ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

マリアの夫ヨハネを思う

2024-12-23 | 旧約聖書

ヨハネは、ダビデの家系であり血筋でもあったので、」とある。

➀家系、一族、家族の伝統・文化・地位の中にいた
➁血筋、血統、血縁関係の中にいた
ユダヤ人としての文化を大切に守って来た人だった。

 

ナザレに残っている人々の多くは、住民登録をする自分の町を持っていない、アイデンティティ意識の薄い男達ではなかったか。
そんな人々によって、未婚の母だからと、マリアが石打ちの刑にされることを心配して、ヨハネは敢えて連れて行ったのかも知れない。

 

ヨセフとマリアの旅の背景には、住民登録を初めてするという時代、ユダヤ人としての意識がある。さらに、神の支配、神の計画、預言を成就するみこころがはっきり存在し、偶然に起こったことは何もない。

 

同じ神の支配の中で、私も、聖霊による指し示しに敏感になり、イエス・キリストを救い主、主とするキリストの兵士として徴兵に従います。
神が背負ってともに歩むべき隣人が与えられているとわかったら、困難であっても、主の平安のうちに、聞き従い、隣人を未信者たちの攻撃から守りましょう。

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罪の赦しは神の栄光のため No2

2024-12-16 | 日ごとの生活

土曜には、イザヤ書 43章25節から「罪の赦しは神の栄光のため」と讃美したのですが

翌日の主日礼拝では、礼拝が始まってすぐの招詞で、詩篇115篇が朗読されました。1節「 私たちにではなく、【主】よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」 主の御名に栄光を!!

主日礼拝の後のイベントで、幼稚園児の二人の娘を連れたママとお話をする機会が与えられました。


在宅で自分で事業をしている聡明そうな人。来年7月に三人目の子どもの出産予定。
少し離れた街の教会で、ご夫妻で洗礼を受けたが、引っ越ししたこともあり、今は教会には行かず、聖書も読んでいない。
この教会には家から近いし、子供たちの友達がたくさんいる。
今後はこちらの教会に私は導かれているような気がすると言われた。

こんなに綺麗で素敵や女性と、可愛い女の子が教会に来たら、私は嬉しいけれども、私たちにではなく、「主の御名に栄光あれ」と思った。
そして
産んで育てて下さった母教会を大切にしなさい。謙遜になって教会に行きなさい。
教会と連絡を取り合いなさい。きっと心配してくださっていますよ。
導きはみことばにあります。聖書を読んでわからないところが出て来たら、母教会で尋ねなさい。
人とのつながりを求めるのではなく、神様とのつながりを、まず求めなさい。求める者には必ず与えてくださいますから。

こんな話をした後、手を取ってお祈りをして、目を上げたら、彼女の目から涙がポロポロ流れていた。
神様がこれから彼女の心に深く働いて、ご夫婦が神様への信頼を回復されるように、神様の守りと導きの中で子育てができるようにと願い、
ハグをして、今後を全知全能の神様にゆだねて席を立ちました。

 

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罪の赦しは神の栄光のため ハレルヤ

2024-12-15 | 日ごとの生活

 

"わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。"イザヤ書 43章25節

ハレルヤ!  私の罪はキリストがご自分のいのちと引き換えに、帳消しにされました。
神の帳簿から消された罪を神は完全に無くなったものとして、もはや思い出さないでいてくださる。

罪の赦しは、私のためだけではない
神の愛とあわれみのために
救いの約束の成就のために
御子イエス・キリストのために
神の栄光のためです

ハレルヤ 私たちはご自身のためにすべてを成し遂げる神を ハレルヤ ほめたたえます。


今日の主日礼拝も、それに続くキャロリングも、今一度罪を十字架にゆだねて、
喜んで神を讃美しましょう。神ご自身の栄光が現わされるように

 

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目に見えないものに信頼して

2024-12-10 | 日ごとの生活

 

この世には、目に見えるものと、目に見えないものがある。何も考えないで生活していると、見えるものに振り回されることになりがちです。

 

しかし、生きる意味目的、最終的な行き先も、すべて見えない存在である神、聖霊の導きに依存していると、安易に揺れ動かされることなく落ち着いた生活ができる。日々、変えられ整えられ続ける日々は、喜びと感謝にあふれる毎日です。

 

そんな霊的に健全な生活を守るためには、見えないところでの、個人的な祈りとみことば、デボーションの時が重要です。今後、教会での礼拝や奉仕においても、見えないところをより大切にして、神の祝福を実感して感謝する毎日を送りたいものです。

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象徴ではなく、本物のクリスマスを

2024-12-09 | 日ごとの生活

私にとってこの街で救われたのは、クリスマスのようだった。
奇蹟的な事件が積み重なって教会に導かれた。
夫の単身赴任先に通う普通の主婦だった私の前に突然天国が開かれて招かれた。
そして心の奥底に隠しもっていた罪に不思議な光が当たられた時だった。

 

神の御子であるイエス・キリストが救い主であることを教えられた。
受け入れることを強く勧められた。
信じた後はその生き方を、また救いの全容を、みことばから教え示してくださった牧師がいたからこそ、今の私がある。
与えられた恵みに深く感謝しています。

 

いつまでも、この世の人と同じように、プレゼント交換、イルミネーションなど、キリストを象徴するものを楽しむだけで終わっていてはいけない。

クリスマスは、主にある本物の救い・喜び・平安を、知らせる働きが委ねられていることが指し示されて、主の前に謙遜にさせられる時です。

 

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