郡山駅
言わずと知れた、福島県でNo.1の都会である。
面積的には「いわき市」方が広いのだが、
そのほかの面においては、ほぼすべて郡山市
が一番である。
嘘か真か、大昔「県庁を郡山市に移そう」
という噂があったらしいのだが・・・
この街が発展した理由は、ほぼ場所的な
アドバンテージがすべてである。
東京方面にも、仙台方面にも、いわき方面
にも、会津方面にも行きやすい。
道路、鉄道の要衝なのだ。
私が学生のころは「郡山市は治安が悪い」
と聞かされていた。
その頃は「ふーん、そうなんだ」と思っていたが、
今はそんな話はきかない。
もっとも、あれだけ人がいれば、そりゃいろんな
人がいるわな。
今まで会津人の「大人へのハードル(笑)」を
説明してきた。
チャリでの塩川町、列車での会津若松市。
そして最後が、免許を取っての郡山市である。
初めて自分の運転で行ったときは感動した。
まだ、うすい百貨店が、第一うすい、第二うすい
と2つあったころである。
どっちだっけか?第二うすいだったかな。
入り口が生臭いんだよね(笑)。
そりゃ、店頭に鮮魚、精肉コーナーがあれば
そうなるわな。
第一うすい(?)の二階に喫茶店があって、
よく時間潰しに使っていた。
今は違うが、昔は化粧品コーナーが大量に
あって、こっちは別の匂いでむせかえっていた。
あのころ、浅野ゆう子がうすい百貨店の
イメージキャラクターをやっていて、店頭で
サイン会をやっていた。
偶然、その場に居合わせたが、まだ売れて
なかったのでスルーした。
今思えば、失敗したかな、という感じだ。
当時から綺麗ではあったよ。
しかし、そのうすい百貨店も、今と当時とでは、
経営者が違う。
「天下のうすいが?」という感じだったね。
経営とは難しいね。
当時の、西武、丸井もなくなってしまった。
西武は駅前の、今のヨドバシカメラの場所に
あった。
シャネルは当時、うすいではなく、西武の1階に
あった。
シャネルで買い物をして、最上階のパスタ屋さん
でランチというのが定番だった。
その隣のそば屋さんで、はじめて1,000円以上の
そばを食った。
「そばって、こんなに高いのかよ」と初めて
思った。
なにせ、それまでは「そばと言えば、駅そば」
だったから。
そば湯も、初めて体験した。
ちなみに、当時の西武の1階にあったシャネルで
チーフから指導を受けていた人が、現在のうすい
百貨店のシャネルコーナーのチーフである。
駐車場は駅前の、24時間営業のとこね。
エレベーターがションベン臭かった(笑)。
たしか丸井と提携していて、買い物をすると
割引券をくれた・・・イヤ、割引のパンチを
入れてくれた。
ここら辺は、記憶が曖昧です。
金がないときは、4号線とさくら通りの
交差点(歩道橋)近くの楽器店に寄って、
そのまた近くのクラシック喫茶に入り浸っていた。
だいたい、この手の喫茶店を経営してる人は、
こだわりが強い。
こだわったカレーを食いながら、マスターの
うんちくを聞くのが楽しかった。
楽器店は今でもあるが、クラシック喫茶は
もうない。
なにせ、CDが出る前の話だからね。
たぶん、名前は「田園」だったような・・・
違っていたら、スマン。
駅前からうすい百貨店に行く道路に半地下の
喫茶店があった。
「陣屋」と呼ばれる地区だ。
そこで、キリマンジャロを注文すると、コーヒー
にコーヒー豆が一粒浮かんでいた。
「都会はなかなか、洒落たことをするね」
と思ったよ。
私の学生の頃は、ちょっとしたコーヒーの
ブームがあった。カリタなどのペーパー
フィルターのドリッパーが出だした頃だ。
キーコーヒーも「トアルコ・トラジャ」なる、
高級豆を販売していた。
家にミルがない人は、スーパーのコーヒー豆の
コーナーに設置してあるミルで挽いてから、
持ち帰っていたよね。
その瞬間だけ、そこら近辺が良い匂いがしていた。
ちなみに、高級豆の代名詞である「ブルー
マウンテン」は、生産量と取引量が、桁違いに
違うそうである。
簡単に言うと、偽物が多い、ということ。
まあ、米でもあることだから、コーヒー豆でも
あるんだろう。
ちなみにのちなみに、そばの偽物も存在する
のだよ。
やはり何でも、ブランド品は儲かるのだ。