「三四郎はだまって、美穪子の方へ近寄った。もう少しで美穪子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴爪(けつま)ずいた。大きな音がする。漸くの事で戸を一枚明けると、強い日がまともに射し込んだ。眩(まぶ)しい位である。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。裏の窓も開ける。窓には竹の格子が付いている。家主の庭が見える。鶏(にわとり)を飼っている。美穪子は例の如く掃き出した。三四郎は四つ這(ばい)になって、後(あと)から拭き出した。美穪子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、『まあ』と云った。やがて、箒を畳の上に抛(な)げ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面(そと)を眺めている。そのうち三四郎も拭き終った。濡れ雑巾をバケツの中へぽちゃんと擲(たた)き込んで、美穪子の傍(そば)へ来て並んだ」(夏目漱石「三四郎・P.89」新潮文庫)
三四郎は「だまって、美穪子の方へ近寄った」。二人だけの部屋で、二人だけで「掃除」に取り懸かっているわけだから、当然、このようなシチュエーションになることは十分考えられる。だがこう続く。「もう少しで美穪子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴爪(けつま)ずいた」。時間つぶしのための喜劇の台本でも見せられているかのようだ。台本にしては込み入っているが。
「庭」には「鶏(にわとり)」がいる、のが二人の部屋からは見える。と同時に三四郎は「四つ這(ばい)になって」掃除している。美穪子は箒で「掃」く。その「後(あと)から拭き出」して廻るのである。三四郎は美穪子が一度綺麗にした場所を、さらにもう一度、今度は「濡れ雑巾」でみっちり拭い上げる。読解によりけりなのだが、「鶏姦」の象徴ではないかと述べる研究もある。しかしそれは余りにも単純過ぎる。エロティックな印象は確かにあるものの、ここで重要なのは、またしても三四郎は、美穪子の側からわざわざ目の前にぶらさげられた「きっかけ」をみすみす拭い去って「バケツの中へぽちゃんと擲(たた)き込」む、要するにマスターベーションで済ませてしまうことだ。この癖は作品の最後まで抜けない。しかし三四郎は、自分に宛ててストレートに与えられた「きっかけ」を、なぜわざわざ「猶予」させてしまうのか。それこそが小説=「三四郎」を通して常に問われている問いである。
この「猶予」。それは同時に決定的瞬間が延々と繰り延べされていく執行されない時間を意味している。美穪子は三四郎に向けて「猶予」を与える存在である。その手段は幾つか出てくる。だが猶予を与えるために最低限必要なものは「貨幣」「言葉」「時間」である。小説の中ではこの三つが余りにも要領よく揃って出てくる。しかし主人公としての三四郎は与えられた「猶予」を持て余すばかりで、逆に美穪子の我慢強さが際だつ。我慢。怖いほどだ。しかし美穪子はどこに位置するのか。決められた結婚相手と結婚すればもう二度と三四郎と会うことはできない。もっとも、会話をする機会がまったくなくなるというわけではなく、会うこともなくなるというわけでは勿論ない。そうではなくて、小説の中で進行するような会話の次元は、もう二度とやってこない。失われるという意味だ。しばらくすれば失われてしまう。そのような次元に美穪子は位置する。境界線上に居る。この線を越えればもう二度と同一の次元において、平行線上で両者が会話を交わすことはできなくなる。そのような位置から、「猶予」を、与えている。この種の「猶予」は、与える側にしても実は心苦しい。なぜなら、不可避的に「利子」を生んでいってしまうからだ。三四郎は美穪子から与えられる「猶予」に対して、一体どのような「利子」を実体化して返済しようとするのか。決してロマンティックなテーマではない。
引き続き、与えられている「猶予」。だが。
「『何を見ているんです』『中(あ)てて御覧なさい』『鶏(とり)ですか』『いいえ』『あの大きな木ですか』『いいえ』『じゃ何を見ているんです。僕には分らない』『私先刻(さっき)からあの白い雲を見ておりますの』なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空は限りなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光った様な濃い雲がしきりに飛んで行(ゆ)く。風の力が烈しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地が透いて見える程に薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊(かた)まって、白く柔かな針を集めた様に、ささくれ立つ。美穪子はその塊を指さして云った。『駝鳥(だちょう)の襟巻(ボーア)に似ているでしょう』三四郎はボーアと云う言葉を知らなかった。それで知らないと云った。美穪子は又、『まあ』と云ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、『うん、あれなら知っとる』と云った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉(こ)で、下から見てあの位に動く以上は、颶風(ぐふう)以上の速度でなくてはならないと、この間野々宮さんから聞いた通りを教えた。美穪子は、『あらそう』と云いながら三四郎を見たが、『雪じゃつまらないわね』と否定を許さぬ様な調子であった。『何故です』『何故でも、雲は雲でなくっちゃ不可(いけ)ないわ。こうして遠くから眺めている甲斐(かい)がないじゃありませんか』『そうですか』『そうですかって、あなたは雪でも構わなくって』『あなたは高い所を見るのが好きの様ですな』『ええ』美穪子は竹の格子の中から、まだ空を眺めている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る」(夏目漱石「三四郎・P.89~91」新潮文庫)
小説「行人」の中では「強風」が荒れ狂うことになる。何がそれほどまでに荒れ狂っているのか。というより、荒れ狂わせているものは何か。言葉である。原稿用紙に書き付けられただけで印刷を待っている段階の小説ではなく、印刷され、広く世の中に出廻ることで、「一般大衆」の手から手へどんどん渡り歩き、容赦なく「一般化」され「公共化」された途端、私的なものではなくなり、私物から「公的文書」へ一挙に変換される言葉である。漱石はいつでも原稿を書き換えることができた。わざと荒れ狂う暴風雨に翻弄される男女を描いた。しかし女は何とも動揺しない。むしろ非日常的な暴風雨とそれがもたらす動揺並びに動揺する男を見て楽しそうでさえある。逆に男の側の動揺の激しさに読者の目を向けさせ、何ごとかを問いかけてくる。或る程度においてだが、なるほど察しが付く読者も当時はいた。激しく動揺させずにはおかない暴風雨は明治日本を揺さぶり続け、その強大なエネルギーを存分に吸い上げ巨大化を重ねた結果として、行方の見えない戦争へ収斂して行くのである。そしてこの戦争は、何も予兆のみが感じられたわけではない。満州事変を経て第二次世界大戦が準備されて行く過程は、当時の日本国民の意志によって、まったく意識的に遂行されていくこととなった。ただ、小説の中では暗示的に描かれていると言えば言えるかも知れないが、漱石は戦争文学を書こうとしたわけではない。三四郎の言動はすべてマスターベーションに終わる。その意味でむしろ漱石は叙述でき得る限りのことは叙述している。考えないといけないのは、漱石のいない今の日本で、何をどのように考えるのか。有効に考えることは可能か。可能だとすれば一体どのようにしてか、ということでなければほとんど意味を持たないだろう。いつまでも垢抜けないのは女ではなく男なのだ。
「ところへ遠くから荷車の音が聞える。今静かな横町を曲って、此方(こっち)へ近付いて来るのが地響でよく分る。三四郎は『来た』と云った。美穪子は『早いのね』と云ったまま凝としている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもある様に耳を澄している。車は落付いた秋の中を容赦なく近付いて来る。やがて門の前へ来て留った」(夏目漱石「三四郎・P.91」新潮文庫)
