慢性的な無気力状態を政府が放置しておく理由。フィッシャーはいう。
「ハッパのどこがいいというのだろう?そのせいで起こる精神異常だけでなく、そもそも、それが人にもたらす《実際の状態に》問題がある。慢性的に気力がなく、怠惰で、パラノイアを感じることの弁証法的な裏返しである、アホ豚のような自己満足感に満たされるというありさま。『満足した豚よりも不満を抱えたソクラテスがよいーーー』。ところが、快楽原則そしてリラックスへの最短ルートのみにコミットするストーナーには、それが無理なのだ。思考かぁ、思考はさぁ、努力が必要でねぇ、圧力をかけるのはやめましょうよ、ここに座って無意味なおしゃべりでもさせてくれ、だってそれがクリエイティヴなんでしょ?俺のこの空気を邪魔しないで、でも、お店に行ったらおやつ買ってきてちょうだいね?
ニルヴァーナ原則、すなわちすべての緊張の完全な消滅に向かう衝動は、死の衝動そのものではなく、快楽原則の最高の表現にすぎないというラカンの主張を、これ以上証明できるものはあるだろうか。ストーナーの陶酔は、ただ緊張感をとり除き、ゾンビ化した消費者となり、冷蔵庫や深夜のガレージによたよたと赴き、マリファナによって己の体内に開かれた資本(カピタル)のタングステン・カーバイドでできた胃袋の果てしない食欲を満たすためだけにある。『肉体(ミート)、そして肉体(ミート)が欲求するものすべてーーー』
ーーーマリファナ常用者に関する俗説のひとつに、彼らは攻撃的ではないというものがある。確かに、彼ら自身の中に攻撃的な《感情》はない。彼らのアホたらしい至福状態である超脱力したリラックス感は、自分自身の生体とのふれあいを妨げるいかなる感情でもまさに消し去ってしまうものだ。しかし、このオナニストのような自己中心性が脅される途端、ストーナーがどんなに気が荒く、どんなに苛立ちやすく、どんなに意地が悪い人間になれるかがよくわかる。ストーナーは、自分自身の(受動的な)攻撃性への権利を要求するのだが、他者から攻撃性を見せられることを嫌がる。なぜなら、いかなる対立も、とりわけ政治的な対立(なんとーーー対立、しかも合理性!これ以上、気分が《サガル》ものはあるか?)は、彼らのこの『快楽権』を邪魔するのだから。おい、気分が悪くなるぜ。
若者たちが自主的にこのような沈静化プログラムに身を委ねることは、政治的にあまりプラスにならないということは、あえて強調するまでもないだろう。政府関係者が無害とされるこの薬物の喫煙に関して法的罰則を緩和することに賛成するのは、彼ら自身が奨学金をもらってゴロゴロしているときに吸っていたから、あるいは彼らの子供たちがみな吸っているからというだけではない。政治的に都合がいいからこそ賛成しているのだ。
ーーー『すばらしい新世界』(Brave New World)に着想を得たフクヤマのSSRI批判は、SSRIは幸福感をもたらすがゆえに、行動や自己証明に対する心理的動機が失われてしまうというものだった。フクヤマのこうした議論は、明らかに資本主義寄りの企業に奉仕するものだが、その論理はコミュニストにとっても使えるものなのだ。麻薬に耽溺しているうちは、資本(カピタル)に対する闘争も、いやそもそも何に対しても闘争する気にはなれないだろう」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.145~147」ele-king books 二〇二四年)
フィッシャーが言い出す前すでに他国でも言われていた部分が数多く見られる。
若年層がマリファナを手に入れる手段をこっそり残したまま放置されているのはどうしてか。吸いたい放題に吸わせてぼうっとさせておき、すべての気力を喪失させ、ただ単に「ラブ&ピース」と言ってニヤニヤ笑うばかりで後のことはどうでもいいじゃないかという無限快楽状態へ耽溺させておくのはなぜか。違法合法を問わず薬物で無限快楽状態に陥り無気力な宙吊り状態のうちに包摂された若年層を、怠惰ゆえに手軽に手に入るファストフードをがばがば買い込み、要するに「資本」の側から提供される都合のよい「消費者」の次元に留め置くことにしているのはどうしてか。
「政治的に都合がいい」
今のアメリカが世界に向けて晒している半壊状態はアッパー系飲料や薬物摂取なしに成り立っていかない「ハッスル文化」がもはや無効化したことの自己証明でしかない。
「麻薬に耽溺しているうちは、資本(カピタル)に対する闘争も、いやそもそも何に対しても闘争する気にはなれないだろう」
その通りなのだが日本では事情が異なりもっと悪い循環が伝統化している。一九八〇年代後半。「闘争」をとっくの昔に捨て去り「逃亡」を決め込んだ「労使馴れ合い」という伝統もそのひとつ。日本最大の労組は「連合」ということになっているわけだがその「連合」は国鉄分割民営化を皮切りに労働者階級に対する「麻薬」の役割を堂々と果たすことに貢献してきた。
今のアメリカは州ごとに違いはあるものの多くの州でマリファナが解禁されている。日本ではマリファナ解禁するまでもなくアルコール次元で速くもへろへろ。これほど、
「政治的に都合がいい」
国家国民というのも世界史的に珍しいというほかない。