ナチス・ドイツを自滅させ、ロシア革命を消化し、旧ソ連を崩壊させ、新自由主義的アメリカをラストベルトだらけにして政権崩壊へ叩き込んだ資本主義とは一体何なのか。「公理系」を持つだけでなく、その公理系は移動する。可動的な公理系とはどのようなシステムに従っており、またシステム自身をどのようにしてどんどん更新させていくものなのか。
「資本主義が始まるのはコードによってではなくて、公理系によってであるとしても、資本主義が社会体を⦅あるいは社会機械を⦆まとまった一群の技術的諸機械にとりかえたのだと考えてはならない。社会機械と技術機械というこの二つの型の機械は、正確にいって、両者とも、隠喩ではなしにまさしく二つの機械であるが、この両者の間の本性の相違は依然として存在する。資本主義の独自性は、社会機械が不変資本としての技術機械を部品としており、人間を部品としているのではないということである。不変資本は、社会体の充実身体の上にとりつき付着しているものなのであり、人間は技術機械に付属しているものなのである(この点から、原理的に登記はもはや直接的には人間を対象としないあるいは少なくとも対象とする必要はないであろうということになる)。ところが、もともと、公理系というものは、それだけでひとつの単純な技術機械なのでは全くない。自動的な、あるいはサイバネティックな技術機械でさえもない。ブルバキは科学の種々の公理系について、このことをはっきりとこう語っている。それらの公理系は、テーラー体系を構成するものでも、孤立した諸公式のメカニックな機能を構成するものでもない。それらは、むしろ種々の構造の反響や連接と結びついた〔全体把握的な〕『直観』を含むものなのである。ただし、これらの直観が、技術の『強力なテコ』によって補助されているというだけのことである、と」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.301」河出書房新社)
公理系は脱コード化していくほかない資本主義的な流れを調整して「政治経済体制としての資本主義」に有利な水路を創設するために常に既に機能している。ただ、そのすべてが目に見える機械ではないし、ほとんど目に見える道具とか機器のようなものでもない。以前述べたが、人間の頭脳の働きの中でも無意識のうちに身に付いている権力意志こそ、その多くを占める原動力的位置にある。だから、ほとんど目に見えるようなことはあるはずもないのだ。しかしその実現された形態では、社会的な「きまりごと」の一つとしてごく当り前に存在している時期もあれば、唐突に廃棄されたりもする。
「こうしたことは、社会の公理系については、いかにいっそう真実であることか。すなわち、この社会の公理系が自分自身の内部を充実する仕方、この公理系がその極限を押し返し拡大する仕方、この公理系がみずから体系の飽和化を防いで、さらに種々の公理を付け加える仕方、この公理系がきしみを生じ調子の狂いを通じて復調することによってしか作動しない仕方、こうした仕方はすべて、決定し管理し反応し登記する社会諸器官を前提としている。つまり、種々の技術機械の作用には還元されないテクノクラシーや官僚制を前提としている。要するに、種々の脱コード化した流れの連接や、これらの間の微分の比や、さらにこれらの流れの多様な分裂や裂け目、こういったものはすべて全面的に調整を要求するものであり、この調整の主要器官が《国家》なのである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.301~302」河出書房新社)
社会の極限を越えていく存在が「分裂症的」であるとすれば、社会の極限を設定し、その極限を資本主義に有利に働くように置き換えたり押し返したりしながら、その都度その都度の資本主義を常に有利な位置に位置づけるほとんど万能的でさえある調整器のことを指して「公理系」と呼ばれる。そしてこのような「調整の主要器官が《国家》なのである」。
「資本主義《国家》は、資本の公理系の中で捉えられる限り、こうしたものとして、脱コード化した種々の流れの調整者である」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302」河出書房新社)
資本は脱コード化していくものだし、脱コード化している限りで資本は資本主義社会を形成することができる。そしてそれはまた世界資本主義を成立させるに至った。しかしこの成立のために必要だったのは、ただ単なる資本主義というイデオロギーではない。むしろ一方通行的な目に見える暴力的装置としての資本主義では多分無理だっただろう。そのような方法では資本主義反対運動の側も同時に盛り上がってくる。ロシア革命を何度も繰り返させることになる。そうではなく、ロシア革命を消化して資本主義の内部に内在化させてしまうという新しい公理を発明し、実際にロシア革命を消化したばかりか、ソ連崩壊まで持って行った調整器こそ「公理系」であり、その主催者は濃淡の違いはあれ、ありとあらゆる資本主義「国家」である。旧ソ連の場合も、資本主義的流通貿易なしに国家を継続していくことは不可能だと明言された時すでに、徐々にではあれ、公理系の導入が検討されていたと考えるほかない。
「資本主義《国家》は、まさに<具体的なるものになる>ということを成就しているということになる。つまり、抽象的な専制君主《原国家》が〔歴史の中で〕発展してゆく過程で、われわれには重要な役割を演じたように思われたあの<具体的なるものになる>ということを。資本主義的《国家》は、超越的統一体の立場から、社会的諸力の場に内在するものとなり、これらの諸力に奉仕するものとなって、脱コード化し公理系化した種々の流れに対して調整者の役割を果しているからである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302」河出書房新社)
「《原国家》は超コード化によって規定されていた。ところが、この《原国家》から派生したものは古代ポリスから王制《国家》に至るまで、既に、脱コード化した、あるいは脱コード化しつつある種々の流れに現前しており、これらの流れは、確実に《国家》を次第に現実の種々の力の場に内在させ従属させていったのである。しかし、まさに、これらの流れが連接の関係に入るための状況が与えられなかったために、《国家》は、超コード化の断片や種々のコードの断片を残存させるなり、あるいはそれに見合う別のものを発明することに満足して、全力をもって連接の働きが起ることを妨げることさえしていた(そして、その他のことといえば、できうる限り《原国家》を甦らせることを目標としていたのだ)」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302」河出書房新社)
脱コード化する流れへの過程は古代ギリシア時代から既にあった。だが、それはまだもっと時間をかけて熟成されねばならない。高利貸しが商売として成り立っているからといって、それが世界を股にかけて接合=ネットワーク化された資本主義機構として成立していたわけではまったくないからだ。全面的な繋がりを持たないうちは、高利貸しがいようといまいと、その社会を資本主義社会と呼ぶにはまだまだ随分隔たりがあるのである。
「ところが、資本主義《国家》は、これとは異なる状況の中にある。この《国家》が生みだされるのは、脱コード化しあるいは脱土地化した種々の流れが連接することによってである。そしてこの『国家』が<内在的なるものになること>を最高度に実現することになるのは、この《国家》が種々のコードや超コード化の普遍的破綻を承認する限りにおいてであり、またこの《国家》が、これまでには知られていない性質をもった新しい連接公理系の中で全面的に展開する限りにおいてである。さらにかさねていえば、この《国家》が、あの公理系というものを発明したのではないのだ。何故なら、この公理系は資本そのものと一体をなしているからである。逆に、この《国家》はこの公理系から生まれ、この公理系の結果であり、この公理系の調整を保証するものにすぎないのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302~303」河出書房新社)
強調しておこう。「逆に、この《国家》はこの公理系から生まれ、この公理系の結果であり、この公理系の調整を保証するものにすぎない」ということを。
「この公理系においては、不調がこの公理系の作動する条件をなしているが、この《国家》は、こうした条件としての種々の不調を調整したり、あるいは組織したりさえする。この公理系は飽和を進行させ、それに応じて自分の極限〔境界線〕を拡大するが、この《国家》はこうした進行や拡大を監視し指導するのだ。ひとつの《国家》が、経済力の兆候に奉仕するために、これほどまでに力を費やしたことは、これまでにはなかったことである。だから、資本主義《国家》は、何といわれようと、始めから⦅つまり、まだ半ば封建的、あるいは半ば君主制的な形態の中にそれがはぐくまれていたときから⦆、こうした役割を極めて早々ともっていたのだ。すなわち、『自由な』労働者の流れの見地からいえば、人手と賃金との統制がそうであるし、商工業生産の流れの見地からいえば、資本蓄積の好条件となる専売特権の付与や過剰生産の弾圧といったものが、そうである。自由な資本主義というものは、決して存在したことがなかったのである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303」河出書房新社)
資本の流れに「不調」は付きものだ。だからこそ脱コード化していることもわかるのだが、しかし国家は介入するし、介入しないではいられない。「不調がこの公理系の作動する条件をなしているが、この《国家》は、こうした条件としての種々の不調を調整したり、あるいは組織したりさえする」。また「公理系は飽和を進行させ、それに応じて自分の極限〔境界線〕を拡大するが、この《国家》はこうした進行や拡大を監視し指導する」。国家が資本主義を作ったわけではなく、資本主義的機構が絶えず起こしてしまう「不調」を整理整頓して資本にとって通常の拡大発展を維持させるために、資本主義の側が国家を隷属させて公理系を調整器として扱わせ、資本が資本主義のために常に既に有効に作動しているか監理監督させるようになった。国家は資本主義以前から存在したにもかかわらず、資本主義が成立するや否や立場を逆転させ、今度は資本主義の側が国家の上に立ち、資本主義社会を創設してくれた国家を資本主義に奉仕するための装置として隷属させるようになった。今や資本主義は公理系という調整器を国家に与え、資本主義の永遠の延長のための監理統制の役割を世界的規模で国家に任せている。
「種々の専売特権に対する抵抗運動といったものは、〔端的な自由の要求ではなくて〕何よりも商業資本、金融資本が、まだ古い生産体系と同盟関係にある時機と、そしてまた生まれつつある産業資本主義が、これらの専売特権の廃止を獲得することによってしか生産や市場を確保しえないといった時機とかかわりがあるのだ。《国家》が適切に行動するということを前提とすれば、専売特権に抵抗する行動の中には、国家による統制という原理そのものに対する闘争は何ら含まれてはいない。このことは、重商主義が次のようなものである限りにおいて、この重商主義の中に明らかに見てとれることである。つまり、これまでは生産の中で直接的に利益を確保するものであった資本に対して、重商主義は、この資本が新しい商業的な機能をもつに至ったことを表現している限りにおいて。一般的にいえば、国家による統制や調整が消滅したり減少したりすることになるのは、人手〔労働力〕が豊富に供給され、市場が常になく拡張する場合においてのみである。すなわち、《資本主義が、十分に大きい種々の相対的極限の中で、極めて少数の公理によって作動している場合においてのみである》。こうした状況は、ずっと以前から存在しなくなってきた。このような事態になってきた決定的因子と見なされなければならないのは、強力な労働階級の組織化である」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303」河出書房新社)
