白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ397

2024年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十一月三十日(土)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

あのさ、タマの写真てなんであんまり変わり映えがしないのかなぁ。

 

猫は人間のおもちゃじゃないからね。感動ポルノめいた物語仕立ての商品にして広告入れて儲けるってのには抵抗があるのさ。

 

でもそれを見た人が保護猫保護犬の譲渡会へ行ってみようとかしてるみたいだよ。

 

うん。広告を限定した上でそういう活動してる人々は沢山いるよね。けど我が家みたいな底辺階級で引き受けられる犬猫さんはとっても数が限られてる。タマが寿命をまっとうしてくれるまで責任を持って育てていけるかっていうと今の日本の経済政策じゃますます無理っぽい。何かいい方法はないかなあとアイデアを常に考えておかないとね。

 

それとタマが好きなようにごろごろしてる何の変哲もない写真とどう関係あるの?

 

だって猫ってそれでごくふつうじゃん?街中で見かける野良さんもそんなもんだよ。ふつうに日向ぼっこしてる。

 

お外で日向ぼっこしたことないからわかんないけど野良さんなりにそれで当たり前なんだ。

 

だね。で、もしさ、野良さんの感動ポルノ映画千本立て上映会っていう企画とか出来たらどう思う?

 

えっ。笑えないを通り越してそりゃあなるほど不気味だとおもう。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ロイ・ハーグローヴ。”Habana”と同時期に録音された未発表アルバムらしい。”Habana”は出世作になったわけだが当時のジャズのお手本的な感じで持ち上げられた印象。しかし今回の未発表作品集はより一層カリビアンな風味。ラテン・ジャズというひと言では括りきれないファンク系やちょっと懐かしめのアフロ・キューバン系も含め広く味わい深い。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて991

2024年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「Bine」

本棚部屋で横になってとてもリラックスムードの猫。栞を丸めたおもちゃを転がしてひとり遊び。オウテカの音楽にもはや慣れてきたのかと思わせなくもない。居間にいるときとほとんど変わらない様子でうろうろしたり気ままに横になったり。一曲が五分台と短か過ぎて他の曲と比較した場合の反応の違いがいまいちよくつかめないためもう一度かけてみる。すると床に横になってお腹を見せていたかと思えばゆるゆる飼い主の足元に近づいてきて机の上にひょいと飛び乗りパソコン画面のそばの文房具にちょっかいを出し始める。どうも慣れてきたみたいに見える。部屋がエアコンで温まってくるとお腹を見せたままあくびする。


Blog21・二代目タマ’s ライフ396

2024年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十一月二十九日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

精神障害関連の事務手続きのため市役所周辺へ出たついでに琵琶湖疏水の紅葉を見てきた。

 

帰宅するとタマがお出迎え。

 

タマね、お利口に待ってたよ。

 

自分で言うかな。

 

言ってみただけ。で、紅葉はどうだった?

 

うん。疏水の辺りは昔からごり推し感のないごく普通の並木なんだ。落ち着いて眺めていられる。もっともそこまで行けない人たちも近所を散歩すれば秋に色づいた木々が幾らでも見られる。早朝のリハビリで琵琶湖畔まで行って帰ってくるだけで気分が整うってのは近くで暮らしていれば誰でも知ってる。

 

タマも二階の窓から見て知ってるよ。

 

でも惜しい事態が加速してる。例えば季節の移ろいひとつ取っても通勤通学の人々が公共交通機関から見える窓外の景色や通学路の移り変わりにほとんど反応しなくなってしまったことだね。人間の端末機械化が不可逆的なほど進行してる。

 

また端末の話なの?

 

いや、その前に大事なことがある。今なお琵琶湖疏水は昔ながらに楚々としたもんで、ほら紅葉だ、ほらスマホで撮れ、端末使わないと時代遅れでいじめられても自己責任の泣き寝入りでますます白い目で見られるだけだぜ?っていうような偏向報道にはならないし偏向報道に向かない作りなのさ、元々ね。そんなくらいが適度というか心身ともに少しはリラックスになる。

 

そんなもんですか。

 

飼い主の実家は円山公園、祇園、宮川町、鴨川、南座、清水寺とかに取り囲まれた春夏秋冬もういい加減にしてくれというしかないところにあって、春の桜なんてそれこそ「盛り盛り」でなんだか不気味に思えてくるわけ。毎朝ね。で高校時代は大津市の私立に行ったのさ。するとローカルなチンチン電車なんだけどちらほら見える四季の景色がなんとも奥ゆかしくて精神的な避難場所になった。その三年間でギターもめきめき上達したんだ。読書もね。大都市とは距離を置いたのんびりした場所に心を置く時間を持つことができたから、余計なことは考えず気ままに趣味を身に付けることができたわけ。

 

でもそれじゃあのんびりし過ぎてしまわない?

