていた。これがぼくの肉体だろうか?これが本当にぼくの手だろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.279」岩波文庫)
次のセンテンスも解離のうちにヒューウェットが考えることだ。その通り。解離のうちにも「意識的」に「考える」ことは可能である。複数の経験者からの聞き取りからも明白だと言っておこう。もっとも、医師の立場ではなく、別の病棟(アルコール病棟)からの訪問者に聞かせてくれた体験なのだが。残念なのは解離の経験者の多くが被害者としての虐待経験者であるということだろう。長期入院者の場合、解離して見える自分の身体に「慣れ」すら持ってしまっているケースもままある。幼少時期の被虐待体験がどれほど凄まじいものであったか。そしてその体験は後に家庭という枠組みに執拗に固着するようになるか、それとも家庭という枠組みに完全に見切りを付けて自分で自分自身の自立をさっさと成し遂げようとする方向へ向かうか、いずれにしても彼ら彼女らの内面はドゥルーズ&ガタリを経由して抽出されたホフマンスタールの描写のように奇妙な合成物に見える。家庭というがんじがらめの法的制度が、その中では、どれほど荒れ狂った現実を出現させるのか。当事者は幼少時期のその体験をほとんど当たり前として捉える。家族制度は本来、実にしばしば荒れ狂うものだと。打ち砕かれた壁はしばらく我慢していればそのうち誰かが直してくれるだろうと。誰かが来なかったら来なかったでそのままにしておいても屋根くらいはあるからと。ところがたまたま出来た友人の家を訪れてみて、家具とか壁とかの余りにも整然たる様相を目の当たりにして、人間として言葉を失うのである。本当はどこの世帯もそれほど理路整然としていないにもかかわらず、彼ら彼女らの目には天国と地獄ほどに違って見える。そこで気づかなければならない。カルト団体に引き込まれてしまう前に。しかし下手な介入は事態をより一層深刻な破壊へと追い込むばかりだ。にもかかわらず支援者がいない。では、彼ら彼女らは一体どのような夢を見るのか。寝ているときの夢だが。それは成人(だいたい二十歳程度)して以降も「白昼夢」となっていきなり路上に出現したりする。いわゆる「就職活動」の合間にも。実に驚くべき強烈なエネルギーを保存しているものだと変な意味で感心してしまうほどである。しかしそのような人々はどれくらいを占めているのか、あるいは個別的に見た場合、どの程度まで脳神経システムを加工=変造されてしまっているのか。そしてそれが実生活上、どのような影響を及ぼしているのか、あるいは及ぼしていないのか、及ぼしている場合は何がいつまでどのようになのか、はっきりした調査結果はまだまだ明瞭でないし、必ずしも明瞭にしなくていいケースもあるわけで、わかっていない部分が多過ぎる。日本政府は一体何にどれほどの予算を注ぎ込んでおり、それをいかに活用してきたのか、さっぱりなのだ。テレンス=ヒューウェットの意識明瞭な解離状態は続く。
「二階に上がる途中、彼はずっと自分に言い続けていた。『これはぼくに起こったのではない。ぼくに起こったはずがない』彼は手すりの上の自分の手を不思議そうに見た」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.284」岩波文庫)
ようやく来るところまで来ることができた。
「彼は自分であると共にレイチェルでもあると思えた。ーーーこれが死だ、なんでもない、呼吸が止まることだ。これが幸せだ。完全な幸せだ。ふたりは今これまでいつも望んでいたもの、生きている間は不可能だった結合を得たのだ。ーーー二人の完全な結合と幸せはますます広く渦巻く輪となって部屋に満ちわたるように思われた。この世で未だ満たされずに遺された望みは一つもなかった。ふたりは決して奪われることがないものを与えられた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.286」岩波文庫)
ヒューウェットは「完全な結合」と感じており、書き手としてウルフがそう感じるよう命じているわけだ。ウルフは、自分が常々望んでいる「生」は、多様体としてと同時に単独性としての「ほかならぬ私の死」との交換関係に入る限りでのみ、始めて手に入れることができるものだ、と考えていた。しかしウルフは小説家として文章に自分自身を賭けており、そう簡単に死ぬわけにはいかない。作品として不十分だ、というのではなく、文体に満足していない、と感じていたからだ。したがって次作、次々作へと、その文体とともにきっちり移動を遂げていくことになる。その前に「完全な結合」ということについて、「船出」では、いったんベルクソンにおぎなってもらおうとおもう。なかでも「相互浸透」「緊密な融合」などの言葉に着目したい。