資本主義は拡大=増殖することを自己目的とする。そして実際、世界を手に入れた。次にはそれを何度も繰り返し手に入れなければならない。資本主義を永続させていくことが自己目的と化している。ところが拡大=増殖する傾向に対して、また別の傾向が生じてくるのは歴史的であるとともに脱コード化する社会においては必然的な流れである。そもそも脱コード化の流れはもっと大きな果てしのない流れだった。しかし資本主義はすべての脱コード化を許すわけではまったくない。その都度その都度の資本の欲望に適合した流れだけを、その流れのみに限り、増殖させていくことを自己目的とする。だからそれ以外の脱コード化する流れを上手く取り込み調整-改変して、その都度その都度の時期に支配的な資本においてのみ有利な調整器を資本主義社会の内部へと何種類も取り込んで消化していかなくては生きていけない。資本主義は利権獲得=自己増殖をひたすら目指して世界をどんどん繋げていく。世界を繋げれば繋げるほど、その同じ作業が、反資本主義的流れをも生み出すに至る。資本主義は自分で作った増殖装置の効果の結果として生じてきた労働運動の世界化に直面しなければならない。その最大の試練はロシア革命という事態となって出現してきた。しかし資本主義は誰も思いもかけなかった手法を発明した。この発明はロシア革命に真正面から対立することで発見されたわけではない。いわゆる「ジグザグコース」という歴史の運動の中から、結果的に資本主義が獲得することになった「新しい公理系の創設」という手法にほかならない。
「この階級は、安定した高度の雇用水準を要求し、資本主義にその公理を増加することを強制するからであり、これと同時に資本主義はたえず拡大する規模において自分の種々の極限を再生産しなければならなかったからである(中心から周辺へと向かうおきかえの公理)。資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303~304」河出書房新社)
こうある。「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができた」。そしてさらに、今ではもはや万能に近いと言ってもいいほど、新種の公理系を日々付け加えたり、もう古くなって使い物にならなくなった公理系をこなごなに叩き壊して焼却したりと、せわしなく稼動している。また、新しい公理系を付け加えるに当たって重要なのは、公理系が稼動するためには、公理系自身が「可動的」でなくてはならないということだろう。そして公理系が実際に可動的であるのはどのような条件の下でか。始めに述べた原初的な脱コード化の流れそのものが極めて自由な動きを取ることができる限りにおいてである。しかし脱コード化していくばかりの巨大なエネルギーの流れを放置することもまたできない。そこで再び脱コード化していく限界なき流れに対して限界を設置して調整する。この調整する調整器のことを公理系と呼ぶのだが、資本主義から与えられた公理系を実際に適応して脱コード化の流れを、暴力的にも軍事的にも、その都度その都度の資本に有利な限界の内部に縛り付け縛り上げるのは国家の役割である。その意味で国家は資本主義に従って資本に忠実に隷属する場合に限り、或る一定の権限を与えられる。ただ、暴力的-軍事的とはいえ、殴る蹴るとかいう粗雑な行為ではまったくない。むしろ人間の目には逆に洗練された極めて優雅な行為に映って見えることが多々ある。なるほど創成期の資本主義社会では、始めのうちはよく見えていた時期も確かにあった。が、今ではほとんど見えなくなってしまっている。そのぶん、暴力性-軍事性の度合いは桁違いに増したと言えるだろう。
この作業は余りにも速く行われるので、一般的に人間の目に見えない。というより、何と言って表現していいのかわからないうちに速くなされる変化であるため、この速度自体が暴力を遥かに通り越して、ともすれば芸術的に見えるというわけだ。ニーチェはこう言っている。
「彼らは運命のように、理由も理性も遠慮も口実もなしにやって来る。電光のようにそこに来ている。余りに恐ろしく、余りに突然で、余りに説得的で、余りに『異様』なので、全く憎いと思うことさえできないほどである。彼らの仕事は本能的な形式創造、形式打刻である。それは存在するかぎりの最も無意的な、最も無意識的な芸術家である。──要するに、彼らの出現する所にはある新しいものが、《生きた》支配形態が成立する。そしてこの支配形態のうちでは、諸部分や諸機能はそれぞれ限局されつつしかも関係づけられており、また全体に関して『意味』を孕(はら)んでいないものには決して場所を与えられない」(ニーチェ「道徳の系譜・P.101~102」岩波文庫)
コジェーヴによるヘーゲル読解の続き。「否定性」の「威力」はなぜ「絶対的威力」と呼ばれるのか。前回引用したが、次の箇所はより一層踏み込んで述べられる。コジェーヴの説明も丹念になっていく部分。
「《悟性》が遂行する《分離》はまさに『奇蹟的なこと』である。なぜならば、この分離は実際『自然に反して』いるからである。《悟性》の介入がないならば、『犬』という本質は実在する犬において、そしてそれにより現存在するにすぎぬであろうし、実在する犬のほうが、逆にその現存在自体によって一義的にこの本質を規定するであろう。だからこそ犬と『犬』という本質の関係は『自然的』あるいは『直接的』と言いうるのであるが、《悟性》の絶対的威力により本質が意味となり、一つの《語》の中に組み込まれるとき、もはや本質とその支えとの間には語を除いては『自然的な』関係は存在しなくなる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.381」国文社)
「悟性」はその抽象的な-否定的な「絶対的威力」によって「自然的」な所与の状態を解体してばらばらに「分離」することができる。「分離」するばかりか、この抽象の威力によって、考えられる限りの創造力を発揮する。一般的な動物と人間の間にある測り知れない「違い」は、人間がこのような絶対的威力を平然と用いて様々な解体-「分離」をいとも容易になし遂げる点で際だっている。今や、人間特有の否定性の威力は各分野において、最先端技術の開発に余念がない。例えば、昨今の話題で言えば、時々刻々と更新されていく人工知能もその産物の一つだ。
しかし人工知能にしても、人間なしに生成してくることなど決してなかった。人間の創造物が人間を駆逐しつつある現状を見れば皮肉としか映らない面もなくはない。しかしそれを歴史の舞台に据えたのはまぎれもなく人間であり、さらには人間の創造力並びに自然的所与に働き掛けてそれを改変する労働を措いてほかにない。懸命に研究-労働した結果、その挙句、自ら開発した人工知能によって自らの職場を奪われてしまいつつある現実などは人間ならでは、と言うほかないが。このことはヘーゲルも述べている。学(哲学)の歴史は弁証法の歴史である。そしてこの弁証法というものは押し進めれば押し進めるほど、それはどこかで必ず反対のものに転化する。そのことは歴史が歴史によって証明していると。このときヘーゲルの念頭にあったのは一七八九年のフランス革命。国家のトップを独占してきたルイ王朝が逆に社会的最下層へ組み込まれるだけでは済まされず、王朝という制度自体が断絶されるに至った。
「そして、音声上或いは書法上、その他何か時間的空間的に実在するものとしては相互に何の共通点をもたぬさまざまな語(chien,dog,Hundなど)は、たとえそのすべてが唯一にして同一の意味をもちうるとしても、唯一にして同一の本質に支えるものとしては何ら役立つものではないのである。したがって、ここには(本質と現存在との間の『自然的』な関係を含めた)在るがままの所与の《否定》があった、すなわち(概念、ないし意味をもつ語、しかも、語としては、それ自体からは、その中に込められた意味と何の関係ももたない語の)《創造》があった、すなわち《行動》ないし《労働》があったのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.381」国文社)
「ところで、伝統的な《存在-思惟》の捉え方によって存在するものの意味を開示する言説の《可能性》が説明され、なぜどのようにして《存在》が或る意味をもつかが解明されるが、この捉え方では、言説がなぜどのようにして《実在するもの》となるか、すなわちなぜどのようにして実際に『存在から意味が解き放たれる』に至るか、そしてこの意味とは何の共通性ももたぬ語であり意味を込めるために完全に自由に創り出された語の全体の中になぜどのようにして意味が組み込まれるに至るか、は説明されない。だがしかし、まさしくこの言説の実在性こそ哲学が解明しなければならない奇跡であろう」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.381~382」国文社)
「奇跡的なこと、これは現実には他のものと《分離できぬ》ものが《分離された》現存在を得るという事実である、或いはまた、単なる属性ないし『偶有性』が《自立的な》実在になるという事実である、とヘーゲルは述べる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.382」国文社)
言語学に取り組んでいるかのような錯覚に陥ってしまいそうだ。しかし、むしろ、言語学に取り組むためには、ここで述べられている「《分離できぬ》ものが《分離された》現存在を得るという事実」、を認めるほかないし、また認めると同時に言語学もようやく近代言語学と呼ぶにふさわしい装いを整えて研究でき得る制度が学問諸機関で行えるよう可能になった。
「さて、本質はその〔自然的な〕支えに『結び付けられたもの』であり、それはそれ『以外のもの』、つまりはその〔自然的な〕支えとの『結び付きにおいてのみ客観的に実在』する。ではあるが、《悟性》は本質をその自然的な支えから《分離し》、それを発せられ記され思惟される語や言説の中に組み込むことによってそれに『固有の経験的現存在』をもたらす。語や言説に込められた意味は、《今とここ》とによって一義的に規定された自然的な支えに結び付けられた本質を支配する必然性にもはや屈従しないからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.382」国文社)
言語は「思惟すること」や「言葉を語ること」といった形式を得て「自由」を獲得した。獲得した自由はしかし義務の観念を発生させずにはおかなかった。ただ、ここではしばらく言語を用いた思惟という形態で独立的に創造力を発揮する「自由」の側面に重点を置いて述べられている。
