白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

隙間と道元2

2019年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム
日本でできる対抗手段としてはせいぜいが「労働者=消費者」としての不買運動くらいのものでしかない。ところがそのことで日本のコンビニが続々と破産してもそれはロシアの責任だというしかない。だがなぜ不買運動なら可能なのか。事情は相変わらずこうだ。貿易なしにグローバル資本主義は成立しないということ。

「貿易によって一方では不変資本の諸要素が安くなり、他方では可変資本が転換される必要生活手段が安くなるかぎりでは、貿易は利潤率を高くする作用をする。というのは、それは剰余価値率を高くし不変資本の価値を低くするからである。貿易は一般にこのような意味で作用する。というのは、それは生産規模の拡張を可能にするからである。こうして、貿易は一方では蓄積を促進するが、他方ではまた不変資本に比べての可変資本の減少、したがってまた利潤率の低下をも促進するのである。同様に、貿易の拡大も、資本主義的生産様式の幼年期にはその基礎だったとはいえ、それが進むにつれて、この生産様式の内的必然性によって、すなわち不断に拡大される市場へのこの生産様式の欲求によってこの生産様式自身の産物になったのである。ここでもまた、前に述べたのと同じような、作用の二重性が現われる(リカードは貿易のこの面をまったく見落としていた)。

もう一つの問題ーーーそれはその特殊性のためにもともとわれわれの研究の限界の外にあるのだがーーーは、貿易にとうぜられた、ことに植民地貿易に投ぜられた資本があげる比較的高い利潤率によって、一般的利潤率は高くされるであろうか?という問題である。

貿易に投ぜられた資本が比較的高い利潤率をあげることができるのは、ここではまず第一に、生産条件の劣っている他の諸国が生産する商品との競争が行なわれ、したがって先進国の方は自国の商品を競争相手の諸国より安く売ってもなおその価値より高く売るのだからである。この場合には先進国の労働が比重の大きい労働として実現されるかぎりでは、利潤率は高くなる。というのは、質的により高級な労働として支払われない労働がそのような労働として売られるからである。同じ関係は、商品がそこに送られまたそこから商品が買われる国にたいしても生ずることがありうる。すなわち、この国は、自分が受け取るよりも多くの対象化された労働を現物で与えるが、それでもなおその商品を自国で生産できるよりも安く手に入れるという関係である。それは、ちょうど、新しい発明が普及する前にそれを利用する工場主が、競争相手よりも安く売っていながらそれでも自分の商品の個別的価値よりも高く売っているようなものである。すなわち、この工場主は自分が充用する労働の特別に高い生産力を剰余価値として実現し、こうして超過利潤を実現するのである。他方、植民地などに投下された資本について言えば、それがより高い利潤率をあげることができるのは、植民地などでは一般に発展度が低いために利潤率が高く、また奴隷や苦力などを使用するので労働の搾取度も高いからである。ところで、このように、ある種の部門に投ぜられた資本が生みだして本国に送り返す高い利潤率は、なぜ本国で、独占に妨げられないかぎり、一般的利潤率の平均化に参加してそれだけ一般的利潤率を高くすることにならないのか、そのわけは分かっていない。ことに、そのような資本充用部門が自由競争の諸法則のもとにある場合にどうしてそうならないのかは、わかっていない。これにたいしてリカードが考えつくのは、なかでも次のようなことである。外国で比較的高い価格が実現され、その代金で外国で商品が買われて帰り荷として本国に送られる。そこでこれらの商品が国内で売られるのだからこのようなことは、せいぜい、この恵まれた生産部面が他の部面以上にあげる一時的な特別利益になりうるだけだ、というのである。このような外観は、貨幣形態から離れて見れば、すぐに消えてしまう。この恵まれた国は、より少ない労働と引き換えにより多くの労働を取り返すのである。といっても、この差額、この剰余は、労働と資本とのあいだの交換では一般にそうであるように、ある階級のふところに取りこまれてしまうのであるが。だから、利潤率がより高いのは一般に植民地では利潤率がより高いからだというかぎりでは、それは植民地の恵まれた自然条件のもとでは低い商品価格と両立できるであろう。平均化は行なわれるが、しかし、リカードの考えるように旧水準への平均化ではないのである。

ところが、この貿易そのものが、国内では資本主義的生産様式を発達させ、したがって不変資本に比べての可変資本の減少を進展させるのであり、また他方では外国との関係で過剰生産を生みだし、したがってまたいくらか長い期間にはやはり反対の作用をするのである。

このようにして一般的に明らかになったように、一般的利潤率の低下をひき起こす同じ諸原因が、この低下を妨げ遅れさせ部分的には麻痺させる反対作用を呼び起こすのである。このような反対作用は、法則を廃棄しないが、しかし法則の作用を弱める。このことなしには不可解なのは、一般的利潤率の低下ではなくて、反対にこの低下の相対的な緩慢さであろう」(マルクス「資本論・第三部・第三篇・第十四章・P.388~391」国民文庫)

ちなみにこのことは、「米中摩擦」がけっして「米中冷戦」にならないしなることはできないという事情とも関係がある。米中冷戦と言いたがる人々がいるとすればそれこそ言説の「亡霊が徘徊している」のであって、研究が足りないというほかない。米中は冷戦でなくむしろ摩擦の次元に留まるほかない。さてその根拠は何なのだろう。

両者は常に既に経済的流通によって余りにも接続し合い過ぎてしまっている。様々な産業分野でアメリカも中国も、両者ともに互いに依存し合い過ぎてしまっている。アメリカと中国とはもう解きほぐしがたいリゾーム的連関関係をオートメーション化させてしまっている。もはや絡み合い過ぎてしまった。だから米中関係はどこまで行っても摩擦し合うことはできるが冷戦状態に突入することは不可能なのだ。もし仮にそれを本当にやってしまうとすればどういうことが起こるか。ニーチェはいった。「ロシアの南下意志」と。米中摩擦の長期化と国家的疲弊に伴って米中双方が、徐々に南下を意志するロシアの中に呑み込まれる。北朝鮮はロシア(旧ソ連)の属国へと舞い戻っていく。それもこれも資本主義経済が加速度的に領土化と脱領土化とを達成してしまったし、今このときも達成しつつある連続的変態をさらに押し進めていくからにほかならない。

さて、今のロシア国民の頭の中は一体全体どうなっているのだろうか。かつてドストエフスキーはこう述べた。自分で自分自身を疑ってみるという高貴な態度について。

「美か!そのうえ、俺が我慢できないのは、高潔な心と高い知性とをそなえた人間が、マドンナ(聖母マリア)の理想から出発しながら、最後はソドム(古代パレスチナの町。住民の淫乱が極度に達し、天の火で焼かれた)の理想に堕しちまうことなんだ。それよりももっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことなんだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ!理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか。本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよーーーお前はこの秘密を知っていたか、どうだい?こわいのはね、美が単に恐ろしいだけじゃなく、神秘的なものでさえあるってことなんだ。そこでは悪魔と神がたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ」(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟・上・P.203~204」新潮文庫)

そして言っておきたい。引用だが。どこの国家の議員であろうがなかろうが、次のことは事実として上げておくほかないだろう。「神格化」運動がどれほど危険な行為なのか、ましてや運動している関係者自身にとってこそなおさら危険なのか、という反語的問題について。

「人間がそう容易に自分を神だと思わないのは、下腹部にその理由がある」(ニーチェ「善悪の彼岸・第四章・一四一・P.119」岩波文庫)

長々と述べてきた。ポロキンスカヤ議員は今のロシアでニコライ二世の崇拝勢力を代表する女性だ。そしてこのことは今なおロシアに或る種の問題がわだかまり存在しているということの動かしようのない歴然たる証拠でもある。はっきりいってしまえば、女性差別が存在する。

男性ではなく、とりわけ女性が「象徴的」人物として一般大衆の人気を捉えるという現象は、日本でいえば、はなはだしい男尊女卑傾向が色濃く残っていた明治二十〜三十年代にもあった。神的崇拝とか象徴的とかの代表者が女性に集中するとき、それは一国家の内部に再び病巣を宿した社会全体から生じてくる「ロマン主義的文学」の時代に舞い戻ってしまっているということの他の何ものをも意味しない。かつてロマン主義的日本文学の代表作は「不如帰」(ほととぎす)だった。次のような描写にその典型例を見ることができる。

「色白の細面(ほそおもて)、眉(まゆ)の間(あわい)やや蹙(せま)りて、頰(ほお)のあたりの肉寒げなるが、疵(きず)といわば疵なれど、瘠形(やさがた)のすらりと静淑(しお)らしき人品(ひとがら)。これや北風(ほくふう)に一輪勁(つよ)きを誇る梅花にあらず、また霞(かすみ)の春に蝴蝶(こちょう)と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕闇にほのかに匂う月見草、と品定めもしつべき婦人」(徳富蘆花「不如帰・P.11」岩波文庫)