「あたかも或るメロディーの楽音を言わば全部が溶け合ったような状態で想起するときに起こるように、ーーーこれらの楽音は継起しはするが、それでも私たちはそれらを相互に統覚しているわけであって、それら楽音の全体は、その諸部分が、たとえ区別されはしても、それらの緊密な結びつきそのものによって相互に浸透し合うような生き物になぞらえうるとは言えまいか。その証拠に、メロディーの一つの音を不当に強調して調子を乱すようなことがあると、その誤りを告げ知らせるのは、長さとしては度を越したその長さではなく、そのことによって楽節全体にもたらされた質的変化なのである。したがって、区別のない継起というものを考えることができる。しかも、その各々が全体を表し、ただ抽象することのできる思考にとってのみ全体から区別され、分離される諸要素の相互浸透、緊密な結合、内的組織化として考えることができる。このようなものこそ、おそらく、同一でありながら変化する存在者、何ら空間の観念をもたないような存在者が持続について形成するであろう表象である」(ベルクソン「時間と自由・P.122~123」岩波文庫)
次のセンテンスではもうレイチェルはいない。と、おもうだろうか。エヴリンにレイチェルが憑依する。といえばまるでホラーのようだ。けれどもホラーとは元来どういうものだったろうか。それはポーが発明して打ち捨てられていたものをボードレールが偶然見つけて世に問うた一つの表現「形式」だった。マルクスにいわせればそれもまた「諸力の関係」の一つである。実際に幽霊が存在するといっているわけではない。そういう超常現象ではまったくなく、ホフマンスタールが「いわくいいがたい」と呼んだもの、「分身」という別名を持つものではなかったかというのである。エヴリンはレイチェルと融合する瞬間の関係の構造を説明するために登場する。こんなふうに。
「決断することが彼女にはとても難しかった。生まれつき、最終的なもの、すでに出来上がったものは嫌いだった。続けて、やり続けていきたいーーーいつも、続けていきたい。間もなくここを発つので、彼女は自分の衣類をすべてベッドの上に並べた。みすぼらしい着古しもあった。両親の写真は、箱に片付ける前に、しばらく手に取って見た。レイチェルもこれを見たのだ。突然、人の持つ個性、時にその人が所有したり、手に取ったりしたものによって保持されるその人の個性が強烈に蘇り、彼女を圧倒した。レイチェルがこの部屋に一緒にいると感じた。あたかも自分は船に乗っていて、日常の生活は遠くの陸地のように現実ではない、と感じた。しかしレイチェルがここにいるという思いは次第に薄れ、やがて現実のものと感じられなくなった。実際にレイチェルはほとんど知らない人だったのだ。しかしこの一時的な感覚がエヴリンを落ち込ませ、疲れさせた。あたしはこれまでの人生で何をしていたのだろう?どんな未来があたしを待ち受けているのだろう?何が見せかけで何が真実なのだろう?あの求婚とか、親密な関係とか、冒険とかいうものが真実なのか、スーザンとレイチェルの表情に見たあの満ち足りた気持ち、あれはあたしがこれまで味わったどんな感情よりも真実なのだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.303~304」岩波文庫)
エブリンには今後もそういうことが起こるだろう。あるいはエヴリンではないかもしれないが。ではさっき上げた「その一瞬、一瞬」について。それはすぐれて物質的な運動だ。
「じぶんに影響を与える物質と、みずからが影響を与える物質のあいだに置かれていることで、私の身体は行動の一箇の中心である。すなわち、受容された印象が巧みにその経路をえらんで変形され、遂行される運動となるような場所である。私の身体があらわすものは、だからまさしく私の生成の現勢的な状態、じぶんの持続にあって形成の途上にあるものにほかならない。より一般的にいえば、生成のこの連続性ーーーこれがレアリテそのものなのだーーーにおいて、現在の瞬間は、まさに流れさってゆく流れのただなかで私たちの知覚がふるう、ほとんど一瞬の切断によって構成されるものであって、この切断面こそが、ほかならぬ物質的世界と呼ばれるものなのだ。私の身体は、その物質的世界の中心を占めているのである。身体は、この物質的世界の中で、それが流されるのを私たちが直接に感得するものである。かくて身体の現勢的な状態のうちに、私たちの現在の現在性が存している。物質は、それが空間中にひろがっているものであるかぎり、私たちの見るところでは、不断に再開される一箇の現在と定義されなければならない。逆にいえば、私たちの現在は、じぶんの存在にぞくする物質的なありかたそのものなのだ。いいかえれば、現在とは感覚と運動の総体であって、他のなにものでもない。しかもこの総体は、持続の各瞬間に対して決定され、各瞬間にとって唯一のものである」(ベルクソン「物質と記憶・P.276~277」岩波文庫)
