柳田國男「祭礼と世間」は一九一九(大正八)年五月「東京新聞」に掲載された。長﨑健吾はこう述べる。
「『有識階級』を批判して国民に対する《同情》の必要を説く柳田の主張は、単なる道義的な観点からの非難ではない。明治以降の国家のありかたへの彼の根本的な批判、『今日に至るまで、ろくにこれぞという調査を遂げ、計画を立ててみた者がなかった』(『農村雑記』)という設定と、一体になった主張なのである。
『祭礼と世間』の末尾に、彼は次のように記している。
酒は前申すごとく尊い薬水ではあるが、尚古派の自分等でも、夙(つと)にこれを家庭に入れぬことにしている。濫用の危険が無限にあって、今の新しい生活と調和せぬためである。そうして代りにシトロン(注 炭酸水にレモン果汁などを加えた清涼飲料水)などを飲んでいる。神輿に弊害ありとする有識者のごときも、いたずらに『これ弊害というべきものにあらず』などと論ずることを努めずに、何かこのシトロン様(よう)の物を工夫してはどうか。その代りまた一方には、神社中心の地方統一などという策を、案出する資格はないということを、自覚してかからねばなるまい。かつて神霊の存在を信ぜざる者の祭文沙汰くらい、苦々しいものは世の中にたんとないと思う。
全編極めてまわりくどい論の末尾にいたってようやく、柳田が絶えず念頭に置いていた批判対象があきらかにされる。それは彼の眼前で進められていた『神霊の存在を信ぜざる者の祭文沙汰』、国民の多数者と《信仰》を共有しない国家指導層による、欺瞞的な神道政策である」(長﨑健吾「計画する先祖たちの神話(3)」『群像・11・P.363』講談社 二〇二四年)
「国民の多数者と《信仰》を共有しない国家指導層による、欺瞞的な神道政策」
とある。
今や「神道政策」もずいぶん様変わりしたように思える。
日本の最大政治政党と統一教会と軍事産業界とが用いる政治暴力と出どころのはっきりしない金の力とによって天皇制が支えられているのか、それとも日本の最大政治政党と統一教会と軍事産業界が用いる政治暴力と出どころのはっきりしない金の力とを支えるために天皇制が政治利用されているのか境界線はあいまいになるばかりである。
常にアメリカの厳重な監視下に置かれている天皇家が単独でそこまで勝手なことができるだろうか。米英仏中露などの大国は天皇家の行事とその演出から注意をそらすことは決してないだろうしそれを意識して宮内庁も動くだろう。
さらにアメリカは東西冷戦時に堂々と利用した経緯があるためやや消極的ながらフランスからはカルト指定され中国では「邪教」とされイギリスでは「ジャニーズ問題」とほぼ同一視されている統一教会と浅からぬ接点のある政治家が今回の衆院選でも複数当選している。地方議会になるとどれほどの数にのぼるかわかったものではない。多分公表できないだろう。今世紀も四分の一が過ぎようとしているにもかかわらずなお問題解決はほど遠いどころか二世三世問題はますます増殖深刻化する一方である。
ところで長﨑健吾は従来の柳田論に付き纏ってきた「同情」という用語の取り扱いについて「付記」としてこう付け加えている。
「付記 従来の柳田論は《同情》という用語の彼独特の意味を取り逃がし、共感のニュアンスによって理解し過ぎていたように思われる。こうした傾向は近代知識階級の一員としての彼の立場をあいまいにしてきたことに関わるだろう。国民の多数者と自己のあいだに横たわる差異を自覚するからこそ《同情》という修養が必要とされる。学問が進み《同情》が精緻になればなるほど、差異の乗り越えがたさが明瞭になっていく。こうした彼のありかたが露呈した場面として、思想史家の家永三郎との対談『日本歴史閑談』におけるやりとりを引いておきたい。文字に記されない民間信仰から探り出した『宗教的人生観』は、都会で育った人間の安心立命にどれほど役立つのか。そう家永に問われた柳田は、次のように答えている。
それはできない。それは私らのように同情して田舎者の信仰を見ているものすら、自分は仲間に入れない。情けないことに、それはできない」(長﨑健吾「計画する先祖たちの神話(3)」『群像・11・P.363~364』講談社 二〇二四年)
自分自身を含む当時の「有識階級」(知識人)に対する柳田の考え方は今のマス-コミ御用コメンテーターより遥かに真摯であり決して悪のりせず民主主義と向き合った点は評価されていいと思える。もっとも今のマス-コミ御用コメンテーターの言動があまりにも殺人的過ぎるゆえそう見えるのかも知れないが。