ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをまとめています

イエス・キリストの栄光

2024-12-30 | 日ごとの生活

 

イエス・キリストはご降誕される前から、天地の創造の時からおられて、すべてを造り、私たちをも造って、今もその全知全能の力で語り導き支配しておられます。


そんな畏れ多いお方を「わが主よ」と、親しく呼んで交わることが赦されていることは、奇蹟的な特別な恵みです。


光を造られたイエス様のご栄光はどんなに偉大なものであることでしょう。
その光が世に下ってくださり、私たちの内をも照らして導いていてくださっています。

そして、やがて栄光に輝く永遠の御国に入れられたなら、私達は、どんなに喜び、喜び、喜び踊って、讃美の声をあげることになるでしょう。


朝日を浴びる散歩

2024-12-28 | 日ごとの生活

最近、朝ドラも見れない程の朝寝坊だった私が、昨日と今日と朝日を浴びに、近くの公園に散歩に外に出た。

思い返せば
10年前まで10年近く、日曜日は、6時半に家を出て、JRで3回乗り換えて教会に向かっていたのだった。


50年前? 6時半に家を出て、バス・汽車ポッポ・電車に乗って高校に通っていた。
列車の中ではひどい頭痛を我慢していた。勉強について行けなくて夜遅くまで机に向かっていたから。

ても、教会に行く時はいつもルンルンだった

そして、昨日と今朝は、ルンルン・ランラン・楽しく散歩をして来ました

田舎で見た朝日も、アメリカでも、ハワイでも、インドネシアでも、どこで見る朝日も同じ太陽であると
思うと、幸せな気分になります


2種類の喜び

2024-12-27 | 日ごとの生活

祈祷会で、感謝を報告する際に、この一週間のクリスマスイベントが祝福だったこと、来客のための布団の準備がたくさんの兄弟姉妹と一緒に楽しくできたことなどを喜んでいると伝えた。

そして、今日の学びの中で、喜びには一般的な喜びと永遠につながる喜びの2種類があると聞いたことを思い出した。

 

神様は私が表面的で一般的な満足で終わらないようにと、霊的に心を耕す課題を訓練として、年末年始に課題として与えて下さっていることに、感謝し永遠につながる喜びが与えられていることを感謝していると言いました。(原稿の入力や、本の校正奉仕など)

 

 

聖夜礼拝で語られたヨハネ1:13に「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」とあった。

ただ神によって生まれた私は、その後の日々の生活も、ただ神によって取り扱われ、生かされ、成長させられていることを忘れてはならない。肉の欲求、人の意欲によっていて、全然うまく行かないことがあったことを思い出して悔い改めました。


マリアの夫ヨハネを思う

2024-12-23 | 旧約聖書

ヨハネは、ダビデの家系であり血筋でもあったので、」とある。

➀家系、一族、家族の伝統・文化・地位の中にいた
➁血筋、血統、血縁関係の中にいた
ユダヤ人としての文化を大切に守って来た人だった。

 

ナザレに残っている人々の多くは、住民登録をする自分の町を持っていない、アイデンティティ意識の薄い男達ではなかったか。
そんな人々によって、未婚の母だからと、マリアが石打ちの刑にされることを心配して、ヨハネは敢えて連れて行ったのかも知れない。

 

ヨセフとマリアの旅の背景には、住民登録を初めてするという時代、ユダヤ人としての意識がある。さらに、神の支配、神の計画、預言を成就するみこころがはっきり存在し、偶然に起こったことは何もない。

 

同じ神の支配の中で、私も、聖霊による指し示しに敏感になり、イエス・キリストを救い主、主とするキリストの兵士として徴兵に従います。
神が背負ってともに歩むべき隣人が与えられているとわかったら、困難であっても、主の平安のうちに、聞き従い、隣人を未信者たちの攻撃から守りましょう。


罪の赦しは神の栄光のため No2

2024-12-16 | 日ごとの生活

土曜には、イザヤ書 43章25節から「罪の赦しは神の栄光のため」と讃美したのですが

翌日の主日礼拝では、礼拝が始まってすぐの招詞で、詩篇115篇が朗読されました。1節「 私たちにではなく、【主】よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」 主の御名に栄光を!!

主日礼拝の後のイベントで、幼稚園児の二人の娘を連れたママとお話をする機会が与えられました。


在宅で自分で事業をしている聡明そうな人。来年7月に三人目の子どもの出産予定。
少し離れた街の教会で、ご夫妻で洗礼を受けたが、引っ越ししたこともあり、今は教会には行かず、聖書も読んでいない。
この教会には家から近いし、子供たちの友達がたくさんいる。
今後はこちらの教会に私は導かれているような気がすると言われた。

こんなに綺麗で素敵や女性と、可愛い女の子が教会に来たら、私は嬉しいけれども、私たちにではなく、「主の御名に栄光あれ」と思った。
そして
産んで育てて下さった母教会を大切にしなさい。謙遜になって教会に行きなさい。
教会と連絡を取り合いなさい。きっと心配してくださっていますよ。
導きはみことばにあります。聖書を読んでわからないところが出て来たら、母教会で尋ねなさい。
人とのつながりを求めるのではなく、神様とのつながりを、まず求めなさい。求める者には必ず与えてくださいますから。

こんな話をした後、手を取ってお祈りをして、目を上げたら、彼女の目から涙がポロポロ流れていた。
神様がこれから彼女の心に深く働いて、ご夫婦が神様への信頼を回復されるように、神様の守りと導きの中で子育てができるようにと願い、
ハグをして、今後を全知全能の神様にゆだねて席を立ちました。