与次郎の到着。与次郎は車でやって来る。「地響」を立てながら、「落付いた秋の中を容赦なく近付いて来る」。この描かれ方から、与次郎は「世間の代表者」として描かれていると考える読解は多い。間違いではないだろう。しかし、与次郎は「世間の代表者」として二人の間に割って入ったり訪れたりするのではなく、与次郎は「世間として」登場するのである。実質的に見て、広田先生の悲痛な抗議は、与次郎個人に対する抗議ではなく、世間一般に対して狙いが定められている。この点は微妙だが、読みようによって随分違ってくるので注意したい。
さて、ドゥルーズ&ガタリのいう公理系について。忘れてしまわないうちに、さらに引いておこう。
「資本主義が世界的規模での主体化の企てとして出現するとしても、それは脱コード化された流れに対して公理系を形成することによってなのである。ところで主体化の相関物としての社会的服従は、公理系そのものにおいてよりも、はるかに公理系の実現モデルの中に現われている。主体化の手続きとそれに対応する服従が現われるのは、国民国家または国民的主体性という枠組みの中だからだ。国家をみずからの実現モデルとする公理系そのものの方は、技術的なものとなった新たな形態のもとで、機械状隷属システムを再建し、発明している」ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.216~217」河出文庫)
「もはや形式的な『統一性』という超越性のもとにではなく、公理系の内在性のもとに置かれているのだから、これは決して帝国機械への回帰ではない。しかし、これは人間がその構成部分となるような機械の再発明であり、人間はもはや機械に服従した労働者や使用者ではなくなっている。動力機械を技術機械の第二世代とするなら、サイバネティクスとコンピュータは、技術機械の第三世代となり、全面的な隷属の体制を再び作り出している。『人間-機械というシステム』は、人間と機械の関係を非可逆的かつ非循環的にしていたかつての服従に代わって、この関係を可逆的かつ循環的にしている。ここで人間と機械の関係は、もはや使用や活動という用語によってではなく、互いに内的なコミュニケーションから成立する」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.217」河出文庫)
「現代の権力の作用は、『抑圧あるいはイデオロギー』という古典的な二者択一にはとうてい還元されず、言語、知覚、欲望などを対象にし、ミクロのアレンジメントを通過する規格化、変調、モデル化、情報といった手続きを内包していることは最近強調されたばかりだ。それは服従化と隷属化を同時に含む集合であり、両者はたがいに強化しあい補給しあうのをやめない二つの共時的部分として極端に突き進められる。たとえば人々はテレビに服従している。言表の主体を言表行為の主体と取り違えるという特殊な状況の中でテレビを使用したり消費しているからである(『視聴者のみなさん、番組を作るのはあなたです──』)。技術機械はここで、言表の主体と言表行為の主体という二つの主体のあいだの媒介となっている。しかし人々は人間機械としてテレビに隷属するのである。テレビ視聴者がもはや使用者や消費者ではなく、機械に属する『入口』や『出口』、《フィードバック》または循環として、内在的な部品となるからである。機械状隷属においては変形と情報交換しかなく、これらの作用の一項が機械であり、他項が人間であるだけである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.218」河出文庫)
人間は情報を与えられると同時に情報によって加工される。さらに、情報は人間によって加工されると同時に人間を加工する。両方は交替で行われるのではなく、同時に、「交通しあう」ことによって生成される。
「そしてもちろん、隷属の方は国際的または世界的であり、服従は国民的な側面に属しているというわけではない。情報科学もまた、人間-機械システムとして組み立てられる国家の所有物であるからだ。しかしこれはまさに、二つの側面、つまり公理系の側面と実現モデルの側面とがたがいに行き来し、交通しあうからである。ただし社会的服従は実現モデルにおいて測られ、機械状隷属はモデルによって実現される公理系の中に広がっていることに変わりはない。同一のもの、同一の出来事を通じて、この二つの操作を同時にこうむるという特権をわれわれは持っているわけだ。服従と隷属は、二つの段階というより、共存する二つの極を形成しているのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.218~219」河出文庫)
二〇一七年二月二十七日作。
(1)ゴッホが耳をふさいでいる夜勤
(2)首脳部ますます似てきた日朝
(3)注意深く誤配してみる
(4)薬切れのやくざ土下座させる眺める
(5)少し肥えたか食器を仕舞う
(6)押し黙ったきり二人の部屋
☞「道の表面は、アスファルトではなく、目の荒いコンクリートで固められ、スリップ防止の目的だろう、十センチほどの間隔で細いみぞが刻んである。しかし、歩行者のためには、さほど役に立ってくれそうにない。せっかくざらつかせたコンクリートの面も、ほこりや、タイヤの削り屑(くず)などで、すっかり目をつぶされてしまい、雨の日にゴム底の古靴だったりしたら、さぞかし歩きにくいことだろう。これは多分、自動車のためを考慮しての舗装なのだ。十センチごとの目地の刻みも、車のためになら、あんがい役に立つのかもしれない。融(と)けかかった、雪やみぞれが、道路の水はけを悪くしているようなとき、水分を側溝(そっこう)に誘導してやるのになら、なんとか効果も期待できそうである」(安部公房「燃えつきた地図・P.6」新潮文庫)
物心付いた頃にはまだ全国各地で建設中だった。巨大な団地。個人的にはこの作品が書かれた頃、生まれた。
「もっとも、そうした配慮のわりには、車の数はすくなかった。歩道がなかったせいもあるが、買物籠をさげた四、五人の女たちが、道幅いっぱいにひろがって、話題の奪いあいに余念がない。軽くホーンを叩いて、女たちの間を通りぬける。同時に思わず、急ブレーキを踏んでいた。ローラー・スケートを尻にしいた少年が、警笛のまねをしながら、とつぜんカーブの向うから現われ、すべり降りて来たのである」(安部公房「燃えつきた地図・P.6~7」新潮文庫)
次のセンテンスは見逃せない。主人公が明確に「他者化」される瞬間が描かれている。
「左手には、急勾配で切石を積み上げた、高い擁壁があった。右手は、形ばかりの低いガードレールと、小さな側溝をへだてて、ほとんど垂直にちかい崖(がけ)になっている。そのガードレールをかかえこむように、横倒しになった少年の、青ざめつつひきつった顔。ぼくの心臓も、負けずに喉元(のどもと)まで跳ね上り、おどっている。少年を叱りつけてやろうと、窓を開けかけたが、いっせいに注がれた女たちの非難がましい視線に、ついひるんでしまう。やりすごしたほうが無難らしい。下手に彼女たちを刺戟(しげき)して、少年のかすり傷の責任でも負わされるはめになったりしたら、ことである。こういう際の、集団偽証くらい恐(こわ)いものはない」(安部公房「燃えつきた地図・P.7」新潮文庫)
主人公はいつ「他者化」されたか。「女たちの非難がましい視線」が「いっせいに注がれ」るや否や、そうなる。自分は自分だけで自分自身が何ものであるかを証明することはできない。鏡となり得る他の何かに相対することで始めて自分は何ものなのかが決定される。自分が何ものかを決める権利は決して自分の側にあるのではない。逆に公共性の高い鏡の側にある。そしてこの公共性は高ければ高いほど決定権も強い。だが、鏡はしばしば誤りを犯すこともある。
マルクスは自分が何ものであるかを決定するのは自分ではなく、自分を映す鏡の側にあることをよく知っていた。ヘーゲル弁証法を階級闘争の論理に置き換えて読み直す頭脳の持主であってみれば、なるほど納得できることかも知れない。二〇代後半すでに盟友エンゲルスですら及びもつかない、余人には到底不可能な圧倒的高みに立っていた。
「こうして価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる(見ようによっては人間も商品と同じことである。人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、またペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的な肉体のままで、人間という種属の現象形態として認められるのである)。商品Aが、価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・価値形態または交換価値・P.102」国民文庫)