 

大学受験のことだね。でも受験だけに限って言えば所詮技術なんで本来的な学問とはほとんど関係ない。技術だから最後の夏休みと秋の学期が始まって一ヶ月くらいほぼそればかりに取り組むだろ?すぐ後の模試の結果みたら関西の有名私立合格圏内に十分入れるようになってた。息抜きにギター弾いて本も読みながら。それが飼い主にとっての「ながら勉強」。

 

むむ~。あ、でも昨日テレビ見てたら兵庫県で「盛り」がどうしたこうしたと言ってたのタマ見たよ。さっき飼い主は「盛り盛り」ってのは不気味な気がするってのとなんか関係あるの?

 

この前SFC構想の話したよね?ウィキペディア見たらさ、SFCは実質的に「慶応SFC」のことを指すとか載ってて驚いたんだけど。でも実は慶應大学だけの話じゃ全然ない。SFCはただ単に地名の頭文字を付けただけで実際は世界中の有力大学と提携した大規模ネットワークのことであってね、端末を利用して世界中をソフトな仕方で「洗脳」を「洗脳」と思わせない緩やかな「洗脳」を施しちまってすべてのデータを動員しつつ世界的常時管理網を構築しようという競争から始まった。旧西側旧東側の枠組みが終わりそうな頃から本格化したから常に臨戦態勢に置かれる。さらに日本はどこまでもアメリカの下請けに甘んじないといけないからいつも脱落するほかない指定席に釘付けされてる。だから日本のSFCネットワークは米中の有力大学を始めとする巨大な一環のひとつに位置付けられていくばかりでどれほど大金を投じてもその成果は常に米中への滅私奉公を経てそのおこぼれを頂戴するしかないシステムなんだな。だからタマがテレビを見て兵庫県とか言い出したから、そんなのもはや周回遅れもいいところだって意味で二、三日前にアメリカ州知事とハメット”Red Harvest”の話をしたわけ。

 

はあ、そんなもんですか。

 

情報宣伝ストラテジーでいう「盛り」もそうなんだけど「盛り」って言葉が公人と関係の深い民間事業関係者の口から出たところでアレルギー的拒絶反応がどばどば出てこない日本の有権者はもうどうかしちゃってると思わなくちゃ。ついで言っとくと春の桜が「盛り盛り」なのを見ると無気味だってフレーズを見たのは高校時代で恐ろしく古い小説なんだけど古井由吉「櫛の火」だったと思う、確か。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ロイ・ハーグローヴ。”Habana”と同時期に録音された未発表アルバムらしい。”Habana”は出世作になったわけだが当時のジャズのお手本的な感じで持ち上げられた印象。しかし今回の未発表作品集はより一層カリビアンな風味。ラテン・ジャズというひと言では括りきれないファンク系やちょっと懐かしめのアフロ・キューバン系も含め広く味わい深い。


Blog21・国家戦略としての「クスリ漬」、とりわけマリファナ/エナジードリンク/アルコール

2024年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

慢性的な無気力状態を政府が放置しておく理由。フィッシャーはいう。

 

「ハッパのどこがいいというのだろう?そのせいで起こる精神異常だけでなく、そもそも、それが人にもたらす《実際の状態に》問題がある。慢性的に気力がなく、怠惰で、パラノイアを感じることの弁証法的な裏返しである、アホ豚のような自己満足感に満たされるというありさま。『満足した豚よりも不満を抱えたソクラテスがよいーーー』。ところが、快楽原則そしてリラックスへの最短ルートのみにコミットするストーナーには、それが無理なのだ。思考かぁ、思考はさぁ、努力が必要でねぇ、圧力をかけるのはやめましょうよ、ここに座って無意味なおしゃべりでもさせてくれ、だってそれがクリエイティヴなんでしょ?俺のこの空気を邪魔しないで、でも、お店に行ったらおやつ買ってきてちょうだいね?

