カバラについてその成立の歴史的諸条件と転換点を中心に取り上げてきた。古代ギリシアのプラトン哲学からグノーシス主義、ユダヤ=キリスト教との関連、終末論=救世主待望論(メシアニズム)、魂の輪廻転生論、等々について触れた。しかしディオニュソスとオルフェウスとの関連をもう少し明らかにしておこう。
「シャーマンになろうとする者が陥る『狂気』、『心的混沌(カオス)』は、彼が世俗的人間としては『解体』しつつあり、そして新たな人格がまさに生まれ出ようとしていることを意味している」(エリアーデ「世界宗教史5・P.41」ちくま学芸文庫)
このような「狂気」、「カオス」、「解体」、について、エウリピデス「バッコスの信女」やヘロドトスの記述を例に上げて述べた。
「エジプトでは一般に豚を神に生贄として捧げることは禁じているが、ただセレネ(月の神)とディオニュソスだけには同じ時、すなわち同じ満月の日に豚を犠牲にしてその肉を食べる。エジプト人は他の祭礼では豚を忌むのに、なぜこの祭だけは豚を犠牲に供えるのかということについては、エジプト人の間に伝承がある。ーーーセレネに豚を犠牲にする儀式は次のように行なわれる。豚を屠ると、その尾の端と脾臓と大網膜(内臓を含む膜)とを集め、その豚の腹の周りの脂肪を全部使ってそれらを包み、火で焼くのである。残りの肉は犠牲の行なわれる満月の日に食べるが、日が変るともはや口にしない。貧民は乏しい家計がそれを許さないので、粉を捏(こ)ねて豚の形に作り、これを炙(あぶ)って神に供えるのである。ディオニュソスには、その祭の前夜、エジプト人はそれぞれ家の前で仔豚を屠ってささげ、その仔豚はそれを売った豚飼に持ち帰らせる。それ以外の点では、エジプトのディオニュソス祭はギリシアとほとんど全く同様に行なわれるが、ただギリシアのような歌舞の催し物はない。エジプト人は男根像(バロス)の代りに別のものを考案しているが、これは長さ長さ一キュペスほどの糸で繰る像で、これを女たちがかついでを廻るのであるが、動体と余り変らぬほどの長さの男根が動く仕掛になっている。そして笛を先頭に、女たちはディオニュソスの讃歌を歌いつつその後に従うのである。像がそのように異常な大きさの男根を具え、また体のその部分だけが動く由来については、聖説話が伝えられている」(ヘロドトス「歴史・上・巻二・P.222~223」岩波文庫)
「スキュレスはディオニュソス・バッケイオスの信仰に入信したいという望みを起した。ところが、彼が入信の儀式にかかろうとしている矢先、恐ろしい異変が起った。彼にはボリュステネス人の町に、先刻も述べたように宏壮豪奢な邸があり、邸のまわりには白大理石製のスフィンクスやグリュプスの像が並んでいた。この邸に神が雷撃を加え給うたのである。邸は全焼したが、スキュレスはこの異変をも物ともせず、入信の儀を終えたのであった。ところでスキュタイ人はギリシア人がバッコスの祭儀を行なうことを悪(あ)しざまにいう。人間を狂気に誘う神があるなどと考えるのは理にかなわぬ、というのである。それでスキュレスがバッコス教に入信した後、あるボリュステネス人がスキュタイ人を嘲ってこういった。『スキュタイ人どもよ、そなたはわれわれがバッコスの祭を祝い、神がわれわれに乗り移ってこられるのをいつも愚弄しているが、とうとうこの神様はそなたらの王様にも乗り移られたぞ。今はあのお方もバッコスの祭を祝い、神霊に憑(つ)かれて狂っておられる。私のいうことを信ぜぬのなら、私についてくるがよい、その証拠をそなたらに見せて進ぜよう』。そこでスキュタイ人の重だった者たちが付いてゆくと、そのボリュステネス人は彼らを密かに城楼に上らせ、そこに坐らせた。やがてスキュレスが同行衆とともに現われ、スキュタイ人たちは彼がバッコスの祭に加わっているのを目撃すると、大いに慨嘆し、市の外にでると全軍の将兵に自分たちが見てきたことを知らせた」(ヘロドトス「歴史・中・巻四・P.55~56」岩波文庫)
またアルトーは、シリアで行われていたディオニュソス祭をローマへ持ち込む際(古代ローマでは「サテュルヌナリア祭」)に、ヘリオガバルスが実演した光景について述べている。
「旋回し、様々な寛衣をまとった一個の男根が、太陽信仰のもつ黒い部分を強調しているとすれば、太陽の観念を地下へと導く騒がしい諸層は、物理的な手段で、それらの罠と鋭利な魅力によって、限りなく暗い観念の世界を実現しているーーーエメサで行われていたような太陽信仰を決定づけるこれらの観念は、ひとつの原理の宇宙的悪意にかかわるものであり、民衆が周期的に犯した過ちとは、その原理がもつ暗黒の部分を崇めることによって、事物のなかにある忌まわしい出口をその原理に与えたことであった。腹が二つの腿のまんなかに楔(くさび)のように入り込むとき、腿が形づくる逆三角形は、暗いエレボスの円錐を再現しているが、その不吉な空間のなかに、月の月経をむさぼる者たちにその点で手を貸す太陽の陽物像の崇拝者たちは、自分たちの興奮を導き入れるーーー。それはしたがって交接ではなく、死であり、どうしようもない光のなかに、神の一部分の失墜のなかにある死であって、これらすべての秘儀伝授の宗教はその無能な姿を、無能であると同時に悪意ある姿を明らかにしているが、ちょうど卑俗な実現の領域において己れの至上権を示すために、自分自身の一部分が鉛の重さをもって離反していくのを見ている黄金のようなものである」(アルトー「ヘリオガバルス・P.62~63」河出文庫)
象徴機能に着目しよう。「動体と余り変らぬほどの長さの男根(像)」、「狂気に誘う神」、「太陽の陽物像」、「暗黒の部分を崇める」、「死」、といった一連の言葉によって象徴されているものとは何か、が問題である。個々別々に個別的なものではなく、それらをその機能に従って統合し象徴化されたものの持つ力についてはジュネが言っている通りだ。
「実際の役には立たない見かけ倒しの凶器が、象徴となることによって、もっと危険なものになる」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.211」河出文庫)