総括としてテレンスの友人ハーストがやってくる。
「テレンスに対して信義に欠けているという思いは一切無いままに、彼はふたりのことを考えるのをやめていた。人々の動きと声が、その部屋のさまざまな場所から集まってきて、彼の目の前で一つの模様にまとまっていくように思われた。彼は静かに座ったまま、ほとんど目には見えないものを見つめ、その模様が創り出されていくのを、満足して見守っていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.320」岩波文庫)
ハーストは「ほとんど目には見えないものを見つめ、その模様が創り出されていくのを」しっかりと確認する。この「ほとんど目に見えないもの」はなんとなく集まってきては一つの「力」として何らかの「模様」を生成する。と見るや否やただちに「模様」は溶けていきまた「ほとんど目に見えないもの」としてあちこちに散っていく。二度とない一回限りの反復を通り過ぎていく。なお、ハーストは将来を法律家として嘱望されたケンブリッジ大学出身のいわゆる秀才だ。法律家志望の若年層に総括の場を与えたのはウルフの洒落もしくはユーモアというものだったに相違ない。
レイチェルはレイチェルなりの方法を求めた。後に「意識の流れ」として語られることになる小説の方法で。しかし「船出」は「意識の流れ」の代名詞たるジョイスに似ているだろうか。似ていない。ジョイスにはジョイスなりの「意識の流れ」があり、また同時に別の仕方でウルフの「意識の流れ」がある、とは言えるかもしれない。ところがウルフの場合、小説という方法で、「意識の流れ」という方法とは何か別の、まったく異なる事件を起こしてしまったかも知れない、とおもうのである。機会があればさらにウルフ作品を取り上げてみたいとおもう。
なお、ここでのディオニュソスに関する解釈は次のニーチェの一節を参照した。あながち間違ってはいないと考える。
「『《ディオニュソス的》』という言葉で表現されているのは、統一への衝動であり、個人、日常、社会、実在を越えでて、消滅の深淵を越えでてつかみかかるはたらき、すなわち、より暗い、より豊満な、より浮動的な諸状態のうちへと激情的に痛ましく溢れでるはたらきであり、あらゆる転変のうちにあって変わることなく等しきもの、等しい権力をもつもの、等しい浄福をめぐまれているものとしての、生の総体的性格へと狂喜して然(しか)りと断言することであり、生の最も怖るべき最も疑わしい諸固有性をも認可し神聖視するところの、大いなる汎神論的共歓と共苦であり、生産への、豊饒への、回帰への永遠の意志であり、創造のはたらきと絶滅のはたらきの必然性の一体感である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇五〇・P522~523」ちくま学芸文庫)
BGM
「『見て、丘のへりをみな転がり落ちていくわ』突然彼女が言った。『転がるって、レイチェル?何が転がるんだ?何も転がっていないよ』『お婆さんよ、ナイフを持っている』テレンスにだけ答えているのではなく、彼を超えて先の方を見ていた。向かいの棚にある花瓶を見ているようだったので、彼は立ってそれを下ろした。『さあ、もう何も転がらないよ』と愉快そうに言ったが、彼女は同じところを寝たまま見つめ続け、話しかける彼にもう何の注意も払わなかった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.251」岩波文庫)
ヒューウェットの言動はまことに頼りない。的外れもここまで来るかと思わせる。だがレイチェル=ウルフにとって当時のイギリス人男性というのは所詮この程度でしかなかった。それでもテレンス=ヒューウェットを職業小説家として描いたウルフは実に皮肉な態度で告発したものだと感心する。だからといって、小説家のデビュー作はこのような告発型テロに限るというわけではない。「船出」を見てもそのように読めばそう見えるという形式に留まっている。実際、「船出」発表時、文芸評論家らによる一般的な作品評は「奇妙な」作品だが(小説家としての)才能はありそうだ、という作家論と作品論との入り混じった「奇妙な」ものだった。どちらがどれほど奇妙だったかは問題ではない。さらにいえば奇妙であればあるほど良いとは誰もいっていないし奇妙さを売りにしても読者は単に疲れるだけだ。その意味で「船出」は生きているときには死んでおり、死んでしまってから再評価という形で見直しが始まった、奇妙な、亡霊的に徘徊する作品である。だが、作家論と作品論とがどうしても入り混じってしまうということは実に奇妙な出来事ではなかろうか。もしその光景をウルフが見ていたとすれば、自殺してしまう前に一度は本心から笑うことがあったかも知れない。ところで、「奇妙に入り混じった光景」について、思い起こしておきたい文章がある。ほかならぬレイチェルが幻覚という「非現実的」な現実のうちにあるからである。周囲からは「うつろ」に見える。