「したがって、例えば、『犬』という語に込められた意味は、地上からすべての犬が消失した後にも存在し続けることができるし、(例えば電波に乗って)実在する犬には乗り超え難い障害をも飛び超えることができる。それは、実在する犬が場を占めることのできない所にも存在することができる、等々──。そしてまた、この『分離された自由』及びこの自由が由来する『絶対的威力』こそは、ヘーゲル以前の哲学によってはまったく説明されなかった《誤謬》の可能性を条件づけている。なぜならば、この『自由』によって、語に込められた意味には、それに対応し自然的な支えに結び付けられた本質とは異なった結び付きが可能となるからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.382」国文社)
「哲学(より正確には《学》ないし《知恵》)が説明するはずの奇跡とは、《存在》から意味を《解き放ち》、本質を現存在から《分離し》、意味-本質を言説の中に組み込むことのできるこの『活動』である。この『活動』を説明しようと模索しているうちにヘーゲルは《否定性》という(存在論上の)根本カテゴリーを、ここで『《否定的なもの》』すなわち『否定的ないしは否定するもの』とみずから呼ぶ根本カテゴリーを発見した(或いは明確にした)のであった」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.382~383」国文社)
「この《否定性》は《存在》から意味を解き放ち、現存在から本質を分離する『思惟のエネルギー』である。この《否定性》が『思惟』すなわち『《悟性》』とその言説とを生み出す『純粋抽象-《自我》のエネルギー』である。ところで時に聞かれはするけれども、言説は天から降ってくるわけではないし、『水面上の』虚空に浮いているのでもない。言説が本来『《自我》』に属する『思惟』を表現するとしても、この《自我》が《人間的》《自我》である以上、この《自我》は必然的に自然の時間-空間的な《世界》の中に経験的現存在を有している。したがって、存在論的次元において『抽象的-《自我》(Ich)であるものは(この《自我》は、《否定性》が《同一性》ないし所与《存在》の中で存続する形式である)、形而上学的次元においては人間の『人格的-《自己》』(selbst)であり、──現象学的次元においては《言葉を話す》自由かつ歴史的な個体として『現われる』《人間》である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.383」国文社)
頭脳の中だけで組み立てられた設計図を元にして本当に実在する建築物を作り上げてしまう「思惟のエネルギー」。明らかに地上の現実であって、建築された物は実際に手で触れてみると固かったり柔らかかったりつるつるだったりざらついていたりする。まぎれもない現実である。しかしそれを可能にしたものは何か。始めはただ単に頭の中だけで考えられたに過ぎない否定性の力である。人間と動物を区別する絶対的威力は「思惟するエネルギー=否定性」である。否定性は、差し当たり「言語」として存在するが、それは「常に動いている限りにおいて」存在する言語でなくてはならない。思惟は止まるということを知らないゆえに思惟なのであり、それ以外に思惟は存在しないし、ヘーゲルに言わせれば止まることのできる思惟などあり得ず、またもしあるとすればそれはヘーゲルのいう思惟ではないと言うに違いない。人間は時間的存在なのであって、時間的存在として拘束されずにいられない以上、否定性は、どこまでも動的な形態を取ってでしかあり得ない人間的存在の根拠であると考えるべきだろう。さらにこのことは世界の共通認識として定着するに至った。思惟することは要するに人間特有の否定性であるとして、観念的に物事を「区別-分離」して始めて、様々な話題を設定したり、あれこれのものごとについて色々な言説を述べ合い、それらを弁証法的に対立させつつ議論を深め錬磨していくということが可能になる。そうして始めて常に既に、差し当たりではあるものの、れっきとした議論の場において幾つかの重要な決議がなされ得るに至る。テーブルであれ、犬であれ、札束であれ、実際に山岳地帯に入って、これここにある木が育ってくるためにはこうしてああしてそうした過程を経て、契約の結果切り倒すことになって、さらに場所を換えて材木として加工されて店頭で販売され現在のところようやくこの家のここにあるところのテーブルである。とか、そのテーブルに一匹の犬が繋がれており、この犬はどうのこうのという経過を経て今現在このテーブルに繋がれていて、それがだいだいいつものこの家の光景である。ただ気になるのは時々このテーブルの上に百万円の札束がぽいと置いてあったりすることくらいだ。とか、わざわざ現場を巡り巡って説明して廻らなくても、どこか適切かつ公的な場で法的な手続きに則って「言語に置き換えて」発言された説明が実際にあった事実として認定され得るのは、このような、実際に経てきた生々しい現場から「分離」された言語を操ることができる人間のみが持っている特権的な「絶対的否定性」の威力が世界中で広く認められていることによる。もっとも、最終的な証明は実地で確認されねばならない。それはともすれば「空論」のまま雲散霧消してしまいがちな観念論的な議論から離れて、多くの人々によってしっかり地上で確かめられ得る「唯物論的」な次元の証明として厳密に要請される必要がある。
「したがって、哲学が説明せねばならぬ言説の現存在という奇跡は、世界における《人間》の現存在という奇跡以外の何物でもない。実際、私が《言説》に関係づけて解釈したヘーゲルの文章は、《人間》自身にも関係づけることが可能である。なぜならば、《人間》もまた『他の物との結び付きにおいてのみ客観的に実在する』『結び付けられたもの』だからである。すなわち、人間はその支えとなる動物が存在しなくなれば何物でもなく、《自然的世界》の外では純粋の無である。にもかかわらず人間はこの《世界》から自己を《分離し》、それに《対立する》。純粋に自然的なあらゆる経験的現存在と本質的に異なった『固有の経験的現存在』を自己に創造し、『分離され他から切り離された自由』を獲得する。この『自由』によって人間はその支えとなっている動物とはまったく異なった在り方で動き回り行動することが可能となる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.383」国文社)
「動物は《否定性》を体現しておらず、したがって思惟し言葉を話す《自我》を有していないため、その行動は人間のそれとはまったく異なっている。人間は自己のうちで『驚嘆に値する』実際の『力』となる『絶対的な威力』を賦与されており、これにより人間は『行為』において、すなわち合理的『労働』において、つまりは『《悟性》』に浸透された『労働』において、自然に対立する実在する《世界》を作り出す。この《世界》が、人間『固有の経験的現存在』のために人間の『分離された自由』によって創造された《世界》であり──技術的ないし文化的な世界、社会的ないし歴史的な《世界》である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.383~384」国文社)
ゆえに、動物には許されても人間には決して許されない背任行為という概念が生じてくるに至った。言語でだけ「百万円寄付する」と言うことは誰にでもできる。しかし寄付される側としてはそれが実際に振り込まれたことを実物で確認するまでは、百万円であろうが五〇〇億円であろうが「寄付する」という言語を信じることはできても信じるだけに留まる。それだけでは単なる暇つぶしにもならない。むしろ裏切りというものであって、一般的な社会ではどこの社会へ行ってもただでは済まされない。もっとも、資本主義的社会様式に打撃を与えたいという立場であれば、あるいはそういう手段がないわけではないが。しかしこのような現金がばんばん行き交うような手法はもはや古典的な部類に属している。今や資本主義を相手に何らか実効性のある批判を展開しようとする場合、連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミという三者による自作自演めいた「ごまかし」ででもない限り、その種の詐欺的手法などは当然見向きもされなくなった。例えば国会でも取り上げられた大阪府の学校法人問題。問題が何か核心部分に触れそうな気配が漂い始めると途端にマスコミはニュースで北朝鮮の核実験に関する予測のそのまた推測に基づく報道を大々的に取り上げたり、あるいは東京都内の選挙関連の話題を持ち出してきたかと思えば、東京都議会が日本そのものの命運を左右してでもいるかのような思い上がりもはなはだしいニュースを流してみたりする。あたかも疑惑の渦中にある学校法人問題を遥かに上回る国家的大問題が日本のマスコミを握ってでもいるかのようで滑稽のそしりを免れない。大事なことは次のようになるだろう。言語は人間の観念によっていつどのようにでも自然的所与状態から切り離され得る、「分離-解体」できるだけでなく、再加工することが可能だ。そこで再加工するに当たって言語を用いて契約なり約束なりする以上、その行為をただ単なる「口約束」に留めるばかりで現実化しないで放っておくことは何より資本主義が許さない。そして資本主義と相まって資本主義と保障され合う補完関係にある法が許さない。資本主義に忠実であるためには言語を用いた形式で遂行される契約なり約束なりに関し、反古などは選択肢に入れてはならないという鉄の掟が優先される。そうでなければ一般の銀行業務などは成り立っていかない。銀行を根底から支えている一般の預金者とその大量の預金そのものを裏切ることは許されない。万が一のことがあれば銀行制度そのものが危機に瀕し破綻するほかない。従って、いつでも言語として「分離」され得る実際の行為は、この「分離」する抽象の力-絶対的威力を実際に用いたことがある他の誰でもない特定の人間自身の行為によって着実に現実化される義務が負わされなければ社会的にも法的にも許されない。実際、ほんのちょっとした口約束のせいで、事実上の借金まみれになってしまい、自殺するに至った痛ましい事例にはことかかない。メガバンクは日本国民の大半の預金を信用の名において預かっている。この信用は、銀行が預金者から預かっているすべての預金が価値ある貨幣として常に流通過程を繰り返し反復しながらその都度その都度貨幣としての承認を得て価値を確認させることで始めて認められる信用だ。連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミは、もしかしたら、この信用の大半を占めているのは連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミであるとでも勘違いしているのではなかろうか。事実は逆だ。銀行預金のほとんどすべてを占めているのは一般の預金者からの預金である。どんな銀行であれ、一般の預金者からの信用を得て始めて銀行業務を開始することができる。しかしメガバンクは預金者から預かった預金のみを運用しているわけではない。むしろ連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミ関係者らからの預金も与り運用している。銀行だからそれが仕事でもある。ところが一般の預金者の信用を裏切るようなことがあればただちに破産するしかない銀行であるにもかかわらず、連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミ関係者らからの預金の側を政治的な面で効果的に働き掛けるために優遇させるような態度を取ってはいないだろうか。日本の主要銀行が一般の預金者から預かっている預金の蓄積は凄まじい額にのぼるわけだが、そのすべては常に同一程度の信用と価値を確実に確保できていると言えるような状態だろうか。