プルーストは一度、「失われた時」を「総合」することができると勘違いする場面を書き込んでいる。総合・統一が可能であるかのように。それもあろうことか音楽を通してなのだ。「ヴァントゥイユの晩年の作品に総合化されているように思われた」と。
「今しがた述べたような悲しい思いをめぐらしながらゲルマント邸の中庭へはいっていった私は、ぼんやりしていて、一台の車の進んでくるのが目にはいらなかった。運転士の大声に、私はかろうじて脇へよけたが、あとずさりした拍子に、思わず物置のかなりでこぼこした敷石につまずいた。ところが、転ばぬよう身体を立て直そうとして、片足をその敷石よりもいくぶん低くなった敷石のうえに置いたとたん、それまでの落胆は跡形もなく消え失せ、私はえもいわれぬ幸福感につつまれた。これはほかでもない、わが生涯のさまざまな時期に、たとえばバルベックの周辺を馬車で散策していたとき以前に見たことのある気がした木々の眺めとか、マルタンヴィルの鐘塔の眺めとか、ハーブティーに浸したマドレーヌの味とか、そのほかこれまでに語った多くの感覚が私に与えてくれたのと同じ幸福感で、その感覚は私にはヴァントゥイユの晩年の作品に総合化されているように思われたものだった。マドレーヌを味わったときと同じく、将来への不安から知的な懐疑はことごとく消え失せていた。はたして自分に文学的才能があるのか、文学自体さえ実在するのかという、さきに私が見舞われた懐疑の念は、まるで魔法にかけられたように雲散霧消していた」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.430~431」岩波文庫 二〇一八年)
しかしそれが勘違いだということはすぐにわかる。というのも、<私>は、「当時その深い原因を突きとめるのを先延ばしにしていた」限りで、総合・統一が可能だと考えるに至ったからだ。
「今しがた味わったえもいえぬ幸福感は、実際、マドレーヌを口にしたときに味わったのと同じものであったが、私は当時その深い原因を突きとめるのを先延ばしにしていたのだ」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.431」岩波文庫 二〇一八年)
そして「見出された時」の後半にあたるゲルマント家での壮大なパーティーを前にして、その考えがドグマ(思い込み)に過ぎなかったことに気づかされる。この<気づき>は「芸術への意志」を通して、創造行為とは何かを通して、始めて<私>に到来するという形をとる。
「ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外のなにであろう?しかもすでにさまざまな結果が私の頭のなかにひしめいていた。というのも、フォークの音やマドレーヌの味覚といったたぐいの無意識の記憶であれ、鐘塔や雑草といった形象が私の頭のなかに複雑な花をつけた判じ物を形づくり、私がその意味を明らかにしようと努める形象の助けを借りて記された真実であれ、その第一の性格は、私がそれらを自由に選べるわけではないこと、そうした記憶や真実はあるがまま私に与えられているということであった。私はこの事実にこそ、そうした記憶や真実が正真正銘のものであるという極印(ごくいん)になると感じた。私は中庭に不揃いなふたつの敷石を探しに行って、それにつまずいたわけではない。そうではなく偶然、避けようもないものとしてその感覚に出会ったこと自体が、その感覚でよみがえらせた過去の真正さと、その感覚が生じさせたイメージの真正さを保証してくれる。なぜならわれわれは、明るい光のほうへ浮上しようとするその感覚の努力を感じるからであり、ようやく見出された現実の歓びを感じるからだ。またその感覚は、そこからひき出される当時の印象からなる画面全体に、光と影、起伏と欠如、回想と忘却などを間違いのない割合で配合し、その画面の真正さをも保証してくれる。意識的な記憶や観察では、そのような割合の配合は永久に知られないだろう。未知の表徴で記された内的な書物となれば(その表徴には起伏があるらしく、私の注意力は、わが無意識を探検しながら海底を探る潜水夫のように探りを入れ、ぶつかりながらその輪郭を描こうとした)、その表徴を解読するのに、いかなる形であれ私を手伝ってくれる者はひとりもなく、その解読は、だれに代わってもらうこともできずだれかに協力してもらうことさえできない、創造行為なのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.455~457」岩波文庫 二〇一八年)