「象徴的なナイフは、いかなる実際的な危険をももたらさないが、それが多様な空想的生活のなかで用いられると、犯罪への同意のしるしとなる」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.211」河出文庫)
「その刃は牛乳のように白く、やや流動性の物質でできていた。というのは、ナイフは切れるという事実によって危険なのではなく、むしろ夜のなかの死の象徴だったのである。この象徴であるということによって、象徴であるという単なる事実から人を殺すナイフは、クレルをおびやかしていた。恐怖の原因となっていたのはナイフの観念である」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.281」河出文庫)
オルフェウスについてそれが竪琴を持つ吟遊詩人であったことのほか、ほとんど現物の文献にその記述が残されていないことはすでに述べた。が、ディオニュソスの密儀=秘儀とたいへん密接な関係を持つに至っていたことについてもすでに述べた。アポロドーロスが残した文書からは次の部分にほぼ集約される。
「カリオペーとオイアグロスから、しかし名義上はアポロンから、ヘーラクレースが殺したリノスおよび歌によって木石を動かした吟唱詩人オルペウスが生れた。オルペウスはその妻エウリュディケーが蛇に噛まれてなくなった時に、彼女を連れ戻そうと思って冥府に降り、彼女を地上にかえすようにとプルートーンを説き伏せた。プルートーンはオルペウスが自分の家に着くまで途上で後を振りむかないという条件で、そうしようと約束した。しかし、彼は約を破って振り返り、妻を眺めたので、彼女は再び帰ってしまった。オルペウスはまたディオニューソスの秘教(ミュステーリア)を発見し、狂乱女たちに引き裂かれてピエリアーに葬られた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.32~33」岩波文庫)
その死は「ディオニューソスの秘教(ミュステーリア)を発見し、狂乱女たちに引き裂かれ」たことによるとされる。ところで「秘教(ミュステーリア)」=ミステリーとはなんだったか。J.C.フレイザーはディオニュソスが牡牛や牡羊に変身して登場していることを認めつつ、他方、「穀物神」としての可能性に重点を置いて述べている。古代ギリシアでディオニュソス祭が行われる時期についてこう言及する。
「古代アテナイでは脱穀が終わる頃に供儀が行われたが、この時期が示しているのは、祭壇に置かれた小麦と大麦が、収穫の供え物であったということである」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.50」ちくま学芸文庫)
ホメロス「オデュッセイア」でキルケが用いる「キュケオーン」という魔法の薬物については諸説ある。キルケの用いる薬物の場合、意識朦朧、錯乱、性的誘惑、などが目指されている。ヨーロッパで有名なものはベラドンナ。次にヒヨスだろう。ディズニー映画などでしょっちゅう出てくる魔女が帚に跨って天空を駆け巡るシーンはそれをヒントに濫用されたものだ。用いられているベラドンナは搾り汁であって、それを象徴化された男根としての箒に塗り付けて股間で摩擦すれば、いつまで経ってもベラドンナエキスに特徴的なエクスタシーのうちに遊び呆けていられることになる。だがナチスのドイツ、スターリンのロシア、ヒロシマ・ナガサキを見てしまった知識人たちは、欧米文化に愛想を尽かせてしまい、欧米文化圏の外部にある、もっと様々な少数民族に伝わる多様な体験を目指した。アルトーが体験したペヨトル、バロウズが紹介しているイェージ(ヤヘイ)などがそうだ。取締対象になるまで中南米で多く見かけられた。またアジアでは紀元前千五百年頃のインドの文献に見られる「ソーマ」(薬草の抽出液)も有名。
「私は儀式である。私は祭祀である。ーーー私は薬草である。ーーー私は不死であり死である。ーーー三ヴェーダを知り、ソーマ酒を飲み、罪悪が浄められ、祭祀により私を供養し、天界へ行くことを求める人々は、清浄なる神々の王(インドラ)の世界に至り、天界において神聖な神々の享楽を味わう」(「バガヴァッド・ギーター・第九章・P.82〜83」岩波文庫)
さらに日本では、ベニテングタケ、ワライタケ、シビレタケなど、今でもあちこちで見られる。ちなみに、おそらくワライタケに関すると思われる記述は今昔物語にも登場している。
「尼共(あまども)ノ云ク、『己等(おのれら)ガ此ク舞ヒ乙(かなで)テ来(きたる)ヲバ、其達(そこたち)定メテ恐シ思(おもう)ラム。但シ、我等ハ其々(そこそこ)ニ有ル尼共也。花ヲ摘(つみ)テ仏ニ奉ラムト思テ、朋(とも)ナヒテ入タリツルガ、道ヲ踏ミ違(たが)ヘデ、可出(いづべ)キ様(よう)モ不思(おぼえ)デ有ツル程ニ、茸(たけ)ノ有ツルヲ見付テ、物ノ欲(ほ)シキママニ、此レヲ取テ食(くい)タラム、酔(よい)ヤセムズラム、トハ思ヒ乍(なが)ラ、飢(うえ)テ死ナムヨリハ、去来(いざ)、此レ取テ食(くわ)ム、ト思テ、其レヲ取テ焼テ食(くい)ツルニ、極(イミジ)ク甘(うま)カリツレバ、賢(かしこ)キ事也、ト思テ食(くい)ツルヨリ、只(ただ)此(か)ク不心(こころなら)ズ被舞(まわる)也。心ニモ糸(いと)怪シキ事カナトハ思ヘドモ、糸怪クナム』ト云(いう)ニ、木伐人(きこりびと)共、此レヲ聞テ、奇異(あさまし)ク思フ事無限(かぎりな)シ。然(さ)テ、木伐人共モ、極(いみじ)ク物ノ欲(ほし)カリケレバ、甘共ノ食残(くいのこ)シテ取テ多ク持(もち)ケル、其ノ茸ヲ、『死ナムヨリハ、去来(いざ)、此ノ茸乞(こい)テ食(くわ)ム』、ト思テ、乞テ食ケル後(のち)より、亦、木伐人共モ、不心(こころなら)ズ被舞(まわれ)ケリ。然(しか)レバ、甘共モ木伐人共モ、互(たがい)ニ舞(まい)ツツナム咲(わらい)ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第二八・P.244~245」岩波書店)
しかしディオニュソスの場合「麦」が全面的に神格化されている点でキルケが用いた薬物とは異なる。「芥子」(ケシ)でもない。ソーマのような薬草の抽出液や種々のキノコ類、あるいはペヨトルのようなサボテンでもない。