さて、日本に戻ってみよう。といっても漱石が生きていた明治日本へ。差し当たり「三四郎」を手に取ってみる。その時代背景を理解するために重要なセンテンスとして先に次の部分を引いておく。
「『こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応の所だが、──あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵えたものじゃない』と云って又にやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃない様な気がする」(夏目漱石「三四郎・P.20」新潮文庫)
「『然しこれからは日本も段々発展するでしょう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『亡(ほろ)びるね』と云った。──熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲(な)ぐられる。わるくすると国賊取扱(とりあつかい)にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡(うち)で成長した。だからことによると自分の年齢(とし)の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄(ぐろう)するのではなかろうかとも考えた。男は例の如くにやにや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙ってしまった」(夏目漱石「三四郎・P.20~21」新潮文庫)
「すると男が、こう云った。『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より──』で一寸(ちょっと)切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。『日本より頭の中の方が広いでしょう』と云った。『囚(とら)われちゃ駄目だ。いくら日本の為(ため)を思ったって贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ』この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った」(夏目漱石「三四郎・P.21」新潮文庫)
「『囚(とら)われちゃ駄目だ。いくら日本の為(ため)を思ったって贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ』この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った」、とある。今の日本の大手マスコミにとっては大変耳の痛い言葉だろう。それでも大手マスコミ社員は「家族とその生活のため」という名目で、あっけなく給料を手に取る。「卑怯」という言葉もだんだん死語化していくように思える。だが同時に、犯罪が個別的レベルである場合、「卑怯」とか「卑劣」とかの言葉を容赦なく引っ張り出してきて犯罪者をめった打ちにし、これでもか、まだわからぬか、と社会的制裁を無慈悲に加える大手マスコミがあるうちは、「卑怯」とか「卑劣」とかの言葉は死語化するどころか、まだまだ活き活きと息を吹き返してくるに違いないと失笑しないわけにはいかない。
三四郎にとって、というより、漱石にとって「他者」とは何だったか。むしろ明治日本の東京に暮らしている漱石自身、こう思っていたような気がしないだろうか。日本社会から見れば「自分(漱石)のほうが」むしろ「他者」に映って見えていても何ら不思議ではないだろうと。少々学問があるという理由のために人々は本音を口に出さないだけのことで、心の中ではしっかり変人扱いされていることを漱石はよく承知していた。小説の主人公=三四郎は「他者」として東京へ出てくる。東京は三四郎を「他者」として迎え入れる。そして三四郎は、東京にとって三四郎自身はまったくの「他者」に過ぎないのだと気づくわけだが、それを最初に気づかせるのは、或る女である。漱石にとっての「他者」はほとんどいつも「女性」という形態で出現することが圧倒的に多い。
「それから、しばらくすると女が帰って来た。どうも遅くなりましてと云う。蚊帳の影で何かしているうちに、がらんがらんという音がした。子供に見舞(みやげ)の玩具(おもちゃ)が鳴ったに違ない。女はやがて風呂敷包を元の通りに結んだと見える。蚊帳の向うで『御先へ』と云う声がした。三四郎はただ『はあ』と答えたままで、敷居に尻を乗せて、団扇を使っていた。いっそこのままで夜(よ)を明かしてしまおうかとも思った。けれども蚊がぶんぶん来る。外ではとても凌(しの)ぎ切れない。三四郎はついと立って、革鞄の中から、キャラコの襯衣(シャツ)と洋袴下(ズボンした)を出して、それを素肌へ着けて、その上から紺の兵児帯(へこおび)を締めた。それから西洋手拭(タウエル)を二筋持ったまま蚊帳の中へ這入った。女は蒲団の向うの隅でまだ団扇を動かしている。『失礼ですが、私は疳性(かんしょう)で他人(ひと)の蒲団に寝るのが嫌だから──少し蚤除(のみよけ)の工夫を遣るから御免なさい』三四郎はこんな事を云って、あらかじめ、敷いてある敷布(シート)の余っている端(はじ)を女の寐ている方へ向けてぐるぐる捲き出した。そうして蒲団の真中に白い長い仕切を拵(こしら)えた。女は向うへ寝返りを打った。三四郎は西洋手拭(タウエル)を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、その上に長細く寝た。その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭(タウエル)の外には一寸(すん)も出なかった。女とは一言も口を利かなかった。女も壁を向いたまま凝(じっ)として動かなかった。夜(よ)はようよう明けた。顔を洗って膳に向った時、女はにこりと笑って、『昨夜(ゆうべ)は蚤は出ませんでしたか』と聞いた。三四郎は『ええ、難有う、御蔭さまで』と云う様な事を真面目に答えながら、下を向いて、御猪口(おちょく)の葡萄豆(ぶどうまめ)をしきりに突っつき出した」(夏目漱石「三四郎・P.11~12」新潮文庫)
「勘定をして宿を出て、停車場(ステーション)へ着いた時、女は始めて関西線で四日市の方へ行くのだと云う事を三四郎に話した。三四郎の汽車は間もなく来た。時間の都合で女は少し待合せる事となった。改札場の際まで送って来た女は、『色々御厄介になりまして、──では御機嫌よう』と丁寧に御辞儀をした。三四郎は革鞄と傘を片手に持ったまま、空いた手で例の古帽子を取って、只一言、『さようなら』と云った。女はその顔を凝と眺めていた、が、やがて落付いた調子で、『あなたは余っ程度胸のない方ですね』と云って、にやりと笑った。三四郎はプラット、フォームの上へ弾(はじ)き出された様な心持がした。車の中へ這入ったら両方の耳が一層熱(ほて)り出した。しばらくは凝っと小さくなっていた。やがて車掌の鳴らす口笛が長い列車の果(はて)から果まで響き渡った。列車は動き出す。三四郎はそっと窓から首を出した。女はとくの昔に何処かへ行ってしまった」(夏目漱石「三四郎・P.12~13」新潮文庫)
三四郎は一般的な女性から見て「うぶ」である、ということが述べられているわけではない。そういう理解は「女性」の「他者性」を読解できていない男(なかには女もちらほら紛れ込んでいる)の早とちりに過ぎない。大事なことは、漱石が小説の中へ女性を出現させる時、その時はほとんど常に「他者」の到来として出現させていることに注意しておこう。
東京への途中──場所の移動/価値観の異なる世界への移動──で遭遇した或る女の影が再び響いてくるシーン。
「その拍子に三四郎を一目見た。三四郎は慥(たしか)に女の黒眼の動く刹那(せつな)を意識した。その時色彩の感じは悉(ことごと)く消えて、何とも云えぬ或物に出逢った。その或物は汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と云われた時の感じと何処(どこ)か似通っている。三四郎は恐ろしくなった」(夏目漱石「三四郎・P.29」新潮文庫)
「二人の女は二人の後姿を凝と見詰めていた。看護婦は先へ行く。若い方が後から行く。華やかな色の中に、白い薄(すすき)を染抜いた帯が見える。頭にも真白な薔薇(ばら)を一つ挿している。その薔薇が椎の木陰(こかげ)の下に、黒い髪の中で際立って光っていた」(夏目漱石「三四郎・P.29」新潮文庫)