「この四ヶ月間ずいぶん汽車に乗った。ベルリンからライン河畔へ、ブレーメンからシュレージエンへと縦横にだ。すると、いつであれ午後三時、あるいはいつでもいい、ごくありふれた光のもとでおこるのだ。線路の左右の小さな町、あるいは村、工場、風景の全体、丘、畑、林檎の木、散在する家、それらすべてが入りまじり、一つの顔をもち、内側にあってはまったく不確かで実にたちが悪いくらい非現実めいた、独特の曖昧な表情をし、ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.207』岩波文庫)
何度も言うが神秘主義とは何の関係もない。むしろそのような宗教的なものとはほど遠い関係にある。宗教的な気分とか雰囲気とかいったうさんくささに意識を奪われてしまっては肝心の見えるものも見えてこない。ホフマンスタールは時代と時代との裂け目にいた。その後の問題含みの言動とはまた別のところで《あいだ》を知ることができた稀有な文章家だったといえる。その意味で或る時代と別の或る時代とのずれが生じるその交錯点で、世界がずれる一定の時間を自分の身体がずれて多様体化していく動きとともに感じもし意識することもできていた。しかしそれができたからといって偉いとか偉くないとかいう話にはならないのである。ともかく、意識化の不可能を告げた震源地はニーチェであり、またクロノス(時計時間)的には逆になっているが、その動きを動きそのものの総体として可視化して見せたのはマルクスである。ここではその点を押さえておけば後はそう難解な作品ではけっしてない。レイチェルにとっての現実=幻覚は続く。
「彼が口づけをするとまぶたは大きく開いた。しかし彼女に見えたのは、男の首をナイフで切り落とそうとしている老婆だけだった。『落ちる!』レイチェルが呟いた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.261」岩波文庫)
今上げたセンテンスで気をつけたいのは、「男の首をナイフで切り落とそうとしている老婆」、という部分について。単純に復讐心に燃えたかつての美女が老いてのちにそそり立つ男根を切り落としにくるといったステレオタイプ(常套句)的な解釈を横行させてはいけない。フロイトの目線は正しいこともあればそうでないこともある。ここでは、そうでない、というほうがすでに正しい。というのは、小説家論になってしまうが、ウルフはけっして男性を憎んでいないからだ。彼女はそのような復讐心(ルサンチマン)を生命力の武器に変えて行動しようとする馬鹿馬鹿しい幼稚な次元にいない。事情はむしろ逆であって、年齢性別国籍を問わず尊敬すべき人物には礼儀をもって答えるし、尊敬できない人物であったとしても、それ相応の態度を取り出してきて返礼するに過ぎない。或る意味、相手が尊敬できない場合は幾分かの軽蔑を含むというニーチェの言葉が、ウルフにも当たっているかもしれない。幾分かの軽蔑であって、復讐心(ルサンチマン)などという不愉快なものとは距離を置くという当時のイギリスでは当たり前の態度なのだ。それがなぜか東アジア、特に日本とか韓国とかに入ってくると、何かまったく別のものへと変形され、変形されつつありがたく受け取るという態度に変わる。まるで「こそどろ」なのだ。しかし「こそどろ」という意味で日韓は、少なくともその体育会系活動家の言動はまるで双子に見えて仕方がないのはどうしてだろうか。それはそれでまた問題だろうけれども。しかしこの問題は八十年代バブルの時期にすでにいったん解決する方向に動いたことはあった。日韓問題という対立型だったが。対立的ではあっても、むしろそれゆえに、ヘーゲル弁証法の土台の上で闘争/逃走しつつ揚棄していこう、という開かれた方向が見出されてはいた。少なくとも、東京の一流と比較すればなるほど二流かも知れないが、京都大学有志と大阪の私立大学有志との間では「日韓問題」をめぐって非常に活発な議論が交わされていた。なお、「こそどろ」といってもジュネのような驚嘆に値する態度と混同してはならないだろう。
レイチェルに戻ろう。彼女は問題の鍵を「解き明かしてくれるものを聞くか見る」かする。もしその場にドストエフスキーがいたとするなら、実際に見えている「光景」がそれだ、とただちにいうだろうシーンである。
