<私>の苦痛は段階的に増大する。新しく知ることはただちに新しい苦痛の出現である。新しく知ることと新しい苦痛の出現との等価性について。これを最後にアルベルチーヌの訃報が届く。
「しかし私の苦痛が耐えがたいものになったのは、サン=ルーがこう言ったときである、『ぼくが送った最後の電報のつづきからはじめるとね、倉庫みたいなところを通り抜けて家のなかへはいり、長い廊下の先まで行くと、ぼくはサロンに招じ入れられた』。この倉庫、廊下、サロンということばに、これらの語が最後まで発音されないうちから、私の心は電流が流れたよりもずっと急速に揺さぶられた。というのも一瞬のうちに地球を何周もさせるほどの力を持っているのは、電気ではなく、苦痛だからである。サン=ルーが立ち去ってから、私はこの倉庫、廊下、サロンという語を、ただわけもなくその衝撃を新たにしながら、何度くり返したことか!倉庫のなかには、女友だちといっしょに身を隠すことができる。サロンでは、叔母の留守中、アルベルチーヌがなにをしていたか知れたものではない。なんということだ。してみると私は、アルベルチーヌの暮らす家を想い描きながら、そこには倉庫もサロンもありえないと想いこんでいたのか?そうではない、私はその家をまったく想い描いていなかったのだ。あるいは漠然とした場所しか想い描いていなかったのだろう。私がはじめて苦痛を覚えたのは、アルベルチーヌのいる場所が地理的に特定されたときであり、アルベルチーヌが二、三の場所にいる可能性があるというのではなくトゥーレーヌにいると知ったときであり、アルベルチーヌの家の門番のことばは、まるで地図のうえに印をつけるように、私の心がいよいよ苦しまなければならぬ心中の場所に印をつけたのである。アルベルチーヌがトゥーレーヌの家にいるという考えにいったん慣れてしまうと、私はその家を目に浮かべることはなかったし、サロンや倉庫や廊下がおぞましいという考えがそれまでの私の想像に浮かんだこともなかったが、いまやサロンや倉庫や廊下は、それを目にしたサン=ルーの網膜に映し出されて私の目の前にあり、そこにアルベルチーヌは出入りし、暮らしているのだ。それはつぎからつぎへと葬り去られた無数の可能な部屋ではなく、それと特定された部屋であった。この倉庫、廊下、サロンということばとともに私の目にさらけ出されたのは、その《実在》(単なる可能性ではない)が明らかになった呪われた場所にアルベルチーヌを一週間も放置しておいた私の愚かさである。さらにサン=ルーから、そのサロンでは、大声を張りあげて歌う声が隣の部屋から聞こえてきて、それがアルベルチーヌだったと聞かされたとき、私には残念ながら望みはないと悟った。アルベルチーヌは、ついに私から解放されて幸せなのだ!自由をとり戻したのだ。それなのに私は、アルベルチーヌはアンドレの座を奪うためにかならず戻ってくると考えていたのだ!わが家では何日も私の部屋へさえ呼んでもらえず閉じこめられていた籠から脱けだし、ふたたび自由の身になったアルベルチーヌは、私の目にその価値をそっくりとり戻し、だれもがあとを追う最初の日々の神秘の鳥に戻ったのだ」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.129~131」岩波文庫 二〇一七年)
決定的なのはサン=ルーの言葉を通して始めて「倉庫、廊下、サロンという語」が<私>にとって「おぞましい」場所として出現したという点。
「アルベルチーヌがトゥーレーヌの家にいるという考えにいったん慣れてしまうと、私はその家を目に浮かべることはなかったし、サロンや倉庫や廊下がおぞましいという考えがそれまでの私の想像に浮かんだこともなかったが、いまやサロンや倉庫や廊下は、それを目にしたサン=ルーの網膜に映し出されて私の目の前にあり、そこにアルベルチーヌは出入りし、暮らしているのだ。それはつぎからつぎへと葬り去られた無数の可能な部屋ではなく、それと特定された部屋であった」。
サン=ルーは何らかの悪意を持って<私>に接したわけではない。悪意か善意かという問いは関係がない。そうではなく、サン=ルーの言葉は<他者>として<私>に衝撃を与えたのであり、<他者>の言葉であるがゆえ、<私>に衝撃を与え、<私>を新しい思考へ投げ入れたとみるべきだろう。
「思考するということはひとつの能力の自然的な〔生まれつきの〕働きであること、この能力は良き本性〔自然〕と良き意志をもっていること、こうしたことは、《事実においては》理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというよりはむしろ、何かショックを受けて思考するということ、これは、『すべてのひと』のよく知るところである」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第三章・P.354」河出文庫 二〇〇七年)