「三四郎は茫然(ぼんやり)していた。やがて、小さな声で『矛盾だ』と云った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの眼付が矛盾なのだか、あの女を見て、汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二途(ふたみち)に矛盾しているのか、又は非常に嬉しいものに対して恐(おそれ)を抱(いだ)く所が矛盾しているのか、──この田舎出の青年には、凡て解らなかった。ただ何だか矛盾であった」(夏目漱石「三四郎・P.29~30」新潮文庫)
池の周囲で揺れる陰翳に託して漱石が述べていることがある。次のシーンの中に池は出てこない。しかし陰翳は三四郎と美穪子の間で重要な役割を果たす。池の水面を差し挟んでのシーンでは両者の位置は水平だった。次は階段であり、要するに上下の関係に入っている。
「三四郎がバケツの水を取り換に台所へ行ったあとで、美穪子がハタキと箒を持って二階へ上(のぼ)った。『一寸(ちょっと)来て下さい』と上から三四郎を呼ぶ。『何ですか』とバケツを提げた三四郎が梯子段(はしごだん)の下から云う。女は暗い所に立っている。前垂だけが真白だ。三四郎はバケツを提げたまま二三段上った。女は凝(じっ)としている。三四郎は又二段上った。薄暗い所で美穪子と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。『何ですか』『何だか暗くって分らないの』『何故(なぜ)』『何故でも』」(夏目漱石「三四郎・P.88~89」新潮文庫)
これでわからなかったら三四郎はよほどの馬鹿だろう。しかし三四郎とともに三四郎そっくりの日本もまた三四郎と何ら違わないほど馬鹿であったのだ。しかも日本の場合、国家である以上、自分で自分自身の行く末についてまだまったく予想できていなかった。
資本主義はどのようにしてロシア革命を消化することができたか。消化したことで何を得ることができたか。順を追って見ていこう。
「資本主義が始まるのはコードによってではなくて、公理系によってであるとしても、資本主義が社会体を⦅あるいは社会機械を⦆まとまった一群の技術的諸機械にとりかえたのだと考えてはならない。社会機械と技術機械というこの二つの型の機械は、正確にいって、両者とも、隠喩ではなしにまさしく二つの機械であるが、この両者の間の本性の相違は依然として存在する。資本主義の独自性は、社会機械が不変資本としての技術機械を部品としており、人間を部品としているのではないということである。不変資本は、社会体の充実身体の上にとりつき付着しているものなのであり、人間は技術機械に付属しているものなのである(この点から、原理的に登記はもはや直接的には人間を対象としないあるいは少なくとも対象とする必要はないであろうということになる)。ところが、もともと、公理系というものは、それだけでひとつの単純な技術機械なのでは全くない。自動的な、あるいはサイバネティックな技術機械でさえもない。ブルバキは科学の種々の公理系について、このことをはっきりとこう語っている。それらの公理系は、テーラー体系を構成するものでも、孤立した諸公式のメカニックな機能を構成するものでもない。それらは、むしろ種々の構造の反響や連接と結びついた〔全体把握的な〕『直観』を含むものなのである。ただし、これらの直観が、技術の『強力なテコ』によって補助されているというだけのことである、と」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.301」河出書房新社)
「こうしたことは、社会の公理系については、いかにいっそう真実であることか。すなわち、この社会の公理系が自分自身の内部を充実する仕方、この公理系がその極限を押し返し拡大する仕方、この公理系がみずから体系の飽和化を防いで、さらに種々の公理を付け加える仕方、この公理系がきしみを生じ調子の狂いを通じて復調することによってしか作動しない仕方、こうした仕方はすべて、決定し管理し反応し登記する社会諸器官を前提としている。つまり、種々の技術機械の作用には還元されないテクノクラシーや官僚制を前提としている。要するに、種々の脱コード化した流れの連接や、これらの間の微分の比や、さらにこれらの流れの多様な分裂や裂け目、こういったものはすべて全面的に調整を要求するものであり、この調整の主要器官が《国家》なのである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.301~302」河出書房新社)
「資本主義《国家》は、資本の公理系の中で捉えられる限り、こうしたものとして、脱コード化した種々の流れの調整者である」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302」河出書房新社)
「資本主義《国家》は、まさに<具体的なるものになる>ということを成就しているということになる。つまり、抽象的な専制君主《原国家》が〔歴史の中で〕発展してゆく過程で、われわれには重要な役割を演じたように思われたあの<具体的なるものになる>ということを。資本主義的《国家》は、超越的統一体の立場から、社会的諸力の場に内在するものとなり、これらの諸力に奉仕するものとなって、脱コード化し公理系化した種々の流れに対して調整者の役割を果しているからである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302」河出書房新社)
「《原国家》は超コード化によって規定されていた。ところが、この《原国家》から派生したものは古代ポリスから王制《国家》に至るまで、既に、脱コード化した、あるいは脱コード化しつつある種々の流れに現前しており、これらの流れは、確実に《国家》を次第に現実の種々の力の場に内在させ従属させていったのである。しかし、まさに、これらの流れが連接の関係に入るための状況が与えられなかったために、《国家》は、超コード化の断片や種々のコードの断片を残存させるなり、あるいはそれに見合う別のものを発明することに満足して、全力をもって連接の働きが起ることを妨げることさえしていた(そして、その他のことといえば、できうる限り《原国家》を甦らせることを目標としていたのだ)」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302」河出書房新社)
村落共同体/交換の始まり/局地的=コード化。超コード化=君主制社会。この二つとはまったく形態の異なる資本主義社会=脱コード化とその流れを調整し社会内部へ取り込みながら剰余を延長し続ける公理系の採用。
「ところが、資本主義《国家》は、これとは異なる状況の中にある。この《国家》が生みだされるのは、脱コード化しあるいは脱土地化した種々の流れが連接することによってである。そしてこの『国家』が<内在的なるものになること>を最高度に実現することになるのは、この《国家》が種々のコードや超コード化の普遍的破綻を承認する限りにおいてであり、またこの《国家》が、これまでには知られていない性質をもった新しい連接公理系の中で全面的に展開する限りにおいてである。さらにかさねていえば、この《国家》が、あの公理系というものを発明したのではないのだ。何故なら、この公理系は資本そのものと一体をなしているからである。逆に、この《国家》はこの公理系から生まれ、この公理系の結果であり、この公理系の調整を保証するものにすぎないのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.302~303」河出書房新社)
「国家」= 「公理系の調整を保証するものにすぎない」。日本では、例えば、原発事業がそうだ。代替エネルギー開発などと言ってはいても、実際のところでは原発はいつでも稼動できるし、稼動する。原発が動いている限り、代替エネルギーは原発の代りに用いられるわけではない。そうではなく、原発を主軸としたエネルギー政策の補助として用意されているにすぎない。そしてそういうエネルギー開発事業をどこまでも延長させるための経済政策の「公理」を、国会で過半数を取れば合法的に、過半数を取れなければ暴力的に貫徹させて「付け加える」のはほかでもない「国家」である。