プルーストのいう「創造行為」は間違いなく<生産>であり、<生産への欲望>であり、<欲望する生産>である。とはいえゲルマント家のパーティーで大団円を迎えるのは「失われた時を求めて」がただ単なる「物語」として読まれていた過去のことだ。今や一足飛びにその場面を「大団円」として受け入れるわけにはいかない。「大団円」という言葉はそのままステレオタイプ(紋切型)として定着してしまっている。二十一世紀の読解で必要になるのは無批判にステレオタイプ(紋切型)を受け入れるわけでまるでなく、逆にステレオタイプ(紋切型)の代表者として登場してきたシャルリュスの言説を振り返ることからやり直すことでなくてはならない。また、<私>が犯したアルベルチーヌに対する<幽閉・監視・監禁>。変幻この上ない女性を暴力的に固定化するとはどういうことか。その部分について検証しなくてはならないだろう。
BGM1
BGM2
BGM3
「今しがた述べたような悲しい思いをめぐらしながらゲルマント邸の中庭へはいっていった私は、ぼんやりしていて、一台の車の進んでくるのが目にはいらなかった。運転士の大声に、私はかろうじて脇へよけたが、あとずさりした拍子に、思わず物置のかなりでこぼこした敷石につまずいた。ところが、転ばぬよう身体を立て直そうとして、片足をその敷石よりもいくぶん低くなった敷石のうえに置いたとたん、それまでの落胆は跡形もなく消え失せ、私はえもいわれぬ幸福感につつまれた。これはほかでもない、わが生涯のさまざまな時期に、たとえばバルベックの周辺を馬車で散策していたとき以前に見たことのある気がした木々の眺めとか、マルタンヴィルの鐘塔の眺めとか、ハーブティーに浸したマドレーヌの味とか、そのほかこれまでに語った多くの感覚が私に与えてくれたのと同じ幸福感で、その感覚は私にはヴァントゥイユの晩年の作品に総合化されているように思われたものだった。マドレーヌを味わったときと同じく、将来への不安から知的な懐疑はことごとく消え失せていた。はたして自分に文学的才能があるのか、文学自体さえ実在するのかという、さきに私が見舞われた懐疑の念は、まるで魔法にかけられたように雲散霧消していた」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.430~431」岩波文庫 二〇一八年)
しかしそれが勘違いだということはすぐにわかる。というのも、<私>は、「当時その深い原因を突きとめるのを先延ばしにしていた」限りで、総合・統一が可能だと考えるに至ったからだ。
「今しがた味わったえもいえぬ幸福感は、実際、マドレーヌを口にしたときに味わったのと同じものであったが、私は当時その深い原因を突きとめるのを先延ばしにしていたのだ」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.431」岩波文庫 二〇一八年)
そして「見出された時」の後半にあたるゲルマント家での壮大なパーティーを前にして、その考えがドグマ(思い込み)に過ぎなかったことに気づかされる。この<気づき>は「芸術への意志」を通して、創造行為とは何かを通して、始めて<私>に到来するという形をとる。
「ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外のなにであろう?しかもすでにさまざまな結果が私の頭のなかにひしめいていた。というのも、フォークの音やマドレーヌの味覚といったたぐいの無意識の記憶であれ、鐘塔や雑草といった形象が私の頭のなかに複雑な花をつけた判じ物を形づくり、私がその意味を明らかにしようと努める形象の助けを借りて記された真実であれ、その第一の性格は、私がそれらを自由に選べるわけではないこと、そうした記憶や真実はあるがまま私に与えられているということであった。私はこの事実にこそ、そうした記憶や真実が正真正銘のものであるという極印(ごくいん)になると感じた。私は中庭に不揃いなふたつの敷石を探しに行って、それにつまずいたわけではない。