「実際六日間もレイチェルは外の世界のことは気付かずにいた。目の前を絶えず通り過ぎる熱い、赤い、めまぐるしい光景を追うのに、持てる限りの注意力を費やす必要があったからだ。その有様を熟視し、その意味を捉えることが極めて重要であるとわかっていても、それを解き明かしてくれるものを聞くか見るのが、いつも一瞬遅れてしまう。だから他人の顔ーーーヘレンの顔、看護師の顔、テレンスの顔、医者の顔ーーー時々すぐ傍にまで強引に近付こうとする者の顔にいらいらさせられた。注意力をそらし、目前をよぎる光景の意味を捉える糸口を見失わせてしまうからだ。しかし、四日目の午後、レイチェルは突然、ヘレンの顔をまわりの光景と明確に区別して見ることができなくなった。ベッドの上に屈んでくるヘレンの唇が広がり、何か早口で言っているらしいが、まったく意味がわからない。見えるものすべてが、ある策略か、冒険か、逃亡を企んでいるようだった。彼らがしていることの実態は絶え間なく変化している、それにはいつも何か理由があるはずで、レイチェルは何とかしてそれを捉えようと懸命になった。今彼らは森の中に野蛮人といる、今は海上にいる、今は高い塔のてっぺんにいる、今は飛び降りてくる、今は飛んでいく。しかし今こそ重大局面となったというまさにその時、決まって何かが彼女の頭の中に滑り込んでくるので、もう一度すべてを捉え直す努力をしなければならない。暑さに息が詰まった。ようやくすべての顔が遠くに行った。彼女はねばねばする深い淀みの中に落ち、ついには全身呑み込まれた。何も見えず、聞こえるのは頭上に波打つ海のかすかな水音だけだった。彼女を苛(さいな)んでいた者は皆彼女は死んだと思ったが、死んではいず、海底で身を丸めていた。横たわったまま時に闇を、時に光を見ている彼女の身体を、時々何者かが海の底で転がした」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.264~265」岩波文庫)
しかしドストエフスキーだけでよいのか、という問いを立ててみよう。確認しておきたいことは、ドストエフスキーを読みやすいものにしたのは、あるいはモダンな作品に読み替えた功績はミハイル・バフチンにある。それ以前は本当のところ、何だかわからないが途轍もなく重大なことが書かれてある、という程度の認識しかなかったというのが真相だろう。だからバフチン以前、日本では埴谷雄高のように、精神病者には何か他者とは違った予言者的能力があるかのように書く小説家が現れた。精神病者は他者だ。そこまでは正しい。しかし他者は他者でもどこにでもいる平凡な他者でしかない。健常者の身体の中にも幾らかはいる。だからそれは自分にとって最も親しいものでもある。さらに分類するとすれば、軽度の「サイコパス」ならそこらへんにうようよいる。経済の専門誌をぱらぱらめくっていると会社の社長とか大企業の大株主とかの中にも時々見かける。彼ら彼女らは刃物以上に中身の濃い暴力的搾取者でもあることが実に多いというほかない。なぜかはわからない。しかしそのことと共に考えることができるかと思われるが、とりわけ東アジアでは、これまたなぜかはわからないが、自分で自分自身から「始めた」とか「気づいた」とかいう錯覚が多過ぎるようにおもわれる。他者への配慮が欠けている。礼儀知らずが多過ぎる。外国からの輸入思想に対しても、実をいうと、広い意味での「翻訳者」を必要としたという経緯が、日本《と》韓国の「関係」の中に入るといとも容易に忘れ去られてしまうというあり得ない断層が平然と隆起してくる。しかしそれはいったん専門家に任せよう。ここでは分身のモチーフに触れておこう。
レイチェルは「いつも一瞬遅れ」ると感じる。言語化する前に通り過ぎてしまう。レイチェルは「ヘレンの顔をまわりの光景と明確に区別して見ることができなくな」る。「此性」とはそういうものだ。そういう現実があるだけだ。すでにクロノス(時計時間)は死滅しアイオーン(感性的時間・永劫)が支配しているのだから。それでいい。「アイオーン」は「ディオニュソス」と等値可能だ。ゆえに「ディオニュソス」=「絶え間なく変化」する「陶酔」である。幻覚とは「或る一刻」を支配する「陶酔」なのであって、だから、社会的文法からの脱却である限りで恐怖と単純な破壊であり、また同じ条件において官能であり破壊の悦びである。一見、混乱に見える。だがそうではなく、ウルフの意向も汲むとすればなおのこと「融合」というべきだろう。
「実際この日レイチェルは、まわりで起こっていることを意識していた。暗く淀んだ沼の水面に出て、波で浮いたり沈んだりするのを感じていた。自分の意志は一切無くなっていた。波の上に横たわり、身体のいくらかの痛みとかなりの衰弱を意識した。波は山の斜面に変わった。身体は溶ける雪の流れとなり、その上に両膝が骨だけとなって高く聳える山の峰になった。確かにヘレンと自分の部屋は見えたが、すべてがとても青白く、半透明になっていた。時々目の前の壁の向こうを見通すことができた。時々ヘレンが出ていき、レイチェルの目が届かないところまで行ってしまった。部屋も奇妙にも広がる力を持っていて、レイチェルは声を張り上げると、時にはそれが鳥となって遠くに飛び去るのだが、果たして話し相手の人にまで届いたのかどうかは確かではなかった。