「穀物の神デメテルに話を移すが、ヨーロッパの習俗では、一般に豚が穀物霊の化身であったことを思い出すと、われわれはつぎのように問うことができるーーーデメテルとこれほど緊密な関係にあった豚は、動物に化身したこの女神自身ではないのか?豚はデメテルの聖獣であった。芸術作品では、彼女は豚を連れた姿、あるいはこれに付き添われた姿で表現された。また豚は、一様にデメテルの密儀で生贄にされ、その理由は、豚が穀物を荒らすものであり、そのためこの女神の敵となる、ということに帰せられていた。だが、われわれがすでに見てきたように、ひとつの動物が神とみなされ、あるいはひとつの神が動物とみなされてしまうと、その後この神は動物の姿を脱ぎ捨て、純粋な人格神になる、ということがときとして起こる。そしてさらに、当初は神の性格を抱くものとして殺されていた動物が、神性に対し敵意を持つものだという根拠で、その神に捧げられる生贄とみなされるようになる。ようするに、この神は、神自身が自らの敵であるということを理由に、自らのために生贄に供される、ということが起こるのである。ディオニュソスに起こったのがこれであり、それがまたデメテルにも起こったのであろう」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.53~54」ちくま学芸文庫)
小麦にしろ大麦にしろ「麦」に寄生する菌に「麦角菌」がある。この麦角菌から抽出された成分がリゼルグ酸ジエチルアミドであり通称LSDと呼ばれる。幻覚症状を出現させることで有名。古代社会でLSDが発見されているわけもないが、麦角菌は麦に寄生すると部分的に黒色になることは古代から知られていた。おそらくそれが用いられた可能性が大きい。そしてさらにこのような麦角菌の効果はすでに新約聖書にも影響を与えている。イエスはいう。
「わたしは言う、一粒の麦(むぎ)は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実(み)を結(むす)ぶ」(「新約聖書・ヨハネ福音書・第十二章・P.325」岩波文庫)
さて、イニシエーションに戻ろう。問題はイニシエーション=儀式に伴う解体の感覚である。コロンビアのサンタマルタのシェラネヴァダに住むチブチャ語を話すインディアンのコギ族が一九六六年に行った少女の埋葬について。ライヘル=ドルマトフの報告書がある。エリアーデも言及している。
「コギ族は、世界ーーー宇宙母神の子宮ーーーとそれぞれの村、祭りの館、家、墓とを同一のものと見なしている。シャーマンが死体を九回持ち上げるのは、妊娠期間の九ヶ月を逆にさかのぼり、死体を胎児の状態にもどすことを意味する。そして、墓は世界と同一視されるので、葬儀の供物は宇宙的意義を獲得する。さらに、『死者の食物である供物は、性的意味』(コギ族の神話、夢、婚姻の掟において、『食べる』行為は性的行為を象徴する)を含んでおり、その結果、それは母神を多産にする『精液』となるのである。貝殻は性に関するばかりでなく、実に複雑なシンボリズムを担っており、家族の生存者をあらわす。他方、巻貝は死者の『夫』を象徴するので、それを墓に入れてやらなければ、少女は他界に到着するやいなや『夫を要求し』、同じ部族の若者の死を招くことになる」(エリアーデ「世界宗教史1・P.34~35」ちくま学芸文庫)
イニシエーションといっても何も秘儀ばかりではなく公開のものも少なくない。エリアーデはブリヤート族のケースを取り上げている。
「一本の白樺のもとで、一同は一匹の山羊を犠牲に供し、新入者は上半身を裸にされて、頭と目と耳に血を注がれる。その間、他のシャーマンたちは太鼓を打ち鳴らし続ける。それから導師のシャーマンが白樺によじ登り、その先端に九つの刻み目を作る。他のシャーマンたちの順番がすむと、新参の弟子もこの木に登る。こうして木によじ登っているうちに、全員がエクスタシーに陥っていくーーーあるいは陥ったふうをよそおう。ある報告によると、新入者は九本の木に登らされるという。これは、九つの刻み目同様、九つの天を象徴するものとされる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.43~44」ちくま学芸文庫)
この中で、「山羊を犠牲」、「頭と目と耳に血を注がれる」、とある部分は中近東から中央アジア、シベリアまでそれこそユーラシア大陸のほぼ全域に及んでいる。珍しくはない。ところが、よく知られているミトラス教では「七」を聖数としていてすでに古代ギリシアの天体観測あるいはキリスト教の影響が見られる。ところがブリヤート族が採用している数字は「九」であって「七」ではない。ということは、ブリヤート族の場合、「九本の木」、「九つの刻み目」、「九つの天」は、どれもコギ族の神事と同じくより古い形のものであって、女性の妊娠期間(九ヶ月)を基準にしたものと思われる。
「エクスタシーに陥る前の至福感(ユーフォリー)が叙事詩のひとつの源泉となっていることも、充分あり得る。シャーマンはトランス状態に入ろうとする際に、太鼓をたたき、守護の精霊たちを呼び出し、『秘密の言葉』ないし『動物の言葉』をしゃべり、動物の鳴き声、とりわけ鳥たちの歌声をまねる。こうして彼は、言語的創造活動や叙事詩の韻律(リスム)が活性化してくる意識の『第二次状態』を獲得するのである。また、シャーマンや演技がもつドラマ的な性格も忘れてはならない。これは日常生活の世界には匹敵するもののない《スペクタクル》〔見物〕ともなっている。みごとな魔術(火の芸はじめさまざまな『奇蹟』)は、別の世界への幕を開く。そこは神々や魔術師たちの仮想の世界、それでは《すべてが可能》な世界である。そこでは死者たちが蘇り、生者たちが死んで再び蘇る。人が瞬時に消えたり、現われたりできる。『自然法則』は破棄され、超人間的な『自由』がすばらしい形を与えられて、目の前に《現実化》されている。こうした《スペクタクル》が『未開の』共同体にどんな効果を与えているかは、いまや充分にみてとることができよう。シャーマンの行う『奇蹟』は、伝統的宗教の構造を再確認し、強固にするばかりでなく、人々の想像力を刺激し、養って、夢と直接的現実とのあいだの隔壁を取り払い、神々や死者や精霊の住むいろいろな世界へと通ずる窓を開くものなのである」(エリアーデ「世界宗教史5・P.53~54」ちくま学芸文庫)