「病気の中でもこの病気ばかいは恐ろしいもンでな、武どん。おまえも知っとるはずじゃが、あの知事の東郷、な、おまえがよく喧嘩(けんか)をしたあの児(こ)の母御(かさま)な、どうかい、東郷さんもやっぱい肺病で死んで、ええかい、それからあの息子さんーーーどこかの技師をしとったそうじゃがのーーーもやっぱい肺病で先頃(このあいだ)亡くなった、な。皆(みいな)母御のが伝染(うつ)ッたのじゃ。まだこんな話がいくつもあいます。そいでわたしはの、武どん、この病気ばかいは油断がならん、油断をすれば大事じゃと思うッがの」(徳富蘆花「不如帰・P.144~145」岩波文庫)

「逗子の別荘にては、武男が出発後は、病める身の心細さ遣(や)る方(せ)なく思うほどいよいよ長き日(ひ)一日(またひ)のさすがに暮せば暮らされて、早や一月あまり経(たち)たれば、麦刈済みて山百合(やまゆり)咲く頃となりぬ。過ぐる日の喀血(かっけつ)に、一たびは気落ちしが、幸(さいわい)にして医師(いしゃ)の言えるが如くその後に著しき衰弱もなく、先日函館よりの良人(おっと)の書信(てがみ)にも帰来(かえり)の近(ちか)かるべきを知らせ来つれば、よし良人を驚かすほどには到らぬとも、喀血の前ほどにはなりおらではと、自(みず)から気を励まし、浪子は薬用に運動に細かに医師の戒(いましめ)を守りて摂生しつつ、指を折りて良人の帰期を待ちぬ」(徳富蘆花「不如帰・P.173」岩波文庫)

「されど解きても融(と)け難き一塊の恨(うらみ)は深く深く胸底(きょうてい)に残りて、彼が夜々吊床の上に、北洋艦隊の殲滅(せんめつ)とわが討死(うちじに)の夢に伴うものは、雪白(せっぱく)の肩掛(ショール)を纏(まと)える病める或(ある)人の面影(おもかげ)なりき。ーーー消息絶えて、月は三たび移りぬ。彼女なお生きてありや、なしや。生きてあらん。わが忘るる日なきが如く、彼も思わざるの日はなからん。共に生き共に死なんと誓いしならずや。ーーー武男はかく思いぬ。さらに最後に相見し時を思いぬ。五日の月松にかかりて、朧々(ろうろう)としたる逗子の夕(ゆうべ)、われを送りて門(かど)に立出(たちい)で、『早く帰って頂戴』と呼びし人はいずこぞ。思い入りて眺むれば、白き肩掛を纏える姿の、今しも月光の中(うち)より歩み出で来らん心地すなり」(徳富蘆花「不如帰・P.192~193」岩波文庫)

ここに描かれていることは「結核の神格化」という創作過程を通して「文学の神格化」を確固たるものにしようとする明白な「権力への意志」なのだ。たとえば浪子は「逗子」に逗留する。なぜ「逗子」なのか。当時、ヨーロッパ経由で流行していた保養地が、日本では逗子の風景に似ているということが背景にあった。そして日本の皇室の保養地が軽井沢へ移ると同時に堀辰雄などは主人公の保養地を、もはや逗子ではなく軽井沢へ持ってくる。たとえば作品「菜穂子」では「八ヶ岳の麓」の療養地で「喀血」する。このような悪趣味極まりない趣向がロマン主義文学として文壇の中で幅を効かせていた。そしてようやく文字を読むことを覚え始めた一般読者のあいだで「不如帰」は圧倒的支持を獲得することに成功した。

そういうたどたどしい限りの歩みから日本近代文学は始まったのであり、その中心と化したロマン主義は、日本文学の成熟を何十年も遅れたものにさせることに貢献した。遅刻への意志でしかなかった。しかし今や、アメリカと冷戦を戦ったロシアが、日本の明治時代へ逆戻りしようとしている。今のロシアの政治は「制度としての文学」という空想主義的物語(ロマンティック・ストーリー)の世界へ退行している。幼稚園児になってしまっている。政治の美学化(ロマン主義の政治化)というかつてのナチス・ドイツを彷彿させる。そしてポロキンスカヤ議員はニコライ二世の皇太子時代の恋愛映画にすら拒絶反応を起こし、神の恋愛など「不謹慎」かつ「あり得ない」とするほとんどカルト的勢力の「象徴」に祭り上げられている。救いようがない。そのような「神がかり的態度」の末路は、現実の「地獄」を見るまでまだまだ何もわからないだろう。ロシアの三十代半ばのヒロイズム的女性議員。アウシュヴィッツのガス室で神に祈ったユダヤ人たちは果たして神に救われただろうか。

なお、「カラマーゾフの兄弟」は一八七九〜一八八〇年にかけて発表された。日本でいう明治十二〜十三年。東京府会開催。イプセン「人形の家」初演。高橋お伝処刑。琉球処分。小菅集治監設置。東京府癲狂院(後の松沢病院)設立。東京海上保険設立。教育令制定(学制廃止)。エジソン炭素線条電球発明。仏パナマ運河会社設立。フォースター生まれる。佐分利貞男生まれる。鳥井信治郎生まれる。臼田亜浪生まれる。正宗白鳥生まれる。アインシュタイン生まれる。長塚節生まれる。クロフツ生まれる。レスピーギ生まれる。山川登美子生まれる。サパタ生まれる。滝廉太郎生まれる。安重根生まれる。河上肇生まれる。トロツキー生まれる。永井荷風生まれる。パウル・クレー生まれる。ドーミエ死去。クチュール死去。川路利良死去。ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」初演。チャイコフスキー「オネーギン」初演。植木枝盛「民権田舎歌」発表。交詢社結成。アレクサンドル二世暗殺未遂。丸善設立。集会条例施行。「新訳聖書」邦訳刊行。東京代言人組合(後の東京弁護士会)設立。逢坂山トンネル開通。刑法・治罪法制定。京都府画学校(後の京都市立芸術大学)開校。東京法学社(後の法政大学)開校。松方正義紙幣整理。米内光政生まれる。松岡洋右生まれる。ブルーノ・タウト生まれる。シュペングラー生まれる。ブロッホ生まれる。アポリネール生まれる。ジャック・ティボー生まれる。山川均生まれる。鮎川義介生まれる。ヴィエニャフスキー死去。オッフェンバック死去。ジョージ・エリオット死去。

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隙間と道元1

2019年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
人生百年時代というのは、中世日本を生きた人々にとって、どのように考えられていたか。あるいは、どのように考えることが可能だったか。

「心に深く思わねばならぬ、竜の珠はあるいは手に入れることができるかもしれぬ、一尺の宝石は手に入れることがあるかもしれぬ。しかし、たとえ百年の一生であろうと、その一日は、一たび失うならば二度と己れの手には戻らないのだ」(道元「現代語訳 正法眼蔵1・第一六・行持・P.295」河出文庫)

いわずもがな、そのように考えることはできたが、考えることはできる、というばかりのことだった。しかし道元の言葉には、それゆえの確固たる意志が示されているといえよう。逆に今の人間社会はどうだろう。事実上の人生百年時代を迎えてみて。変わったといえば大変変わった。しかしその前に、言語について、どのような考え方をしていると言い得るだろうか。あるいは言い得ないだろうか。道元の言葉を見据えてみた上で。

言語は確実に変わった。変化した。にもかかわらず、言語使用に関して、そのときの注意点について、余りにも不用意なのではないだろうか。他者のこと、他者の立場を、他者の生ということについて、一体何をどこまでどんなふうに考えてから、できる限り慎重かつ真摯な態度で発語あるいは筆記することができているだろうか。あるいは、できていないだろうか。

先に何日かに渡ってウィトゲンシュタンインの「言語ゲーム」について、ほんのささやかな論考を述べておいた。そこで気づいたことは、ウィトゲンシュタインの提出した問いは、まだまだ解き残されていくだろうということだった。喜ばしいことだ。楽しいことだ。ところがニーチェは驚くべきことに、たった「百年」どころか、むしろ「八万歳の人間を考えてみる」という考察方法を思考することへ促してもいる。

「《変らぬ性格》。ーーー性格が変らぬということは、厳密な意味では本当ではない。むしろ好んで用いられるこの命題は、人間の短い寿命の間に作用する動機が幾千年も刻みつけられた文字を破壊できるほど深くは裂け目を入れえない、といった程度のことを意味しているにすぎない。しかしもし八万歳の人間を考えてみるならば、全然変わりやすい性格をすら彼にみとめるであろう、それでおびただしいさまざまの個人が次々に彼から展開されるであろう。人命の短さが人間の特質に関する多くの誤った主張へと迷わせるのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・第二章・四一・P.78」ちくま学芸文庫

これは何も冗談なのではない。八万年前、地球はどうだったか、という問いを含んでいる。そしてそのような地球的歴史感覚を体得して始めて、事後的に、八万年先の未来へ向けて取り組むことができる。

さて、前回引用した道元の言葉について、あえて「生の哲学」としてのベルクソンから引用するとすれば、こう繋げて考えることもできる。道元は記憶の「隙間」について考えていたわけでもあった。要するに、現代語訳すると「存在論的現象学」の観点から述べられていた。しかしベルクソンによると事情はこうだ。