そうではなく偶然、避けようもないものとしてその感覚に出会ったこと自体が、その感覚でよみがえらせた過去の真正さと、その感覚が生じさせたイメージの真正さを保証してくれる。なぜならわれわれは、明るい光のほうへ浮上しようとするその感覚の努力を感じるからであり、ようやく見出された現実の歓びを感じるからだ。またその感覚は、そこからひき出される当時の印象からなる画面全体に、光と影、起伏と欠如、回想と忘却などを間違いのない割合で配合し、その画面の真正さをも保証してくれる。意識的な記憶や観察では、そのような割合の配合は永久に知られないだろう。未知の表徴で記された内的な書物となれば(その表徴には起伏があるらしく、私の注意力は、わが無意識を探検しながら海底を探る潜水夫のように探りを入れ、ぶつかりながらその輪郭を描こうとした)、その表徴を解読するのに、いかなる形であれ私を手伝ってくれる者はひとりもなく、その解読は、だれに代わってもらうこともできずだれかに協力してもらうことさえできない、創造行為なのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.455~457」岩波文庫 二〇一八年)
プルーストのいう「創造行為」は間違いなく<生産>であり、<生産への欲望>であり、<欲望する生産>である。とはいえゲルマント家のパーティーで大団円を迎えるのは「失われた時を求めて」がただ単なる「物語」として読まれていた過去のことだ。今や一足飛びにその場面を「大団円」として受け入れるわけにはいかない。「大団円」という言葉はそのままステレオタイプ(紋切型)として定着してしまっている。二十一世紀の読解で必要になるのは無批判にステレオタイプ(紋切型)を受け入れるわけでまるでなく、逆にステレオタイプ(紋切型)の代表者として登場してきたシャルリュスの言説を振り返ることからやり直すことでなくてはならない。また、<私>が犯したアルベルチーヌに対する<幽閉・監視・監禁>。変幻この上ない女性を暴力的に固定化するとはどういうことか。その部分について検証しなくてはならないだろう。
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<私>はいきなり<われわれ>と複数形を取る。そしていう。「われわれは光の速さに目がくらんできみたちのすがたをほとんど認めることができない」。<われわれ>のままでいいだろう。というのも、こう続くからだ。「われわれが乙女に期待する変わらぬ本性など、ただの絵空ごと、お題目にすぎなくなる」。特権的な《乙女たち》の時期。誰一人として《乙女たち》を「固定」することはできない、という意味で。
「そもそもアルベルチーヌといい、アンドレといい、その実態は何なのか?それを知るには、乙女たちよ、きみたちを固定しなければなるまい。つねにすがたを変えるきみたちを不断に待ち受けて生きるのをやめなくてはなるまい。もはやきみたちを愛してはいけないのだ。きみたちを固定するには、際限なくつねに戸惑わせるすがたであらわれるきみたちを知ろうとしないことが重要なのだ。乙女たちよ、渦のなかにつぎつぎと射す一条の光よ、その渦のなかできみたちがあらわれまいかと心をときめかせながら、われわれは光の速さに目がくらんできみたちのすがたをほとんど認めることができない。つねに千変万化してこちらの期待を超越する黄金の滴(しずく)よ、性的魅力に惹かれてきみたちのほうへ駆け寄ることさえしなければ、そんな速さを知らずにすませられるかもしれず、そうなればすべてが不動の相を帯びるだろう。乙女はあらわれるたびに前に見たすがたとはまるで似ていないので(そのすがたを認めたとたん、われわれがいだいていた想い出や思い定めた欲望は粉々にうち砕かれる)、われわれが乙女に期待する変わらぬ本性など、ただの絵空ごと、お題目にすぎなくなる」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.139~140」岩波文庫 二〇一六年)
<未知の女>と最初に言ったのはプルーストだ。バタイユはそれに激しく共鳴しブランショはバタイユを引き継ぐ形でプルーストのいう<未知の女>論に補助線を与えた。次の文章に立ち止まってみよう。プルーストがどれほど大規模な形で恋愛、とりわけ「嫉妬」から大いに学んだか、むしろ「嫉妬」なしにほとんど何一つ学ぶことができなかったか、よくわかるに違いない。