イニシエーションの特徴は別世界への参入と地上への回帰である。別世界は一種の死である。あるいは夢と幻想の世界である。人間は夢と幻想において一種の死を体験するわけだ。そこでは「《すべてが可能》」である。作品「オーレリア」でネルヴァルは都会を眼下に見下ろす山の上まで登る。そこで古代の原住民の幻影と出会う。案内人に導かれている点はダンテを意識したのだろう。
「案内人は、工業の様々な雑音の響く険阻な騒々しい街路を幾つも攀じ登らせた。われわれは更に一列の長い階段を上った。階段を越えると眺望が豁(ひら)けた。此処彼処に、四つ目格子で蔽われた露臺(テラス)、いくらかの空地を平にしてそこに設らえた庭園、軽快に造られ、気紛れな丹念さで彩り彫刻された屋根やあづま家がある。幾條もの蜿蜒(えんえん)と匐う緑の草木に縫い合わされた遠景は、此処ではもはや幽かなざわめきくらいにしか聞えぬ下方の喧騒と雑音の上にあって、快いオアシスや人知れぬ荒涼の地の眺めのように、目を悦ばせ心を楽しませた。追放された異教の民が墓地や塋窟(えいくつ)の蔭で暮すという話をよく聞いたが、此処は確かにその反対であった。幸福な一民族が、鳥と花と清らかな空気と光明とが慕い寄るこの隠棲の地を創ったのであった。ーーー案内人は言った、之は、今私達がいる町を見下ろすこの山の昔からの住民です」(ネルヴァル「オーレリア・P.23~24」岩波文庫)
芸術作品では比較的古くからイニシエーションにまつわる神話が描かれてきた。
「シャーマニズムから霊感を得た文芸作品が、もっとも高度な完成にいたったのはフィンランドにおいてであった。エリアス・リョンロットの編んだ国民叙事詩カレワラ(一八三二年初版)では、主人公はワイナミョイネン、『永遠の賢者』とよばれている。超自然的な出身のワイナミョイネンは、数知れぬ呪術能力を与えられたエクスタシーの専門家であり、幻視者(ヴィジオネール)である。加えて、彼は詩人であり、歌い手であり、竪琴弾きである。彼とその仲間ーーー鍛冶工のイルマリネンと戦士のレンミンカイネンーーーが行う冒険は、多くの場合、アジア型のシャーマンや英雄-呪術師の功業を思わせる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.56~57」ちくま学芸文庫)
カレワラはシベリウスが交響詩として作品化してもいてなるほど有名。しかし注目したいのは主人公が「幻視者(ヴィジオネール)である。加えて、彼は詩人であり、歌い手であり、竪琴弾きである」ことだ。この設定はまったくオルフェウスにそっくり似ている。エリアーデはこのタイプの芸術作品で最も成功したものとしてダンテ「神曲」を上げている。
「ベアトリーチェーーーダンテは乙女時代の彼女を知っており、再会したときには、彼女はフィレンツェの名士のもとに嫁しているーーーは、完全に神格化されている。天使や諸聖人よりも高く位置づけられ、あらゆる罪を免れた者として、ほとんど聖母マリアに並ぶものとされる。彼女は、人類(ダンテがその代表)と神との新たな仲介者となるのである。ベアトリーチェが地上楽園にまさにその姿を現わさんとするとき、ある者が『来たれ(ヴエニ)、花嫁(スポンサ)、レバノンより(デ・レバンノ)』と叫ぶ(煉獄篇、第三〇歌十一)。これは雅歌の有名な一節(四・八)で、教会の祈りにも用いられているが、しかし聖母マリアか教会そのものに対してのみ歌われるものである。ダンテは『神曲』を、全人類の救済のために書いた。理論の力に頼るのでなく、地獄や天国のヴィジョンで読者を畏怖させ、また魅惑することで、人類の変容をもたらそうとしたのである。芸術、とくに詩は、形而上学や神学を人々に伝えるための、またそればかりでなく、人々を目覚めさせ、《救済する》ためのひときわすぐれた手段であるとする伝統的な考え方を、ダンテは、彼だけがというわけではないが、ひとつの模範的な形で実践してみせた」(エリアーデ「世界宗教史5・P.171~172」ちくま学芸文庫)
「きたれ(ヴエニ)、花嫁(スポンサ)、リバーノより(デ・リバーノ)」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.380」集英社文庫)
なお、花嫁(スポンサ)をそのまま翻訳すれば教会(信仰生活の支援者)を意味するが、この場面でのベアトリーチェは凱旋戦車に乗って登場しているのであって、神の知恵(ソフィア)と解するのが妥当だろう。神の軍隊の象徴としてのベアトリーチェのイメージ。実際にも一七八九年フランス革命でジャンヌダルクが出現し再演されることになる。「神曲」ではその少し後の場面で再び聖書からの引用がある。
「しばし経たば(モザイクム・エト)、おんみら我を見ず(ノン・ヴィデビティス・メ)、さらにまた(エト・イテームル)、わが愛する姉妹たちよ、しばし経たば(モザイクム・エト)、再び我を見ん(ヴォス・ヴィデビティス・メ)」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.422」集英社文庫)
もともとは次の文章。
「しばらくするとあなた達はもはやわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会(あ)うことができる」(「新約聖書・ヨハネ福音書・第十六章・P.340」岩波文庫)
最後の晩餐のシーンでのイエスの言葉。だが同じ言葉を用いてベアトリーチェが語っていることは、ダンテの活躍に始まるルネサンス初期の世相を考慮すべきである。この頃、堕落腐敗を極めていたキリスト教権力は出発から千年を経てとうとう終末を迎えたと言える。だから再生(ルネサンス)させねばならないというメッセージが込められたものと考えられるわけである。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「シャーマンになろうとする者が陥る『狂気』、『心的混沌(カオス)』は、彼が世俗的人間としては『解体』しつつあり、そして新たな人格がまさに生まれ出ようとしていることを意味している」(エリアーデ「世界宗教史5・P.41」ちくま学芸文庫)