「実験者たちによって確立されたのは、よどみのない読書は、まぎれもなく予見による作業であるという消息なのである。私たちの精神は、あちらこちらで特徴のあるなにかしらの徴候を拾いあつめ、間隙のいっさいを記憶イマージュで埋めてゆく。記憶イマージュが紙のうえに投影されて、じっさいに印刷されている活字にとって代わり、私たちに〔印刷されている文字を読んでいるという〕錯覚を与えるのだ。かくて、私たちはつねに創造し、たえまなく再構成されている。私たちの判明な知覚は、ほんとうのところ、閉ざされた円環に比するべきものであって、そこではイマージュ知覚は精神へと向かい、イマージュ記憶が空間中に投げだされて、両者はたがいを追いこしながら走りつづけている」(ベルクソン「物質と記憶・P.206」岩波文庫)

「徴候」「隙間」「記憶」「錯覚」「創造」「再構成」「両者はたがいを追いこしながら走りつづけて」、などがポイント。ベルクソンにおいては、何ものも停止しているものはない、ということが思考のうちに入っている。なるほど、しかし時代が違うのでは、と問い返すことはできる。だが、日本のような静的時間性を長く生き過ぎた小国にとって、先に近代化を果たした欧米からの圧力なしに、本当の動的対応ということが果たして可能だったかどうか、この際深く考え直してみたほうがいいとおもわれる。

ところで。昨日(十九年二月二十六日)、朝日新聞(夕刊)を見ていたのだがーーー。

ロシアでロマノフ王朝復活主義の動きがあるらしい。少し前に一度連載されてはいたけれども。現在、滋賀県に残っている「大津事件」当時のおそらく「遺品」であろうような「物品」をロシアに返せなどと言ってきたロシアの女性議員がいる。もっぱらロシア正教会の信徒であって、ロマノフ王家の末裔の一人かどうかは判然としないけれども、ロシア正教会信徒の中でも相当過激な部類であることは明らかなようだ。どこか夢を見ているようなことを言っている。だが議員はまったくの正気であるらしい。しかしせっかくの機会なのでおさらいしておこう。ニコライ二世当時、ロシアの銀行を牛耳り、教会を牛耳り、すべての国民を思うがままに、搾取したい放題搾取して享楽の限りを尽くしていたロマノフ王朝。そのような態度だからラスプーチンなどというただ単なる一人の「乞食坊主」に宮廷丸ごと乗っ取られてしまったのだ。危機を察したユスポフがラスプーチン暗殺に成功したときには、時すでに遅かった。帝政ロシアは自爆した。

なのになぜ、今頃になって「大津事件」当時の「物証」のような「もの」を返すとか返さないとかいう「ロマノフ王朝神格主義化」の動きがロシア側から提出されてくるのか。滋賀県という小さな県に残された歴史的遺産(たぶん)に関して、全世界に根を張るキリスト教会あるいはロシア正教会が圧力がましい言葉を上から語りかけてくるのか。何をいつまで根に持っているのか。ルサンチマン(反動的劣等感)ばかりは一人前というわけなのだろうか。それともただ単に「言ってみた」という様子見に過ぎないのだろうか。あるいは何らかの「物証」の「担い手」がその「物」である可能性があるので、仮に「貸して」-「欲しい」というわけなのだろうか。また、それは、いわば「それ」という代名詞で置き換え可能なものなのか。であれば「それ」はむしろ「それら」という複数形で語られるものなのではないだろうか。そしてもしそれらが端的に複数形なのであれば、もはや「それ」は、あるいは「それら」は、神と考えられる何ものともまったく関係がない。神というのは、それが複数形を取る限り、何らの神でもあり得ないからだ。では「それ」といえば単純な神なのか。そうともいえない。神は単純でもなければ複数でもない。数字で表わすことはできない何ものかでしかないからだ。となると、ロシアの女性議員が胸を張って滋賀県を相手に言語化している事柄は一体何を表しているのか。判別しかねるとしか言えない。なるほどロシア正教会にも言い分があろう。しかしそれはロシア正教会だけに通じる言語なのではなかったろうか。ロシア正教会の中だけで通用する秩序なのではなかったろうか。そしてその秩序は同時に秩序の一つでありはするが、秩序《そのもの》では何らない、といわれなければおかしな話になる。なぜか。たった一つの唯一の秩序があるのなら、どうしてローマ教会とロシア正教会と、別々に分裂しているのか。神は最初から分裂していたのか。それとも初めは一つだったが或る種のきっかけがあって、しかしとうとう分裂してしまったのだろうか。分裂があったとすれば、それは何を指して述べることができるのか。もし述べることができるとするなら、神は言語なのだろうか。神は言語なのだとしたら、文法とか規則とかに従って変化するのだろうか。神が文法とか規則とかを創作したというのではなく、逆に、神のほうが文法とか規則とかに服従してしまっているのだろうか。それなら言語、この、物質的にのみ形成されるほかない言語という物質に、そしてその下で、神は言語によって虐げられているというわけなのだろうか。ロシア語によって虐げられつつロシア国民の上に立って何かを語っているというわけなのか。そうなのだろうか。ロシア語の下で虐げられた神はロシア国民に向かってロシア語で語る。ロシア語に服従しつつロシア国民に向かって天上からロシア語で語りかける。ところが神が言語を語るということはいかにも奇妙なことではなかろうか。神の存在は言語化不可能ではなかったか。にもかかわらずロシアの神はロシア語の秩序に従う。世界の秩序の中の一つでしかないにもかかわらず、全世界秩序《そのもの》になろうとして、逆に仮面でもかぶっているのではとすら思われてくるのだ。そして同時に神は「逆に」という論理学用語を知っているとでも言いたいのだろうか。とすればロシアの神はロシア語以上に近代論理学について習熟していなければならないということを意味する。二〇〇〇年以上前に発生したキリスト教の神が、なぜヨーロッパの近代論理学を知っているのだろうか。神はどこかで机に向かって近代論理学を学んでいるのだろうか。むしろ神は学ぶ前に既に知っているものなのではなかったろうか。

だがしかし。なるほどロシアは戦勝国の一員だ。第二次世界大戦を立派に戦った大国の一つだ。しかし当時は「ソ連」なのであって、間違っても今の弱体化したロシアなどではさらさらない。ドイツを撃破したのはあくまでもスターリン率いるソ連軍である。で、フランス西海岸からのノルマンディー上陸作戦というのは、ドイツ兵士の本隊のほとんどすべてがノルマンディーを放棄してベルリンへ集結しつつあるのを見届けてから、事後的に、アメリカを始めとする連合軍が颯爽と乗り込んだというのが実相ではなかったか。そのときノルマンディーにはほとんど近所のおっさんおばさんばかりによって組織された、いわば「ただの素人」しか残されていなかった。本格的に武装した連合軍が勝利するのはわかりきっていた。相手はそこらへんの近隣住民がほとんどなのだから。なのになぜ、今頃になって、再び「ロマノフ」なのか。さっぱりわけがわからない。ロマノフ王朝復活による神秘主義的グローバル資本主義など考えてみただけでもおぞましい。それこそ本当の皇帝主義的帝国主義の復古主義的覇権主義以外の何ものだというのだろうか。対抗手段はあるのだろうか。その点について考えていこう。

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道元の疑似体験

2019年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム
たわけたものだ。いい加減に回線を切らなければならない。それほどまでに違法ドラッグ体験がどういうものか知りたいというのなら、たとえば、こういうものだ。

「時は即ち存在であり、存在はみな時である。ーーーまさに存在は時間であり時間は存在である以外にはないのであるから、それぞれの存在と時間は時の全体であり、有るところの存在、有るところの現象はともに時である。諸々の時に有の全体・領域の全体が有るのだ。ーーー松も時である、竹も時である。時とは飛び去るものとだけ理解してはいけない、飛び去ることが時の活(はた)らきとだけ考えてはいけない。時というものがもしも飛び去るだけであったなら、飛び去った跡に時ではない隙間が出来るはずだ。ーーー全世界にあるところの全存在は、連なりながらも時である。時は即ち存在であり存在はすべて時であることによって我が実存は時である」(道元「現代語訳 正法眼蔵2・第二十・有事・P.85~89」河出文庫)

危険な密教的部分は省いた。さて、道元が語っている経験はかつて「離人症」〔解離性障害=Dissociative Disorders〕と呼ばれていた。いわゆる「全共闘」運動が華やかだった頃。アメリカ経由で違法ドラッグが流行していた。同時にLSD密売も流行した。しかしなぜLSDなのか。

道元がいっていることは「離人症」〔解離性障害=Dissociative Disorders〕を発症した人々の体験に大変似ている。LSD体験もまた。しかしそのことを知ったのは日本人ではない。ハイデガー門下のドイツ人である。ドイツ人学者から日本人精神科医(木村敏)が教わった。「そんなことなら、とっくの昔に道元がいっているのでは」、と。欧米の研究者の博学ぶりは東アジアの研究者の常識を遥かに上回っている。それまで日本人は、道元の仏教哲学について、自分で自分自身が一体何をやっているのか、さっぱりわかっていなかった。逆輸入という迂路を経て始めて飲み込めた。しかしその時点ではまだそれでよかった。

ところが、九〇年代バブル終焉とともに、そのことを知った人々の中からカルト教団ならびに地下鉄サリン事件発生という一大不祥事を招くこととなった。日本仏教界としては痛恨の打撃だった。だからもう、やめなければいけない。総懺悔しなくてはいけない。いつまでそのような横柄な態度で居直り続けるのか。自分で自分自身がしっかり教義の内容とその応用とを叩き込んでおかないから、問いに答えるという姿勢ができていないから、あのような迷走した半端者を出現させて死刑執行にまで至らせてしまったのだ。