「もとより私は、これら光かがやく娘たちにも断定的な性格を付与できる日がやって来ることを否定するわけではないが、そうできるのは、娘たちがこちらの関心を惹かなくなり、娘たちの登場が、べつのものを期待していたのに会うたびに新たな相貌でわれわれの心を動転させるような出現ではもはやなくなっているからである。娘たちの不動のすがたはわれわれの無関心ゆえに到来することで、無関心になってはじめて娘たちを知性による評価に委ねられるのだ。とはいえ知性も、ことさらに断定的な結論をくだすわけではない。知性は、ある娘のなかに際立つなんらかの欠点がさいわいべつの娘には見られないと判断したあとで、この欠点は貴重な美点の裏返しにほかならないと気づくからである。それゆえ人が関心を失ってようやく活動をはじめる知性の誤った評価から、娘たちの安定した性格がそうと決めつけられて出てくるわけで、そんな性格がわれわれになにも教えてくれないのは、こちらの期待が目まぐるしく速度をあげるなかで毎日あらわれる意外な風貌が、すなわち親しい娘たちが毎週毎日のように提示はするがどれも似ても似つかぬ風貌が、とどまることを知らぬ疾走ゆえに分類して序列をつけることもかなわぬ風貌が、なにも教えてくれないのと同然である」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.142~143」岩波文庫 二〇一六年)
一般化してもしなくても「嫉妬」には武器としての速度性が見られる。「取り扱い注意」のラベルを貼り付けておかねばならないだろう。
「失われた時を求めて」の主要テーマとしてドゥルーズは<暴露><覗き><冒瀆>を三位一体として上げる。そしてそれらに敏感な反応を見せているシーンには四つの共通項が認められる。「社交界の言葉」、「愛と嫉妬の言葉」、「感覚的な言葉」、「芸術の言葉」。
ところで<私>は一旦<われわれ>になり、今度は<われわれ>から<私>に戻る。そのあいだにも「時」は容赦しない。《乙女たち》の一団はもうアルベルチーヌ一人へ分離接続され、愛と嫉妬が織りなす狂気の切迫感にそそのかされるまま<私>の所有欲はアルベルチーヌの「幽閉・監視・監禁」へと事態を加速させる。
「メダルに刻まれたみたいに記憶のなかにそっくり保存されていた肖像をふたたび目の当たりにすると、それが自分のよく知る今の人間とはまるで違うことに驚かされ、習慣が日々いかなる造型の仕事を成し遂げているかが納得できる。パリで私の暖炉のそばにいるアルベルチーヌに宿る魅力のなかには、浜辺沿いにくり広げられて傍若無人な花と咲いた行列が私のうちに煽りたてた欲望がなおも息づいていて、サン=ルーにとってはラシェルが舞台を退いたあとでも舞台の日々の威光を失わずにいたのと同じで、私が大至急バルベックから遠く離れたわが家へ連れ帰って幽閉したこのアルベルチーヌのうちには、海水浴場の生活における心の昂ぶり、社交上の狼狽、不安にみちた虚栄心、さまよう欲望などが今なお存続しているのだ」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.145~146」岩波文庫 二〇一六年)
ともあれ「ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができたのである」とプルーストは語る。なぜそれが可能なのか。「ほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離」すことが可能な限りで可能なのだ。
