ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

今月のみことば

2021-04-18 | ヤコブの手紙

私に今月、与えられたみことばは、ヤコブの手紙3章14-18節

日々の自分自身の生活の中でこの聖句を思い巡らし、
また他に聞いた聖句から関連して教えられ、
聖書の全体の中でのこの聖句の位置や背景などを調べ、
ヤコブの手紙の全体を読んで
この個所の言葉を調べたりしようと思う。

ヤコブ
 3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
 3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
 3:15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
 3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
 3:17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
 3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。

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ヤコブ1:24から、試練・誘惑を考える

2021-01-12 | ヤコブの手紙
1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。ヤコブの手紙1章18節前半
 
知ったこと===父なる神が私達に与えるくださる最高の賜物は「永遠のいのち」です。「みこころのままに」は文頭に書かれていて強調されている。神はご自分でだれを誘惑なさることもありません 
 
思うこと===このいのちの産み出される方法/原因は、真理のことばです。福音が私達の心の中で働いたから。パッと瞬間的に生まれたのではなく、赤ちゃんの出産が胎内で育つ期間が必要なように、みこころとご計画の中で生まれたと思われます。
 
適用===伝道して実を結ぼうとする際にはみことばの種を蒔き、一つ一つ伝えて、納得、説得して、相手の方がしっかり受け入れて、聖霊に満たされ導かれるまで、生みの苦しみをしながら主の働きをすることができることに希望を持ちます
 
私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。ヤコブの手紙1章18節後半
 
知ったこと==新しく生まれることについて神が持つ目的がある。それは私たちキリスト者を被造物の初穂にすることです。初穂とは動物の初子、穀物の初穂等を意味する。ユダヤ人はまずこれを神に献げていた。それで、二つの意味が考えられる
  • ある地域、家族の中で始めて選び出されたキリスト者のこと(ロマ16:5。Ⅰコリ16:15)ーーー弟子づくりが広がるように
  • 初めて死者が復活したイエス・キリストを意味する。(Ⅰコリ15:20、23)ーーーキリスト者が新天新地に入れられるように
適用==試練・試み・誘惑がある時、道は二つに分かれる。正しく試練を受け止めなくてはならない。
  • 勝利の道===神のみこころに従って、伝道して人を回心に導き、人に新しいいのちを得るように働くーーー1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
  • 滅びへの道===自分自身の中にある貪欲に引ずり出され、餌につられてしまい、死ぬ方向に向かうーーー1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
★神は時にサタンが誘惑すことを許す場合がある。アダムとエバとを蛇が誘惑した時、ヨブをサタンが誘った時。その目的は何か。人が自分の罪に気付いて、神に立ち返るようにするための手段としてサタンを用いる。
★また、人の心の欲望に任せて、汚れに引き渡すことがある。(ロマ1:24、26)。救いを否定しつづけるほどに心がかたくなな場合にも、なすがままにする場合もある。
★★★しかし、その目的は、どちらも、人の心のままに放置してその悔改めを待ち、最後の審判があるとを示されます。
コロナ禍の下に置かれている今、試練について正しく受け止める必要があります
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試練を、最高の喜びとする

2020-12-04 | ヤコブの手紙
普通は避けたい、逃げたいと思うような試練、試みを喜びと考える、それも最高の喜びと見なすようにと、ヤコブ書の1章2節に書かれていのす。
ヤコブ1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
これは驚きです。そんなことができるのか。その理由が次に書かれています。これがわかったら、その信仰は、初級ではなくて中級、上級ほと向かっているかも知れない。
 
1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
忍耐とは、「とどまって動かない」
ためされるとは、テスト、本物かどうかを見分けるための試練、検査
 
私は信仰のテストを経験し、忍耐することを経験し、また次のテストがあり、忍耐することを選択して、「信仰がためされると忍耐が生じるということを、体験的に少しは知ったと言えます。
 
 
 
夫の定年退職と同時に癌が見つかった。そこで、教会の近くの社宅を出て田舎の家に移り住んだ。
夫への伝道と教会生活のためには、田舎の教会に移ろうかも思ったが、母教会に忍耐する、とどまって動かない方を選んだ。毎週日曜日には、10時半からの礼拝に、家を6時半に出て教会に通うこと8年間。
 
教会に通えなくなった最後の1年間に、夫が信仰告白をして受洗し召された。母教会からの訪問やサポートを受けて、夫を天に送るこができた。
 
召天式の100日後には、家を売却する手続きをして、母教会の近く転居した。母教会にしっかりとどまって動かないことを決断したのだった。
 
信仰がためされると忍耐が生じるということ
母教会に通うかどうかだけでなく、信仰がためされることは様々にあった。
夫を在宅で看病して、二人で家庭で信仰生活をするか
親戚の寺の境内の墓の処分すること
寺関係の親戚が多い中で、キリスト教でするお葬式、
建てて10年の家、家具、持ち物の処分
それらを一つ一つ信仰をもってくぐり抜ける中で、ますます忍耐するようになった。信仰が揺らぐことなく、とどまって動かないことが祝福であることを知る経験を積み上げてきました。今は教会のすぐ近くで、さらに祝福された生活をしています。
 
だから、
さまざまな試練に会うときは、これをこの上もなく喜びと思いなさい。
色々な試練、試み、誘惑に陥るとき、それを最高の喜びと思えることは、ただの理想ではなくて、本当にそうだなと、こんな経験から思えます。
 
イエス・キリストは、贖い主としての使命を全うするために十字架の苦しみを忍耐された。公生涯は三年半。十字架上の苦しみは六時間、死から復活まで足かけ3日。そしてその報いは永遠です。
 
私達が救い主イエスを見て、天国を仰ぐ時、この世での忍耐が御国に招き入れられるための信仰のテストだ思えば、報いは最高のものであるから、最高に喜ぶことができると思えます。苦笑いするような生活ではなく、喜び、読めおどる信仰生活を続けたい。
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