<私>は突然「震えあが」る。あるいは「怖れる」。アルベルチーヌの死からもたらされ<私>へと接続された想念の一つだが、それは<私>に不意打ちを与え、<私>の知性をくじくばかりか、思いがけず湧き起こる戸惑いを隠せなくさせてしまう。
(1)「私がアルベルチーヌを憶えていることをアルベルチーヌが知る」とすれば、次のように、(2)「祖母は私が祖母を忘れていることも知る」からである。
<私>にとって祖母の死と始めて遭遇したと言えるのは祖母の死からずいぶん経った後のことだった。何度か触れたように、ある日、たまたま玄関で靴をはこうとかがみ込んだその瞬間、何年も忘れていた祖母の死去の際の思い出が<私>に襲いかかり<私>を混乱に陥れた。そのとき始めて<私>は祖母の死とその意味とを本当に知り、受け入れたことになる。ではそれまでの間の期間はなんだったのか。プルーストは隙間、「心の間歇」と呼んで、人間の意識の流れには<切断>があることを明確にしている。それは<私>にとって、なんといえばいいのか、雷に撃たれでもしたかのような不意打ちだった。
今や<私>が怖れているのはまったく柄にもなく<死者の目>である。さらにそれによる<裁き>だ。
「自分の愛する女が不義をはたらくのを怖れるあまり人がいかにこっそりやるにせよ不義はできれば慎みたいと思うのにも似て、もし死者たちがどこかで生きているのなら、私がアルベルチーヌを憶えていることをアルベルチーヌが知るように、祖母は私が祖母を忘れていることも知るのだと考えて私は震えあがった。結局、ひとりの死んだ女について、その女がなにがしかのことを知ってくれているとわかって感じる歓びは、その女が《なにもかも》知っていると考えて感じる恐怖と釣り合っていると、はたして確言できるものだろうか?われわれは死者たちを裁き手として持つのを怖れるあまり、それがどれほど血も涙もない犠牲であろうと、死者たちを友人として持ちつづけるのを断念するのではあるまいか?」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.210~211」岩波文庫 二〇一七年)
<私>は「死者たちを友人として持ちつづけるのを断念するのではあるまいか?」と問いかける。「喪の作業」にともなう苦痛は愛する相手(アルベルチーヌ)が不義を働いていたかいなかったかという疑いによって再燃することはしばしばある。すでに「喪の作業」を終えた人々の間でさえ、この種の問いかけに一度も吸い込まれたことのない人間というのはほとんどいないかも知れない。愛する人間の死にともなって、思いもよらぬ風景の出現をきっかけに、やおら息を吹き返してくる不断の反復というものがあるのでは、とプルーストは踏んでいる。
ところで実際、不断に反復されるものというのは何か。
大江健三郎「万延元年のフットボール」の中の主題の一つである近親相姦。
「『妹は白痴だったが、本当に独特な人間だった。きれいな音だけが好きで、音楽を聴いていると幸福だった。飛行機の機関音とか、発車する自動車のエンジンの音を聞くと、耳の奥に火をつけられたみたいに苦痛を訴えることがあった。あれは本当に痛かったのだと思うよ。空気の振動だけでガラスが割れることがあるだろう?ああいう風に、妹の耳の奥でなにか繊細なものが割れる痛みだったんだ。ともかく伯父の村で、妹のように音楽を理解し、音楽を絶対に必要とする人間は他にいなかった。妹は醜くなかったし清潔だった。異様に清潔だったよ。それが過度の音楽の嗜好ともども、妹の白痴の特性だった。伯父の村の若者たちのなかにはたびたび、妹が音楽を聴いているところを覗きに来たりする連中がいた。いったん音楽が鳴りはじめると、妹は耳だけの存在になったからね、それより他のすべてが遮断されていっさい妹の意識にしのびこむことがなかった。覗き屋どもは安全だった。しかしおれは連中を発見すると死にもの狂いで闘ったものだ。おれにとっては妹が唯一の女性的なるものだった、それを守りぬかねばならない。実際、おれは伯父の村の娘たちとまったくつきあわなかったし、隣町の高校に入っても同級の女学生たちと口をきいたことさえなかった。おれは自分と妹をめぐって一種の貴種流離譚(たん)を作りあげて、曽祖父さんとその弟以来の自分の家系にひどく拡大した誇りを抱いていた。同情的にみてくれるならおれはそのようにして、伯父の家に妹と厄介になっている境遇のコンプレックスを撥ねかえそうとしていたわけだ。おれは妹に、自分たちは選ばれた特別の二人なのだから、おれも妹も、お互い同士より他の人間に興味を持つことはありえないし、あってはならないと教えこんだ。