もし確実であるなら、なぜたった一個の学校法人による使途不明金問題がここまで疑惑化するのか。それとこれとはどんな銀行も関与していないというのならまだしも。金銭が動いたことは明白である。まったく誰も知らないわけはないのだ。棚上げしてしまいたい政府関係者は確かにいるだろう。しかし一般の預金者の信用の上に始めて成り立つ銀行が、連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミ関係者らと同一の地平で物を考えているわけはない。同一でないと思っているからこそ、一般の預金者も信用して大量の預金を預けて運用も任せている。このような動かしようのない事実は、果たして信用していてよいのだろうか。もしかして、銀行もまた連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミ関係者らと同一の地平に立って、他の一般の預金者から預かっている莫大な資本を運用しているのではという疑惑が生じてくる。学校法人なので当然土地問題とも絡んでいる。資本主義は役に立たなくなって激しく腐敗してきた部分をいきなり自己暴露して、資本主義自身の足を引っ張る人と物を一緒くたにして資本主義社会から叩き出す方法を「公理系」の一つとして学ぶことを覚え、実際に学んで実践してきた。資本主義に反対するにしても、それは資本主義がより一層盛り上がる場合に限って、という条件付きである。例えば資本主義的生産様式とは何かを論じた書籍などはばんばん売れるだけでなく、その反論本もその半分くらいは売れる。実際、売れてきた。歴史的ロング・セラーもある。資本のシステムが更新されればまた新しい反資本主義関連書籍が爆発的な売行きを示す。と同時にそれに反論する書籍や文書類も売行きを伸ばす。反対デモがあれば反=反対デモが組織される。そのために動く貨幣の総量から資本主義は剰余を生み出す。貨幣の増殖のためだけを自己目的とする資本主義はそうすることで人類絶滅の日まで延長することをも学んできた。一つや二つの原発が大爆発したとて資本主義がなくなるわけではまったくない。むしろ大爆発して一時的に住めなくなった地域の再開発のための資本価値を大爆発それ自身の中に見い出す。従って、もし世界資本にとって日本の銀行に預けられている預金の一部が世界全体から見てマイナス部分としての効果を発揮することにでもなれば、その時は、連立政府与党と日和見野党共闘並びに大手マスコミ関係者らは先に情報を得てとっとと逃げ出すだろうが、日本の一般の預金者は後になってからしか知らされもせずに瞬時に全財産を失うわけだ。信用していたばっかりに。それでいいのだろうか。貨幣と言語と時間。歴史はじわじわ苛酷さを増す。
二〇一七年三月二十七日作。
(1)サイコで儲けるサイコなマスコミいつまで
(2)日和見野党が恩を売る見飽きた
(3)スキャンダルがない不穏だ
(4)死にのた打ち見て興奮冷めやらぬ戦前日本
(5)桜に席を譲る佇むロウバイ
(6)誰も死なない春がおかしい
☞「すると第二の予想外が継いで起った。お秀が、一寸(ちょっと)顔を背(そむ)けた様子を見た時に、お延はどうしても最初に受けた印象を改正しなければならなくなった。血色の変化は決して怒りのためでないという事がその時始めて解った。年来陳腐な位見飽きている単純な極(きま)り悪さだと評するより外に仕方のないこの表情は、お延を更に驚ろかさざるを得なかった。彼女はこの表情の意味をはっきり確かめた。然しその意味の因(よ)って来(きた)る所は、お秀の説明を待たなければまた確かめられる筈(はず)がなかった」(夏目漱石「明暗・P.377」新潮文庫)
作品「三四郎」の登場人物の中でも美穪子の他者性は、恐らく群を抜いて際だっている。なぜか。前回述べたように近代知識人という枠組みだけでは論じ切れない部分をその内部に大量に蓄積しているからである。そこで少し言い方を換えてみようと思う。例えるとしても「三四郎」の登場人物からではなくて、作品「明暗」からのほうが的を得ているだろう。「お延」である。彼女は漱石が最も集中して「他者としての女」を描いた造形では、と考えられるからだ。「お延」は引き裂かれた存在である。「二重化」されている。
「お延」の特徴は存在論的問題と倫理的問題の両方を極端なまでに内在化させてしまっている自分自身の苦痛に耐えて生きていかねばならない立場に置かれた女性である、という点で際だっている。「二重化」されているとは、この意味で言うのである。第一に存在論的問題とは何か。性欲に顕著だが、公然たる彼氏がいるにもかかわらず、その実、もっと他の男性と性行為に耽りたいと頭に思い描く本能的な主観に忠実でありたいと思うこと。第二に倫理的問題とは何か。性欲の場合、彼氏や夫以外の異性と浮気や不倫したいと思っている女性は、他にもそれこそ数えても数えても数え切れないほど実際にいるにもかかわらず、社会的倫理的な見地から、なぜか裁きを受けなければならない社会の一員として法的にも裁きを受けるべきとする倫理の側に属していること。従って、存在論的には乱交支持だが同時に倫理的には乱交不支持であるという矛盾を常に抱えて両方の間で葛藤している精神状態。その困難この上ない役割こそ、漱石が「お延」に託した課題である。もっとも、「お延」の夫=「津田」にこそこの葛藤は課されるべきであり、実際課されてはいるが、「お延」の言動ほど明確化されているとは言えないだろう。
「お延がどうしようかと迷っているうちに、お秀はまるで木に竹を接(つ)いだように、突然話題を変化した。行掛かり上全然今までと関係のないその話題は、三度目に又お延を驚かせるに充分な位突飛(とっぴ)であった。けれどもお延には自信があった。彼女はすぐそれを受けて立った」(夏目漱石「明暗・P.377~378」新潮文庫)
「お秀の口を洩(も)れた意外な文句のうちで、一番初めにお延の耳を打ったのは『愛』という言葉であった。この陳腐(ちんぷ)な有来(ありきた)りの一語が、如何(いか)にお延の前に伏兵(ふくへい)のような新らし味をもって起ったかは、前後の連絡を欠いて単独に突発したというのが重(おも)な原因に相違なかったが、一つにはまた、そんな言葉がまだ会話の材料として、二人の間に使われていなかったからである」(夏目漱石「明暗・P.378」新潮文庫)
「お延に比べるとお秀は理屈(りくつ)っぽい女であった。けれどもそういう結論に達するまでには、多少の説明が要った。お延は自分で自分の理屈を行為の上に運んで行く女であった。だから平生(へいぜい)彼女の議論をしないのは、出来ないからではなくって、する必要がないからであった。その代り他(ひと)から注(つ)ぎ込まれた知識となると、大した貯蓄も何にもなかった。女学生時代に読み馴れた雑誌さえ近頃(ちかごろ)は滅多に手にしない位であった。それでいて彼女は未(いま)だ曾(かつ)て自分を貧弱と認めた事がなかった。虚栄心の強い割に、その方面の欲望があまり刺戟(しげき)されずに済んでいるのは、暇が乏しいからでもなく、競争の話し相手がないからでもなく、全く自分に大した不足を感じないからであった」(夏目漱石「明暗・P.378」新潮文庫)
「ところがお秀は教育からしてが第一違っていた。読書は彼女を彼女らしくする殆(ほと)んど凡(すべ)てであった。少なくとも、凡てでなければならないように考えさせられて来た。書物に縁のない叔父の藤井に教育された結果は、善悪両様の意味で、彼女の上に妙な結果を生じた。彼女は自分より書物に重きを置くようになった。然しいくら自分を書物より軽く見るにした所で、自分は自分なりに、書物と独立したまんまで、活(い)きて働いて行かなければならなかった。だから勢い本と自分とは離れ離れになるだけであった。それをもっと適切な言葉で云い現わすと、彼女は折々柄(がら)にもない議論を主張するような弊に陥った。然し自分が議論のために議論しているのだから詰(つま)らないと気が付くまでには、彼女の反省力から見て、まだ大分の道程(みちのり)があった。意地の方から行くと、余りに我(が)が強過ぎた。平たく云えば、その我がつまり自分の本体であるのに、その本体に副(そ)ぐわないような理屈を、わざわざ自分の尊敬する書物の中(うち)から引張り出して来て、其所(そこ)に書いてある言葉の力で、それを守護するのと同じ事に帰着した。自然弾丸(たま)を込めて打ち出すべき大砲を、九寸五分(くすんごぶ)の代りに、振り廻して見るような滑稽(こっけい)も時々は出て来(こ)なければならなかった」(夏目漱石「明暗・P.378~379」新潮文庫)
漱石の十八番。近代知識人に対する「からかい」。漱石自身にも似たようなところがあったせいか、手に取るようによくわかったに違いない。だからといって漱石と同程度の知識人となると、作品の登場人物にしても苛酷な台詞(せりふ)が割り振られている。例えば「坊ちゃん」における「赤シャツ」。こんなシーンがある。
「赤シャツはランプを前へ出して、奥の方からおれの顔を眺(なが)めたが、咄嗟(とっさ)の場合返事をしかねて茫然として居る。増給を断わる奴が世の中にたった一人飛び出して来たのを不審に思ったのか、断わるにしても、今帰ったばかりで、すぐ出直して来なくってもよさそうなものだと、呆(あき)れ返ったのか、または双方合併したのか、妙な口をして突っ立ったままである。『あの時承知したのは、古賀君が自分の希望で転任すると云う話でしたからで──』『古賀君は全く自分の希望で半ば転任するんです』『そうじゃないんです、ここに居たいんです。元の月給でもいいから、郷里に居たいのです』『君は古賀君から、そう聞いたのですか』『そりゃ当人から、聞いたんじゃありません』『じゃ誰からお聞きです』『僕の下宿の婆さんが、古賀さんのおっ母(か)さんから聞いたのを今日僕に話したのです』『じゃ、下宿の婆さんがそう云ったのですね』『まあそうです』『それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そう云う意味に解釈して差支えないでしょうか』」(夏目漱石「坊っちゃん」・「夏目漱石全集2・P.350」ちくま文庫)
赤シャツの論理はまったく近代知識人の頭脳から出現してきた言葉だ。漱石がもし赤シャツの立場であれば、当然のように同様の台詞(せりふ)で対応したであろう。このように言葉一つ取っても、その責任の所在と責任の重さを計りにかけて一言一言吟味した上でようやく口に出せる発言でなければならなかった。言葉は常に社会的責任とともにあるほかなくなっていた。それは近代国家が成立していくための諸条件の中でも最も重要なポイントの一つであり、また責務ともなっていた。また、昨今の日本のように公的な場で責任のありかとその重さを問われたり問うことができたりするのが可能な理由は、こうした近代社会の苛酷さを受け入れることから徐々に始まり、いわゆる「ジグザグコース」を描きながら、一歩また一歩と身に付けていくほかない痛ましい歴史的過程を丹念に踏んできたからでもある。いまなお不十分な点は多々あるものの。ちなみに「明暗」が発表された一九一六年は森鴎外「高瀬舟」発表の年でもあるが、それと同時に念頭に置いておきたいことは、既にドイツでアインシュタインが「一般相対性理論」を発表した年でもあったという彼此の違いだ。両者は同じコースを違う速度で競争しなくてはならないわけではないのに、どういうわけか「追いつき追い越せ」の精神が注入されてもはや当然のようにいつも存在する空気のような気運を熟成させ始めていた。ともかく、近代社会が要求する苛酷さを受け入れない限り、でき得るかぎり「義理/人情/気まぐれ/思い込み/裁く側の趣味嗜好」などを排して、被害者側が加害者側に向けて公的な責任を追及する権利は得られなかったし、加害者側が被害者側からの追及に反論する公的な場を法的に設定することも認められなかった。