なぜサン=ルーの言葉は<他者の言葉>なのか。トゥーレーヌへの密使として<私>が特別に選任し派遣した人物だからである。サン=ルーは<私>の言葉によってトゥーレーヌへ送り込まれる。<私>がサン=ルーに託した言葉は嘘の言葉である。サン=ルーはそれが嘘であることを知らぬまま密使としてトゥーレーヌへ行き、同じく密使として今度はトゥーレーヌから<私>のところへ帰ってくる。両者の間を往復する。往復することでサン=ルーは新しい情報を身につけた<他者>として<私>の前に再出現する。
密使というのは、プルーストがシャルリュスの「目」について述べた言葉、「スパイのような目」として動くよう仕向けられるからである。しかしサン=ルーはシャルリュスと違い、トゥーレーヌへ行って何か監視したり尾行したりすることは一切ない。逆説的にも、欲望しない「目」として機能する。欲望しない「目」に映ったそのままを<私>に告げる。トゥーレーヌを特権化して見ようとする欲望のない写真のような「目」の機能しか発揮しない。
その機能はトゥーレーヌという場所の一つの表層を切り取って別の場所へ移動させ、さらに、移動させてきた一つの表層を「倉庫、廊下、サロンという語」へ三分割することはいつでも可能だと教えている。また「倉庫、廊下、サロンという語」は、常にこの序列でなくてはならない必然性を一つも持たない。三つの場所を現わす三つの言葉は、機能上、置き換え可能だ。
だからこのシーンでのサン=ルーの身振り(振る舞い)は明白な翻訳であるにもかかわらずそれがサン=ルー自身にも翻訳に見えないという嘘のような効果を演出している。この場合、嘘のようなというのは、ほとんど不可能に近いということを意味する。
<私>の欲望はトゥーレーヌを見ているのに実際は<見ない>欲望だった。この態度はなぜ可能なのか。
(1)「見えないものを定義され排除されたものとして定義し構造化するのは問いの構造の場である。この見えないものは、問いの構造の場の存在と固有の構造によって、可視性の場から《排除され》、排除されたものとして《定義される》。それは、場がその対象に反照すること、すなわち問いの構造がその対象に必然的にかつ内在的に関係することを、禁止し抑圧するものとして定義される。ーーー新しい対象と問題は必然的に現存の理論的場のなかでは《見えない》。なぜなら、それらはこの理論の対象ではなく、《禁止されたもの》であるからだーーーそれらは、この問いの構造によって定義された、見えるものの場との必然的関係を必然的にもたない対象であり問題なのである。それらは、権利上、見えるものの場の外に排斥され抑圧されるから、見えないのである。まさにそのゆえに、それらがその場のなかに現実に現前している事実は、(非常に特殊な徴候的状況のなかで)それが到来するときにも《気づかれないでしまう》し、文字通りに感知されざる不在になる。それというのも、そもそも場の機能というものは、それらの対象や問題を見ないこと、それらを見ることを禁止することにあるからだ。ここでもまた、見えないものは、見えるものと同じく、もはや主体の《視覚の機能》ではない。見えないものとは、理論的な問いの構造が自分の非=対象を見ないことであり、見えないものは暗闇であり、理論的な問いの構造が自己へと反照するときのめしいた目である。その問いの構造は、その非=対象や非=問題を《熟視しないために》、それらを見ないで通りぬけていく。ーーー見える場のなかの見えないものは、理論展開のなかで、この場によって定義される見えるものにとって外的で疎遠であれば《何でもいいもの》ではない。見えないものはつねに見えるものによって、《それの》見えないもの、《それの》見ることの禁止として定義される。だから見えないものは、空間的隠喩をもう一度使って言えば、見えるものの外部、排除の外的な暗闇ではなくて、見えるものによって定義されるがゆえに見えるもの自体に内在する《排除の内的な暗闇》なのである。言い換えると、地盤、地平、したがって所与の理論的な問いの構造によって定義される見える場の境界といった魅惑的な隠喩は、空間的隠喩を額面通りにとってこの場を《それの外部にあるもうひとつの空間によって》定義される場として考えるなら、この場の性質について思い違いをさせかねない。このもうひとつの空間なるものは、それを自分の否認として含む最初の空間のなかにある。このもうひとつの空間は、まるごと最初の空間なのであって、最初の空間は、それ自身の境界線に排除するものの否認によってのみ定義される。最初の空間には《内部の》境界しかないし、それはその外部を自己の内部にかかえていると言っていい。このように理論的場の逆説は、あえて空間的隠喩を使って言えば、《限定される》がゆえに《無限な》空間、すなわち、それをなにものかから分かつ《外的な》限界や境界をもたない空間であるという点にある。なぜかといえば、それは自分の内部で定義され限定され、自分でないものを排除することで自分の本来の存在を作り出す、定義の有限性を自分の内部にもっているからである」(アルチュセール「資本論を読む・上・序文・P.43~46」ちくま学芸文庫 一九九六年)