そのようなおれたちについて、あの兄妹は一緒に寝ているというような噂をたてる、したたかな大人もいた。おれはそういう連中の家に、投石して報復した。しかしおれはその噂に逆に暗示を受けてしまってもいたんだ。おれは頭のふにゃふにゃしたファナティクな十七歳の高校生で、そうした暗示に弱い孤独家だったんだよ。その年の初夏のある夕暮、おれは突然に酔っぱらってしまった。伯父の家の田植えがすっかり終った日で、母屋では手伝い動員された村の誰もかれもが集って酒を飲んでいた。流離している貴種たるおれは、当然田植えを手伝わなかったが、若い衆たちの間に呼びこまれて生まれてはじめて酒を飲み、すっかり酔っぱらってしまったのさ。それを伯父に見つけられて、おれは叱られたあげく離れに戻った。はじめ妹は、酔っぱらっているおれを面白がって笑っていたんだ。しかし母屋で乱酔した百姓連中の歌や囃子(はやし)が始まるとたちまち怯(おび)えてしまった。耳をおさえこんだ鮑(あわび)のように躰を伏せて、それでも耐えきれなくて幼児みたいに嗚咽(おえつ)するんだよ。いったん酔っぱらって歌いはじめたら、猥褻(わいせつ)で野卑な歌を、濁(だ)み声で真夜中過ぎまで歌い続ける連中におれは猛烈に腹を立てて、ひどく反社会的な気分だった。そして妹をなだめるために躰をかかえてやりながら、おれは妙な具合に昂奮していた。そのうちおれは妹と性交してしまったんだ』」(大江健三郎「万延元年のフットボール・P.389~391」講談社文芸文庫 一九八八年)
吉本隆明「共同幻想論」で述べられた三つの幻想のうち、国家的<共同幻想>成立のために必要とされながら<共同幻想>と相容れずしばしば対立する<対幻想>(性/セックス/家族)。
(1)「僕の考えでは、一つは共同幻想ということの問題がある。つまり共同幻想の構造という問題がある。それが国家とか法とかいうような問題になると思います。もう一つは、僕がそういうことばを使っているわけですけれども、対幻想、つまりペアになっている幻想ですね、そういう軸が一つある。それはいままでの概念でいえば家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女の関係の問題である。そういうものは大体対幻想という軸を設定すれば構造ははっきりする。もう一つは自己幻想、あるいは個体の幻想でもいいですけれども、自己幻想という軸を設定すればいい。芸術理論、文学理論、文学分野というものはみんなそういうところにいく」(吉本隆明「共同幻想論・序・P.25」角川文庫 一九八二年)
(2)「ところで一対の男・女のあいだに性交が禁止されるためには、個々の男・女に禁止の《意識》が存在しなければならない。そしてこの禁止の意識は<対なる幻想>の存在を前提としている。<対なる幻想>は<性>的なものであっても、性交的なものとかぎらないことは、人間の性交が動物的なものであっても、同時に観念的(愛とか憎悪とか)でありうるのとおなじであり、おなじ程度においてである」(吉本隆明「共同幻想論・母性論・P.170」角川文庫 一九八二年)
その上で「古事記」に描かれた次のエピソードをもう一度読み直してみよう。
「この天皇がサホビメを后とした時、サホビメの兄のサホビコが妹に向かって問うにはーーー『夫と兄とどちらが愛(いと)しいか』と問うと、『兄の方が愛しい』と答えた。そこでサホビコが計略を明かして言うにはーーー『本当に俺の方が愛しいのなら、俺とおまえとで天下を治めよう』と言って、八塩折(やしおおり)の紐小刀を作って妹に渡し、『この小刀で天皇が寝ているところを刺して殺せ』と言った。天皇はこの計略のことなど何も知らず、妃の膝を枕に眠った。后は紐小刀で天皇の首を刺そうと三度まで手を振り上げたが、悲しくてどうしても刺すことができなかった。后の泣く涙が天皇の顔にこぼれ落ちた。天皇が目を覚まして起き上がり、后が言うにはーーー『怪しい夢を見た。沙本(さほ)の方から驟雨(しゅうう)が来て私の顔を濡(ぬ)らした。そして錦色の小さな蛇が私の首にまつわりついた。この夢は何のしるしだろうか』と言った。それで后はこうなっては言い訳もできないと思って、天皇に言うことにはーーー『兄のサホビコが<夫と兄とどちらが愛しいか>と私に聞きました。正面から問われて思わず<兄の方が>と答えてしまいました。そこで兄は<俺と共に天下を治めよう>と持ちかけて、八塩折の紐小刀を作って私に授けました。それでお首を刺そうと三度まで振り上げたのですが、悲しくなってしまってどうしても刺せないまま泣いていたら、涙がお顔にこぼれて落ちたのです。夢はこのことのしるしでしょう』と言った。
