二〇二四年十二月一日(日)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
タマね、飼い主が買い物に出てる間ちゃんとお留守番してたよ。
今日もよく出来たね。ぬいぐるみが飼い主の部屋の前に置いてあってびっくりだった。
えへへ。そこまでひとり遊びしに来てたってわかるようにね。
でもその後、テレビ見てたようだけど。
うん。選挙とSNSの話みたいだった。でも選挙とSNSとPR活動とを切り離したがってるみたいだった。タマはますますこんがらがってきてストレス溜まったから思わずうんちしちゃった。
まだそんなことやってるのかテレビは。
まだって、この先があるの?
そうだなあ、タマは生まれてなかったっけ。何年か前には日本発のいわゆる巨大掲示板ってのがあった。もう名前もコンテンツも使ってる人も随分変わって古錆び果ててるみたいだけど。
タマ知らないなあ。
知ってても知らなくてもいいんだけどね。今後の選挙活動も選挙広告も加速的にあんなふうになるだろうって大分昔から言われてたのさ。昨今は本当にそうなってきてる。巨大掲示板の一歩手前ってところか。内容ってのはテレビでも知ったかぶりのコメンテーターが今頃になって仄めかしてるようにほとんどデマだらけ。思わせぶりなつぶやきだらけ。違法サイトへ導入だらけの無法地帯だね、選挙活動自体が。もっともドゥルーズ&ガタリが一九八〇年出版「千のプラトー」で必要労働と剰余労働との境界線なんて限りなく消滅していくだろうって言っててさ、その線で話を進めるとなるほど選挙活動なんていつも合法か違法かで争ってる運動なんで近いうちに無法地帯のお手本になるに違いないとリスクを指摘してた人々が日本でも少なからずいたんだ。現代思想によく通じてる批評家らは特に。しかし指摘してみたところで止まりそうにないから論じる人々もお手上げ状態で半分しらけてた。それがとうとう現実化してきたってことだろうね。
一九八〇年って、初代タマさんも生まれてなかったんじゃ?
そうだね。でも飼い主はネット出現以前から政財官界と巨大マス-コミとが連動しつつどんなふうに今の政治を形作ってきたかを体で知ってる世代だから、まあ言ってみれば政財官界とSNSとを巡る戦前戦中を知ってる世代ということになるわけなんだけど、戦後はどうなるかが今後の焦点になってくるよね。
SNS戦後ってあるの?
あるよ。戦争とか紛争とかは世界のいつでもどこでも何度でも繰り返されてきたわけだけど一時的停戦期間ってのはある。その区切りの辺りを指してとりあえず戦後ってことになるかな。同時に何人かは戦犯として切り捨てられないと示しがつかないわけだけどまだ戦時中だから無駄にあがき続ける人間はいるだろうと思うね。
それじゃもうSNSは消えちゃうの?
消えるわけないよ。消してしまう必要もない。けど形は大きく変わるだろうし変えるしかないのはもはや誰もがわかってる。
飼い主がブログにupしてるタマの写真はどうなるの?
ずうっとupしていくよ。心配しなくていいさ。無法地帯じゃないから。政財官界とマス-コミの側が無法地帯になっちゃったからね。さらにこの時を待っていたマイノリティの人々は世界中に大勢いるってだけじゃなくて、もはやマイノリティの生活様式を見て見ぬふりはどんな超大国大統領であろうが通用しないってところまでようやく引っ張ってこれたってことは言えるかもね。
ふ~ん、そういう伏線が張ってあったのか~。
何も飼い主だけがそう思ってたってわけじゃないよ。ごくふつうに見てたらそうなったってだけのことでは想定内に過ぎないしむしろ見ものはこれからなのさ。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ロイ・ハーグローヴ。”Habana”と同時期に録音された未発表アルバムらしい。”Habana”は出世作になったわけだが当時のジャズのお手本的な感じで持ち上げられた印象。しかし今回発表の未発表アルバムはより一層カリビアンな風味。ラテン・ジャズというひと言では括りきれないファンク系やちょっと懐かしめのアフロ・キューバン系も含め広く味わい深い。