このような「狂気」、「カオス」、「解体」、について、エウリピデス「バッコスの信女」やヘロドトスの記述を例に上げて述べた。
「エジプトでは一般に豚を神に生贄として捧げることは禁じているが、ただセレネ(月の神)とディオニュソスだけには同じ時、すなわち同じ満月の日に豚を犠牲にしてその肉を食べる。エジプト人は他の祭礼では豚を忌むのに、なぜこの祭だけは豚を犠牲に供えるのかということについては、エジプト人の間に伝承がある。ーーーセレネに豚を犠牲にする儀式は次のように行なわれる。豚を屠ると、その尾の端と脾臓と大網膜(内臓を含む膜)とを集め、その豚の腹の周りの脂肪を全部使ってそれらを包み、火で焼くのである。残りの肉は犠牲の行なわれる満月の日に食べるが、日が変るともはや口にしない。貧民は乏しい家計がそれを許さないので、粉を捏(こ)ねて豚の形に作り、これを炙(あぶ)って神に供えるのである。ディオニュソスには、その祭の前夜、エジプト人はそれぞれ家の前で仔豚を屠ってささげ、その仔豚はそれを売った豚飼に持ち帰らせる。それ以外の点では、エジプトのディオニュソス祭はギリシアとほとんど全く同様に行なわれるが、ただギリシアのような歌舞の催し物はない。エジプト人は男根像(バロス)の代りに別のものを考案しているが、これは長さ長さ一キュペスほどの糸で繰る像で、これを女たちがかついでを廻るのであるが、動体と余り変らぬほどの長さの男根が動く仕掛になっている。そして笛を先頭に、女たちはディオニュソスの讃歌を歌いつつその後に従うのである。像がそのように異常な大きさの男根を具え、また体のその部分だけが動く由来については、聖説話が伝えられている」(ヘロドトス「歴史・上・巻二・P.222~223」岩波文庫)
「スキュレスはディオニュソス・バッケイオスの信仰に入信したいという望みを起した。ところが、彼が入信の儀式にかかろうとしている矢先、恐ろしい異変が起った。彼にはボリュステネス人の町に、先刻も述べたように宏壮豪奢な邸があり、邸のまわりには白大理石製のスフィンクスやグリュプスの像が並んでいた。この邸に神が雷撃を加え給うたのである。邸は全焼したが、スキュレスはこの異変をも物ともせず、入信の儀を終えたのであった。ところでスキュタイ人はギリシア人がバッコスの祭儀を行なうことを悪(あ)しざまにいう。人間を狂気に誘う神があるなどと考えるのは理にかなわぬ、というのである。それでスキュレスがバッコス教に入信した後、あるボリュステネス人がスキュタイ人を嘲ってこういった。『スキュタイ人どもよ、そなたはわれわれがバッコスの祭を祝い、神がわれわれに乗り移ってこられるのをいつも愚弄しているが、とうとうこの神様はそなたらの王様にも乗り移られたぞ。今はあのお方もバッコスの祭を祝い、神霊に憑(つ)かれて狂っておられる。私のいうことを信ぜぬのなら、私についてくるがよい、その証拠をそなたらに見せて進ぜよう』。そこでスキュタイ人の重だった者たちが付いてゆくと、そのボリュステネス人は彼らを密かに城楼に上らせ、そこに坐らせた。やがてスキュレスが同行衆とともに現われ、スキュタイ人たちは彼がバッコスの祭に加わっているのを目撃すると、大いに慨嘆し、市の外にでると全軍の将兵に自分たちが見てきたことを知らせた」(ヘロドトス「歴史・中・巻四・P.55~56」岩波文庫)
またアルトーは、シリアで行われていたディオニュソス祭をローマへ持ち込む際(古代ローマでは「サテュルヌナリア祭」)に、ヘリオガバルスが実演した光景について述べている。
「旋回し、様々な寛衣をまとった一個の男根が、太陽信仰のもつ黒い部分を強調しているとすれば、太陽の観念を地下へと導く騒がしい諸層は、物理的な手段で、それらの罠と鋭利な魅力によって、限りなく暗い観念の世界を実現しているーーーエメサで行われていたような太陽信仰を決定づけるこれらの観念は、ひとつの原理の宇宙的悪意にかかわるものであり、民衆が周期的に犯した過ちとは、その原理がもつ暗黒の部分を崇めることによって、事物のなかにある忌まわしい出口をその原理に与えたことであった。腹が二つの腿のまんなかに楔(くさび)のように入り込むとき、腿が形づくる逆三角形は、暗いエレボスの円錐を再現しているが、その不吉な空間のなかに、月の月経をむさぼる者たちにその点で手を貸す太陽の陽物像の崇拝者たちは、自分たちの興奮を導き入れるーーー。それはしたがって交接ではなく、死であり、どうしようもない光のなかに、神の一部分の失墜のなかにある死であって、これらすべての秘儀伝授の宗教はその無能な姿を、無能であると同時に悪意ある姿を明らかにしているが、ちょうど卑俗な実現の領域において己れの至上権を示すために、自分自身の一部分が鉛の重さをもって離反していくのを見ている黄金のようなものである」(アルトー「ヘリオガバルス・P.62~63」河出文庫)
象徴機能に着目しよう。「動体と余り変らぬほどの長さの男根(像)」、「狂気に誘う神」、「太陽の陽物像」、「暗黒の部分を崇める」、「死」、といった一連の言葉によって象徴されているものとは何か、が問題である。個々別々に個別的なものではなく、それらをその機能に従って統合し象徴化されたものの持つ力についてはジュネが言っている通りだ。
「実際の役には立たない見かけ倒しの凶器が、象徴となることによって、もっと危険なものになる」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.211」河出文庫)
「象徴的なナイフは、いかなる実際的な危険をももたらさないが、それが多様な空想的生活のなかで用いられると、犯罪への同意のしるしとなる」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.211」河出文庫)