天皇は『あやうく騙(だま)されるところだった』と言って、軍勢を出してサホビコを撃とうとした。サホビコは稲城(いなき)を築いて待ち構えた。サホビメは兄を見捨てることができず、裏口から逃げ出してその稲城に入った。この時、后は妊娠していた。天皇は、妻は妊娠しているわけだし、また三年に亘(わた)って愛し続けた相手なのだから、と辛く思った。そこで軍勢を呼び戻してしばらくは攻撃を控えた。そうして待っている間に月満ちて子供が生まれた。サホビメはその子を稲城の外に連れ出して地面に置き、天皇に向かって言うにはーーー『もしもこの子を自分の子と思われるのならば連れていって育てて下さい』と言った。天皇が答えて言うにはーーー『兄に怨(うら)みはあるが、后を愛しいと思う心は抑えられない』と言った。后も取り戻そうと思ったのだ。そこで、兵士の中でも力が強くてすばしこいのを何名か選び、命じて言うにはーーー『その子を取り戻す時に、母親の方もひっさらって来い。髪でも手でも摑(つか)んで引っ張り出せ』と言った。しかし后は天皇の性格をよく知っていたので、まず髪を剃(そ)って、その髪で頭を覆い、玉飾りの紐はわざと腐らせて手首に三重に巻き、着るものも酒に浸して腐らせ、見た目は普通の着物のように見せかけた。そこまで準備してから、子を抱いて稲城の外に出てきた。力のある兵士たちはまず子を受け取り、次に母親を捕まえようとした。しかし髪を摑むと髪は外れ、手を握れば玉の緒は切れ、着ているものを摑めばすぐに破れる。子は取り返したが、母親は取り返せなかった。兵士たちが戻って報告して言うにはーーー『髪は外れますし、着物は引けば破れる、手に巻いた玉飾りもすぐに紐が切れました。母親は取り戻せず、御子(みこ)だけ連れてまいりました』と言った。天皇はいたく悔やんで、玉作りの職人たちを憎み、その所領をすべて取り上げた。諺(ことわざ)に『地(ところ)得ぬ玉作り』というのはここから始まったことである。
ここで天皇が后に向かって言うにはーーー『子の名は母親が付けるもの、この子の名はどうすればよいか』と問うた。后が答えて言うにはーーー『今、この子は稲城が火で焼かれる時に、火の中で生まれました。ですから、この子の名は、本牟智和気御子(ホ・ムチ・ワケのミコ)としたらどうでしょう』と言った。更に天皇が問うてーーー『どうやって育てればよいだろう』と問うと、答えて言うにはーーー『乳母を付け、湯浴みの係も大湯坐(おおゆえ)と若湯坐(わかゆえ)の二名を定めて育てればいいのです』と答えた。更に天皇が后に問うて言うにはーーー『おまえが結んだみづの小佩(おひも)は誰に解かせようか』と問うと、答えて言うにはーーー『ヒコタタスミチノウシの娘の、兄比売(エ・ヒメ)と弟比売(オト・ヒメ)という二人の姉妹ならば心も正しいので、新しい后にふさわしいはず』と言った。その後でサホビコを殺すと、サホビメも後を追って亡くなった」(池澤夏樹訳「古事記・中巻・P.184~189」河出書房新社 二〇一四年)
吉本隆明はいう。
(3)「ここでサホ姫をおとずれる<倫理>は<夫>よりも<兄>に殉ずることによって発生する。いいかえれば大和朝廷勢力の<共同幻想>にたいして、前代的な遺制になった兄弟と姉妹とが政権と宗権を分掌する神話的な<共同幻想>の構成に殉じたところに<倫理>がうまれる。『古事記』のかたる原始的な遺制では、サホ姫にとって<夫>の天皇は同族外の存在だが、兄サホ姫は同母の血縁だから、氏族的(前氏族的)共同体での強い<対幻想>の対象である。そしてサホ姫は氏族的な<対幻想>の共同性が、部族的な<共同幻想>にとって代わられる過渡期に、その断層にはさまれていわば<倫理>的に死ぬのである。サホ姫の<倫理>的な行為には、氏族共同体の段階での自然的な性行為をともなわない兄弟と姉妹のあいだの<対幻想>が、自然的な性行為を基盤とする部族社会の<対幻想>よりも強いか、あるいは、同等の紐帯であった過渡的な時期があったのを象徴している。サホ姫にとって<倫理>とは氏族的な共同規範に徹することもできず、部族的な社会での異族婚姻の習慣に徹することもできず、ふたつのあいだに引き裂かれたところにあらわれる」(吉本隆明「共同幻想論・罪責論・P.208~209」角川文庫 一九八二年)
吉本隆明は「兄弟と姉妹のあいだの<対幻想>」の是非を問うているわけでは全然ない。逆にむしろ、国家的<共同幻想>=神話創設とともに避けて通るわけにいかなかった痛ましい過程をそこに見なければならないということだけを言っているのだろうかと問うべきだろう。このような転倒がなぜ繰り返し反復されるのか、反復されずにおかないのか、言い換えれば、<共同幻想>に支配された世界では<対幻想>が転倒・錯誤に見えたり見なされたりするのはなぜか、が問われていると考えてみる態度が大事だとおもうのである。