「この公理系においては、不調がこの公理系の作動する条件をなしているが、この《国家》は、こうした条件としての種々の不調を調整したり、あるいは組織したりさえする。この公理系は飽和を進行させ、それに応じて自分の極限〔境界線〕を拡大するが、この《国家》はこうした進行や拡大を監視し指導するのだ。ひとつの《国家》が、経済力の兆候に奉仕するために、これほどまでに力を費やしたことは、これまでにはなかったことである。だから、資本主義《国家》は、何といわれようと、始めから⦅つまり、まだ半ば封建的、あるいは半ば君主制的な形態の中にそれがはぐくまれていたときから⦆、こうした役割を極めて早々ともっていたのだ。すなわち、『自由な』労働者の流れの見地からいえば、人手と賃金との統制がそうであるし、商工業生産の流れの見地からいえば、資本蓄積の好条件となる専売特権の付与や過剰生産の弾圧といったものが、そうである。自由な資本主義というものは、決して存在したことがなかったのである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303」河出書房新社)
「種々の専売特権に対する抵抗運動といったものは、〔端的な自由の要求ではなくて〕何よりも商業資本、金融資本が、まだ古い生産体系と同盟関係にある時機と、そしてまた生まれつつある産業資本主義が、これらの専売特権の廃止を獲得することによってしか生産や市場を確保しえないといった時機とかかわりがあるのだ。《国家》が適切に行動するということを前提とすれば、専売特権に抵抗する行動の中には、国家による統制という原理そのものに対する闘争は何ら含まれてはいない。このことは、重商主義が次のようなものである限りにおいて、この重商主義の中に明らかに見てとれることである。つまり、これまでは生産の中で直接的に利益を確保するものであった資本に対して、重商主義は、この資本が新しい商業的な機能をもつに至ったことを表現している限りにおいて。一般的にいえば、国家による統制や調整が消滅したり減少したりすることになるのは、人手〔労働力〕が豊富に供給され、市場が常になく拡張する場合においてのみである。すなわち、《資本主義が、十分に大きい種々の相対的極限の中で、極めて少数の公理によって作動している場合においてのみである》。こうした状況は、ずっと以前から存在しなくなってきた。このような事態になってきた決定的因子と見なされなければならないのは、強力な労働階級の組織化である」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303」河出書房新社)
「この階級は、安定した高度の雇用水準を要求し、資本主義にその公理を増加することを強制するからであり、これと同時に資本主義はたえず拡大する規模において自分の種々の極限を再生産しなければならなかったからである(中心から周辺へと向かうおきかえの公理)。資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.303~304」河出書房新社)
資本主義はロシア革命に代表される労働者の団結と抵抗に直面した。けれども、「労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々」を敢えて「付け加える」ことによって、逆に資本主義は新しい「公理」をたえず付け加える術を学んだ。この進化は測り知れないほど大きい。ロシア革命を消化した資本主義はそれまでになかった堂々たる自信を付けるに至った。そして今や「常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている」。
マルクスから少し引いておこう。
「富を創造する活動の抽象的一般性とともに、こんどはまた、富として規定される対象の一般性、生産物一般、もしくは、やはり労働一般ではあるがしかし過去の対象化された労働としての労働一般〔というカテゴリーが生じてきた〕」(マルクス「経済学批判序説」・「経済学批判・P.317~318」岩波文庫)
マルクスのほんの一節を見た。従って今や、ドゥルーズ&ガタリが述べる、「資本主義/脱コード化/公理系」の仕組みについての理解は容易である。
「マルクスは資本主義の定義が問題となったとき、包括的で無規定のただ一つの<主体性>というものの登場を語ることから始め、それが主体化のあらゆるプロセス、『あらゆる活動を無差別に』資本化するとした。つまり『生産に携わる活動全体』、『富の唯一の主体的本質──』を資本化するのだ。そしてこの唯一の<主体>は、もはや個々の質的状態においてではなく、任意の<客体>においてえずからを表現する。『富を作り出す活動の抽象的な普遍性とともに、富という対象の普遍性が現われる。それこそが生産物や労働と呼ばれるものであり、過去の物質化された労働にほかならない』。資本は循環することによって、社会全体に十全に適合する主体として構成される。さて新たな社会的主体性はまさに、脱コード化した流れがそれらを接合する作用から溢れ出て、国家装置がもはや追いつくことのできない脱コード化のレベルに達するとき初めて構成される。《一方で》、労働の流れは、もはや奴隷制や役務として定義されるのではなく、自由な裸の労働とならなければならない。《もう一方で》、富とはもはや土地、商品、金銭といったものではなく、等質で独立した純粋資本とならなければならない。そしておそらく、最低限のこの二つの生成は(というのはこの他の流れも合流するのだから)、それぞれの線の上に多くのさまざまな偶然と要因を介入させることだろう。だがこれらがただ一度抽象的に接合されれば、たがいに普遍的主体と任意の客体とを与え合い、資本を構成するだろう。資本主義は、質的な限定を受けない富の流れが、質的な限定を受けない労働の流れと出会い、それに接合されるとき形成される」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.207~208」河出文庫)
「言いかえるなら、資本主義は《脱コード化した流れのための一般公理系》とともに形成されるのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.208」河出文庫)
アルコールとフィッツジェラルド。センチメンタルな読解は何も生まない。比較的若年層にとって、このことは大変重要な意義を持ってくるに違いない。アルコールや薬物と、脳内分泌物質の化学合成並びにその効果。デリダによるプラトン読解における「治療薬/毒薬」について。デリダの論考では、古代ギリシアにおける「治療薬/毒薬」の間の境界線は極めて濃い政治的=イデオロギー的な色彩を持つと指摘されている。カフカに言わせればこの境界線は「移動する」と言うだろうし、ドゥルーズ&ガタリなら境界線の消滅とは言わず、境界線はその都度その都度で「可動的」だと述べるに違いない。実を言うと医学的な臨床現場においても「治療薬/毒薬」の間の境界線などほとんど何も解明されてなどいないに等しい。第一、作用の変化が余りにも多彩過ぎる。無数に等しい。しかし無数に等しいということは究極の多様性を現わしている。要するに一般的に遍在することと同じである。究極の多様性は逆に一般的なもの、例えば「空気」など、と同一であるということだ。「多頭は無頭である」。だから、とりわけアルコールから薬物への需要の移動、また同時にアルコールと薬物の需要の混交、さらにはアルコール/薬物から切り離された場所に行けば当然のように遥かに高く要求されてくる新しい薬物への欲望。分泌される無数の脳内分泌物質の諸作用について、関心を持たない化学者はどこにもいないに違いない。
「『ずいぶん何年もお会いしませんでしたわね』と、デイズィが言った。いかにもさりげない声である。『この十一月で五年です』そう言ったギャツビー」(フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー・P.142」新潮文庫)
「ぼくは中にはいった──はいる前に、台所で、調理用の焜炉(こんろ)をひっくりかえさぬ程度に、できうるかぎりの物音をたてた──けれども、彼らの耳には一つとして聞えなかったにちがいない。二人は寝椅子に両端をおろし、どちらかが何かをたずねたところ、二人とも何かを考えているところか、お互いに顔を見合わせている。狼狽(ろうばい)の色は、二人から跡形もなく消え失(う)せていた。デイズィの顔は涙によごれていたが、ぼくがはいって行くと、彼女はひょいと立ちあがって、鏡の前に行き、ハンケチで顔を拭(ふ)きはじめた。ギャツビーのほうにはしかし、なんとも不思議な変化が現われていた。顔は文字どおり輝くばかり。歓喜の身ぶり一つ見せずとも、いままではなかった幸福感が、彼の身体(からだ)から放射してその小さな居間にあふれている」(フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー・P.145」新潮文庫)