「問題は果して或(ある)雑誌から始まった。月の発行にかかるその雑誌に発表された諸家の恋愛観を読んだお秀の質問は、実をいうとお延にとってそれ程興味のあるものでもなかった。然しまだ眼を通していない事実を自白した時に、彼女の好奇心が突然起った。彼女はこの抽象的な問題を、何処(どこ)かで自分の思い通り活かして遣(や)ろうと決心した」(夏目漱石「明暗・P.379」新潮文庫)
「彼女は稍(やや)ともすると空論に流れやすい相手の弱点を可成(かなり)能(よ)く呑(の)み込んでいた。際(きわ)どい実際問題にこれから飛び込んで行こうとする彼女に、それ程都合の悪い態度はなかった。ただ議論のために議論をされる位なら、最初から取り合わない方が余っ程増しだった。それで彼女にはどうしても相手を地面の上に縛り付けて置く必要があった。ところが不幸にしてこの場合の相手は、最初からもう地面の上にはいなかった。お秀の口にする愛は、津田の愛でも、掘の愛でも、乃至(ないし)お延、お秀の愛でもなかった。ただ漫然として空裏(くうり)に飛揚(ひよう)する愛であった。従ってお延の努力は、風船玉のようなお秀の話を、まず下へ引き摺(ず)り卸(おろ)さなければならなかった」(夏目漱石「明暗・P.379~380」新潮文庫)
極めて重要な話がすうっと挿入してある部分。
「風船玉のようなお秀の話を、まず下へ引き摺(ず)り卸(おろ)さなければならなかった」、とある。要するに簡単に言えば「空論」を「唯物論」の地平へ移動させた上で改めて問いただそうとしているわけだが、江戸時代には、似たようなイデオロギーはあったにせよ、実際に使える論理的思考方法はまるでないに等しかった。だが近代知識人=漱石は、「お延」の戦術を通して「お秀」の中身のなさの程を、じんわりと明らかに暴露させたがっている。漱石がその種の加虐的な嗜好の持主だったことはまず間違いない。ただ、そうした加虐性にもかかわらず、それに満足してほくそ笑んでいるだけに終わらせたりはせず、また敢えて隠したりもせず、小説形式を借りて社会に向けて問い掛けたところが他の知識人とは大きく異なる凄みと自信の現われだったと言える。
「子供が既に二人もあって、万事自分より所帯(しょたい)染(じ)みているお秀が、この意味に於(おい)て、遥(はる)かに自分より着実でない事を発見した時に、お延は口ではいはい向うのいう通りを首肯(うけが)いながら、腹の中では、焦慮(じれっ)たかった。『そんな言葉の先でなく、裸で入(い)らっしゃい、実力で相撲(すもう)を取りますから』と云いたくなった彼女は、どうしたらこの議論家を裸にすることが出来るだろうと思案した」(夏目漱石「明暗・P.380」新潮文庫)
漱石が知っており、また「お延」が葛藤している抜き差しならない「愛」というもの。「殺す/殺される/殺し合う」といった次元にまでとんとん拍子に飛躍-増殖することもしばしばある苛酷な恋愛関係。それが「お秀」においては「子供が既に二人もあって、万事自分より所帯(しょたい)染(じ)みているお秀が、この意味に於(おい)て、遥(はる)かに自分より着実でない」。作品「三四郎」では、美穪子を通して裏も表もなく体現されている一方、三四郎を通してしまうと意識下に限り満々とたたえられてはいるものの、表面上は無意識のうちにそこから逃げようと知らず知らず演じてしまっている「愛」というもののただならぬ正体とはこれだ。その意味で美穪子は「獰猛」な女であり、つまり「ごく普通の女」である。ちなみに三四郎では、美穪子は美穪子のいない所で「乱暴な女」と評される場面が出てくる。どこがどのように「乱暴」なのか。それはまたの機会に見ることにしよう。ただ、ここで述べておくべきは、この「乱暴さ」がなくても「妊娠・出産」は可能であるが、しかしこの「乱暴さ」のないところでは、逆に漱石の考える、あるいは「お延」のいう「愛」は一切成立しないということだろう。
「やがてお延の胸に分別が付いた。分別とは外でもなかった。この問題を活かすためには、お秀を犠牲にするか、又は自分を犠牲にするか、何方(どっち)かにしなければ、到底(とうてい)思う壷(つぼ)に入って来る訳がないという事であった。相手を犠牲にするのに困難はなかった。ただ何処からか向うの弱点を突ッ付きさえすれば、それで事は足りた。その弱点が事実であろうとも仮説的であろうとも、それはお延の意とする所ではなかった。単に自然の反応を目的にして試みる刺戟(しげき)に対して、真偽の吟味などは、要らざる斟酌(しんしゃく)であった。然し其所には又それ相応の危険もあった。お秀は怒るに違なかった。ところがお秀を怒らせるという事は、お延の目的であって、そうして目的でなかった。だからお延は迷わざるを得なかった。最後に彼女はある時機を摑(つか)んで起(た)った。そうしてその起った時には、もう自分を犠牲にする方に決心していた」(夏目漱石「明暗・P.380~381」新潮文庫)
「『そう云われると、何と云って可(い)いか解らなくなるわね、あたしなんか。津田に愛されているんだか、愛されていないんだか、自分じゃまるで夢中でいるんですもの。秀子さんは仕合せね、そこへ行くと。最初から御自分にちゃんとした保証が付いていらっしゃるんだから』お秀の器量望みで貰(もら)われた事は、津田と一所にならない前からお延に知れていた。それは一般の女、ことにお延のような女に取っては、羨(うら)やましい事実に違なかった。始めて津田からその話を聴かされた時、お延はお秀を見ない先に、まず彼女に対する軽い嫉妬(しっと)を感じた。中味の薄っぺらな事実に過ぎなかったという意味があとで解った時には、淡い冷笑のうちに、復讐(ふくしゅう)をしたような快感さえ覚えた。それより以後、愛という問題に就いて、お秀に対するお延の態度は、いつも軽蔑(けいべつ)であった。それを表向さも嬉(うれ)しい消息ででもあるように取扱かって、彼我(ひが)の共通する如くに見せ掛けたのはあ、無論一片のお世辞に過ぎなかった。もっと悪く云えば、一種の嘲弄(ちょうろう)であった」(夏目漱石「明暗・P.381」新潮文庫)
ここでのお延の意識の流れは大変面白い。漱石によって畳み掛けられるお秀に対する「からかい」。しかしなぜそこまで「意地悪」したかったのだろうか、漱石は。もしかしたら作品中で、お延の性格に近いところが最も濃く描写されている箇所ではあるかも知れない。とはいえ、それを読んで理解できる今の読者はお延と同程度かそれ以上に「意地悪」あるいは「サイコ」な性格を備えていなければ到底理解できないはずだ。ところが、ほぼすべての読者には理解できる。この事実は何を意味しているだろうか。そして何を意味していないだろうか。
「幸いお秀は其所に気が付かなかった。そうして気が付かない訳であった。と云うのは、言葉の上は兎(と)に角(かく)、実際に愛を体得する上に於て、お秀はとてもお延の敵ではなかった。猛烈に愛した経験も、生一本(きいっぽん)に愛された記憶も有(も)たない彼女は、この能力の最大限がどの位強く大きなものであるかという事をまだ知らずにいる女であった。それでいて夫に満足している細君であった。知らぬが仏という諺(ことわざ)が正にこの場合の彼女を能く説明していた。結婚の当時、自分の未来に夫の手で押し付けられた愛の判を、普通の証文のような積で、何時までも胸の中(うち)へ仕舞い込んでいた彼女は、お延の言葉を、その胸の中(うち)で、真面目に受ける程無邪気だったのである」(夏目漱石「明暗・P.381~382」新潮文庫)
お秀の「無邪気」。「知識人の無邪気」は時として危険である。漱石は諸外国の戦争や革命についてよく知っていたこともあってか、その危険性については熟知していた。だが、差し当たりここでは「中途半端な知識人の滑稽さ」に微笑できれば読者としては合格だろうし、そのような読者に上手く読んでもらえれば作家の側としても合格点をもらってもよいのでは、と漱石は思っていたに違いない。
コジェーヴによるヘーゲル読解の続き。今回取り上げる箇所はこれまで以上に、あるいは多少難解かも知れない。けれども実をいうと、そこで語られていることは決して難解でも何でもない。勿論、コジェーヴの力量による部分は大いにある。だがそれ以上にマルクス並びにハイデッガーによるヘーゲル読解の歴史に負う部分はもっと大量にある。測り知れないほどある。コジェーヴ自身、マルクス並びにハイデッガーによるヘーゲル読解から、その成果を大量に吸収した形跡を隠していない。むしろ逆に「丸出し」と呼んでも構わないほど惜しみなく披露している。
「以上のように、ヘーゲルが自己の哲学の大要を粗描した『精神現象学』の序文中の一節を分析するならば、この哲学において死の観念が果たしている本源的な役割が明らかになる。死の事実、或いは自己自身を意識する人間の有限性の事実をためらわずに受容することがヘーゲルの全思想の究極の源泉であり、彼の思想はもっぱらこの事実の現存在からそのすべての帰結を、最も隔たった帰結をも引き出しているのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.374」国文社)
「この思想によれば、《人間》はまったくの尊厳を求める《闘争》の中でみずからの意志により死の危険を受け容れることによって初めて《自然的世界》の中に現われ、死を甘受しかつまた自己の言説により死を開示することによって、最期に《絶対知》或いは《知恵》に到達し、かくして《歴史》を仕上げるに至る。このような思想がヘーゲルに生まれたのは、彼が死の観念から思索を始め自己の《学》、『絶対的』哲学を練り上げたからであり、このような学だけが、自己の有限性を意識し、時に自在にこの有限性に対処する有限な存在者が《世界》に現存在するという事実を哲学的に説明しうると見て取ったからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.374」国文社)
「死を開示する」、「自己の有限性を意識し」、などの専門用語。ハイデッガーからの強い影響がうかがえるに違いない。だからといって簡単にハイデッガー信者になってしまわないところは、さすがにコジェーヴの真面目さ、学者としての態度、ユーモア・センスなど様々な知性の引き出しの質の高さを思わせて余りある。