「それは過去の一瞬、というだけのものであろうか?はるかにそれ以上のものかもしれない。むしろ過去にも現在にも共通し、この両者よりもはるかに本質的なものであろう。これまでの人生において、現実があれほど何度も私を失望させたのは、私が現実を知覚したとき、美を享受しうる唯一の器官である私の想像力が、人は不在のものしか想像できないという避けがたい法則ゆえに、現実にたいしては働かなかったからである。ところが突然、ところが突然、自然のすばらしい便法のおかげで、この厳格な法則が無効とされ、停止され、自然がある感覚ーーーフォークやハンマーの音とか、本の同一のタイトルとかーーーを過去のなかにきらめかせて想像力にその感覚を味わわせると同時に、それを現在のなかにもきらめかせ、音を聞いたり布に触れたりすることによって私の感覚を実際に震わせたことで、想像力の夢に、ふだんは欠けている存在感が付与されたのだ。そしてこの巧妙なからくりのおかげで、わが存在は、ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができたのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.442~443」岩波文庫 二〇一八年)
ア・プリオリに繋がっている要素などどこにもない。事情は逆であり、ア・プリオリにばらばらな<諸断片>でしかないがゆえに、後になって一貫した「因果関係」を捏造することが可能になってくるのである。すでにヒュームが述べておりカントが挑戦した課題である。
「ヒュームは、形而上学だけにある唯一の、しかしこの学にとって重要な概念ーーーすなわち《原因と結果との必然的連結》という概念(従ってまたそれから生じる力及び作用の概念等)を、彼の考察の主たる出発点とした。そして彼は、この〔因果的連結の〕概念を自分自身のうちから産出したと称する理性に対して弁明を要求した、つまり理性は、何か或るもの〔原因〕が設定されるとそれによってまた何か他の或るもの〔結果〕が必然的に設定されると言うが、しかし理性はいかなる権利をもって、最初の何か或るものがこのような性質をもち得ると思いなすのか、と問うのである、なぜならーーーこれがすなわち原因の概念だからである。ヒュームの証明はこうである、ーーー概念だけからアプリオリにかかる〔因果的〕結合を考え出すことは、理性にはまったく不可能である、この結合は必然性を含むからである、とにかく何か或るものが存在するからといって、何か他の或るものまでが存在せねばならぬという理由や、それだからまたかかる必然的連結の概念がアプリオリに導入せられるという理由は、まったく理解できないことである。ヒュームのこの証明は、反論の余地のないものであった。ついでヒュームは、このことから次のように推論した、ーーー理性は、〔必然的連結という〕この概念をもって、みずから欺いているのだ、かかる概念は想像力の産んだ私生児にすぎないのに、理性はこれを誤って摘出子と認めているのである、或る種の表象の連想の法則を適用し、そこから生じる主観的必然性すなわち習慣を、〔アプリオリな〕洞察にもとづく客観的必然性とすり換えたのである、と。更にまたヒュームは、こうも推論したのである、ーーー理性は、このような必然的連結を、一般的にすら考える能力をまったく持合わせていないのである、そうだとしたら、かかる事柄に関する理性の概念なるものは、単なる仮構にすぎないであろう。そして理性がアプリオリに存立する認識と称するものは、けっきょく偽印(にせいん)を捺(お)した普通の経験でしかないだろう、と。彼のこの推論はーーーおよそ形而上学なるものは存在しない、またいかなる形而上学も存在し得るものではない、と言うに等しい」(カント「プロレゴメナ・P.14~15」岩波文庫 一九七七年)
身も蓋もない話だろうか。まるで違う。カントもマルクスもニーチェも漱石もそこから始めた。その意味で今のマスコミ評論家などとは比較にならない誠実さがあった。
「愛と嫉妬」に戻ってみよう。もう二度と同じ恋愛関係には戻れないと思っている二人は数えきれないほどいるに違いない。そういうものだと割り切って大人になったと思い込むより遥かに可能性に満ちた方法がまだ残されている。少なくとも日本では積極的に試されたことはないだろう。あったとしても学生のジョーク程度のレベルであり研究に値するまともな検証結果が出されたとは今なお聞いたことがない。バルトはいう。
「愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮ぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テクストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持に私がなればいいのだ。私は必ずしも快楽のテクストに《捉えられて》いる訳ではない。それは、移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような」(バルト「テクストの快楽・P.46」みすず書房 一九七七年)