ところが道元の発見はどう考えても未だ二元論の次元に留まっている。ヘーゲル=ハイデガーの線を超えるところまでは行っていない。同様の次元に接しているとだけはいえるとしても。そしてそれは道元が打ち立てた「只管打坐」(しかんたざ)という行為のうちに、或る一定の時間に限り、得られる極めて特殊な体験でしかないにしても、である。もっとも、そのような「離人症」〔解離性障害=Dissociative Disorders〕体験の神格化は歴史以前の古代から或る種の儀式とか放浪とかを通して世界中に存在してはいた。だが近代になった。するとその類種をも寄せ集めた神秘的体験の絶対化という態度を共有する組織化が行われ始めた。神秘的高揚感とそれを流用した政治的宣伝が、かつてロシア・ロマノフ王朝(ラスプーチン登場・銀行掌握)を、ナチス・ドイツ(党大会)を、大日本帝国(神仏集合的全体主義)を、率先して支援していった否定できない歴史的過程を発生させた。そしてハイデガーは哲学的側面からナチス・ドイツ成立に理論的根拠を与えることになったにもかかわらず、敗戦後、一切の「謝罪」を拒んだ。とはいえ、ハイデガー哲学にはそれなりの意味と意義とがあることは当然認めなければならないが。

種明かしをすれば、「只管打坐」(しかんたざ)という行為を通して道元が経験したと思われる「離人症」〔解離性障害=Dissociative Disorders〕体験とは、いわゆる「トランス状態」の一種に過ぎない。が、長時間続くようなら、結局のところ、病院行きという迷惑行為にしかならない。他の患者にとってははた迷惑この上ない。一般の警察にとっても。というのは、トランス状態を適時適切に取り扱うことができるのは精神科のみであって他のどの諸機関でもないからだ。それについては警察官らのほうがよく知っているだろう。泥酔しきった酔っ払いを取り扱うのとほとんどかわらないのが現実だからだ。しかしさらにいえば、本当に道元に学びたいというのなら、まずはごく当たり前の学問と社会常識とを学ばねばならない。そしてさらに道元的地平を目指したいという場合に限り、生涯にわたる一切の酒断ち並びに性交断ちを覚悟の上で摂取できうる仏教教義に少しづづ触れていくのが妥当だろうと考える。もし生涯にわたる一切の酒断ち並びに性交断ちについて自信がないというのなら、つまり「子作り」はもちろんのこと自慰行為すらも一切しないという態度を保持できないと考えるなら、ヘーゲル=ハイデガーの線を「只管打坐」(しかんたざ)という行為だけで超えようとしても超えられないし、超えたと信じることはできてもそれはただ単に自分で自分自身による絶対的思い込みという夢想の中を無邪気にはしゃぎ回っているだけのことに帰着するばかりだからだ。それだけではただ単なるトランス状態を経験することはできても何ら仏教を学んだとはいえない。むしろトランス状態という神秘的体験を通して、かえってファシスト化してしまうのがなれの果てだ。そういう人々は今なお精神病院に少なからずいる。ただし精神病者がいけないといっているのではない。そうではなくて、精神病院しか行くところがなくなる、というごく平凡なありふれた事実を述べているに過ぎない。そして同時に、精神病者を生む社会とは何か、精神病者を生む社会の成立条件とは何か、という根本的問いが問い直されなくてはならないだろう。たとえば、なぜ彼ら彼女らは違法ドラッグにはまったのか。あるいは入退院を何度も繰り返してしまうのか、といった具体的事実の検討。

だから、生涯にわたる一切の酒断ち並びに性交断ちというハードルを超えられないとおもうなら、始めから止めておくほうがいい。古い用語を用いると、「覚悟」、というものが必要だ。あるいは違法ドラッグも所詮は錯覚の多次元性の体験に過ぎない。LSDはただ単なる遠近法的錯覚のうちに、ただ単に自分だけで自分自身の安らいを安らっているに過ぎない。したがって、なおのこと違法ドラッグの使用などよりもむしろベルクソン哲学の再発見を推奨したいとおもうわけだ。

もしかしたら、あるいは周囲から「サイコパス」と呼ばれるかも知れない。「生の哲学」にとって、その可能性は常にある。しかし違法ドラッグを用いるよりも、「生の哲学」に没頭するほうがどれほど有効かつ効果的か、いまなお測り知れない生きた流れの非-国籍性を持つ。そしてその可能性の射程が、いまではどんなに幅広い分野へ応用可能か、よく理解できるかとおもう。実験とはこのような、地味ではあるが多彩な可能性に満ちた、日々の生活態度を指していうのだ。

次のセンテンスは音楽を例にとって述べられた部分。具体例としてはベートーベンの弦楽四重奏曲(後期の幾つか)がよいだろう。ピアノだけとかヴァイオリンだけとかの話ではないので。

「純粋持続とはまさに、互いに溶け合い、浸透し合い、明確な輪郭もなく、相互に外在化していく何の携行性もなく、数とは何の類縁性もないような質的変化の継起以外のものではありえないだろう。それはつまり、純粋な異質性であろう」(ベルクソン「時間と自由・P.126」岩波文庫)

そのようなわけで、今日もまた早く睡眠する。他者もまた、睡眠しよう。

「Connecticut<Connect(接続せよ)ーI(私は)ーcut(切る)>と、幼いジョーイは叫ぶ」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.52」河出書房新社)

なお、「時間と自由」は一八八九年発表。日本でいう明治二十二年。徴兵令改正。三池鉱山三井に払い下げ。憲法発布式典。森有礼文相刺殺事件。大隈条約改正案をロンドン・タイムスが暴露。大同団結分裂。秋田魁新報創刊。大槻文彦「言海」発刊。東海道本線全通。呉・佐世保両鎮守府開設。第二インターナショナル・パリで結成。大隈外相爆弾テロ。板垣退助ら愛国公党結成。山県有朋内閣成立。夢野久作生まれる。石原莞爾生まれる。奥村土牛生まれる。岡本かの子生まれる。和辻哲郎生まれる。柳宗悦生まれる。チャップリン生まれる。ヒトラー生まれる。ウィトゲンシュタイン生まれる。山本宣治生まれる。内田百閒生まれる。三木露風生まれる。室生犀星生まれる。南原繁生まれる。ハイデガー生まれる。久保田万太郎生まれる。佐々木茂索生まれる。リラダン死去。ブラウニング死去。北村透谷「楚囚之詩」発表。幸田露伴「露団々」発表。山田美妙「蝴蝶」発表。

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「生前贈与」に関する一考察

2019年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム
相続に当たって考えておかねばならない。様々なことども。その、ほんの一部について。

(「死後の手続きはこんなに大変です」「おとなの週刊現代・2019Vol.1・P.90」講談社)

五十一歳のうつ病者として「感想」を少しばかり述べたい。

多剤併用。うち、十年以上に渡って「厚労省が発表した『高齢者が注意すべき薬』①」に含まれる薬剤を三種類服用している。突然中止すると離脱症状が出る。何度か経験した。顕著な離脱症状は主にベンゾジアゼピン系の薬剤に関する。「いらいら」「不眠」「字が書きにくくなる」「パソコンが打ちにくくなる」「便秘」「食欲不振」「無気力」「無関心」「動けなくなる」「寝たきり」など。

で、どうすればよいのか。実際にあらかじめ試してみて、常日頃から備えておくのが最もよいだろう。とはいえ、離脱症状が生じてくると昏倒してその場で突然倒れてしまう人もいる。だから、ひやかしに試してみるのは考えものだ。なので、ここでは実体験しか語ることができない。それでよければ語ろう。以下。

(1)処方箋薬の離脱症状の場合

いわゆる「半減期」を過ぎるのと時間的に並行して「字が書きにくくなる」「パソコンが打ちにくくなる」「不眠」「顔の筋肉に力が入らない」といった症状が顕著に出現する。一見、矛盾した症状のように見える。しかしこれがうつ病者の現実。さらにこれらの離脱症状は、特に職場で仕事をしている人の場合、よく実感できるとおもう。だが処方箋薬の場合、薬の成分が体内から排出されて約四~五時間を過ぎれば、身体の調子はだんだん改善されてくる。しかし元に戻るといってもそれはもともとの「うつ病状態」に戻るといったことでしかない。したがって、何か他の薬剤に切り換える方向を選択肢として考えておくほうが無難だろう。それなら多剤併用しつつ徐々にどんな薬へどのように切り替えるのがよりベターなのか、把握できるかとおもう。また、個人的に言えば、「うつ病」より深層に「アルコール依存症」を抱えてもいる。次にアルコール離脱について。