「その刃は牛乳のように白く、やや流動性の物質でできていた。というのは、ナイフは切れるという事実によって危険なのではなく、むしろ夜のなかの死の象徴だったのである。この象徴であるということによって、象徴であるという単なる事実から人を殺すナイフは、クレルをおびやかしていた。恐怖の原因となっていたのはナイフの観念である」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.281」河出文庫)
オルフェウスについてそれが竪琴を持つ吟遊詩人であったことのほか、ほとんど現物の文献にその記述が残されていないことはすでに述べた。が、ディオニュソスの密儀=秘儀とたいへん密接な関係を持つに至っていたことについてもすでに述べた。アポロドーロスが残した文書からは次の部分にほぼ集約される。
「カリオペーとオイアグロスから、しかし名義上はアポロンから、ヘーラクレースが殺したリノスおよび歌によって木石を動かした吟唱詩人オルペウスが生れた。オルペウスはその妻エウリュディケーが蛇に噛まれてなくなった時に、彼女を連れ戻そうと思って冥府に降り、彼女を地上にかえすようにとプルートーンを説き伏せた。プルートーンはオルペウスが自分の家に着くまで途上で後を振りむかないという条件で、そうしようと約束した。しかし、彼は約を破って振り返り、妻を眺めたので、彼女は再び帰ってしまった。オルペウスはまたディオニューソスの秘教(ミュステーリア)を発見し、狂乱女たちに引き裂かれてピエリアーに葬られた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第一巻・P.32~33」岩波文庫)
その死は「ディオニューソスの秘教(ミュステーリア)を発見し、狂乱女たちに引き裂かれ」たことによるとされる。ところで「秘教(ミュステーリア)」=ミステリーとはなんだったか。J.C.フレイザーはディオニュソスが牡牛や牡羊に変身して登場していることを認めつつ、他方、「穀物神」としての可能性に重点を置いて述べている。古代ギリシアでディオニュソス祭が行われる時期についてこう言及する。
「古代アテナイでは脱穀が終わる頃に供儀が行われたが、この時期が示しているのは、祭壇に置かれた小麦と大麦が、収穫の供え物であったということである」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.50」ちくま学芸文庫)
ホメロス「オデュッセイア」でキルケが用いる「キュケオーン」という魔法の薬物については諸説ある。キルケの用いる薬物の場合、意識朦朧、錯乱、性的誘惑、などが目指されている。ヨーロッパで有名なものはベラドンナ。次にヒヨスだろう。ディズニー映画などでしょっちゅう出てくる魔女が帚に跨って天空を駆け巡るシーンはそれをヒントに濫用されたものだ。用いられているベラドンナは搾り汁であって、それを象徴化された男根としての箒に塗り付けて股間で摩擦すれば、いつまで経ってもベラドンナエキスに特徴的なエクスタシーのうちに遊び呆けていられることになる。だがナチスのドイツ、スターリンのロシア、ヒロシマ・ナガサキを見てしまった知識人たちは、欧米文化に愛想を尽かせてしまい、欧米文化圏の外部にある、もっと様々な少数民族に伝わる多様な体験を目指した。アルトーが体験したペヨトル、バロウズが紹介しているイェージ(ヤヘイ)などがそうだ。取締対象になるまで中南米で多く見かけられた。またアジアでは紀元前千五百年頃のインドの文献に見られる「ソーマ」(薬草の抽出液)も有名。
「私は儀式である。私は祭祀である。ーーー私は薬草である。ーーー私は不死であり死である。ーーー三ヴェーダを知り、ソーマ酒を飲み、罪悪が浄められ、祭祀により私を供養し、天界へ行くことを求める人々は、清浄なる神々の王(インドラ)の世界に至り、天界において神聖な神々の享楽を味わう」(「バガヴァッド・ギーター・第九章・P.82〜83」岩波文庫)
さらに日本では、ベニテングタケ、ワライタケ、シビレタケなど、今でもあちこちで見られる。ちなみに、おそらくワライタケに関すると思われる記述は今昔物語にも登場している。
「尼共(あまども)ノ云ク、『己等(おのれら)ガ此ク舞ヒ乙(かなで)テ来(きたる)ヲバ、其達(そこたち)定メテ恐シ思(おもう)ラム。但シ、我等ハ其々(そこそこ)ニ有ル尼共也。花ヲ摘(つみ)テ仏ニ奉ラムト思テ、朋(とも)ナヒテ入タリツルガ、道ヲ踏ミ違(たが)ヘデ、可出(いづべ)キ様(よう)モ不思(おぼえ)デ有ツル程ニ、茸(たけ)ノ有ツルヲ見付テ、物ノ欲(ほ)シキママニ、此レヲ取テ食(くい)タラム、酔(よい)ヤセムズラム、トハ思ヒ乍(なが)ラ、飢(うえ)テ死ナムヨリハ、去来(いざ)、此レ取テ食(くわ)ム、ト思テ、其レヲ取テ焼テ食(くい)ツルニ、極(イミジ)ク甘(うま)カリツレバ、賢(かしこ)キ事也、ト思テ食(くい)ツルヨリ、只(ただ)此(か)ク不心(こころなら)ズ被舞(まわる)也。心ニモ糸(いと)怪シキ事カナトハ思ヘドモ、糸怪クナム』ト云(いう)ニ、木伐人(きこりびと)共、此レヲ聞テ、奇異(あさまし)ク思フ事無限(かぎりな)シ。然(さ)テ、木伐人共モ、極(いみじ)ク物ノ欲(ほし)カリケレバ、甘共ノ食残(くいのこ)シテ取テ多ク持(もち)ケル、其ノ茸ヲ、『死ナムヨリハ、去来(いざ)、此ノ茸乞(こい)テ食(くわ)ム』、ト思テ、乞テ食ケル後(のち)より、亦、木伐人共モ、不心(こころなら)ズ被舞(まわれ)ケリ。然(しか)レバ、甘共モ木伐人共モ、互(たがい)ニ舞(まい)ツツナム咲(わらい)ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第二八・P.244~245」岩波書店)
しかしディオニュソスの場合「麦」が全面的に神格化されている点でキルケが用いた薬物とは異なる。「芥子」(ケシ)でもない。ソーマのような薬草の抽出液や種々のキノコ類、あるいはペヨトルのようなサボテンでもない。