いろいろな物事が、レイチェルの目に見える形で一瞬現れる力をまだ持っていたが、その一瞬、一瞬の間の間隔、あるいは裂け目は極めて大きかった。ヘレンが片腕を上げて薬を飲ませてくれるのに、時には一時間もかかるほど、ぎごちない一つ一つの動きの間に休みがあった。身をベッドに寝ている身体を起こしてくれる時のヘレンは巨人のようで、落ちてくる天井のように彼女の上に覆いかぶさった。しかしレイチェルは、長時間にわたり、ただ肉体がベッドの上に浮き、精神は肉体のどこか遠い隅に追いやられているか、逃げ出して部屋のまわりを飛びまわっているのを意識しているだけだった。どの光景も見るにはある程度の努力を要したが、特にテレンスを見るには最大限の努力が必要だった。彼は、こちらが何かを思い出したいと願う時には、精神と肉体が合体することを強いたからである。レイチェルは思い出したくなかった。彼女の孤独を妨げられるのは煩わしかった。彼女は独りでいたかった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.274~275」岩波文庫)
わかりづらいかも知れない。「部屋も奇妙にも広がる力を持っていて、レイチェルは声を張り上げると、時にはそれが鳥となって遠くに飛び去る」。だが想起しよう。ではなぜゴッホの絵画は多くの人々にとって理解可能なのかと。「精神と肉体が合体することを強いた」。そう「強いた」社会的苦痛すなわち社会的制度的圧力が原因で統合失調症を発症したと今では理解されている。「精神と肉体」とは必ずしも一致するものではけっしてない。だから拘束された身体からの脱出こそ自由への破壊なのだ。身体は絶え間なく新陳代謝している。その意味で固有性としての身体はおそらく最も重要かつ貴重である。だが見えない糸でがんじがらめに束縛された身体であればそのようなものは不要である。嘘ではないならきっとわかるに違いない。ヒューウェットはおもう。ただし解離状態でこうおもう。解離の経験者であれば難なく理解できるだろう。「その一瞬、一瞬」については後で述べる。
「非現実の霞が深く立ちこめていて、彼の身体全体が麻痺しているという感覚を行き渡らせていた。これがぼくの肉体だろうか?これが本当にぼくの手だろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.279」岩波文庫)
次のセンテンスも解離のうちにヒューウェットが考えることだ。その通り。解離のうちにも「意識的」に「考える」ことは可能である。複数の経験者からの聞き取りからも明白だと言っておこう。もっとも、医師の立場ではなく、別の病棟(アルコール病棟)からの訪問者に聞かせてくれた体験なのだが。残念なのは解離の経験者の多くが被害者としての虐待経験者であるということだろう。長期入院者の場合、解離して見える自分の身体に「慣れ」すら持ってしまっているケースもままある。幼少時期の被虐待体験がどれほど凄まじいものであったか。そしてその体験は後に家庭という枠組みに執拗に固着するようになるか、それとも家庭という枠組みに完全に見切りを付けて自分で自分自身の自立をさっさと成し遂げようとする方向へ向かうか、いずれにしても彼ら彼女らの内面はドゥルーズ&ガタリを経由して抽出されたホフマンスタールの描写のように奇妙な合成物に見える。家庭というがんじがらめの法的制度が、その中では、どれほど荒れ狂った現実を出現させるのか。当事者は幼少時期のその体験をほとんど当たり前として捉える。家族制度は本来、実にしばしば荒れ狂うものだと。打ち砕かれた壁はしばらく我慢していればそのうち誰かが直してくれるだろうと。誰かが来なかったら来なかったでそのままにしておいても屋根くらいはあるからと。ところがたまたま出来た友人の家を訪れてみて、家具とか壁とかの余りにも整然たる様相を目の当たりにして、人間として言葉を失うのである。本当はどこの世帯もそれほど理路整然としていないにもかかわらず、彼ら彼女らの目には天国と地獄ほどに違って見える。そこで気づかなければならない。カルト団体に引き込まれてしまう前に。しかし下手な介入は事態をより一層深刻な破壊へと追い込むばかりだ。にもかかわらず支援者がいない。では、彼ら彼女らは一体どのような夢を見るのか。寝ているときの夢だが。それは成人(だいたい二十歳程度)して以降も「白昼夢」となっていきなり路上に出現したりする。いわゆる「就職活動」の合間にも。実に驚くべき強烈なエネルギーを保存しているものだと変な意味で感心してしまうほどである。しかしそのような人々はどれくらいを占めているのか、あるいは個別的に見た場合、どの程度まで脳神経システムを加工=変造されてしまっているのか。そしてそれが実生活上、どのような影響を及ぼしているのか、あるいは及ぼしていないのか、及ぼしている場合は何がいつまでどのようになのか、はっきりした調査結果はまだまだ明瞭でないし、必ずしも明瞭にしなくていいケースもあるわけで、わかっていない部分が多過ぎる。日本政府は一体何にどれほどの予算を注ぎ込んでおり、それをいかに活用してきたのか、さっぱりなのだ。テレンス=ヒューウェットの意識明瞭な解離状態は続く。