「このようにして、ヘーゲルの《絶対知》或いは《知恵》と、完全かつ決定的な無化として把握された死の意識的な受容とは不可分の一体をなしている。ヘーゲル自身、このきわめて重要な序文の他の一節においてこの点をはっきりと述べている。このまったく驚くべき一節を読むことによって初めて、ヘーゲルの思想の究極的な動機が捉えられ、その真実が把握され、それが及ぶ全域が理解されるのである。この一節の本文はおよそ次のように翻訳することができる。──†分離の活動は、《悟性》という、〔すなわち〕最も驚嘆に価し〔あらゆるもののうちで〕最も大きい威力、或いはむしろ絶対的な〔威力〕のもつ力であり労働である。それ自身のうちで完結し〔たままに〕安らい、そのもろもろの契機を、実体〔が保持する〕ように保持する円環は直接的な関係であり、したがって何ら驚嘆に値しない。だが、自己の周囲から分離された偶有的なものそのものが、かくして結び付けられたもので他の物との連関においてのみ客観的に実在するものが、独立の経験的-現存在と、分離され孤立した自由とを得るという〔こと〕は、《否定的なもの》のもつ驚くべき威力〔を表現している〕。それは、思惟の、純粋抽象-《自我》のエネルギーの致すところである。死とは──その非実在性をこのように呼ぼうとするならば──最も恐るべきものであり、死せるものを見据えることは、最も大きな力を要することである。力なき美は悟性を憎悪する。なぜならば、悟性は美には為しえないことを美に要求するからである。だが、《精神》の生は死の前に脅えその暴威から自己を守る生ではなく、死を耐え忍び死の中に自己を保つ生である。《精神》は絶対の分裂の中に自己自身を見いだして初めて自己の真理を得るのである。我々は或る事物について『これは何物でもない』とか『これは偽である』などと言い、〔そのようにして〕それを片付け何か他のものに移って行くが、精神がこの〔驚嘆すべき〕威力であるのは、そのように《否定的なもの》から眼をそらす《肯定的なもの》だからではない。そうではなく、《精神》がかかる威力であるのは、《否定的なもの》と面と向かいそれを凝視しその許に踏み留まることにのみよっている。このように踏み留まることが《否定的なもの》を所与-《存在》へと転ずる魔力である。この〔《精神》の威力つまり魔力〕は先ほど《主体》と呼ばれたものと同一のものである。すなわち主体は自己〔固有〕の境地のうちで特殊な規定に経験的現存在を与え、これによって抽象的《直接態》すなわち単に一般に《所与存在として現存在》するにすぎぬ《直接態》を弁証法的に揚棄し、この揚棄によって真の《実体》であるもの、〔すなわち〕所与《存在》或いは《直接的》でありながら、自己の外に《媒介》をもたず、それ自身がこの《媒介》であるところのものなのである。†──この一節の冒頭はやや謎めいているが、他の部分はまったく明快かつ一義的であり誤解の余地がない。この冒頭を把握するためには、以下の事柄を心に留めておかねばならない。すなわち、哲学とは《知恵》の追求であり、《知恵》とは自己意識の充溢である。したがって、《知恵》を渇望しそれを追い求めながら、ヘーゲルは、究極において、自己を、つまり在るがままの自己と自己のなすこととを自己自身及び他者に説明しようとしているのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.374~376」国文社)
ヘーゲルからの引用が長過ぎて何が何だかわからなくなりそうになる。他の訳文も参照できればしておこう。例えば、ヘーゲル「精神現象学・上・P.48~50」(平凡社ライブラリー)。
コジェーヴに戻ろう。
「ところが、真に人間的な彼の現存在が帰属する彼の活動は、自己の存在及び自己にあらざる存在を自己の言説によって開示する哲学者もしくは《賢者》のそれである。したがって、哲学者として思索するとき、ヘーゲルは何よりもまず彼自身の哲学的な言説を説明しなければならないことになる。さて、この言説を考察しながら、ヘーゲルは、ここで問題であるのは受動的な所与ではなく、『労働』と呼ばれうる『活動』の結果であり、そしてこの活動が彼が『《悟性》』と呼ぶものから得られるきわめて大きな『力』を要求するものである、ということを確認する。それによって彼は《悟性》が一つの『威力』であることを確認し、この威力が爾余のものすべてに『勝り』、まったく『驚嘆に値する』と述べるわけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.376」国文社)
「明白に、ここで『《悟性》』は《人間》における真に人間的かつ人間特有のものを意味している。なぜならば、人間を動物や物から区別するものは言説の能力だけだからである。それはまた、どのような哲学者であれ哲学者である限りどんな哲学者の中にも、したがってヘーゲルの中にも存在する本質的なものであり、したがって問題は挙げてこれが何であるかを知ることに還元される。《悟性》(=《人間》)は己れを『《分離》という活動』の中で、そしてそれによって、より正確には『《分離する》活動』として顕在化する『《絶対的な》威力』である、とヘーゲルは述べる。だがなぜ彼はこう述べるのであろうか。それは、《悟性》の活動、すなわち人間の思惟が本質的に《言説による》からである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.376~377」国文社)
「《人間》は稲妻のように一瞬にして実在するものの総体を開示するのではない。すなわち、人間はこの総体をただ一つの語-概念で捉えるのではない。総体を開示できるようにその契機を総体から《分離し》、孤立した語句や部分的な言説によってこの契機を逐次開示していくのであり、実在の総体が同時的なものであっても、それを開示できるのは、時間の中で展開される彼の言説の全体だけである。だが実は、これらの契機は時間的、空間的、さらには物質的に不可分の関係によって互いに絡み合い一つの全一体を構成しており、この全一体からそれを《分離することができない》。したがってその《分離》はまったく『奇蹟』であり、この分離を為す威力はまったくもって『絶対的』と呼ぶにふさわしい」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377」国文社)
「ヘーゲルが念頭に置く《悟性》の絶対的な力ないし威力は、究極のところ、《人間》の中に見いだされる《抽象》の力ないし威力にほかならないのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377」国文社)
「《人間》の中に見いだされる《抽象》の力ないし威力」、とある。ただ単に「主観性」と呼んだりもする。しかしヘーゲルのいう主観はただ単に固定された意味で受け取られがちな主観ではまったくない。そのような意味ではなく、ありとあらゆる対象を手前勝手に絶滅してみたり、気まぐれにでも再び再生させたり、実際には何百キロも離れた物を手元に出現させてみたりもする主観である。その意味で「《抽象》の力ないし威力」なのであり、それは「絶対的」であると言われる。
「或る任意の対象を孤立的にそれだけで記述しようとするとき、爾余のものは捨象される。例えば、『このテーブル』や『この犬』について語るとき、あたかもそれらだけがこの世に存在しているかのように語る。ところが実際には、その犬やテーブルは実在するものであり、実在する《世界》の中で特定の時に場を占めており、その周囲のものからそれらを分離することはできない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377」国文社)
「だが、思惟によってそれらを孤立させる人間は、この思惟において好きなようにそれらを結び合わせることができる。例えば、今述べたテーブルと犬とが実際には今何万キロメートルも離れているとしても、その犬をこのテーブルの下に置くこともできるわけである。いったい、実在するどのような結合力、反撥力もこれに対抗できるほどに強くはない以上、この物を分離し再び結び合わせる思惟の威力は実際『絶対的』なものである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377~378」国文社)
「しかもこの威力は何ら虚構の、もしくは『観念上』の力ではない。なぜならば、自己の言説による思惟において、そしてそれにより物を分離し再び結び合わせることによって人間は人為的な企図を形成し、これがいったん労働によって実現されるやいなや、所与の《自然的世界》の相貌を現に変貌せしめ、その中に《文化的世界》を創造するからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.378」国文社)
「文化的世界」、とある。いわゆる歴史的建造物、古典文学の舞台、古い伝承、遺跡なども或る程度は含まる時もあるにはあるが、主として「文化的」なものと言う時、現実的な効力を発揮する「文化」は、「法律/経済/社会制度/諸宗教/諸民族の歴史」などである。今の日本を含む東アジア諸国では大変しばしば「文化的事業に力を入れて行きたい」というキャッチ・フレーズが一般大衆の間では受けるようだ。ところがそれは世界の中のほんの例外に過ぎない。なるほど間違いではないものの、方言あるいは放言レベルでしかない。もっと政治的経済的レベルで公然と発言される「文化」は、もちろん、歴史的建造物、古典文学の舞台、古い伝承、遺跡などといった「副産物的」なものではなく、歴史的な原動力として実質的に成立してきたもの、要するに「法律/経済/社会制度/諸宗教/諸民族の歴史」などを主軸としているし、「文化的」という言語の中心的な意味は、よほど世俗的なマスコミででもない限り、以前からずっと「法律/経済/社会制度/諸宗教/諸民族の歴史」などを主軸としてきた。事実、社会保障制度/労働賃金/教育制度/金融関連諸機関/職場の整備/裁判所など、多岐に渡っている。文化の原動力はまた同時に労働から始まるほかない。しかしそこで「文化」と聞いて、もし「テレビに映し出されている古いお城」を思い浮かべる人々がいるとすれば、残念ながらそういう人々は今後もずっと世俗的政治力の餌食として延々地下世界を這いずり廻って生きていくか、しばらくして野垂れ死ぬしかない。それでもまだ「まし」なほうであって、日本の変わった風習の中で暮らしていてはわからない、ごく普通の文化圏では、「テレビに映し出されている古いお城」をテレビで見ただけで毎月給料がもらえるわけではない、と誰もが肝に銘じて知っている。だが、なぜか日本人はそれほどにも大事なことをすっかり忘れ去ってしまって平気で笑っているようなところがある。今なおある。「お人よし」と言えば失礼に当たる。だからそうは言わない。周囲はただ黙って見ている。だが世界中でも珍しく、うまく手なずけられやすい国民に映って見えていることはもはや疑いようがない。
「一般的に、或る実在するものの《概念》が創られるとき、このものは、その《今とここ》から引き離される。或る事物の概念は、その《今とここ》から引き離されたものとしてのこの事物それ自身である。したがって、この犬が今ここにおり、他方その概念が至る所にあるとともにどこにもなく、つねにあるとともにいかなる時にもないという点を除けば、『この犬』という概念はそれが『開示する』具体的な実在する犬と何ら変わりがない。さて、或るものをその《今とここ》とから引き離すことは、このものが一部となっている所与の時間的-空間的な宇宙の爾余のものによって一義的に限定されている『物質的』なその支えからこれを分離することである。だからこそ、このものは概念となった後に好きなように操られ『単純化』されうるわけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.378」国文社)
「概念となった後に好きなように操られ『単純化』されうる」。個人が先にあるわけでは決してない。そのような事態はあり得ようもない。まず概念的に人間という類いの分類がなされる。その後で、ようやく「個人」という分離や割り当てが遂行でき得るのであって、その逆ではない。
「このようにして、この実在する犬は概念として単に『この犬』であるだけではなく『任意の犬』や『一般に犬と呼ばれるもの』や『四足獣』や『動物』等々に、まったく単純に『存在』にすらなりうるのである。再度繰り返すならば、もろもろの学問や芸術や技能の根源にあるこの《分離》の威力は、《自然》がいかなる有効な抵抗もできない『絶対的』な威力である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.378」国文社)
「主観〔主体〕」の「絶対的威力」について。別のところでヘーゲルはこう述べている。