「穀物の神デメテルに話を移すが、ヨーロッパの習俗では、一般に豚が穀物霊の化身であったことを思い出すと、われわれはつぎのように問うことができるーーーデメテルとこれほど緊密な関係にあった豚は、動物に化身したこの女神自身ではないのか?豚はデメテルの聖獣であった。芸術作品では、彼女は豚を連れた姿、あるいはこれに付き添われた姿で表現された。また豚は、一様にデメテルの密儀で生贄にされ、その理由は、豚が穀物を荒らすものであり、そのためこの女神の敵となる、ということに帰せられていた。だが、われわれがすでに見てきたように、ひとつの動物が神とみなされ、あるいはひとつの神が動物とみなされてしまうと、その後この神は動物の姿を脱ぎ捨て、純粋な人格神になる、ということがときとして起こる。そしてさらに、当初は神の性格を抱くものとして殺されていた動物が、神性に対し敵意を持つものだという根拠で、その神に捧げられる生贄とみなされるようになる。ようするに、この神は、神自身が自らの敵であるということを理由に、自らのために生贄に供される、ということが起こるのである。ディオニュソスに起こったのがこれであり、それがまたデメテルにも起こったのであろう」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.53~54」ちくま学芸文庫)
小麦にしろ大麦にしろ「麦」に寄生する菌に「麦角菌」がある。この麦角菌から抽出された成分がリゼルグ酸ジエチルアミドであり通称LSDと呼ばれる。幻覚症状を出現させることで有名。古代社会でLSDが発見されているわけもないが、麦角菌は麦に寄生すると部分的に黒色になることは古代から知られていた。おそらくそれが用いられた可能性が大きい。そしてさらにこのような麦角菌の効果はすでに新約聖書にも影響を与えている。イエスはいう。
「わたしは言う、一粒の麦(むぎ)は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実(み)を結(むす)ぶ」(「新約聖書・ヨハネ福音書・第十二章・P.325」岩波文庫)
さて、イニシエーションに戻ろう。問題はイニシエーション=儀式に伴う解体の感覚である。コロンビアのサンタマルタのシェラネヴァダに住むチブチャ語を話すインディアンのコギ族が一九六六年に行った少女の埋葬について。ライヘル=ドルマトフの報告書がある。エリアーデも言及している。
「コギ族は、世界ーーー宇宙母神の子宮ーーーとそれぞれの村、祭りの館、家、墓とを同一のものと見なしている。シャーマンが死体を九回持ち上げるのは、妊娠期間の九ヶ月を逆にさかのぼり、死体を胎児の状態にもどすことを意味する。そして、墓は世界と同一視されるので、葬儀の供物は宇宙的意義を獲得する。さらに、『死者の食物である供物は、性的意味』(コギ族の神話、夢、婚姻の掟において、『食べる』行為は性的行為を象徴する)を含んでおり、その結果、それは母神を多産にする『精液』となるのである。貝殻は性に関するばかりでなく、実に複雑なシンボリズムを担っており、家族の生存者をあらわす。他方、巻貝は死者の『夫』を象徴するので、それを墓に入れてやらなければ、少女は他界に到着するやいなや『夫を要求し』、同じ部族の若者の死を招くことになる」(エリアーデ「世界宗教史1・P.34~35」ちくま学芸文庫)
イニシエーションといっても何も秘儀ばかりではなく公開のものも少なくない。エリアーデはブリヤート族のケースを取り上げている。
「一本の白樺のもとで、一同は一匹の山羊を犠牲に供し、新入者は上半身を裸にされて、頭と目と耳に血を注がれる。その間、他のシャーマンたちは太鼓を打ち鳴らし続ける。それから導師のシャーマンが白樺によじ登り、その先端に九つの刻み目を作る。他のシャーマンたちの順番がすむと、新参の弟子もこの木に登る。こうして木によじ登っているうちに、全員がエクスタシーに陥っていくーーーあるいは陥ったふうをよそおう。ある報告によると、新入者は九本の木に登らされるという。これは、九つの刻み目同様、九つの天を象徴するものとされる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.43~44」ちくま学芸文庫)
この中で、「山羊を犠牲」、「頭と目と耳に血を注がれる」、とある部分は中近東から中央アジア、シベリアまでそれこそユーラシア大陸のほぼ全域に及んでいる。珍しくはない。ところが、よく知られているミトラス教では「七」を聖数としていてすでに古代ギリシアの天体観測あるいはキリスト教の影響が見られる。ところがブリヤート族が採用している数字は「九」であって「七」ではない。ということは、ブリヤート族の場合、「九本の木」、「九つの刻み目」、「九つの天」は、どれもコギ族の神事と同じくより古い形のものであって、女性の妊娠期間(九ヶ月)を基準にしたものと思われる。
「エクスタシーに陥る前の至福感(ユーフォリー)が叙事詩のひとつの源泉となっていることも、充分あり得る。シャーマンはトランス状態に入ろうとする際に、太鼓をたたき、守護の精霊たちを呼び出し、『秘密の言葉』ないし『動物の言葉』をしゃべり、動物の鳴き声、とりわけ鳥たちの歌声をまねる。こうして彼は、言語的創造活動や叙事詩の韻律(リスム)が活性化してくる意識の『第二次状態』を獲得するのである。また、シャーマンや演技がもつドラマ的な性格も忘れてはならない。これは日常生活の世界には匹敵するもののない《スペクタクル》〔見物〕ともなっている。みごとな魔術(火の芸はじめさまざまな『奇蹟』)は、別の世界への幕を開く。そこは神々や魔術師たちの仮想の世界、それでは《すべてが可能》な世界である。そこでは死者たちが蘇り、生者たちが死んで再び蘇る。人が瞬時に消えたり、現われたりできる。『自然法則』は破棄され、超人間的な『自由』がすばらしい形を与えられて、目の前に《現実化》されている。こうした《スペクタクル》が『未開の』共同体にどんな効果を与えているかは、いまや充分にみてとることができよう。シャーマンの行う『奇蹟』は、伝統的宗教の構造を再確認し、強固にするばかりでなく、人々の想像力を刺激し、養って、夢と直接的現実とのあいだの隔壁を取り払い、神々や死者や精霊の住むいろいろな世界へと通ずる窓を開くものなのである」(エリアーデ「世界宗教史5・P.53~54」ちくま学芸文庫)
