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あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

葬式

2018年09月09日 16時13分44秒 | 写真

  

前から覚悟はしていたが、ついにその時がきた。

連絡を受け、仙台市に向かう。

我が田舎では、通夜は身内、平服が普通だが、仙台市では

葬式と同等かそれ以上の式を行う。

もちろん正装だ。

正装して通夜→夜通し線香守→正装して葬儀→火葬

けっこうハードだ。

義母(嫁の母親)なので、「借りてきた猫」状態だ。

まあ、喪主よりは何倍もいいのではあるが・・・

参列者の便宜を図り、100日法要までいっしょにやってしまう。

ここまでは、どこでも普通に行われていること。

しかし、仙台市では49日、100日法要に移るとき、別に御霊前を出す。

アナウンスでは「仙台市だけの風習ですので、それ以外の方はそのままでけっこうです」と

言っていたのだが、なんか居心地悪いよね。

先に言ってくれよと・・・

しかし、都会の葬儀らしく、とぎの使い、詠読み、親(合ってるのか?)などは、ない。

また、「なんであいつが飯持ちで、俺が団子持ちなんだよ」などと不満を言う人もいない。

その場で決めるくらいのラフさ加減である。

すっきりしている。

今回も「読経だけ」のアルバイトのお坊さんに依頼した。

檀家付き合いなし、寄付なしである。

都会の葬儀はスマートで、「この機会に、飲むだけ飲んでやんべえ」なんて人はいない。

また、「とりあえず食わせるだけ食わせねえと、何言わっかわかんねよ」なんて言われることもない。

みんな形ばかり、一口箸を付けて帰って行く。

都会はみんな忙しく、「出勤前」とか「仕事をちょっと抜け出して」という人ばかり。

ほとんどの人が、ウーロン茶を一口飲んで車で帰っていくのだ。

50人の参列者の葬儀で、ビールが3本しか消費されなかった(笑)。

実にうらやましい。

  

いつからか、火葬場がプライバシー保護のため「場内撮影禁止」になっていた。

場内を撮影してブログにアップする私のようなヤツ(笑)がいるため、トラブルになるのを避けたいのだろう。

仙台市では人口が多いため、告別室に長い時間いられない。

だから、葬儀場でお棺を閉めたら、あと故人の顔を見ることはできない。

すぐに炉に入ってしまうのだ。

実際、次の遺族が我々の終了を待っていた。

表示も液晶パネルで、すぐに次の遺族の名前に書き換わる。

呼び出しアナウンスも人工音声で、

「1号炉のご遺族の皆様、第5収骨室へおいでください」

という具合だ。

でも、個人的には嫌いではない。

どんなに悲しんでも、死んだ人間は生き返らない。

淡々と、肉体が消えて骨になるプロセスを行うしかない。

義母だから言うのでない。

享年80歳。若すぎる、ということはないだろう。ちゃんと順番通りだ。

どんなに尽くしても、悔いなんてものは残るものなのだ。

私の亡父のように、心筋梗塞であっさり死なれても、2~3年看病した後逝かれても

やはり、悔いというものは誰にでもあるのだ。

俺って、考えがおかしいかね?

  

義弟には申し訳なかったが、台風が心配だから、火葬後早めに帰宅準備。

みんな火葬場ではお菓子くらいしか食べていないので、火葬の後、葬儀場で「ふるまい」と

呼ばれる食事が用意されているのだが、私と会津柳津町の親戚は早めに退席した。

  

帰りは「はま寿司」。

「大トロ」らしい。ご存じの通り、マグロ、牛などの部位は、はっきり区切られてはいない。

ここから大トロだな、と言われればそうなるのだ。

このギラギラした油がなんとも・・・演出するくらいなら、いっそやらないで欲しいね。

  

「鮭」らしい。

別にサーモンというネタがあるのだが・・・

まあ、回転寿司のサーモンは、ほとんど「マス」だから、これは本物ですよ、ってことか(笑)?

 

  

 

コメント (2)
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