なかなか気の効いた軽快な思考速度を思わせる。いつもそうであればステレオタイプ(紋切型)が幅を利かせる窒息しそうな世の中などすぐに居場所を失うほかない。それはそれとして「われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動き」というフレーズに一瞬どきりとしはしないだろうか。例えばヒッチコックの映画「鳥」。あの中で「鳥」はなぜ不気味なものとして視聴者を不意打ちするのか。大群だからか。それとも押し寄せてくるからか。いずれでもない。「鳥」にもかかわらず「歌わない」からである。ヒッチコックは「鳥」をぎゃあぎゃあ喚かせたりせず、ただ正体不明の「羽ばたき」だけを強烈に打ち込んだ。ヒッチコック監督による「羽ばたき」だけの「鳥」。それがヒッチコックによる「アレンジメント」である。その意味でドゥルーズ=ガタリのいう「アレンジメント」に難解さを感じる必要は少しもない。
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「そもそもアルベルチーヌといい、アンドレといい、その実態は何なのか?それを知るには、乙女たちよ、きみたちを固定しなければなるまい。つねにすがたを変えるきみたちを不断に待ち受けて生きるのをやめなくてはなるまい。もはやきみたちを愛してはいけないのだ。きみたちを固定するには、際限なくつねに戸惑わせるすがたであらわれるきみたちを知ろうとしないことが重要なのだ。乙女たちよ、渦のなかにつぎつぎと射す一条の光よ、その渦のなかできみたちがあらわれまいかと心をときめかせながら、われわれは光の速さに目がくらんできみたちのすがたをほとんど認めることができない。つねに千変万化してこちらの期待を超越する黄金の滴(しずく)よ、性的魅力に惹かれてきみたちのほうへ駆け寄ることさえしなければ、そんな速さを知らずにすませられるかもしれず、そうなればすべてが不動の相を帯びるだろう。乙女はあらわれるたびに前に見たすがたとはまるで似ていないので(そのすがたを認めたとたん、われわれがいだいていた想い出や思い定めた欲望は粉々にうち砕かれる)、われわれが乙女に期待する変わらぬ本性など、ただの絵空ごと、お題目にすぎなくなる」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.139~140」岩波文庫 二〇一六年)
<未知の女>と最初に言ったのはプルーストだ。バタイユはそれに激しく共鳴しブランショはバタイユを引き継ぐ形でプルーストのいう<未知の女>論に補助線を与えた。次の文章に立ち止まってみよう。プルーストがどれほど大規模な形で恋愛、とりわけ「嫉妬」から大いに学んだか、むしろ「嫉妬」なしにほとんど何一つ学ぶことができなかったか、よくわかるに違いない。
「もとより私は、これら光かがやく娘たちにも断定的な性格を付与できる日がやって来ることを否定するわけではないが、そうできるのは、娘たちがこちらの関心を惹かなくなり、娘たちの登場が、べつのものを期待していたのに会うたびに新たな相貌でわれわれの心を動転させるような出現ではもはやなくなっているからである。娘たちの不動のすがたはわれわれの無関心ゆえに到来することで、無関心になってはじめて娘たちを知性による評価に委ねられるのだ。とはいえ知性も、ことさらに断定的な結論をくだすわけではない。知性は、ある娘のなかに際立つなんらかの欠点がさいわいべつの娘には見られないと判断したあとで、この欠点は貴重な美点の裏返しにほかならないと気づくからである。それゆえ人が関心を失ってようやく活動をはじめる知性の誤った評価から、娘たちの安定した性格がそうと決めつけられて出てくるわけで、そんな性格がわれわれになにも教えてくれないのは、こちらの期待が目まぐるしく速度をあげるなかで毎日あらわれる意外な風貌が、すなわち親しい娘たちが毎週毎日のように提示はするがどれも似ても似つかぬ風貌が、とどまることを知らぬ疾走ゆえに分類して序列をつけることもかなわぬ風貌が、なにも教えてくれないのと同然である」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.142~143」岩波文庫 二〇一六年)