「狼狽と、理不尽な歓喜を通り抜けて、いまは、彼女が姿を現わしたことに対する驚異に心を奪われているのだ。彼は長いあいだこのことばかりを思い描いてきた。結末に行きつくまでの過程をそっくり夢に描き、いわば、思考を絶する激しさで歯をくいしばって待っていたのだ。いまはその反動で、巻きすぎた時計のように、ゼンマイがほぐれているところだろう」(フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー・P.150」新潮文庫)
「家を見たあとでは、庭や、プールや、高速モーターボートや夏の花々を見る予定だった──ところが、窓から見ると外はまた雨が降りだしていた。それでぼくたちは一列にならんで波立つ『海峡』の水面を眺めた。『霧がなければ、入江のむこうにあなたの家が見えたんですがね』ギャツビーが言った。『お宅の桟橋(さんばし)の突端のとこに、いつも夜どおし緑色の電燈(でんとう)がついてるでしょう』デイズィはいきなりギャツビーと腕を組んだ。しかし彼は、いま言った自分の言葉に心を奪われているらしかった。その光の持っていた巨大な意義が、いまは永遠に消滅してしまったと、ふと思ったのかもしれぬ。自分とデイズィを隔てている大きな距離に比べれば、いままでその光は彼女のすぐそばに、ほとんど彼女にふれることもできる距離にまたたいているように思われていた。月と星との仲のように、彼女の身近な存在とそれは感じられていた。それがいまでは、また単なる埠頭(ふとう)に輝く緑の灯(ひ)にすぎなくなった」(フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー・P.151~152」新潮文庫)
再びドゥルーズへ戻ろう。ドゥルーズがどれほどアルコール飲みで有名だったかはもはや言うまでもない。依存症だったかどうかまでは知りようもないが、かなり込み入った事情の下でもアルコールをあおっていたようだ。次の文章を見ると、ドゥルーズがドゥルーズ自身の身体を検体としてアルコールと自分自身をピンセットで試す返すテストしてみた形跡をありありと窺うことができる。
「アルコリスムは、快楽を探求しているのではなく、効果を探求しているように見える。その効果は、主として、現在が異常に硬化することである。だから、同時に二つの時間〔時制〕に生き、同時に二つの時期〔契機〕に生きることになる。プルースト流ではないが。〔硬化する現在と〕別の時期は、将来の素面の生活の計画にも、過去の素面の生活の想起にも、帰せられることがありうる。しかしそれでも、この別の時期はまったく別の深く変更されたやり方で実在するのであって、これは、硬化した肉の中で柔らかい吹出物を捉えるように、固められた現在の中で別の時期を捉えるやり方である。したがって、この別の時期たる柔弱な中心で、アルコール飲みは、自分の愛の対象、『嫌悪と憐憫』の対象に自己同一化できることになるし、他方では、アルコール飲みが意志し体験する現在の固さのおかげで、実生活との距離を保てることになる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.274~275」河出文庫)
「そして、アルコール飲みは、この硬直が隠匿する柔らかさを愛するのと同様に、自分を捕える硬直も愛するのである。一方の時期が他方の時期の中にあり、現在がこれほど固くなり硬直するのは、破裂しそうな柔らかな点を占拠するためにほかならない。同時的な二つの時期は、奇妙な仕方で複合される。すなわち、アルコール飲みは、半過去や未来を生きるのではなく、《複合過去》しか持たないのである。ただし極めて特殊な複合過去である。アルコール飲みは、酔いを材料にして、想像的な過去を複合する。まるで、柔らかな過去分詞が、固い助動詞現在形に結合しに来たかのように。私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)。これが、二つの時期の交接を表現し、アルコール飲みが躁的な全-能性を享受しながら一方の時期を他方の時期の《中で》経験するやり方を表現する。ここにおいて、複合過去は隔たりや完遂をまったく表現していない。現在の時期は、動詞・持つの時期であるが、すべての存在者は、『過去』として、《同時的な》別の時期の中に、分有の時期、分詞の固定の時期の中にある。それにしても、この締め付け、現在が別の時期を包囲し占拠し締め付けるこの方式は、ほとんど堪え難い何とも奇妙な緊張である。現在は、柔らかな中心・溶岩・液状ガラス・粘性ガラスの周囲で、円形の水晶や花崗岩になる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.275~276」河出文庫)
「しかしながら、さらに別のものになるために、緊張は解けてしまう。というのは、当然にも、複合過去は『私は飲んでしまったを-持っている』に到るからである。現在の時期は、もはやアルコールの効果の時期ではなくなり、アルコールの効果の効果の時期になる。そして、今や、この別の時期が、近い過去(私が飲んでいた時期)を無差別に含んでしまう。また、この近い過去が隠匿する想像的同一化のシステムと、多かれ少なかれ遠ざかった素面の過去のリアルな要素も含んでしまう。それによって、現在の硬化はまったく意味を変える。すなわち、現在は、固い現在としては、影響力を失って色褪せ、何ものも締め付けず、別の時期のすべての相を等しく遠ざける。まるで、近くの過去、しかしまた、近くの過去で構成された同一化の過去、そして最期に、〔その構成の〕材料を提供していた素面の過去、これらすべてが、羽ばたいて逃げ去り、等しくなったかのようである。これらすべての過去との距離を維持しているのが、全般的に拡大する色褪せた現在、増大する砂漠の中で改めて硬直する新たな現在である。複合過去の一次効果は、唯一の複合過去『私は飲んでしまったを-持っている』の二次効果で置き換えられる。この助動詞現在形は、一切の分詞と一切の分有からの無限の距離を表現するだけである。現在の硬化(私は持っている)と、過去(私は飲んでしまった)の逃走の効果には、今や関連性があることになる。であったことを持っている(has been)においてすべては頂点に達する。過去の逃走の効果、あらゆる意味での対象喪失が、アルコリスムの抑鬱的な面を構成する。そして、この逃走の効果が、たぶん、フィッツジェラルドの作品の最大の力になっているものであり、フィッツジェラルドが最も深く表現したものである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.276~277」河出文庫)
「興味深いのは、フィッツジェラルドは、作中人物が飲んでいるところや飲もうとしているところを提示しないということ、欠如や欲求の形態としてアルコリスムを見てはいないのである。慎み深かったのだろう。あるいは、いつでも飲めたのかもしれない。あるいは、アルコリスムには多くの形態があるのかもしれない。ともかく、アルコリスムの一形態は数分前の過去をも自分の過去として振り返る。(ラウリーは反対に──。しかし、欲求の激しい形態としてアルコリスムが生きられるときにも、時間の深い変形が現出する。今度は、将来のすべてが《前-未》来として生きられてしまう。そして、この複合未来は恐ろしいほどに加速し、死に到る効果の効果を生み出す)。フィッツジェラルドの主人公にとって、アルコリスムとは、崩壊の過程そのものであり、この過程が過去の逃走の効果を決定するのである。こうして、素面だった過去が、主人公から切り離されるだけではなく(『わが神よ、十年間も酩酊』)、先ほど飲んでいた近い過去や、一次効果の幻想的な過去も、主人公から切り離されるのである。すべては等しく遠ざかってしまうので、また飲むのが必要だと、あるいはむしろ、飲み直してしまったことを持っているのが必要だと決定される。硬化して色褪せた現在、唯一存続し死を意義する現在に勝利するためには必要だと決定されるのである。この点で、アルコリスムが範例的になる。というのは、金銭の喪失、愛の喪失、祖国の喪失、成功の喪失といった他の出来事は、それぞれの仕方でアルコール-効果を与えるからである。それらは、アルコールから独立に外在的な仕方でアルコール-効果を与えるが、アルコールの結末に似ているのである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.277~278」河出文庫)