「《真理》もまた客体に一致するところの知識として積極者である。しかし、知識が他者〔客体〕に対して否定的に関係し、この客体を浸透するものであり、従って客体の知識に対する否定性を止揚するものであるという意味では、真理はこのような自己同等性である」(ヘーゲル「大論理学・中巻」・「ヘーゲル全集7・P.75」岩波書店)
極めて俗な世間話の用語を用いて譬えれば、こんな感じ。「主体は白い。客体は黒い。そこへ主体がやって来て客体〔対象〕に対して否定的〔積極的〕に働き掛け始めた。すると黒い客体はじわじわと浸透され、遂には白い主体によって隅々まで浸透されきってしまう。否定性というのは客体〔対象〕に対して主体の側の欲望で全面的に加工しようとする(染め上げる/洗脳する)行為である。要するに、始めは黒かった客体は、次第に白い主体に浸透され尽くしてしまい、客体もまた白くなる。だけでなく、浸透された後は両方とも白い。いまや主体も客体も同時に白い。従ってどちらが主体でどちらが客体であったか、もはや見分けることは不可能になっている。さらに人間というものは主体〔否定的侵略的欲望〕であると同時に客体〔加工される側〕でもある」。だが歴史はそこで終わるわけではない。さっきまであった客体は完全に崩壊して今ではすべてが白く見えているけれども、それは同時に次の新しい主体を生じさせる契機として作用する。
先に「個人」があるなどという論理がいかに馬鹿げた、一般大衆を馬鹿にした論理であるか。アドルノは容赦なく暴露している。
「個人などというのはたとえて言えば毛筋一本残さず根絶やしにされる時代である、というのはまだ考えが甘い。完膚なきまでに否定され、連帯を通じてモナドの状態が解消されるのであれば、そこに自ずから個体の救いの道もひらけてくるわけで、もともと個体は普遍的なものと関係づけられることによって始めて個別者となるものなのである。ところで現状はそうしたことからよほど遠いところにある。かつて存在したものが根こそぎ消滅したというわけではないのだ。むしろ歴史的に命運の尽きた個人が、生命を失い、中性化され、無力化したていたらくで引きずられ、徐々に深間に引きずり込まれていくという形で禍いが生じているのである」(アドルノ「ミニマ・モラリア・P.201」法政大学出版局)
二〇一七年三月二十二日作。
(1)からすの朝が早い
(2)抜け道にも爆風
(3)迷子の大人の道しるべがない
(4)だらしなく並んだ質問も応答も
(5)星の数ほど冤罪
(6)はったり不動産が売りに出ている
☞「『迷子』女は三四郎を見たままでこの一言を繰返した。三四郎は答えなかった。『迷子の英訳を知っていらしって』三四郎は知るとも、知らぬとも言い得ぬ程に、この問を予期していなかった。『教えて上げましょうか』『ええ』『迷える子(ストレイシープ)──解って?』三四郎はこう云う場合になると挨拶に困る男である。咄嗟(とっさ)の機が過ぎて、頭が冷かに働き出した時、過去を顧みて、ああ云えば好かった、こうすれば好かったと後悔する。と云って、この後悔を予期して、無理に応急の返事を、さも自然らしく得意に吐き散らす程に軽薄ではなかった。だから只黙っている。そうして黙っている事が如何(いか)にも半間(はんま)であると自覚している」(夏目漱石「三四郎・P.124」新潮文庫)
三四郎の特徴がよく出た文章。「得意に吐き散らす程に軽薄ではなかった。だから只黙っている。そうして黙っている事が如何(いか)にも半間(はんま)であると自覚している」。すぐ後で似た意味の文章が出てくる。そこでもう一度述べよう。
「迷える子(ストレイシープ)という言葉は解った様でもある。又解らない様でもある。解る解らないはこの言葉の意味よりも、寧ろこの言葉を使った女の意味である」(夏目漱石「三四郎・P.124~125」新潮文庫)
「迷える子(ストレイシープ)という言葉」は人間一般を指して用いられる用語なので、読者としては差し当たりごく普通の意味に取っておいてよいだろう。漱石が強調しているように、ここで大事な点は、「解る解らないはこの言葉の意味よりも、寧ろこの言葉を使った女の意味である」。
「三四郎はいたずらに女の顔を眺めて黙っていた。すると女は急に真面目になった。『私そんなに生意気に見えますか』その調子には弁解の心持がある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れれば好いと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする」(夏目漱石「三四郎・P.125」新潮文庫)
この部分は注意を要する。江戸時代ではない。むしろ江戸時代は封建社会だったためか多少なりとも「生意気」で勝気な女性は、その性格の強靭さや機転の利かせ方のセンスを買われて、逆に男性からの受けが良かったりした。かと言って、第二次大戦後の形式的民主主義国家日本でもまたない。
三四郎の馬鹿なところをこのようなセンテンスであぶり出す手法は漱石作品に独特だ。このような馬鹿さを三四郎を通して敢えて描くことで、三四郎を通してはいるものの、その実、明治日本において始めて当然とされるようになった目に見えない「法的」な「空気」に対する皮肉や嫌味あるいは当てこすり、さらには大いなる疑問が語られている。男女関係の中で「生意気に見えますか」という質問を女性の側から引き出すことが出来れば、男性が勝利したことになる。これといった根拠も理由もなしに、なぜかそういうことになる。漱石が知っていた先進的ヨーロッパ社会では、わざとロマンティシズムに溺れる場面を演じる場合ででもない限り決してこのようなことはない。なのに三四郎は「この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た」、と考える。明治日本になって始めて生じてきた「明瞭な女」とは一体どのような「女」なのか。明治国家が設定した男性上位女性下位という社会的教義に従う限りで男性に満足を与える「女」こそが、このようなシーンでは理想的な「明瞭な女」とされるに至っていた。漱石にとっては女性は常に既に「他者」だった。江戸時代には存在したであろういつもの身近で野趣があり奔放でストレートで遊び相手としても面白い女ではもはやない。しかし漱石にとって女性が「他者」としてしか映らなくなったのは一体いつごろからだっただろうか。もちろん、明治時代半ばに二十代後半を迎えた漱石から見れば敢えて述べるまでもなかっただろう。男性にとって女性が「他者」となったのは明治国家成立以降である。その間、明治時代特有の教育を叩き込まれた世代、男女の社会的地位を含めて教育を受けた世代に特有の女性観にほかならない。この人工的な女性観は美穪子のような聡明な女性にとってはより一層拘束された苦痛として感じられたことは間違いない。日に日に増していくばかりの苦痛に耐え難さを覚え始める年頃、要するに十代半ばになり子どもを産める体になれば、早々と人生を諦めのうちに沈め込まねばならない人生観をもたらした。黎明期の資本主義的生産様式は江戸時代の日本にあった人間関係の身近さを打倒-廃棄し、しかし男尊女卑的制度を社会的政治的統治機構として明治政府へ引き継がせて打ち固めただけでなく、女性を「産む機械」として再生産させることに成功した。と同時に漱石ら一部の近代知識人から見れば、これからの明治日本はどうかしてしまいそうだ、と薄々気付いてはいた。列車の中で偶然一緒になった三四郎に向って広田先生は今後の日本の成行きについていともあっさりこう言う。「滅びるね」。実際、滅びた。陰惨なまでに自滅した。ヒロシマ、ナガサキ、オキナワへ至る大日本帝国の試練は、騒然たる誕生から壮絶な最後まで、どこか栄光の死を欲してなぜか望んでもいない死を欲し得た死へ至る過程を、すでに戦争慣れしている欧米諸国に向けて再び人体実験の機会を与える絶好の場を提供したかのように見えなくもない。
「晴れたのが恨めしい気がする」。謎の提示と回答の提出。この繰り返しもまた漱石作品の特徴の中で特筆されるべきパターンだろう。しかし謎に関する回答が出された時には、主人公はいつもどこか何か「物足りない」気分を味わう。時間の経過が利子を生んでいく以上、謎が提示された時点よりも、より一層多くの利得が得られなければ満足できない体質。それもまた資本主義が急速に輸入されて全国津々浦々まで過激に行き渡りつつある明治日本に生まれ、その空気を存分に吸って育ってきた近代知識階級に特有の苦痛でもあった。作品「それから」にはこうある。
「彼は元来が何方(どっち)付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口(やりくち)であった。彼自身さえ、この二つの非難の何(いず)れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為(ため)に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫(くじ)かれた。即(つ)かず離れず現状に立ち竦(すく)んでいる事が屢(しばしば)あった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのではなくて、却(かえ)って明白な判断に本(もとづ)いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為(かんい)の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである」(夏目漱石「それから・P.251~252」新潮文庫)
「三四郎は美穪子の態度を故(もと)の様な、──二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片付かない空の様な、──意味のあるものにしたかった。けれども、それは女の機嫌を取るための挨拶位で戻せるものではないと思った。女は卒然として、『じゃ、もう帰りましょう』と云った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものと諦(あきら)める様に静かな口調であった」(夏目漱石「三四郎・P.125」新潮文庫)
子どもはしばしば女性を困らせる。それも無意識的に困らせる点で顕著である。ここで三四郎が空想している内容もまたその類いに属する。「美穪子の態度を故(もと)の様な、──二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片付かない空の様な、──意味のあるものにしたかった」、とある文面が何より痛烈にそのことを物語っている。漱石の筆は容赦なく三四郎の子どもっぽさを暴露して止まない。そして一旦、本当に一旦だが、美穪子は「三四郎にとって自分は興味のないものと諦(あきら)める様に静かな口調」を取る。
「空は又変わって来た。風が遠くから吹いてくる。広い畠の上には日が限って、見ていると、寒い程淋しい。草からあげる地意気(じいき)で身体は冷えていた。気が付けば、こんな所に、よく今までべっとり坐っていられたものだと思う。自分一人なら、とうに何処かへ行ってしまったに違いない。美穪子も──美穪子はこんな所へ坐る女かも知れない。『少し寒くなった様ですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。然し気分はもうすっかり直りましたか』『ええ、すっかり直りました』と明かに答えたが、俄(にわか)に立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、独り言の様に、『迷える子(ストレイシープ)』と長く引っ張って云った。三四郎は無論答えなかった」(夏目漱石「三四郎・P.125~126」新潮文庫)