「二階に上がる途中、彼はずっと自分に言い続けていた。『これはぼくに起こったのではない。ぼくに起こったはずがない』彼は手すりの上の自分の手を不思議そうに見た」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.284」岩波文庫)
ようやく来るところまで来ることができた。
「彼は自分であると共にレイチェルでもあると思えた。ーーーこれが死だ、なんでもない、呼吸が止まることだ。これが幸せだ。完全な幸せだ。ふたりは今これまでいつも望んでいたもの、生きている間は不可能だった結合を得たのだ。ーーー二人の完全な結合と幸せはますます広く渦巻く輪となって部屋に満ちわたるように思われた。この世で未だ満たされずに遺された望みは一つもなかった。ふたりは決して奪われることがないものを与えられた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.286」岩波文庫)
ヒューウェットは「完全な結合」と感じており、書き手としてウルフがそう感じるよう命じているわけだ。ウルフは、自分が常々望んでいる「生」は、多様体としてと同時に単独性としての「ほかならぬ私の死」との交換関係に入る限りでのみ、始めて手に入れることができるものだ、と考えていた。しかしウルフは小説家として文章に自分自身を賭けており、そう簡単に死ぬわけにはいかない。作品として不十分だ、というのではなく、文体に満足していない、と感じていたからだ。したがって次作、次々作へと、その文体とともにきっちり移動を遂げていくことになる。その前に「完全な結合」ということについて、「船出」では、いったんベルクソンにおぎなってもらおうとおもう。なかでも「相互浸透」「緊密な融合」などの言葉に着目したい。
「あたかも或るメロディーの楽音を言わば全部が溶け合ったような状態で想起するときに起こるように、ーーーこれらの楽音は継起しはするが、それでも私たちはそれらを相互に統覚しているわけであって、それら楽音の全体は、その諸部分が、たとえ区別されはしても、それらの緊密な結びつきそのものによって相互に浸透し合うような生き物になぞらえうるとは言えまいか。その証拠に、メロディーの一つの音を不当に強調して調子を乱すようなことがあると、その誤りを告げ知らせるのは、長さとしては度を越したその長さではなく、そのことによって楽節全体にもたらされた質的変化なのである。したがって、区別のない継起というものを考えることができる。しかも、その各々が全体を表し、ただ抽象することのできる思考にとってのみ全体から区別され、分離される諸要素の相互浸透、緊密な結合、内的組織化として考えることができる。このようなものこそ、おそらく、同一でありながら変化する存在者、何ら空間の観念をもたないような存在者が持続について形成するであろう表象である」(ベルクソン「時間と自由・P.122~123」岩波文庫)
次のセンテンスではもうレイチェルはいない。と、おもうだろうか。エヴリンにレイチェルが憑依する。といえばまるでホラーのようだ。けれどもホラーとは元来どういうものだったろうか。それはポーが発明して打ち捨てられていたものをボードレールが偶然見つけて世に問うた一つの表現「形式」だった。マルクスにいわせればそれもまた「諸力の関係」の一つである。実際に幽霊が存在するといっているわけではない。そういう超常現象ではまったくなく、ホフマンスタールが「いわくいいがたい」と呼んだもの、「分身」という別名を持つものではなかったかというのである。エヴリンはレイチェルと融合する瞬間の関係の構造を説明するために登場する。こんなふうに。
「決断することが彼女にはとても難しかった。生まれつき、最終的なもの、すでに出来上がったものは嫌いだった。続けて、やり続けていきたいーーーいつも、続けていきたい。間もなくここを発つので、彼女は自分の衣類をすべてベッドの上に並べた。みすぼらしい着古しもあった。両親の写真は、箱に片付ける前に、しばらく手に取って見た。レイチェルもこれを見たのだ。突然、人の持つ個性、時にその人が所有したり、手に取ったりしたものによって保持されるその人の個性が強烈に蘇り、彼女を圧倒した。レイチェルがこの部屋に一緒にいると感じた。あたかも自分は船に乗っていて、日常の生活は遠くの陸地のように現実ではない、と感じた。しかしレイチェルがここにいるという思いは次第に薄れ、やがて現実のものと感じられなくなった。実際にレイチェルはほとんど知らない人だったのだ。しかしこの一時的な感覚がエヴリンを落ち込ませ、疲れさせた。あたしはこれまでの人生で何をしていたのだろう?どんな未来があたしを待ち受けているのだろう?何が見せかけで何が真実なのだろう?あの求婚とか、親密な関係とか、冒険とかいうものが真実なのか、スーザンとレイチェルの表情に見たあの満ち足りた気持ち、あれはあたしがこれまで味わったどんな感情よりも真実なのだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.303~304」岩波文庫)