イニシエーションの特徴は別世界への参入と地上への回帰である。別世界は一種の死である。あるいは夢と幻想の世界である。人間は夢と幻想において一種の死を体験するわけだ。そこでは「《すべてが可能》」である。作品「オーレリア」でネルヴァルは都会を眼下に見下ろす山の上まで登る。そこで古代の原住民の幻影と出会う。案内人に導かれている点はダンテを意識したのだろう。
「案内人は、工業の様々な雑音の響く険阻な騒々しい街路を幾つも攀じ登らせた。われわれは更に一列の長い階段を上った。階段を越えると眺望が豁(ひら)けた。此処彼処に、四つ目格子で蔽われた露臺(テラス)、いくらかの空地を平にしてそこに設らえた庭園、軽快に造られ、気紛れな丹念さで彩り彫刻された屋根やあづま家がある。幾條もの蜿蜒(えんえん)と匐う緑の草木に縫い合わされた遠景は、此処ではもはや幽かなざわめきくらいにしか聞えぬ下方の喧騒と雑音の上にあって、快いオアシスや人知れぬ荒涼の地の眺めのように、目を悦ばせ心を楽しませた。追放された異教の民が墓地や塋窟(えいくつ)の蔭で暮すという話をよく聞いたが、此処は確かにその反対であった。幸福な一民族が、鳥と花と清らかな空気と光明とが慕い寄るこの隠棲の地を創ったのであった。ーーー案内人は言った、之は、今私達がいる町を見下ろすこの山の昔からの住民です」(ネルヴァル「オーレリア・P.23~24」岩波文庫)
芸術作品では比較的古くからイニシエーションにまつわる神話が描かれてきた。
「シャーマニズムから霊感を得た文芸作品が、もっとも高度な完成にいたったのはフィンランドにおいてであった。エリアス・リョンロットの編んだ国民叙事詩カレワラ(一八三二年初版)では、主人公はワイナミョイネン、『永遠の賢者』とよばれている。超自然的な出身のワイナミョイネンは、数知れぬ呪術能力を与えられたエクスタシーの専門家であり、幻視者(ヴィジオネール)である。加えて、彼は詩人であり、歌い手であり、竪琴弾きである。彼とその仲間ーーー鍛冶工のイルマリネンと戦士のレンミンカイネンーーーが行う冒険は、多くの場合、アジア型のシャーマンや英雄-呪術師の功業を思わせる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.56~57」ちくま学芸文庫)
カレワラはシベリウスが交響詩として作品化してもいてなるほど有名。しかし注目したいのは主人公が「幻視者(ヴィジオネール)である。加えて、彼は詩人であり、歌い手であり、竪琴弾きである」ことだ。この設定はまったくオルフェウスにそっくり似ている。エリアーデはこのタイプの芸術作品で最も成功したものとしてダンテ「神曲」を上げている。
「ベアトリーチェーーーダンテは乙女時代の彼女を知っており、再会したときには、彼女はフィレンツェの名士のもとに嫁しているーーーは、完全に神格化されている。天使や諸聖人よりも高く位置づけられ、あらゆる罪を免れた者として、ほとんど聖母マリアに並ぶものとされる。彼女は、人類(ダンテがその代表)と神との新たな仲介者となるのである。ベアトリーチェが地上楽園にまさにその姿を現わさんとするとき、ある者が『来たれ(ヴエニ)、花嫁(スポンサ)、レバノンより(デ・レバンノ)』と叫ぶ(煉獄篇、第三〇歌十一)。これは雅歌の有名な一節(四・八)で、教会の祈りにも用いられているが、しかし聖母マリアか教会そのものに対してのみ歌われるものである。ダンテは『神曲』を、全人類の救済のために書いた。理論の力に頼るのでなく、地獄や天国のヴィジョンで読者を畏怖させ、また魅惑することで、人類の変容をもたらそうとしたのである。芸術、とくに詩は、形而上学や神学を人々に伝えるための、またそればかりでなく、人々を目覚めさせ、《救済する》ためのひときわすぐれた手段であるとする伝統的な考え方を、ダンテは、彼だけがというわけではないが、ひとつの模範的な形で実践してみせた」(エリアーデ「世界宗教史5・P.171~172」ちくま学芸文庫)
「きたれ(ヴエニ)、花嫁(スポンサ)、リバーノより(デ・リバーノ)」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.380」集英社文庫)
なお、花嫁(スポンサ)をそのまま翻訳すれば教会(信仰生活の支援者)を意味するが、この場面でのベアトリーチェは凱旋戦車に乗って登場しているのであって、神の知恵(ソフィア)と解するのが妥当だろう。神の軍隊の象徴としてのベアトリーチェのイメージ。実際にも一七八九年フランス革命でジャンヌダルクが出現し再演されることになる。「神曲」ではその少し後の場面で再び聖書からの引用がある。
「しばし経たば(モザイクム・エト)、おんみら我を見ず(ノン・ヴィデビティス・メ)、さらにまた(エト・イテームル)、わが愛する姉妹たちよ、しばし経たば(モザイクム・エト)、再び我を見ん(ヴォス・ヴィデビティス・メ)」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.422」集英社文庫)
もともとは次の文章。
「しばらくするとあなた達はもはやわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会(あ)うことができる」(「新約聖書・ヨハネ福音書・第十六章・P.340」岩波文庫)
最後の晩餐のシーンでのイエスの言葉。だが同じ言葉を用いてベアトリーチェが語っていることは、ダンテの活躍に始まるルネサンス初期の世相を考慮すべきである。この頃、堕落腐敗を極めていたキリスト教権力は出発から千年を経てとうとう終末を迎えたと言える。だから再生(ルネサンス)させねばならないというメッセージが込められたものと考えられるわけである。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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