三四郎は世間話のほうへとことん逃走を試みている。もう一度「猶予」を得たいのなら、「こんな所に、よく今までべっとり坐っていられたものだと思う」などと考える必要はない。いつまでも坐っておればすぐにでも「猶予」は訪れる。だが子ども過ぎる三四郎はもう逃げることしか頭にない。ところが、三四郎のその逃走する背中へ向けて美穪子はわざと糸を引くように、「『迷える子(ストレイシープ)』と長く引っ張って云」うのだ。美穪子の態度には裏もなければ表もない。ただひと言「あなたと私はもしかしたら同類なのではないですか?」と、公然と問い掛けているのである。三四郎の意識の動きは美穪子には手に取るようにわかるのだ。腹の底の底まで見透かされ見抜かれている。美穪子に対する三四郎の苦手意識は、美穪子のような相手を「苦手」としているからやって来るわけでは全然ない。むしろ「知っていること」からやって来る。意識の内部を自分自身よりどんどん速くずばずばと計算されてしまう恐怖が、聞くのを待ってからではなく、体の内部から先に湧き上がってくるのだ。三四郎のプライドは実に高く実に甘いと言わねばならない。
次のセンテンスは冗談まじり。が、男女関係の中で冗談の時間が果たす役割は見逃せない。両者は何らかの冗談を演じて両者の間合いを計ろうとするのが常だが、冗談といえどもそれが言語である以上、人間の側は常に冗談の上を越えることはできない。言語の先へ向けて時間を追い越すことはできない。その意味で人間はいついかなる時も、冗談なら冗談の下で、またその限りでのみ、冗談を繰り延べたり断ち切ったりしながら冗談の範囲の拘束に耐えなければならない。その範囲で両者は両者の関係をもたもたと押し進めるほかない。
「美穪子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角を指して、道があるなら、あの唐辛子の傍を通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺の後に果たして細い三尺程の路があった。その路を半分程来た所で三四郎は聞いた。『よし子さんは、あなたの所へ来る事に極ったんですか』女は片頬で笑った。そうして問返した。『何故御聞きになるの』」(夏目漱石「三四郎・P.126」新潮文庫)
なお、ここで再び美穪子の得意技が炸裂している。「『何故御聞きになるの』」。三四郎は弄ばれているわけだが、美穪子は三四郎を弄んでやることでまたまた「猶予」を与えている。美穪子は余りにも忍耐強い。それほど優位に立っている証拠でもあるわけだが。また同時にこの余裕は作者=漱石の余裕でもある。
「三四郎が何か云おうとすると、足の前に泥濘(ぬかるみ)があった。四尺ばかりの所、土が凹(へこ)んで水がぴたぴたに溜(たま)っている。その真中に足掛りの為に手頃な石を置いたものがある。三四郎は石の扶(たすけ)を藉(か)らずに、すぐに向うへ飛んだ。そうして美穪子を振り返って見た。美穪子は右の足を泥濘(ぬかるみ)の真中にある石の上へ載せた。石の据わりがあまり善くない。足へ力を入れて、肩を揺(ゆす)って調子を取っている。三四郎は此方(こちら)側から手を出した。『御捕(おつか)まりなさい』『いえ大丈夫』と女は笑っている。手を出している間は、調子を取るだけで渡らない」(夏目漱石「三四郎・P.126」新潮文庫)
さて、あたかも下手な「ポルノ小説」のような描写が挟み込まれる。二人の間に「泥濘(ぬかるみ)」があり、そこは「土が凹(へこ)んで水がぴたぴたに溜(たま)っている」。さらに美穪子の姿勢だが、「足へ力を入れて、肩を揺(ゆす)って調子を取っている」。十代の中学高校生が読めば説明するまでもなく男女の性行為の一つ(騎乗位)にしか思われないに違いない。実際、読書においてはそのような官能性を読み取ることは十分可能であり容易いのだが、問題は、二人の登場人物のためだけに、親切にも漱石がわざわざこのようなシーンを設定してやった理由である。
「三四郎は手を引込めた。すると美穪子は石の上にある右の足に、身体の重みを託して、左の足でひらりと此方側へ渡った。あまりに下駄を汚すまいと念を入れ過ぎた為め、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに腰が前へ出る。その勢で美穪子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。『迷える子(ストレイシープ)』と美穪子が口の内で云った。三四郎はその呼吸(いき)を感ずる事が出来た」(夏目漱石「三四郎・P.126~127」新潮文庫)
「泥濘(ぬかるみ)」、「水がぴたぴたに溜(たま)って」。さらにそこを一挙に移動して男の元へ飛び込んで行く。その意味ではなるほど美穪子もまた「水の女」ではある。それにしても不可解な、一挙に演じられるばかりか、まず失敗することのないこの「飛躍」。明治時代の日本でこのような「飛躍」が可能だったのはなぜか。文化的側面では男女関係を含む「交換体系」全般の全体主義化の進行があり、経済的な機構では資本主義的生産様式が全国に広く行き渡っている限りで始めて可能になった「近代」という新しい社会編成があった。だから江戸時代にこの種の「飛躍」などなかったに違いない。その意味で男女の恋愛の形態もとうに江戸時代に見られたようなものではなくなっていただろう。というより、江戸時代の風物そのものが完膚なきまでに、ものの見事に終わっていた。断片的にではあれ、言葉遣いや服装や宗教などは見た目だけはなるほど残って見えてはいた。しかしそのいずれもが、明治以降、それまでは有効だった意味をすっかり切り刻まれ取り換えられたことは論を待たない。さらにしばらくして「無意識」の発見がここに加わってくる。この流れに抵抗した勢力は西南戦争を大きな節目として軍事的大敗北を喫した後に、資本主義社会の鉄の掟の足元にひれ伏さなければ生きていくことすら許されない近代軍国主義日本へと転向した。フーコーの言う歴史の「断層」は既に深く刻み込まれていたのである。美穪子が「迷える子(ストレイシープ)」は「お互いさまなのでは?」と問い掛けた時、余りにも子どもじみた三四郎に、一体、実のある何をどう答えることができただろうか。作品のところどころで描写されるどこか気怠(けだる)げな美穪子の態度を見るに当たって、三四郎を評して「諦め/失望/誤ち」を真正面から指摘するかのような態度のように見える、と言われることが少なくない。けれどもその理由を述べようとすれば、明治日本社会のどこへでも急速に行き渡りつつある資本主義的黎明期に顕著な、近代知識人の漠然たる不安感情を抜きにしては論じることができない。勿論、知識人ゆえの特権的な不安ではない。学者なら誰でもこの種の不安を感じ取ることができたか。まったくそうではない。逆なのだ。学問を少しでも齧った知識人のみに限られた特権的な意識ではなく、この種の不穏さを胎動させた得体の知れぬ空気を敏感に嗅ぎ付ける嗅覚を獲得していた人間だったからこそ、特定の知識階級の中のごく一部の人々に限らず、彼ら彼女らは近代人たり得たのだ。そして近代人たり得ることは何を意味したか。刻一刻と深く濃くなっていくばかりのただならぬ社会の空気の中で、空気の急変と身を共にしつつ、しっかりと地面の上に立っているということはもはや不可能だと知った人間に特有の不安感情を常に内在化させて生きて行くほかない立場へと暗黙の裡に拘束されてしまっているということを意味した。そしてそのことは同時にほとんど間違いなく、「諦め/失望/誤ち」に満ちた暗澹たる事態への直面化を余儀なくされた、ということでなければならなかった。
前回、ドゥルーズ&ガタリから次の部分を引用した。
「公理と、現実の生きた流れのあいだには、基本的な違いがつねに存在している。公理は、制御と決定の中心に流れを従属させ、その一つ一つに切片をあてがって、その量を計測する。しかし生きた流れの圧力、流れが課し、強いてくる問題の圧力は、公理系の内部において作用しなくてはならない。全体主義的縮小に対して闘争するためにも。公理の付加を追い越し、加速し、方向付けてテクノクラートたちの倒錯を妨げるためにも」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.226~228」河出文庫)
「現実の生きた流れ」、とある。説明などいらないという人々がいる一方、一体全体なんのことやらという人々もいる。個人的なことを言うと、周囲には両方ともいるが、その間に位置する人々、「わかるようなわからないような」人々となると余りにも多い。多過ぎる。次のセンテンスも参照。
「分裂者については、こういえる。かれがたえず移り歩き、さまよい、よろめき続けているその頼りない歩みからいって、かれは、自分自身の器官なき身体の上で社会体を果てしなく崩壊させながら、たえず脱土地化の道をどこまでも遠くへとつき進んでゆくひとなのだ。恐らく、あの分裂者の散歩は、みずから大地を再び発見し直すかれ自身の独自の仕方なのである、と。分裂症患者は、資本主義の極限に身をおいているのである。かれは、資本主義に内属するその発育の衝動であり、その剰余生産物であり、そのプロレタリアであり、それを殺戮する天使である。かれは一切のコードを混乱させ、欲望の脱コード化した種々の流れをもたらす。実在するものは流れる。<《過程》>の二つの様相が再び結ばれる。〔欲望する生産の〕形而上学的過程と社会的生産の歴史的過程とが。前者は、自然の中にあるいは大地の核心の只中に住まう『ダイモン』にわれわれを触れさせる、あの形而上学的過程であり、後者は、社会機械が脱土地化するのに応じて、欲望する諸機械の自律性を回復させる、あの社会的生産の歴史的過程である。分裂症とは、社会的生産の極限としての欲望する生産にほかならない。したがって、欲望する生産が現われるのは、またこの生産と社会的生産との体制の相違が現われるのは、最後においてであって、最初においてではない。一方の生産と他方の生産との間には、実在の生成というひとつの生成の運動があるのみである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.50」河出書房新社)
「分裂症患者」の特徴とは何か。社会の体系を失してしまった人々。体系に囚われる必要性がない。体系からはずれてしまっている人々。社会に存在する様々な境界線を越えているのか越えていないのか、自分でもよくわからなくなっている人々。だからといって、資本主義社会に対抗するために「分裂症患者」を対抗させるわけでは何らない。
資本主義的生産様式もまた極めて「分裂症的」な動きを取る点で共通項を多く持っている。両者は大変似ている。だが違う点があり、そしてこの違いこそ、両者が決定的に違っている点だとドゥルーズ&ガタリは強調するわけである。どちらが「偉い」とか「偉くない」とかいう問題ではない。資本主義は自らの限界を設定したり壊したり再設定したりと資本の要求を常に欲望として実現させようと計る。一方、「分裂症患者」は資本主義社会の限界まで一人歩きしたりするが、知らず知らずのうちにその極限に身を置くことしか知らない。資本主義は自ら公理系を付け加えたり捨て去ったりする。しかし「分裂症患者」は自ら公理系など何一つ創設しようがなく、社会的に操作する側ではなく、逆に操作される側に位置する。脈略なく動き回るために資本の運動と似ているように見えるのだが、資本のように自ら意図的に分裂症的な言動を繰り返して一般大衆を煙に巻いているわけではまったくない。問題は、資本の側に身を置きながら、たくさんのことを理解できているのにまるで理解できていないかのように振る舞って見せている人々=とりわけ「公的人間」なのだ。