特に高齢者の場合、たいへん困難だ。というのは、アルコールが体内から抜けた後もいつも何らかのアルコール関連症状(譫妄・脱力・硬直・手足の震え・寝たきり・易怒性・多弁など)を呈しているため、その病的症状を抑えるための薬の投与が逆に譫妄状態を深くさせたり、いつまで経っても寝たままだとか、まだ午後七時だというのに突然ベッドでいびきをかいて寝始めたと思いきや、急にはたと起き出してベッド脇に設置してある転倒防止用の金具を乗り越えて朦朧状態のまま床に頭から転げ落ちると同時に再び眠りこけてしまう、といった危険な行為を何度も繰り返すからだ。かつてアルコール依存症治療で専門病院に入院した時、周囲の約三分の一がそのような高齢者であって、脱アルコールの困難をじっくり見ているので、その辺りの処置方法はよく知っている。もしこれを一つの世帯の中だけでやろうとすればおそらく家族全員が介護のためだけに過酷な疲労に陥るだろうことはわかり過ぎるくらい痛切に感じた。なんだか今日は言動がおかしいように見えていた日の夜中にその高齢者の様子を見に行くと、どうやってやったのかわからないが、案の定、ベッドとベッドの間に糞尿している始末。さらに自分の糞尿の上に横たわったままぐっすり寝入っていることもしばしば。発見次第、看護師詰所にわざわざ報告しに行かなくてはならなかった。

また入院患者のうち、多くは四〇代後半〜五十代。そして四、五十代〜六十代のうちにほとんど死亡する。そのうちの生き残りが約三分の一に当たる高齢者(七〇代以上)ということになる。そのような現場での壮絶体験を目の当たりにしたのは自分自身が二〇代後半だったせいかもしれないが、観察できる余裕が残っていたし、よく覚えている。ふりかえって述べられる点だけを述べたいとおもう。

(2)アルコールの離脱症状の場合

いわゆる「半減期」というものは存在しないと言うのが正しい。体内のアルコール代謝時間は、アルコールを受け付けるタイプの人々とそうでない人々とに区別できる。しかし依存症化している場合、その区別はまったくといっていいほど、ほとんど無意味。アルコールの場合、基本的に、摂取したアルコールが体外へ排出されるまでに約二十四時間程度かかる。さらにそれから、約二十四時間、様子を見る。合わせて四十八時間。この間にアルコールに特有の離脱症状が出現するか、出現し始める。したがって一般的には処方箋薬からの離脱期間より倍以上の長時間を要する。離脱症状は諸々の症状のパッチワークを呈すると言ってよい。精神病に類するありとあらゆる多彩な症状が出現する。だいたい三日は見ておくほうがいいだろう。ただし三日を過ぎて何もなくても、四日目になって始めて突如として暴れ出したりすることもあるので、慎重を期するとなると、約一週間は必要だろうとおもわれる。アルコール離脱は高齢者になればなるほど厳しいのが現実。だから七〇代以上の高齢者の断酒となると必ず一度はほぼ失敗する。しかしまた飲み始めるとさらに苦しく全身の震えを伴う長時間の離脱症状をくぐり抜けなければ脱アルコールの見込みはほぼ完全に不可能となる。「人生百年時代」など夢のまた夢になるほかない。あるいはアルコール経由で他の病気を患う。いくつか上げてみよう。

「肝臓癌」「脳萎縮」「脳血栓」「糖尿病」「ウェルニッケ脳炎」「コルサコフ症候群」「腎臓癌」「膵臓癌」「喉頭癌」「舌癌」「食道癌」「胃癌」「十二指腸潰瘍」「認知機能障害」「アルコール性統合失調症」などが代表的。「胃潰瘍」の場合では手術で全摘出するという方法もあるが、全摘してしまうと次にアルコールを飲んだ時、胃での一旦停止を経ないので、直接的にアルコールが全身に染み渡る。そのとき、この上ない快感が全身を駆け抜けるということは病者のあいだでよく知られている。禁止薬物以上の快感を得られる。だから、一度違法ドラッグにはまった経験のある人々がなぜか違法ドラッグではなく、あえてアルコールに戻ってくることがあるのか、ということは胃の全摘を経た患者なら誰にでもわかることだ。

また、iPS細胞で胃を再現して胃を復活させることは可能である。肝臓を復活させることも可能である。しかし、せっかく再現させただけでなく将来的にはヴァージョン・アップ可能なiPS細胞であっても問題は残る、というより、問題自体が回帰・反復して出現してくる。なぜか。人間は一度記憶した快感を忘れることができない。したがって、たった一度であっても依存症を患った人々は、すべての内臓を復活させたとしても、むしろなおさら、ヴァージョン・アップされた内臓を用いて、ただし胃だけをとっとと機能不全へ追い込んで手術で全摘してしまい、再び違法ドラッグの効果を遥かに凌駕するアルコールの直接的摂取という快感を反復させるばかりだろう。そしてただ単なる「廃人」と化して一切の動きを停止させるまで、より以上の快楽獲得へと意志する、もはや人間でありながら人間でない状態へ至ることを欲しさえする、ということを見越しておかねば何一つはかどらないことは目に見えている。あらかじめ「人生百年時代」を創設して医療現場からより多くの医療費のうちの税収に当たる部分をまんまと国庫へ蓄積しようという政府の考え方は、だから、薬物依存者とかアルコール依存者とかギャンブル依存者(脳機能障害)にはまったく当てはまらない。そして今後はその中へネット・ゲーム依存者(脳機能障害並びに病的引きこもり・易怒性・DV)がどっと大量流入してくることになるだろう。酒はなるほど日本の文化の一端を担ってはいる。だが、酒だけが日本文化なのだろうか。もしくは飲酒が。よほどの馬鹿でない限り、酒は嗜むものであり、けっして日本文化の中心ではないと答えるだろう。仮に中心があるとしても、それはいまの天皇制のようにあくまで「空虚」な何ものかなのであって、ただ単なる「アル中」が強制性交を犯した後で満足気に旺盛ないびきをかきながら大の字になって眠りこけている場所ではない。

しかしマスコミ(特にテレビ)は立場上、スポンサーを背後に持っているので、その現実について事実を報道することはできない。さらに社会・福祉部門の切り離しを計画しているNHKの悪質極まる組織的体質などはもはや論外と断定するほかない。かといってネットでの書き込みは余りにも不十分かつてんでばらばらだと言わざるを得ない。その点は何度でも繰り返し心得ておく必要がある。にもかかわらず、病者であっても当然、たった今上げた様々な病気の諸症状を抱えた状態で煩雑な法的手続きにのぞむことになる。しかしこのような調子では家族会議にすらまともに出られない。出られたとしても言いたいことがなかなか上手く言えない。しかし筆談という手段があるのでは、と人々は思うかも知れない。なるほど筆談は可能だ。ただ、書かれた文字はほとんど象形文字と化してしまっていることがよくある。誰がその象形文字を解読するのか。親族かその代理人かそれとも司法書士か。むしろ患者は、自分は自分自身の考えていることをはっきり表明していると言っているか少なくとも書いている、と錯覚している場合が珍しくない。依存症を患う高齢者のケースでは周囲が気づいたとき既に時遅し、というパターンが余りにも多過ぎる。そうして、たとえ法廷に持ち込まれるとしても、余りにも粗雑な発言や妄言が含まれてくるため、法廷の機能自体が機能停止を余儀なくされるといったことまで生じてくる。すると親族のあいだでさらなる衝突が起こる。馬鹿馬鹿しい状況を通り越してもはや白けきって呆れるほかなくなるという珍現象を呈する。それでもなおNHKはそんな単純な将来像すら隠蔽することに奔走しつつある。NHKが以前と変わらぬ役割すら放棄してしまったら、ではどの放送局がスポンサー抜きに、何をいかに報道することができるのか。

ちなみに、「何をいかに」、という部分。このことの重要さをロシア全土に知らしめた歴史的人物のことを忘れ去ってしまっているのではなかろうか。その人の名はレーニン。マルクスとかエンゲルスとかの研究ばかりでなく、つい先日述べたフォイエルバッハについての研究で、マルクス=エンゲルスによって葬り去られたはずのフォイエルバッハが、実はいかに重要な哲学的問題を掘り下げて研究していたか。それについてはレーニン自身が「哲学ノート」の中で驚きをもって述べている。もし今の日本のNHKが仮にレーニン以上の頭脳と努力を惜しまないというのであれば、あるいはNHKにもまだ未来が残されているといえるかも知れない。が、そのような平穏無事な時期は過ぎ去った。ネットとかワイドショーで話題になっているというだけで実際は公式の場(国会での参考人招致など)で何らかの質問を受ける立場に立たされたわけではないのに、「忖度」に関して「それはない」とそそくさと言い切った。断言した。考えが足りないとはそのような、自分の頭の中だけで浮き足立ち慌てて先走った、反省なき横着な態度をいうのだ。受信料の徹底的支払い義務を目指しているにもかかわらず、である。「忖度」は頭の中だけで「推し測る」ことしかできない。外部からは可視化不可能。ゆえに実際に「ある」にせよ「ない」にせよ、いずれにしても「わからない」としか言えない。もっといえば、実は、「なかった」とも言うことはできない。言語的指示があったとかなかったとかいうケースなら問い詰めることはなるほど可能だ。しかし言語的指示ではなく「忖度」の場合、「以心伝心」という過程が割り込んでいるかあるいは割り込んでいないかするため、言葉で問い詰めてみても、相手は都合次第でどうとでも「ある」または「ない」と平気で言えてしまうものでしかない。そのような仮説の域を出ない事項について真面目に会見を開いてしまうNHKという組織が今度は問題にされなくてはならない。というか、すでにNHKはあてにならない、国民を裏切った、あえて右派の用語を用いていうなら「非国民集団」でしかない、というほかない。残念だが、むしろ逆に、期待していた側が馬鹿なのだと宣告されているようなものだ。