一般化してもしなくても「嫉妬」には武器としての速度性が見られる。「取り扱い注意」のラベルを貼り付けておかねばならないだろう。
「失われた時を求めて」の主要テーマとしてドゥルーズは<暴露><覗き><冒瀆>を三位一体として上げる。そしてそれらに敏感な反応を見せているシーンには四つの共通項が認められる。「社交界の言葉」、「愛と嫉妬の言葉」、「感覚的な言葉」、「芸術の言葉」。
ところで<私>は一旦<われわれ>になり、今度は<われわれ>から<私>に戻る。そのあいだにも「時」は容赦しない。《乙女たち》の一団はもうアルベルチーヌ一人へ分離接続され、愛と嫉妬が織りなす狂気の切迫感にそそのかされるまま<私>の所有欲はアルベルチーヌの「幽閉・監視・監禁」へと事態を加速させる。
「メダルに刻まれたみたいに記憶のなかにそっくり保存されていた肖像をふたたび目の当たりにすると、それが自分のよく知る今の人間とはまるで違うことに驚かされ、習慣が日々いかなる造型の仕事を成し遂げているかが納得できる。パリで私の暖炉のそばにいるアルベルチーヌに宿る魅力のなかには、浜辺沿いにくり広げられて傍若無人な花と咲いた行列が私のうちに煽りたてた欲望がなおも息づいていて、サン=ルーにとってはラシェルが舞台を退いたあとでも舞台の日々の威光を失わずにいたのと同じで、私が大至急バルベックから遠く離れたわが家へ連れ帰って幽閉したこのアルベルチーヌのうちには、海水浴場の生活における心の昂ぶり、社交上の狼狽、不安にみちた虚栄心、さまよう欲望などが今なお存続しているのだ」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.145~146」岩波文庫 二〇一六年)
ともあれ「ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができたのである」とプルーストは語る。なぜそれが可能なのか。「ほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離」すことが可能な限りで可能なのだ。
「それは過去の一瞬、というだけのものであろうか?はるかにそれ以上のものかもしれない。むしろ過去にも現在にも共通し、この両者よりもはるかに本質的なものであろう。これまでの人生において、現実があれほど何度も私を失望させたのは、私が現実を知覚したとき、美を享受しうる唯一の器官である私の想像力が、人は不在のものしか想像できないという避けがたい法則ゆえに、現実にたいしては働かなかったからである。ところが突然、ところが突然、自然のすばらしい便法のおかげで、この厳格な法則が無効とされ、停止され、自然がある感覚ーーーフォークやハンマーの音とか、本の同一のタイトルとかーーーを過去のなかにきらめかせて想像力にその感覚を味わわせると同時に、それを現在のなかにもきらめかせ、音を聞いたり布に触れたりすることによって私の感覚を実際に震わせたことで、想像力の夢に、ふだんは欠けている存在感が付与されたのだ。そしてこの巧妙なからくりのおかげで、わが存在は、ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができたのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.442~443」岩波文庫 二〇一八年)
ア・プリオリに繋がっている要素などどこにもない。事情は逆であり、ア・プリオリにばらばらな<諸断片>でしかないがゆえに、後になって一貫した「因果関係」を捏造することが可能になってくるのである。すでにヒュームが述べておりカントが挑戦した課題である。