(2)「私はここで問題になっているのはイデオロギー的《哲学》だと言う。それというのも、『認識の問題』のイデオロギー的定立こそが、西欧の観念論的哲学と一体になった伝統(デカルトからカントとヘーゲルを経てフッサールにいたるまでの伝統)を定義するからである。私がこのような認識の『定立』は《イデオロギー的》であると言うのは、この問題が『答え』から出発して、答えの正確な《反射》として定式化されているからである。すなわち、それは本当の問題としてではなく、自分が与えたいと思う《イデオロギー的な》解答がたしかにこの問題の解答であるかのように定立されなくてはならなかった問題として定式化されたのである。ーーーこの論点はイデオロギーの本質をイデオロギー的形式で定義し、イデオロギー的認識(とりわけ、イデオロギーが語る認識)を原理上は《再認》の現象に還元する。イデオロギーの理論的生産様式においては(この関連では科学の理論的生産様式とはまったく違って)、問題の定式化は、認識過程の外部ですでに生産されている《解答》ーーー外部でというのは、理論外的審級や要求(宗教的、道徳的、政治的その他の)によって押しつけられるのだからーーーが、理論的鏡としても実践的正当化にも役立つように作られた人為的問題のなかに《自己を再認できる》諸条件の理論的表現でしかないからだ。このように、『認識の問題』によって支配される近代西欧哲学のすべては事実上、この《鏡のなかの再認》から期待される理論的=実践的効果を可能にするように《生産された》(あるひとたちには自覚的に、あるひとたちには無自覚的にーーーしかしここではどちらでもかまわない)用語でもって、またそのように生産された理論的土台に基づいて提起される『問題』の定式化によって支配されている。西欧哲学の歴史のすべては『認識問題』によってではなく、この『問題』が受け取る《べき》イデオロギー的解答によって支配されていると言ってもいいくらいだ。ここでイデオロギー的だと言うのは、認識の現実に無縁な実践的、宗教的、道徳的、政治的な『利害感心』によってあらかじめ解答が押しつけられるからである。マルクスが『ドイツ・イデオロギー』のときからかなり深みのある言葉で言うように、『《答えのなかばかりでなく、問いそのもののなかにも、ごまかしがあった》』。ーーーここでわれわれはもっとやっかいな難題に出会う。なぜなら、われわれは、まちがった答えの《反復》だけでなく、とりわけ《まちがった問い》の《反復》が多くのひとびとのなかで生み出してきた数世紀来の『自明さ』に対して、この企てにおいてはほとんど一人だけで抵抗しなくてはならないからである。われわれはこのイデオロギー的問いによって定義されるイデオロギー的空間、この《必然的に閉じた》空間から脱出しなくてはならない(閉じた空間だと言うのは、イデオロギーの理論的生産様式を特徴づける《再認》構造の本質的結果のひとつは閉じているからである。この不可避的に閉じた円環を、ラカンは別の文脈で、また別の目的から、『《双対の鏡像関係》』と呼んだ)。そうすることでわれわれは、別の場所で新しい空間を開くべきであるーーーこの空間は、《解答について予断を下すことのない、問題の正当な定立》が要求する空間である。『認識問題』のこの空間が閉じた空間すなわち悪循環(イデオロギー的再認の鏡的関係の悪循環そのもの)であること、まさにこの事実を西欧哲学における『認識理論』の歴史は、有名な『デカルト的円環』からヘーゲル的あるいはフッサール的理性の目的論の円環に至るまで、はっきりと《見させて》くれる。この円環の必然的存在を理論的に引き受ける、すなわちそれを自分のイデオロギー的企てにとって本質的であると考えようと決意する哲学(フッサール)が最高度の自覚と誠実さに達したとしても、この《円環》から《抜け出す》ことはできなかったし、イデオロギー的な囚われから《抜け出す》ことはできなかったーーー同様に、この『閉鎖性』の絶対的可能性の条件を、『開放性』(外見的には閉鎖性のイデオロギー的非=閉鎖性でしかない)のなかで考えようとした人、つまりハイデガーもまたこの円環から抜け出すことができなかった。外部であれ深さであれ、単なる《外》に身を置くことでは閉じた空間から出ることはできない。この外またはこの深さが《その》外または《その》深さにとどまるかぎりは、それらはまだ《この》円環、《この》閉じた空間に属しているーーーちょうど円環がそれとは別の《それの》他者のなかで『反復する』ように。この円環から首尾よく免れるのは、この空間の反復によるのではなくて、それの非=反復によってであるーーー理論的に根拠のある《逃走》だけがそれを可能にする。この逃走は、正しくは、逃げだす相手につねに縛られている《逃走》ではなくて、新しい空間、新しい問いの構造の根本からの創設であり、それのおかげではじめて、イデオロギー的な問題定立の再認の構造のなかで否認された現実の《問題》を立てることができる」(アルチュセール「資本論を読む・上・序文・P.98~101」ちくま学芸文庫 一九九六年)
目に映っているのに多くの人々が<見ない>ものを<見える>よう見出し翻訳してくれる作業。それがエルスチールの絵画でありヴァントゥイユの音楽である。ところがアルベルチーヌの不在に耐えられない<私>にとって、それらの発見は実にしばしば、さらなる新しい苦痛をもたらす。