大日本帝国指導者層とナチス・ドイツ指導者層のファシズムとを同じ次元で語ることは事態の展開とその素地を見誤ることになる。ナチス指導者層の多くはいわゆる「ゴロツキ」上がりの権力亡者/誇大妄想者によって占められていた。一方、大日本帝国指導者層の多くはいわゆる高学歴のエリート層に属しており、その内心は「事なかれ主義」によって占められていた。しかし、では、なぜ「事なかれ主義」の小心者エリート層が「本土決戦/一億玉砕」へと進んでいったのか。丸山真男は、国家指導部による「曖昧な事なかれ主義」体質が結果的に「本土決戦/一億玉砕」へ逆倒するのだと考えた。
「日独ファシズムが世界に対してほぼ同様な破壊と混乱と窮乏の足跡を残したにも拘らず、かしこにおける観念と行動の全き一貫性に対してここにおける両者の驚くべき《乖離》がまず顕著な対照を示している。ヒットラーは一九三九年八月二十二日、まさにポーランド侵入決行を前にして軍司令官に対して次のように述べた。『余はここに戦端開始の理由を宣伝家のために与えよう──それが尤もらしい議論であろうがなかろうが構わない。勝者は後になって我々が真実を語ったか否かについて問われはしないであろう。戦争を開始し、戦争を遂行するに当っては正義などは問題ではなく、要は勝利にあるのである』。何と仮借のない断定だろう。そこにはカール・レーヴィットのいう『能動的ニヒリズム』が無気味なまでに浮き出ている。こうしたつきつめた言葉はこの国のどんなミリタリストも敢えて口にしなかった。『勝てば官軍』という考え方がどんなに内心を占めていても、それを《公然と》自己の決断の《原則》として表白する勇気はない。却ってそれをどうにかして隠蔽し道徳化しようとする。だから、日本の武力による他民族抑圧はつねに皇道の宣布であり、他民族に対する《慈恵行為》と考えられる。それが遂には戯画化されると、『言うまでもなく皇軍の精神は皇道を宣揚し国徳を布昭するにある。すなわち一つの弾丸にも皇道がこもっており、銃剣の先にも国徳が焼き付けられておらねばならぬ。皇道、国徳に反するものあらば、この弾丸、この銃剣で注射をする』(荒木貞夫の一九三三年における演説・No.270)というように、個々の具体的な殺《りく》行為のすみずみまで『皇道』を浸透させないと気がすまない。ところが他方、ナチ親衛隊長ヒムラーによると、『一ロシア人、一チェッコ人にどういう事態が起ったかということに就いては余は寸毫の関心も持たない。──諸民族が繁栄しようと、餓死しようと、それが余の関心を惹くのは単にわれわれがその民族を、われわれの文化に対する奴隷として必要とする限りにおいてであり、それ以外にはない』と。これはまた《はっきり》しすぎていて挨拶の仕方もない次第だ。むろん国内、国外に向って色々と美しいスローガンをまきちらす点ではナチもひけをとらない。しかしナチの指導者はそれがどこまでが単なるスローガンであり、どこまでが現実であるかという《けじめ》を結構心得て用いているようである。これに反してわが軍国支配者たちは、自分でまきちらしたスローガンにいつしか引きこまれて、現実認識を曇らせてしまうのである。元朝鮮総督南次郎大将の次の答弁を見よ(No.1935)。
裁判長 どうしてあなたはそれを聖戦と呼ばれたのですか。
南証人 《その当時の言葉が一般に『聖戦』といっておりましたので》その言葉を申したのです。
コミンズ・カー検察官 その『聖』ということ、対中国戦争のどこにその『聖』という字を使うようなことがあるのでしょう。(後略)
南証人 そう詳しく考えておったのではなくして当時これを『聖戦』と一般に云っておったものですから、《ついそういう言葉を使ったのです。侵略的なというような戦ではなくして、状況上余儀なき戦争であったと思っておったのでありました》」(丸山眞男「増補版・現代政治の思想と行動・P.96~97」未来社)
軍国主義とかファシズムといっても大日本帝国指導者層とナチス・ドイツ指導者層とでは考え方が違っている。「侵略」についてナチスは「当然のこと」として自覚的に遂行するが、一方の大日本帝国は「自己欺瞞」の反復としてそうした。この違いは大きい。日本の場合、「侵略」宣伝に際して「倫理/道徳のため」というスプレーが吹きかけられていて容易にわかりづらい様相を呈している。
「さらに元上海派遣軍総司令官松井石根大将の場合を見よう。彼は口供書で日華事変の本質を次のように規定している。
#抑も日華両国の闘争は所謂『亜細亜の一家』内に於ける兄弟喧嘩にして──《恰も一家内の兄が忍びに忍び抜いても猶且つ乱暴を止めざる弟を打擲するに均しく》其の之を悪むが為にあらず《可愛さ余っての反省を促す手段》たるべきことは余の年来の信念にして──。#
これは必ずしも後でくっつけた理屈ではないらしい。上海に派遣される際、大アジア協会有志送別会の席上でも『自分は戦に行くというよりも兄弟をなだめるつもりで行くのだ』とあいさつしている(下中弥三郎氏の証言)。可愛さ余っての打擲の結果は周知のような目を蔽わせる南京事件となって現われた。支配権力はこうした道徳化によって国民を欺瞞し世界を欺瞞したのみでなく、なにより《自分自身》を欺瞞したのであった。我国で上層部に広い交際を持ったグルー元駐日大使もこうした自己欺瞞とリアリズムの欠如に驚かされた一人である。いわく、
#私は百人中にたった一人の日本人ですら、日本が事実上ケロッグ条約や九ヶ国条約や連盟規約を破ったことを本当に信じているかどうか疑わしく思う。比較的少数の思考する人々だけが率直に事実を認めることが出来、一人の日本人は私にこういった──『そうです、日本はこれらの条約をことごとく破りました。日本は公然たる戦争をやりました。満州の自衛とか民族自決とかいう議論はでたらめです。しかし日本は満州を必要とし、話は要するにそれにつきるのです』。《しかしこのような人は少数に属する》。日本人の大多数は、本当に彼ら自身をだますことについて驚くべき能力を持っている。──日本人は必ずしも不真面目なのではない。このような義務(国際的な)が、日本人が自分の利益にそむくと認めることになると、彼は自分に都合のいいようにそれを解釈し、彼の見解と心理状態からすれば彼は全く正直にこんな解釈をするだけのことである#
そうして大使はこう結論する。『このような心的状態は、如何に図々しくも自分が不当であることを知っているのよりもよほど扱い難い』。つまりこれが自己の行動の意味と結果をどこまでも自覚しつつ遂行するナチ指導者と、自己の現実の行動が絶えず主観的意図を裏切って行く我が軍国指導者との対比にほかならない。どちらにも罪の意識はない。しかし一方は罪の意識に真向から挑戦することによってそれに打ち克とうとするのに対して、他方は自己の行動に絶えず倫理の霧吹きを吹きかけることによってそれを回避しようとする。メフィストフェレスとまさに逆に『善を欲してしかもつねに悪を為』したのが日本の支配権力であった。どちらが一層始末に悪いかは容易に断じられない。ただ間違いなくいいうることは一方はより強い精神であり、他方はより弱い精神だということである。弱い精神が強い精神に感染するのは思えば当然であった」(丸山眞男「増補版・現代政治の思想と行動・P.97~99」未来社)
BGM