「神話的思考の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。何をする場合であっても、神話的思考はこの材料を使わなければならない。手もとには他に何もないのだから。したがって神話的思考とは、いわば一種の知的な器用仕事(ブリコラージュ)である」(レヴィ=ストロース「野生の思考・P.22」みすず書房)
東アジア独特の神話的思考はそのモザイク性を器用に用いつつ、(日本では)大和政権樹立にあたり「古事記」を通して、一体どんなことがあったのか、何がなされなくてはならなかったのか、たいへん慎重な手つきで物語られているのではと思われる。諸国家による<共同幻想>の暴力がまるで空気のように蔓延・浸透しつつある昨今、大江健三郎「万延元年のフットボール」は埃をかぶせて古書店に飾り立て、ただただ眺めておくだけの古びた小説でないことは明らかだろう。「万延元年のフットボール」は反復する暴力=死の本能にもかかわらず、ではなく、<死の本能(暴力)>の永遠回帰的反復性ゆえに、何ら終わっていない、これからもなお何度も繰り返し<不断に反復され><引き継がれていく>ということができるのではないだろうか。
ドゥルーズ=ガタリがいっているように近代以降の世界は脱コード化(近代資本制)の運動によって特徴づけられる。象徴秩序は解体されるし解体されてきた。「クラインの壺」モデルが象徴しているように至るところで資本の再投下と価値増殖とが際限なく繰り返される運動ばかりが世界を覆い尽くしている。さらに現代社会はもはや極めてリゾーミーな世界へと化した。
(1)「われわれは測定の諸統一(単位)を持たず、単に測定の多様性あるいは変動性を持つだけである。統一という観念が現われてくるのは、一個の多様体においてシニフィアンによる権力奪取が生ずるか、あるいはそれに対応する主体化の過程が生ずるときだけだーーーそのようなものが、客観的要素あるいはそれに対応する主体化の過程が生ずるときだけだーーーそのようなものが、客体的要素または点のあいだの一対一対応関係の総体を打ちたてる軸としての統一であり、あるいは主体における分化作用の二元論的論理の法則にしたがって自己を分割する<一者>なのだ。統一はいつも考察の対象となるシステムの次元を補完する空虚な次元の裡で働く(超コード化)。だがまさしく、リゾームまたは多様体は超コード化を受けつけず、それが持つ線の数を、つまりそれらの線に付随する諸数という多様体を補完する次元をそなえることは決してない。あらゆる多様体は、そのあらゆる次元を満たし、蔽いつくすというかぎりにおいて平たいものである」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・上・P.26~27」河出文庫 二〇一〇年)
(2)「リゾームは、序列的でなく意味形成的でない非中心化システムであり、<将軍>も、組織化する記憶や中心的自動装置もなく、ただ諸状態の交通においてのみ定義されるシステムなのだ。ーーープラトー〔高原・台地〕はつねに真ん中にある。始めでもなければ終わりでもない。リゾームはもろもろのプラトーからなっている」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・上・P.53」河出文庫 二〇一〇年)
(3)「リゾームには始まりも終わりも終点もない、いつも中間、もののあいだ、存在のあいだ、間奏曲なのだ。樹木は血統であるが、リゾームは同盟であり、もっぱら同盟に属する。樹木は動詞『である』を押しつけるが、リゾームは接続詞『とーーーとーーーとーーー』を生地としている。この接続詞には動詞『である』をゆさぶり根こぎにする十分な力がある」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・上・P.60」河出文庫 二〇一〇年)
ところが<共同幻想>の支配する地域(特に日本)では今なお超コード化的な古代専制国家の様相が比類なく濃い濃度で蔓延している。なおかつ途方もなく見えにくい専制君主制である。そこでは脱コード化する世界の流れの中で「中心/周縁」の二元論の解体が加速されつつあるにもかかわらず、同時に「中心/周縁」の二元論がいつでも任意の時点でやおら立ち現れ出て世界化への歩みを阻止する(グローバル化への建前にもかかわらず実質的にはいつもローカルである)余地をずっと残したまま現在進行形を取るという世にも奇妙な<ずれ>を全土において浸透させた「死の本能」の反復意志で満たされていると考えるべきだろう。