エブリンには今後もそういうことが起こるだろう。あるいはエヴリンではないかもしれないが。ではさっき上げた「その一瞬、一瞬」について。それはすぐれて物質的な運動だ。
「じぶんに影響を与える物質と、みずからが影響を与える物質のあいだに置かれていることで、私の身体は行動の一箇の中心である。すなわち、受容された印象が巧みにその経路をえらんで変形され、遂行される運動となるような場所である。私の身体があらわすものは、だからまさしく私の生成の現勢的な状態、じぶんの持続にあって形成の途上にあるものにほかならない。より一般的にいえば、生成のこの連続性ーーーこれがレアリテそのものなのだーーーにおいて、現在の瞬間は、まさに流れさってゆく流れのただなかで私たちの知覚がふるう、ほとんど一瞬の切断によって構成されるものであって、この切断面こそが、ほかならぬ物質的世界と呼ばれるものなのだ。私の身体は、その物質的世界の中心を占めているのである。身体は、この物質的世界の中で、それが流されるのを私たちが直接に感得するものである。かくて身体の現勢的な状態のうちに、私たちの現在の現在性が存している。物質は、それが空間中にひろがっているものであるかぎり、私たちの見るところでは、不断に再開される一箇の現在と定義されなければならない。逆にいえば、私たちの現在は、じぶんの存在にぞくする物質的なありかたそのものなのだ。いいかえれば、現在とは感覚と運動の総体であって、他のなにものでもない。しかもこの総体は、持続の各瞬間に対して決定され、各瞬間にとって唯一のものである」(ベルクソン「物質と記憶・P.276~277」岩波文庫)
総括としてテレンスの友人ハーストがやってくる。
「テレンスに対して信義に欠けているという思いは一切無いままに、彼はふたりのことを考えるのをやめていた。人々の動きと声が、その部屋のさまざまな場所から集まってきて、彼の目の前で一つの模様にまとまっていくように思われた。彼は静かに座ったまま、ほとんど目には見えないものを見つめ、その模様が創り出されていくのを、満足して見守っていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.320」岩波文庫)
ハーストは「ほとんど目には見えないものを見つめ、その模様が創り出されていくのを」しっかりと確認する。この「ほとんど目に見えないもの」はなんとなく集まってきては一つの「力」として何らかの「模様」を生成する。と見るや否やただちに「模様」は溶けていきまた「ほとんど目に見えないもの」としてあちこちに散っていく。二度とない一回限りの反復を通り過ぎていく。なお、ハーストは将来を法律家として嘱望されたケンブリッジ大学出身のいわゆる秀才だ。法律家志望の若年層に総括の場を与えたのはウルフの洒落もしくはユーモアというものだったに相違ない。
レイチェルはレイチェルなりの方法を求めた。後に「意識の流れ」として語られることになる小説の方法で。しかし「船出」は「意識の流れ」の代名詞たるジョイスに似ているだろうか。似ていない。ジョイスにはジョイスなりの「意識の流れ」があり、また同時に別の仕方でウルフの「意識の流れ」がある、とは言えるかもしれない。ところがウルフの場合、小説という方法で、「意識の流れ」という方法とは何か別の、まったく異なる事件を起こしてしまったかも知れない、とおもうのである。機会があればさらにウルフ作品を取り上げてみたいとおもう。
なお、ここでのディオニュソスに関する解釈は次のニーチェの一節を参照した。あながち間違ってはいないと考える。
「『《ディオニュソス的》』という言葉で表現されているのは、統一への衝動であり、個人、日常、社会、実在を越えでて、消滅の深淵を越えでてつかみかかるはたらき、すなわち、より暗い、より豊満な、より浮動的な諸状態のうちへと激情的に痛ましく溢れでるはたらきであり、あらゆる転変のうちにあって変わることなく等しきもの、等しい権力をもつもの、等しい浄福をめぐまれているものとしての、生の総体的性格へと狂喜して然(しか)りと断言することであり、生の最も怖るべき最も疑わしい諸固有性をも認可し神聖視するところの、大いなる汎神論的共歓と共苦であり、生産への、豊饒への、回帰への永遠の意志であり、創造のはたらきと絶滅のはたらきの必然性の一体感である」(ニーチェ「権力への意志・第四書・一〇五〇・P522~523」ちくま学芸文庫)
BGM