「ヒュームは、形而上学だけにある唯一の、しかしこの学にとって重要な概念ーーーすなわち《原因と結果との必然的連結》という概念(従ってまたそれから生じる力及び作用の概念等)を、彼の考察の主たる出発点とした。そして彼は、この〔因果的連結の〕概念を自分自身のうちから産出したと称する理性に対して弁明を要求した、つまり理性は、何か或るもの〔原因〕が設定されるとそれによってまた何か他の或るもの〔結果〕が必然的に設定されると言うが、しかし理性はいかなる権利をもって、最初の何か或るものがこのような性質をもち得ると思いなすのか、と問うのである、なぜならーーーこれがすなわち原因の概念だからである。ヒュームの証明はこうである、ーーー概念だけからアプリオリにかかる〔因果的〕結合を考え出すことは、理性にはまったく不可能である、この結合は必然性を含むからである、とにかく何か或るものが存在するからといって、何か他の或るものまでが存在せねばならぬという理由や、それだからまたかかる必然的連結の概念がアプリオリに導入せられるという理由は、まったく理解できないことである。ヒュームのこの証明は、反論の余地のないものであった。ついでヒュームは、このことから次のように推論した、ーーー理性は、〔必然的連結という〕この概念をもって、みずから欺いているのだ、かかる概念は想像力の産んだ私生児にすぎないのに、理性はこれを誤って摘出子と認めているのである、或る種の表象の連想の法則を適用し、そこから生じる主観的必然性すなわち習慣を、〔アプリオリな〕洞察にもとづく客観的必然性とすり換えたのである、と。更にまたヒュームは、こうも推論したのである、ーーー理性は、このような必然的連結を、一般的にすら考える能力をまったく持合わせていないのである、そうだとしたら、かかる事柄に関する理性の概念なるものは、単なる仮構にすぎないであろう。そして理性がアプリオリに存立する認識と称するものは、けっきょく偽印(にせいん)を捺(お)した普通の経験でしかないだろう、と。彼のこの推論はーーーおよそ形而上学なるものは存在しない、またいかなる形而上学も存在し得るものではない、と言うに等しい」(カント「プロレゴメナ・P.14~15」岩波文庫 一九七七年)
身も蓋もない話だろうか。まるで違う。カントもマルクスもニーチェも漱石もそこから始めた。その意味で今のマスコミ評論家などとは比較にならない誠実さがあった。
「愛と嫉妬」に戻ってみよう。もう二度と同じ恋愛関係には戻れないと思っている二人は数えきれないほどいるに違いない。そういうものだと割り切って大人になったと思い込むより遥かに可能性に満ちた方法がまだ残されている。少なくとも日本では積極的に試されたことはないだろう。あったとしても学生のジョーク程度のレベルであり研究に値するまともな検証結果が出されたとは今なお聞いたことがない。バルトはいう。
「愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮ぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テクストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持に私がなればいいのだ。私は必ずしも快楽のテクストに《捉えられて》いる訳ではない。それは、移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような」(バルト「テクストの快楽・P.46」みすず書房 一九七七年)
なかなか気の効いた軽快な思考速度を思わせる。いつもそうであればステレオタイプ(紋切型)が幅を利かせる窒息しそうな世の中などすぐに居場所を失うほかない。それはそれとして「われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動き」というフレーズに一瞬どきりとしはしないだろうか。例えばヒッチコックの映画「鳥」。あの中で「鳥」はなぜ不気味なものとして視聴者を不意打ちするのか。大群だからか。それとも押し寄せてくるからか。いずれでもない。「鳥」にもかかわらず「歌わない」からである。ヒッチコックは「鳥」をぎゃあぎゃあ喚かせたりせず、ただ正体不明の「羽ばたき」だけを強烈に打ち込んだ。ヒッチコック監督による「羽ばたき」だけの「鳥」。それがヒッチコックによる「アレンジメント」である。その意味でドゥルーズ=ガタリのいう「アレンジメント」に難解さを感じる必要は少しもない。
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