戻ろう。疾患として「癌」とか「腎臓病」とかの場合、主に内科を受診しているケースがほとんど。そうするとアルコールから離れるという第一の予防を怠ることに繋がるし、実際、そうなっているケースは今なお圧倒的に多い。手術中に離脱症状が出現してきて慌てて手術中止になり、改めて精神科を受診するという二度手間を省くためには日々の生活ルーティンの見直しが不可欠。だが今では様々な精神的病気を患っている人々は色々いるため、初診まで約三ヶ月待ちという医院が少なくないのが現状である。さらに、ネット検索しただけで自分で自分自身を単純に自己診断してしまうのは本当に考えものだというほかない。しかし、長々と述べてきたのにはわけがある。第一に、薬とかアルコールとかは、もはや日本人の日常生活に密着してしまっているということ。第二に、それゆえなおのこと、すでに「生前」のうちに備えておく手続きの必要性が大量増殖してきたこと。いわゆる「団塊の世代」の大量退職に伴う問題点。

しかしなぜ、まだ生きているうちに、このようなことを考えておかなければならないのだろうか、と思わないわけにはいかない。だが特にアメリカで、しかし日本でも、すでに「生前贈与」が基本定型化しつつある傾向を踏まえ、考えておきたいことがどんどん出てきた。ちなみに、あえていえば、個人的には異性愛世帯であってLGBT世帯ではないけれども、しかし「子どもがいない」世帯なので、次のことに触れておく必要がある。自民党所属の某国会議員による予告殺人的発言によって有名になった「子どもがいない」=「生産性がない」世帯にとってはのっぴきならない注意点。

(岡信太郎「子どもなくても老後安心読本・第三章・P.52~79」朝日新書)

ページ数をピックアップした第三章「『たすき掛け遺言』の作成」。たいへん参考になる。遺言書の作成は今なお最も有効な法的措置だといえる。しかし、それだけで大丈夫なのでは何らない。まだその先の手続きが続々とあるわけだが、それは第四章以下を参照してほしい。

また、アメリカ発祥の「信託制度」について、一つの特集記事あるいは一冊の新書があってもよいのでは、とおもわれる。信託制度は今、日本でも東京を中心に主に首都圏で選択されつつある。全国では一〜二割程度。社会の成り立ちそのものが複雑なアメリカ発祥の制度だけあって、「生前」という観点から合理的検討が加えられており、一考の価値がある。もちろん遺言書だけでは不安材料が残るといった場合などは特に検討してみる価値を有する、と述べるに留めておこう。

さて、いつもの哲学に戻ってきた。時間的制約は常にある。ベルクソンから一言だけ。

「知覚が脳内にあるのではない。脳こそが知覚群のうちに存在するのである。ーーー身体とは、だから、受容され、送りかえされる運動が《通過する地帯》であって、私に作用する事物と私が作用する事物とのあいだの連結点である」(ベルクソン「物質と記憶・P.301」岩波文庫)

この中で、「私に」《と》「私が」とのあいだに、截然とした区別が設けられていることに着目したい。ニーチェはいう。

「私はと私をとはつねに二つの異なった人格である」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一六四・P.99」ちくま学芸文庫)

そしてこのことは文法の問題だとも言いうるが、ニーチェは単にそれだけをいつまでも考えているほど馬鹿ではない。もっと別の次元への応用を踏まえて言っていることは確実だ。いわゆる「総力戦」は第一次世界大戦をもって始まると思っているほんの一部のぼうっとした馬鹿にとっては、なるほどただ単なる文法問題の枠内に留まるほかないかも知れない。しかしニーチェの場合、明らかにヘーゲルのいう「飛び道具」(鉄砲・大砲)の発明への言及(「飛び道具は個別的なもの<=個人的人間>にではなく一般的なもの<=所与の社会>に狙いをつける」)が頭の中でいつも表象されている。そのような「歴史哲学講義」内での歴史認識を十分に意識していることを踏まえて、それとともに考えられるべき問いだろう。

ところが人間社会はまだまだそこまで到達していない。にもかかわらず、使い方を学ぶ以前にそれら「飛び道具」を先に手にしてしまった失敗作が人間なのだ、という真相を真摯に受け入れねばならない。原爆投下はその実例の、わずかではあるが、相当決定的だったものの一つに違いない。その前後、細菌とか有毒ガスとかの兵器への転用が検討された。実施されもした。そして禁止されはしたが、いまなお人間は弱い。武器を全面的に放棄してしまうには余りにも弱すぎる。下劣すぎる。というより、人間=下劣それ自体ではないのか、と問い直したくなるほどだ。ゆえに天上ばかり夢みていて、しっかり着地することを忘れてしまうのかもしれない。個人的には悪夢のほうが圧倒的に多いのだが。それはそれとして。

しかし、では、たとえば「飛び道具」がない時代。いわゆる「矛と盾」があった。しかし「矛」を失った兵士は「盾」を水平に持ち替えて「矛」として用いていなかったろうか。あるいは「盾」を失った場合、兵士らは「矛」を横棒状態に持ち替えて「盾」として戦わなかっただろうか。むしろ「たった一本の樹木」の使用でさえ、一定の場所を全面的に占領したことの証明として採用されてはいなかったろうか。このことはけっして矛盾ではない。そうではなく逆に、古代世界は無-矛盾的地平をありのまま生きていたと見るべきではないだろうか。

だからといって、LGBTに対する「自民党所属の某国会議員による予告殺人的発言」の余韻は、LGBTに対する「魔女狩り」的恐怖を与えたまま、余韻どころか逆にオーケストラのように国内中に響き渡り、さらなる増殖の余地を発散させている。総括の何たるかも忘れた政府与党。LGBTに対する「魔女狩り」的恐怖の予告は、ミハイル・バフチンがドストエフスキーの長編群について述べたように今やポリフォニー状態に達しており、なおかつカーニバル状態のようにちぐはぐな言説が俗世間と地方自治体を混乱に陥れて留まるところを知らない。見た目は静寂に包まれているが、この静寂は人々が判断停止に追い込まれ、発言の自由に対して感じ取っている仮の静寂に過ぎない。一方で予告殺人的発言で恐怖心を植え付けられ、もう一方でいわゆる知識人以外は何一つそれについて考え方を改めるという作業を停止されてしまった一般の人々はいわば行き場を失っている、ということは何を意味しているか。要するに、言葉を失っているのだ。言語が遠のく。暴力が近づく。

ところで新潮社は、場所を「新潮」へ移して作家とか批評家とかに広く論じる場を設定することで、かろうじて事態の収拾を図り、何とか事態を乗り切った形に持っていきはした。けれども、発端になった本人は今どこで何をしているのだろうか。また、そのような差別主義者を地域の代表者として国会へ送り出している選挙区民の頭の中は全世界から非常に奇怪な目でじろじろ凝視され疑われているということをどこまで知っているのだろうか。そもそも選挙区民は「生産性発言」が、グローバル化した世界の中でも極めて奇異な目で、動物園の檻の「外」に転がっているダニか何かでも眺めるかのような目で上から覗き込まれ面白がられているという現状を知らされているのだろうか。このままでは、少なくとも先進国間での今後の外交交渉は、多かれ少なかれ挫折の連続を経ていくほかなくなるに違いない。

ちなみに、先進的諸外国の国会議員の中にも差別主義者は当然のように複数いる。が、それは選挙民が、わかった上であえて一時的支持を与えているだけのことに過ぎない。選挙民は自分たちの目的が達成されれば、達成された瞬間、次には落選させることにするという暗黙の民主主義的伝統を持っているからこそ、そういうことができるのだ。あいにく日本にそのような伝統はない。むしろ丸山真男は皮肉を込めてこういった。

「心構えの希薄さ、その意味での《もの》分りのよさから生まれる安易な接合の『伝統』が、かえって何ものをも伝統化しない」(丸山真男「日本の思想・P.16」岩波新書)

なお、「物質と記憶」は一八九六年発表。日本でいう明治二十九年。オスカー・ワイルド「サロメ」初演。イギリス「デイリー・メール」創刊。明治三陸大津波。ダウ平均株価初公表。陸羽地震。川崎造船所(後の川崎重工)設立。金重陶陽生まれる。浜尾四郎生まれる。クローニン生まれる。宮沢賢治生まれる。アルトー生まれる。フィッツジェラルド生まれる。ヤコブソン生まれる。ヴェルレーヌ死去。ミレー死去。ブルックナー死去。樋口一葉死去。尾崎紅葉「多情多恨」発表。泉鏡花「照葉狂言」発表。

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ニーチェから見るフォイエルバッハ

2019年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム
思考はどこから始まるのか。あるいは思考はどこから始めるべきか。しかし、とフォイエルバッハは問う。

「しかし私がききたいのは、なぜ一般にそのような始まりをおかなければならないのかということである。いったい始まりの概念は、もはや批判の対象ではなく、直接に真実であり、普遍的に妥当なものであろうか。なぜ私は始まりにおいてまさに始まりの概念を廃棄できないのか」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.130~131』岩波文庫)