 

ニルヴァーナ原則、すなわちすべての緊張の完全な消滅に向かう衝動は、死の衝動そのものではなく、快楽原則の最高の表現にすぎないというラカンの主張を、これ以上証明できるものはあるだろうか。ストーナーの陶酔は、ただ緊張感をとり除き、ゾンビ化した消費者となり、冷蔵庫や深夜のガレージによたよたと赴き、マリファナによって己の体内に開かれた資本(カピタル)のタングステン・カーバイドでできた胃袋の果てしない食欲を満たすためだけにある。『肉体(ミート)、そして肉体(ミート)が欲求するものすべてーーー』

 

ーーーマリファナ常用者に関する俗説のひとつに、彼らは攻撃的ではないというものがある。確かに、彼ら自身の中に攻撃的な《感情》はない。彼らのアホたらしい至福状態である超脱力したリラックス感は、自分自身の生体とのふれあいを妨げるいかなる感情でもまさに消し去ってしまうものだ。しかし、このオナニストのような自己中心性が脅される途端、ストーナーがどんなに気が荒く、どんなに苛立ちやすく、どんなに意地が悪い人間になれるかがよくわかる。ストーナーは、自分自身の(受動的な)攻撃性への権利を要求するのだが、他者から攻撃性を見せられることを嫌がる。なぜなら、いかなる対立も、とりわけ政治的な対立(なんとーーー対立、しかも合理性!これ以上、気分が《サガル》ものはあるか?)は、彼らのこの『快楽権』を邪魔するのだから。おい、気分が悪くなるぜ。

 

若者たちが自主的にこのような沈静化プログラムに身を委ねることは、政治的にあまりプラスにならないということは、あえて強調するまでもないだろう。政府関係者が無害とされるこの薬物の喫煙に関して法的罰則を緩和することに賛成するのは、彼ら自身が奨学金をもらってゴロゴロしているときに吸っていたから、あるいは彼らの子供たちがみな吸っているからというだけではない。政治的に都合がいいからこそ賛成しているのだ。

 

ーーー『すばらしい新世界』(Brave New World)に着想を得たフクヤマのSSRI批判は、SSRIは幸福感をもたらすがゆえに、行動や自己証明に対する心理的動機が失われてしまうというものだった。フクヤマのこうした議論は、明らかに資本主義寄りの企業に奉仕するものだが、その論理はコミュニストにとっても使えるものなのだ。麻薬に耽溺しているうちは、資本(カピタル)に対する闘争も、いやそもそも何に対しても闘争する気にはなれないだろう」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.145~147」ele-king books 二〇二四年)

 

フィッシャーが言い出す前すでに他国でも言われていた部分が数多く見られる。

 

若年層がマリファナを手に入れる手段をこっそり残したまま放置されているのはどうしてか。吸いたい放題に吸わせてぼうっとさせておき、すべての気力を喪失させ、ただ単に「ラブ&ピース」と言ってニヤニヤ笑うばかりで後のことはどうでもいいじゃないかという無限快楽状態へ耽溺させておくのはなぜか。違法合法を問わず薬物で無限快楽状態に陥り無気力な宙吊り状態のうちに包摂された若年層を、怠惰ゆえに手軽に手に入るファストフードをがばがば買い込み、要するに「資本」の側から提供される都合のよい「消費者」の次元に留め置くことにしているのはどうしてか。

 

「政治的に都合がいい」

 

今のアメリカが世界に向けて晒している半壊状態はアッパー系飲料や薬物摂取なしに成り立っていかない「ハッスル文化」がもはや無効化したことの自己証明でしかない。

 

「麻薬に耽溺しているうちは、資本(カピタル)に対する闘争も、いやそもそも何に対しても闘争する気にはなれないだろう」

 

その通りなのだが日本では事情が異なりもっと悪い循環が伝統化している。一九八〇年代後半。「闘争」をとっくの昔に捨て去り「逃亡」を決め込んだ「労使馴れ合い」という伝統もそのひとつ。日本最大の労組は「連合」ということになっているわけだがその「連合」は国鉄分割民営化を皮切りに労働者階級に対する「麻薬」の役割を堂々と果たすことに貢献してきた。

 

今のアメリカは州ごとに違いはあるものの多くの州でマリファナが解禁されている。日本ではマリファナ解禁するまでもなくアルコール次元で速くもへろへろ。これほど、

 

「政治的に都合がいい」

 

国家国民というのも世界史的に珍しいというほかない。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて990

2024年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「Parhelic Triangle」

飼い主のふくらはぎを頭で何度かごちん。伸び上がって部屋の壁を爪で軽くかりかり。遊んでほしがる猫。冒頭から繰り返される低いジュルジュル音には何ら抵抗を示さないばかりかむしろ昔からよく聴き慣れていて当たり前感さえ漂わせた目で飼い主を見やる。栞を適当に丸めて投げてやると走って追いかけて軽くタッチ。ドリブルして弄びもする。ごく小さい音量で人間の声に似た音が入った曲なのだがその音を特に気にかける様子はない。途中でお腹を見せて横になり床で暇そうにごろごろ。