「例えば、フィッツジェラルドは、金銭のことを『私は富んでいた』こととして生きる。こうして、フィッツジェラルドは、富んでいなかった時期からも、富むようになった時期からも切り離され、そして、当時身を委ねていた『真の富者』への同一化からも切り離される。ギャツビーの有名な恋の場面がある。ギャツビーは、愛し愛される時期に、『とんでもない感傷』に浸って、酔いどれ男のように振る舞う。ギャツビーは、全力でこの現在を固めて、固い現在によって最も柔らかな同一化を締め付けようと意志する。それは複合過去への同一化、すなわち、ギャツビーが、同じ女性によって、絶対的に、排他的に、独占的に愛されていたということを持っていたであろう時期として複合された過去(十年の酩酊のような五年の不在)への同一化である。この同一化の絶頂で、ギャツビーは、グラスのごとく割れ、一切を、近い恋も古い恋も幻想の恋も失う。フィッツジェラルドは、同一化の絶頂について、それは『一切の実行の死』に等価であると述べていた。しかしながら、同タイプの出来事の中で、アルコリスムに範例的等価を与えているのは、アルコールが、同時に愛と愛の喪失であり、金銭と金銭の喪失であり、祖国と祖国の喪失であるということである。アルコールは、同時に、《対象》、《対象喪失》、予め準備された崩壊の過程(『もちろん』)における《喪失の法則》である」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.278」河出文庫)
「アルコールは、同時に、《対象》、《対象喪失》、予め準備された崩壊の過程(『もちろん』)における《喪失の法則》である」、とある。アルコールの哲学とでも呼べそうな記述だ。「アルコリスムは、快楽を探求しているのではなく、効果を探求しているように見える」。すべてのアルコール依存症者がそうだとは言えない。むしろ、このタイプの依存症者はほとんどいない。ごく僅かな少数派だろう。だが時折、このタイプの依存症者、自分で自分自身の身体をピンセットでアルコールに浸してみたり、また干してみたりを繰り返し、何かテストでもして測定値を眺めつつ比較検討することに没頭するのを無上の悦びとしているかのような依存症者はなるほどいる。
だからといって、しかしそれがどうしたと言うのだろう。もはやアルコールや薬物だけが問題なのではない。それらが無いところでも脳内分泌物質は幾らでも放出される。多分、カジノとその周辺から湧いて出てくる様々な場所は、これまで測定不可能だった何かをもっと大量にもたらすに違いない。そしてそれは国家の質を急変させるだろう。そのようなシーンを頭に思い浮かべつつ、──どこかで誰かの舌なめずりが──零れ落ち、滲み広がる卑猥な音を聞かなかっただろうか。聞かずにいられただろうか。
二〇一七年二月二十五日作。
(1)頸動脈はこの辺り患者は切るでもなく
(2)笑えば笑うほど淋しさ
(3)テレビ局から埃ばかり棚上げ
(4)春の芽見つけたどんどん見つけた
(5)除染へぶらぶら女が居る
(6)折り目正しく水をやる狂人
☞「もちろん生涯はひとつの崩壊の過程であるが、そこでドラマチックな役割を果たす打撃なら──外側からやってくるか、少なくともやってくると思われる不意の大打撃なら──覚えていて文句を言ったり、気弱になったときに友達に言えるような打撃なら、被害の深刻さは一度に現われることはない。ところが内側からの打撃もある──気がついてみると何もかも手遅れだし、自分はもう二度とまともな人間になれないと、決定的に悟らせてしまうような打撃である。第一の種類の崩壊作用はてきぱきと運ぶ──第二のものだと、起ってもまず気がつかないかわりに、まったくだしぬけに致命傷をつきつける」(フィッツジェラルド「崩壊」・「フィッツジェラルド作品集3・P.184」荒地出版社)
「人生には別の破壊があるという本題に戻るわけだが、壊れたと悟るのは打撃をうけたのと同時ではなくて、小康状態に入ってからである」(フィッツジェラルド「崩壊」・「フィッツジェラルド作品集3・P.185~186」荒地出版社)
「──そして、それを知ったときには、古い皿のように壊れていた」(フィッツジェラルド「崩壊」・「フィッツジェラルド作品集3・P.186」荒地出版社)
「夕暮時の人のいなくなった射撃場に立っている感じ。ライフルは空っぽだし、標的もひっこんだ。何の問題もない──ただ静寂があって、聞えるのは自分の呼吸だけ」(フィッツジェラルド「取り扱い注意」・「フィッツジェラルド作品集3・P.192」荒地出版社)
「ぼくはただ完全に静かなところで考えぬいてみたかった。なぜぼくは悲しみに対しては悲しい姿勢、憂鬱に対しては憂鬱な姿勢、悲劇に対しては悲劇的な姿勢をとるようになったのか。《恐怖や同情の対象と自己との区別が、なぜつかなくなってしまったのか》と。こんなことはどうでもいい区別と思うかもしれないが、そうではない。こういう区別を見失うことは、何ひとつできなくなってしまうようなものだ。気狂いが仕事ができなくなるのはこういう問題だ。レーニンはプロレタリアの苦しみを苦しもうとはしなかった。ワシントンは兵卒の苦しみを、ディケンズはロンドンの貧乏人の苦しみを経験しようとはしなかった。そしてトルストイは、同情の対象にとけこもうとしたが、その努力は本物ではなく失敗に終った」(フィッツジェラルド「貼り合せ」・「フィッツジェラルド作品集3・P.196~197」荒地出版社)
訳文は無数にある。とはいえ、ドゥルーズによる訳文は大変示唆的であると考えられるので参照しておく。「私はただ絶対的な静謐がほしかった。どうして、悲しみを前にすると悲しくなり、メランコリーを前にするとメランコリックになり、悲劇を前にすると悲劇的になり始めたのかを決するためにである。また、どうして、嫌悪と憐憫の対象に自己同一化し始めたのかを──。この類の同一化は、実生活での一切の実行の死に等しい。この類のことのせいで、狂人は労働することを妨げられるわけだが。レーニンは、善き意図でと言えようが、プロレタリアートの苦悩を背負い込まなかった。ジョージ・ワシントンも軍隊の苦悩を、ディケンズもロンドンの貧民の苦悩を背負い込まなかった。トルストイは、配慮の対象に溶け込もうとしたが、欺瞞と挫折に終わった──」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.281」河出文庫)。既訳でも理解できると思われるが、トルストイにせよディケンズにせよレーニンにせよ共通している態度がある。社会的には対象の側に立っていながら、しかし対象にどっぷり同一化してしまうと「客観性」に揺れが生じて論理的一貫性は失われてしまう。その危険性について彼らは非常に敏感だった。或る種の「酔い」から距離を置くことの重要性。フィッツジェラルドから見れば、トルストイやディケンズやレーニンは、彼ら自身が持ち得た方法論にあくまで忠実でいることが可能だったのはなぜかという問いにこうして答えているのだ。良い悪いの問題ではないと。
「ぼくの自己犠牲ぶりは底なしだった」(フィッツジェラルド「貼り合せ」・「フィッツジェラルド作品集3・P.197」荒地出版社)
「自己犠牲」。確かに。アルコール症者がアルコールに対して払う「犠牲」は「自己犠牲」にほかならず、その形態はまるっきりお笑いを見ているかのようだ。経験者(γ-GTP=最高で700〜1000前後。今は12〜17前後に回復)として言うと、死ぬことなしに、生きていくことができただけでも「儲けもの」の世界である。にもかかわらず大阪府が中心となって推進されている「カジノ構想」。止めるつもりはない。賭博行為そのものはどうでもいい。問題はその周辺に蓄積される。とことん落魄して行き場を失うことになる人々の群れの創出に伴う受け入れ施設の不十分さについて、なぜ日本政府並びに大阪府は適切かつ妥当と考えられる数字を堂々と上げてこないのか。さらに、売買春依存症者の創出に伴う受け入れ施設がまったくとことん不十分であること。これら多重債務的かつ莫大な犠牲者の創出から得られるものは具体的に何なのか、具体的で計画的な経済的指標がまったく未知数であること、などなど。当り前といえば当り前。カジノ客目当ての売春で儲けた資金を資本化しようと考えている女子中高生らが今の日本だけでも一体どれくらいの数にのぼっているか。考えたことがあるだろうか。カジノ周辺で資本化できる貨幣とその使い方の「適法」な方法は、ネット(特にスマートフォン経由で)社会全体へどんどん広がることには疑う余地がない。一度「実験」すれば身に沁みてよくわかるだろうと思われる。売買春依存の場合、血液検査では数値化できないという理由もある。脳内分泌物質の質量などの細かな分析から少しずつデータ化していくほか有効な資料はまだない。もしマスコミのスポンサーに不利な数値とその条件が特定されれば、ただちにマスコミは報道しなくなることはわかりきった話だ。旧ソ連も腰を抜かすほど厳重な報道規制。事実の隠蔽。偽情報の垂れ流し。スポンサーに食わせてもらっているマスコミはスポンサーが関係するカジノのためならいついかなる時でもスポンサーのために「言論の自由」を楯とした「機動隊」と化す準備を整えつつある。無意識のうちにではあっても方向は明らかにその方向へ急傾斜している。従って、今の日本でカジノを、という初体験。経験からしか得られないものは大変多い。その意味では貴重だろう。