なぜ「始まり」をおかなければならないのか、と。あるいは「始める」ということについて、なぜ「概念」というものを想定しなければならないのか。あらかじめ想定されているのなら、それはもう既に「始まってしまっている」ことであって、本当の「始まり」でもなければ「始める」という行為でもない、と述べる。

「思考は、思考の叙述に《先だつ》。叙述における始まりは、それにとってのみ最初のものであって、《思考にとってはそうではない》」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.143~144』岩波文庫)

ヘーゲルは「無」から始める。だがその「無」は、ただ単に「観念された」だけに過ぎない「無」である。そういうのはヘーゲル自身だ。問題なのは、観念されただけに過ぎない「無」であるとしても「無」というものを何らかの「イメージ」としてあらかじめ想定しているには違いないだろうし、むしろそうとしか考えられないだけでなく、そういう「無」であるのなら、「定立」(叙述)は既に「無」とは言えないのでは、ということになるだろう。ヘーゲルは「始まる」前にあらかじめ「無」を既得権として頭の中で所有している。次に続く「有」との総合をあらかじめ準備万端整えつつ。おもわず凝視しそうになる。

さらにここで、「叙述」、とある。ヘーゲルを念頭に置いている限りそれはなるほど「定立」を意味するのだろうが、しかし実をいうと、「定立」という概念そのものが既に怪しいのでは、とフォイエルバッハは疑義を呈する。そして弁証法について、フォイエルバッハはこう述べる。

「弁証法とは、思索の自分自身との独白ではなく、思索と経験との対話である。思考する人は、かれが《自分自身の反対者》であるという点においてのみ、弁証家である。自分自身を疑うということは、最高の技術であり力である。だから、もし、哲学または論理学が自分を証明しようと思うなら、合理的経験に、言いかえれば、哲学を否定し、それに反対する知性に、反論しなければならない。そうでなかったら、その証明はすべて《知性に対して》たんに《主観的な》断言にとどまるだろう」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.149』岩波文庫)

常に「主観的」でしかないヘーゲル弁証法に対する批判だ。が、独自の地位を要求できうることに着目したい。というのは、一つには、マルクスもエンゲルスも、まだこの時期は「青年ヘーゲル派」の一部でしかなかったからだ。フォイエルバッハなしに後のマルクスもエンゲルスも考えることすらできない。フォイエルバッハが彼らに遅れをとっていったのはフォイエルバッハ自身がヘーゲルを批判したというだけでなく、その弁証法をも捨て去ってしまったからだが。二つめに、フォイエルバッハの指摘には、弁証法とはまったく別の面で、何か言葉だけではまだ語り尽くされていないものが残っているように思えるからである。といっても神秘主義とは何の関係もない。神秘主義の仮面を剥ぎ取ったのはフォイエルバッハだからだ。ゆえに「ドイツにとって《宗教の批判》は本質的にはもう果たされている」(「ヘーゲル法哲学批判序説」)とマルクスは言えた。むしろ再発見の余地があるというに過ぎない。だがそれはおそらくとても大事なことだ。

ただ単なるヘーゲル批判だけなら、それこそ「観念」を「物質」に置き換える操作に慣れるだけのことであって、誰にでも可能だろう。マルクスはその上でさらにヘーゲル弁証法自体は保存して逆に活用した。そこにマルクスの思考の尽きることのない底力を見ることができる。エンゲルスはまた違っていて、マルクスに似てはいるものの、ただ単に機械的な概念操作に終わっている。しかし機械的な忠実さがなければ「主義としてのマルクス」は誕生していなかったかもしれない。ヘーゲルに対する二人の関連は結局のところ否定も肯定もできないもの、各自各様のもの、になるだろうとおもわれる。

それはそれとして。ヘーゲル哲学の過剰摂取をも含めて、それまで当たり前とされてきた「哲学」に対する根本的な疑い、という意味で、どこから何を「始める」あるいは「始まる」か、という問いを立てたのはフォイエルバッハの功績だろう。この点ではマルクスもエンゲルスも、或る特定の地点を設けてから「始める」という態度を取っていて、「始める」ということそのものの「うさんくささ」には疑問を呈していないようにおもう。それゆえマルクス「主義」というものに対する「疑問」が、「資本論」の冒頭部分(「価値形態論」)に及ぶということはかつてなかった。だがしかし、もしかしたら、あるいは「価値形態論」の地点からして改めて読み直すことが本当は必要なのではないか、という問いが問われるようになったのは第二次世界大戦後のことである。しかも日本ではいわゆる「全共闘」の時代、なおかつ外国からの現代思想輸入という迂路を経てやっとのことで可能になった問いだった。

フォイエルバッハはこうも言っている。

「《前提なしで》始まるただ一つの哲学は、《自分自身》を疑う自由と勇気をもち、自分の《対立物》から自分を生みだす哲学である」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.149』岩波文庫)

キリスト教神学を哲学の立場からあえて擁護し編成し直し作り変えたのがヘーゲル哲学であり、その批判は弁証法ごと一挙になされなければならない。そうでなければ理論は常に堂々巡りを繰り返すばかりだ。したがって思考は「前提なしに」思考しなければならない、という取り掛かり部分をつかんだのはフォイエルバッハなのだ。ところがフォイエルバッハは自分で自分自身を過去のものにしてしまった。なぜそうなったのか。マルクスが指摘するようにフォイエルバッハは頭の中だけでものごとを転倒させたに過ぎない、ということはできる。だが、何をいかに「始める」のか、あるいは「始まってしまう」のか、ということの自明性にまでマルクスが気づいていたとしても、マルクスはそこでいったん停止することはできなかった。時代が許さなかったということもあるだろう。なので、「始める」ことの自明性をフォイエルバッハ以上にマルクスが疑ったとは言えない。どちらが偉いとか偉くないとかは別問題だ。ともかくマルクスは「商品」の自明性を疑うところから「始める」ことにした。それは価値形態論の中で「貨幣」の自明性を解体することに成功した。貨幣へと収斂する過程があるとすれば逆に貨幣を脱中心化することもできるというアルチュセールの理論をも発見させることに貢献した。しかしアルチュセールは脱中心化に成功しはしたが、貨幣の動きを止めてしまった。要するに構造化してしまった。時間を停止させてしまったも同然だった。構造化は構造主義と化してはならなかったのだが、かといって、そうしないわけにもいかなかった。思想はそこまで安直に飛躍することはできなかったというべきだろうか。しかしそこで皮肉にも思想家としてのアルチュセールは息絶えたといえるかもしれない。

それと前後して、フーコー、デリダ、ドゥルーズらが出てきた。最も嫌われていたのが実はドゥルーズだった。左右両極から「うさんくさい」と見られていた。両極のあいだを選択する中立主義とか折衷主義とかだったからではなく、むしろ端的な「アナーキスト」に映ったからだ。それは政治的連帯とか宗教的派閥とか経済的団体とかに顕著に見られるようなとかく硬直しがちな組織形態にとって、何より煙たがられる志向性である。アナーキズムは一切の階層秩序を認めない。したがってありとあらゆる「組織的拘束」とか「組織的規則」とか「組織的権威」を認めない。だから他の、どうしても幾分かは組織的であらざるを得ない政治的・宗教的・経済的諸団体はドゥルーズを敬遠することにした。おまけに公的な学術機関からは当然批判の的とされた。権威ある学術機関(とりわけ大学組織・なかでも大学院生とかその卒業生らによる「正統派」という権威者)の諸論文を眺めていておもうことは、本当にドゥルーズ批判を欲するのであれば、ベルクソンを適切に読解して対峙することではなく、フロイトを適切に読解して対峙することでもなく、ニーチェを適切に読解して対峙することでもなく、マルクスを適切に読解して対峙することではさらになく、もちろん学術的科学を総動員して援用しつつ「大学的知の領域」からドゥルーズの間違いとか取り違いを適切に読解して指摘して排除することでもない、ということである。いわゆる「正統派」の立場からドゥルーズを断罪することで逆にドゥルーズの捉えどころのなさという戦略に翻弄されるばかりか、むしろ公的学術機関というおぞましい権威主義的「正統派」という排他的セクト主義〔思想的民族浄化=思想的ホロコースト〕に、かつて以上に陥ってしまっているように思われて仕方がない。

言うまでもなくドゥルーズ的アナーキズムは「正統性」というプラトニズム/神学的哲学の系譜に裂け目とか分裂とか接続とか解離とかを施しながら、その解体あるいは差異化を目論む諸力の運動なのであり、またその限りでいつも起動している恒常的連動的多様体としての非-正統性なのだ。ドゥルーズはいつも俗世間が愛顧し依存して止まない大学の「学的正統性」の外に出たがっている。マルクス、ニーチェ、フロイト、ベルクソン、フーコー、デリダらとは当然のように違っていて当たり前なのであり、その違いは、ニーチェとベルクソンとが違っているように違っている。むしろ両者を混合させたり分割させたりした結果、そうならざるを得なくなったスピノザのようなものだ。狂気に関心を持ちつつも本当の狂人にはなれない哲学者という諦観がいつもある。そしてアナーキズムは相手がどのような組織であれ、組織的である以上、それを反語的に告発せざるを得ない。黙殺するのだ。ドゥルーズ的無政府性は、「学的知の正統性」がいつも身にまとっていて離さない権威主義的体質が近寄ってくると近寄られたぶんだけ離れる。「学的知の正統性」が組織する組織の規律と権威者とが、結局は実在し、貢献し、牽引することすらまったく辞さないグローバル資本主義。大学とその研究機関を中心とする暴力的権力装置と「学的知の正統性」が、絶えずグローバル資本主義を率先して、はりきって意志しているという動かしようのない滅私奉公性。そのような「純粋正統性」という帝国主義的血統主義がもたらす自己固有化の動きからドゥルーズはあえて身をかわすことで他者を逆に歓待する。ドゥルーズ的なアナーキーな実践性においては、精神医学用語を用いるとすれば「譫妄」(せんもう)と混乱が、階調ではなく乱調とか混在とか雑婚とかがいつも優先される。学術機関関係者らはその余りの自由さに何か「不埒奔放」なものをじわじわと感じ取る。言い換えれば自由さに対して大学側はいつも「ルサンチマン」(反動的劣等感)を抱かざるを得ない。その瞬間、多くの公的学術機関はドゥルーズに対して思想警察化していることを忘れてしまっている。そして一般読者としては、危険なのは一体どちらなのか、むしろ思想警察化した学術機関の側ではないのか、という疑問を抱かざるをえなくなる。

だが今や二十一世紀に入って二十年近くになる。そうするとフーコーとかデリダとかの理論を越えて哲学的にはっきり要求されだしてきたことは、ドゥルーズとガタリが語り合い出すとともに見いだされた「リゾーム」理論の超-距離的有効性とそのスピノザ的変態性という極めて応用範囲の広い柔軟性なのだ。インターネットという当初は軍事的目的から開発されたシステムによる世界的再編という時代に到達した今、ドゥルーズとガタリは「始まりもなく終わりもない」思考について思考する。この態度は、いわば「偶然に賭ける」、ということでもある。ちなみに、七十年代すでに、世界は徐々に「リゾーム」化していくだろうと考えていた日本人もいて、それは中井久夫(故人)なのだが、当時はほとんど見向きもされなかった。

さて、「偶然に賭ける」とは、必然性を排除することではない。世界は常に既に繋がっている。グローバル化を果たした。その意味ではスピノザ化した世界だ。しかし宇宙論的に繋がってもいるという意味で、スピノザはスピノザでもそのニュアンスはがらりと違ってくるだろう。そしてもはや後者のほうが遥かにスピノザだと言ってよい。スピノザはまた、すべてが繋がっているということはあらゆるものが錯綜しつつ多様体として連動しているということでもあり、繋がっていること、あるいは錯綜しつつ多様体として連動していることは、また同時にいつでもどこでも何もかもが好きなように切断可能/接続可能なのだということを指し示してもいる。なぜ地球でも宇宙〔地球含む〕でも、ましてや人間の脳内とか皮膚とかでも、いたるところで「接木」は可能なのか。可能なのだ。したがって「切木」も可能だ。「啄木」もまた。あるいは「根こそぎ」(例として「根Aと根Bとの切断あるいは交配」)はもっと強力かつリアルな意味で。それが理解されただけでも極めて大きな収穫だ。「エチカ」とはそう読まれるべき書物でもある。実際、そう読まれてきた。その「様式」で。「あらゆる対立を超えていく融合状態の多様体」として。次のように。

「<器官なき身体>に関する偉大な書物は、『エチカ』ではないだろうか。属性とは<器官なき身体>のタイプ、あるいは種類であり、実体にして力、生産的な母体としての強度ゼロである。様態とは、生起するすべての事柄、つまり波と振動、移動、閾と勾配、一定の実体的なタイプのもとで、ある母体から産み出される強度である。属性または実体の種類としてマゾヒストの身体があり、身体を縫うことから、つまり零度から始まって、強度が、つまり責苦的な様態が産み出される」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.315」河出文庫)

だがここではドゥルーズ&ガタリではなく、「偶然に賭ける」ということについて、ニーチェから少しばかり引用しておきたい。

というのは、驚くべき柔軟性をたたえた「神々」=「常に更新される規則・文法による支配」(公理系としての資本主義社会)は、必然であると同時に偶然でもあり得るほかない、という事実について、大変わかりやすいからということによる。この場合、人間はどこにいるか。「常に更新されつつある規則・文法による支配」(公理系としての資本主義社会)と述べた<ただなか>、「常に更新されつつある規則・文法そのものとして」(=<此性>の一分子として)、外延的には(始まりも終わりもない)変容する諸力の流動=宇宙の一分子として、内包的には(一人であっても)複数形の「諸力」として、《リゾーム》を生きているというほかない。

「わたしの頭上の空よ、おまえ、清らかなもの、高いものよ。わたしにとっておまえの清らかさとは、そこになんらの永遠的な理性蜘蛛(りせいぐも)とその蜘蛛の巣がないということなのだ。ーーーまたおまえがわたしにとって神的な偶然が踊る踊り場であるということ、神的な骰子(さい)と神的な骰子遊びをする者にとっての神的な卓であるということなのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・日の出前・P.264」中公文庫)

神は死んだのであり、神を殺害したのはほかでもない人間とその社会だ。「天空」とは或る種のイデオロギーに過ぎない。そしてそこから「多頭」の「骰子(さいころ)」が降りそそぐ。「多頭」とは同時に「無頭」を意味する(古代神話の常識)。一度に多数の言語が発せられるとき、その中のどの音声あるいは書物を取り出してきて「唯一の本物」だといえるのだろうか。むしろ本物などない、と言われるべきではないのか。その通り。ない、というより、なくなった。シミュラクル(見せかけ)とシミュレーション(複製)ばかりだ。オリジナルは消滅した。ところが、逆説的な叙述になってしまうけれども、オリジナルの消滅とともに、本物〔リアルなもの〕は常に物質として流動している。そしてそれは時として、いっときの「力」の集合でしかないが、ほんの偶然によって、或る部分で「一定の度合以上になる=一定の空間において拡張する」。そしてその拡張が、実に短いあいだでしかないけれども、モル的な「気の塊」(微分化された物質のほんの一時の集合)だとされるに過ぎない。この「モル的」な拡張はいったん拡張してその役目を果たす(例として「性の自由の獲得運動」)。と、すぐさま解体してまた別様に変態していくほかないわけであり、その限りで権利上、一時的な「力」の集合はあり得る。それでもまだ誰かが神秘的な「神々」による因果性の支配を信じるというのだろうか。

「わたしがかつて創造的な電光の笑いで笑ったとするなら(その笑いには、行為という長い雷鳴が、不平の声をとどろかせながら、しかも従順についてくるのだ)、ーーーわたしがかつて、大地という神々の卓々で神々と骰子(さい)の遊びを競(きそ)い、そのために地が震い、破れ、火の河流が噴(ふ)き出すに至ったとするなら、ーーー(つまり、大地は神々の卓であって、創造的な新しいことばと神々の投げかわす骰子とで震えているのだーーー)」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・七つの封印・三・P.372」中公文庫)

たまにはごく一般的なニーチェ論に触れてみよう。この「笑い」の発生源とは何か。「神々」の「骰子(さいころ)遊び」が行われている地球=「非-合理的世界」を、いとも安易に「神々による必然的創造物」としてしみじみ考え込みたがる人々の態度。

「内気な様子で、はじらって、足取りも拙(つたな)く、跳躍をしそこなった虎(とら)のような、高人たちよ、あなたがたが、こっそりとわきへ退くのを、わたしはしばしば見た。骰子(さい)の一擲(いってき)にあなたがたは失敗したのだ。しかし、賭博者(とばくしゃ)たちよ、そんな失敗が何だろう。あなたがたは、賭博者、そして嘲笑者(ちょうしょうしゃ)としての心がけを学んでいなかったのだ。われわれはいつも一つの巨大な賭博と嘲笑の卓についているのではないか」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・高人・一四・P.471」中公文庫)

ここで「嘲笑」とある。もちろんニーチェは真面目に皮肉をいっている。なぜか。人間は「骰子(さいころ)遊び」にすら失敗した、ということだ。だから、たとえば日本なら、近代をやりなおさなければならないし、やりなおすことができる、ということでなくてはならない。したがってまた、賭博台(世界)に向かって人間自身が骰子(さいころ)になり、その勝ち負けに関して超人的にむきになって怒ったり泣いたり復讐したりしようとするのは実に考えものなのでは、と問うているわけでもある。ニーチェのいう「超人」は、逆に、遥かにもっとずっと「軽い」。したがってフォイエルバッハによる「始める」ということについての慎重な疑念の中には、ニーチェ的な偶然性の必然的混入についてのささやかな心づもりが働いているようにおもえる。

なお、「ヘーゲル哲学の批判」は一八三九年発表。日本でいう天保十年。渡辺崋山・高野長英ら投獄(蛮社の獄)。水野忠邦老中首座。林則徐が広東でアヘン没収焼却。銀版写真発明。ベルギー独立。ブランキ主義者蜂起。プルードンら無政府主義広がる。葛飾北斎・歌川広重ら(浮世絵)活躍。セザンヌ生まれる。ムソルグスキー生まれる。高杉晋作生まれる。

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