「だから生き残るのは、どこかで脱出を果たした人たちだとぼくは考えるようになった。脱出とは大変なことであって、新しい刑務所行きか古巣に戻るかにきまっている脱獄と同一視するわけにはいかない。よく言う『脱出』とか『すべてをあとにする』にしても、檻の中の遠足だ。たとえその中に南の海があり、絵に描いたり帆走に適していたとしても檻であることに変りはない。完全な脱出とは、二度と帰れないものを意味している。過去が存在しないのだから、取返しのつかぬものでなければならない」(フィッツジェラルド「貼り合せ」・「フィッツジェラルド作品集3・P.197」荒地出版社)
「過去においてぼく自身の幸福はしばしば恍惚状態に近づき、最も親しい人たちと分ちあうこともできず、静かな街や小道を歩いて発散しなければならず、そのうちのわずかな断片が本のごく一部となって結晶したにすぎない──ぼくの幸福自己欺瞞の才能でも、何でもかまわない例外だと思っている。それは自然ではなくて不自然なもの──好景気と同じように不自然だった。ぼくのその後の経験は、好景気がすんだときに国民をのみこんだ絶望の波と同じだった。この事実を見きわめるのに数ヶ月をかけているけれどもぼくはこの新しい運命の中で何とか生きてゆくことだろう。アメリカの黒人たちは快活な禁欲主義によってたえがたい生存条件に耐えることができたが、真実への感覚を失ったように──ぼくの場合も代償を支払わなければならない。もうぼくは郵便屋や八百屋や編集者や従妹の夫に好意を持ったりしない。好意を持てば、彼らはぼくを嫌うだろうしそうなると人生はもうそんなに楽しくはなくなるだろう。ぼくのドアの上には『猛犬注意』の看板がいつもかかっていることになる。ぼくは正真正銘の犬になるつもりだけれども、もしきみがたっぷり肉のついた骨を投げれば、ぼくはきみの手までなめるかもしれない」(フィッツジェラルド「貼り合せ」・「フィッツジェラルド作品集3・P.200」荒地出版社)
さて、今幾つかのセンテンスを上げた。ようやく次の文章に取り組むことができる。
「『もちろん、人生全体は崩壊の過程である』。これほどハンマー音をわれわれの頭の中に響かせる文はほとんどない。フィッツジェラルドの短編小説ほど、沈黙を課し、恐怖にかられた承服を強いるという、抗い難い傑作の特徴を持つテクストはほとんどない。フィッツジェラルドの全作品は、この命題、とりわけ『もちろん』の唯一無比な展開である。こちらに男と女がいる。あちらに何組かのカップルがいる(何故カップルか。運動が、対合の過程として定められる過程が既に肝要であるからである)。みんなが幸福であるためのすべてを持っている。美しく、魅力的で、富裕、軽薄、才気に満ちていると言われる。次いで、何ものかが通り過ぎて、みんなが、まさに皿やグラスのように割れていく。死によって二人ともども連れ去られるのでなければ、分裂病者とアルコホリック〔アルコール中毒者・依存者・アルコール飲み〕の恐ろしい差し向かいである。有名な自己-破壊というものであろうか。それにしても、正確には、何が通り過ぎたのか」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.268」河出文庫)
「二人は、自分たちの力に余る特別なことをやってみたわけではない。ところが、二人が、自分たちには余りに大きな《戦闘》から目覚めてみると、身体は割れ、筋肉は捻挫し、魂は死んでいるのだ。『弾丸のない銃を手にしながら、標的も降ろされて使われなくなった夕暮れの射撃場に立っている感じだった。解くべき問題はなく、静寂だけ。私の呼吸音だけが──私の自己犠牲は、暗く湿った信管でしかなかった』。たしかに内でも外でも、沢山のことが通り過ぎた。戦争、株価暴落、老化、抑鬱、病気、才気の枯渇。ただし、これら騒々しい事故は、即座に効果を発揮し終わる。事故だけで事に十分であるためには、まったく別の本性の何ものかを穿って深くしなければならないだろう。しかるに、その何ものかは、事故から隔たって、遅すぎた時になって、明かされるのである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.268~269」河出文庫)
「沈黙した裂け目。『何故、われわれは、平和・愛・健康を順番に失ってきたのか』。沈黙の知覚不可能な裂け目が表面にあったのだ。それは表面の<唯一無比の出来事>、事故にぶら下がり自己を見下ろし、自己自身の場の上を飛ぶ出来事である。真の差異は、内と外の間にはない。裂け目は内でも外でもない。裂け目は、境界にあり、無感覚で非物体的で観念的である。だから、裂け目は外と内に到来するものと、衝突・交差の複雑な関係、リズムの異なる二つの歩調の間歇的合流の複雑な関係を持っている。到来する騒々しいものは、裂け目の縁に到来し、裂け目がなければ何ものでもない。逆に、到来するものの打撃の下でなければ、裂け目は、その道を静かにたどることはできないし、最小抵抗線に沿って方角を変えその巣を広げることもできない。こうして、二人は、そして、騒音と沈黙は、婚姻を親密に続けて、最期にはバリバリと破裂してしまう。いまやその意義はこうなる。内と外での労働が裂け目の縁を緩めると同時に、裂け目の動きは身体の深層で受肉されてきたのである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.269~270」河出文庫)
フィッツジェラルド。だからといって、注意しておきたいことは、「感傷的な」フィッツジェラルドというものはどこを探しても存在しない、ということだ。もしフィッツジェラルドの後期短編小説群に接して何か僅かでも「感傷的な」印象を持ったとすれば、それは読者失格とまでは行かないにしても、少なくとも「アメリカでのみ有効なフィッツジェラルド」あるいは「アメリカ化された日韓中露、等々でのみ有効なフィッツジェラルドに関する読み」、と言うべき範囲に留まるほかない。しかしこのようなことをわざわざ述べておこうとするのはなぜだろうか。要するに国公立大学の受験日程もほぼ終わりに差し掛かったからに過ぎない。
「ブスケが傷の永遠性について話すとき、自分の身体が抱える忌まわしい個人的な傷の名において話しているのである。フィッツジェラルドやラウリーが非物質的な形而上学的裂け目について話すとき、また、思考の場所と支障、思考の源泉と涸渇、意味と無-意味をそこに同時に見出すとき、二人は、飲み干されて身体の中に裂け目を実現させたアルコールのすべてをもってそうしているのである。アルトーが、思考の侵食について同時に本質的で偶然的な何ごとかとして話すとき、また、根底的な無力でありながら高度の力であることとして話すとき、既に分裂病のどん底から話しているのである。各人が、何らかのリスクを冒し、リスクの果てまで行って、そこから不可侵の権利を引き出す」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.273」河出文庫)
「抽象的に思考する者が智恵と分別の忠告を与えるとき、与える者の側に何が残っているだろうか。忠告を与えるときには何時でも、波打ち際に留まったままで、ブスケ《の》傷について、フィッツジェラルド《の》アルコリスム(アルコール中毒・依存)とラウリー《の》アルコリスムについて、ニーチェ《の》狂気とアルトー《の》狂気について話しているのだろうか。そんなお喋りの専門家になるのか。やられた者が深入りしないことだけを願うのか。募金をしたり特集号を組んだりするのか。それとも、裂け目を伸ばす程度には、少しだけ自分で見に行き、少しアルコリスムになり、少し狂気になり、少し自殺願望になり、少しゲリラ兵になるが、裂け目を治癒不可能になるまで深くしない程度にしておくというのか。どこを向いても、すべてが悲しげに見える」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.273~274」河出文庫)