ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

イサクをささげたアブラハム

2021-06-14 | 通読・創世記

アブラハムは神から呼びかけられた翌朝早く出発した。私も神様から呼ばれていると感じたら、「はい。ここにおります」と、逃げず、隠れず、後回しにしないで、すぐに祈りの姿勢に入らなくてはならない。そこで示されたことはすぐに行動に移さなくてはならない。

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イサクをささげるようにお告げになった場所が見えるところまで三日間かかった。神様からの示しや促しがあっても、時間がかかることがある。アブラハムは子供が生まれると言われてから25年待ってやっと生まれた。アブラハムにとってのこの三日間も長く感じたことだろう。時は神様のものだから、私達は委ねて神の時を待たなくてはならない。

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アブラハムは若い者たちに、「私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。二人で戻って来ると言ったのは、神はイサクを復活させることもできると信じていた証拠です。そのことを後の世の人々に知らせるために若い者が備えられていた。

私達の身に起こる奇蹟のような神のみわざも、他の人に証しをする機会があるかも知れない。その日に備えて、記憶する、記録するようにしようと思う。そして福音が真実であり実際に体験することのできる祝福に満ちたものであることを伝えて、伝道をして行きたいと思います。

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創世記44章 ユダの身代わりの申し出

2020-01-06 | 通読・創世記

おいついたヨセフの家の管理者は、ヨセフが命じたとおりに兄弟たちに言った。

兄弟は、「見つかった者を殺してください。他の兄弟は奴隷になりましょう」と言った。
管理者は「見つかった者を奴隷になり、他の兄弟たちは無罪にしよう」と言った。

それがベニヤミンの袋から見つかった時、兄たちは、全員がヨセフのところに引き返した。
この時から、ユダが兄弟たちのリーダーになった。

ユダは、正しく弁明をした。
父にヨハネの言葉を伝えた。
父の言葉をヨハネに伝えた
父のいのちは末の子にかかっていると言った。
末の子の身代わりに自分を奴隷となり、他の兄弟たちは無罪とするとように言った。

キリストはユダ族から生まれました

キリストは父なる神のみこころを伝えてくださいます
キリストは私達の罪の身代わりに、犠牲となって十字架にかかって死んでくださいました
罪のために死ぬべき者であった私達を無罪とし、
永遠のいのちを得させてくださいました
罪が赦されたからには、生かされたいのちを、キリストの奴隷として生きていきます
キリストは私達の祈りを聞いてくださいます
どう考え、どう生きるのかを、キリストは教え導いてくださっています

以前は、キリストはヨハネの子孫かと勘違いをしていましたが、今回は、この章のユダからキリストを見ました

 

昔の自分の罪を思い出す。

もし、あの嘘がばれていたら・・・・元働いていた会社からか、どこかの役所から連絡があったかも知れなかった
もし、あの間違いを犯した時、時・場所が守られていなかったら、・・・自分の体に危険が及び、家族からの信頼を失望させたかもしれない
もし、あの時、私が違う方向で考えていたら、〇〇をあれほど傷つけることはなかっただろう。しかし、そのことについて今も、〇〇は何も語らない
回心をした時に、このように、私の全人生を根本から壊しかねなかった罪が、キリストにより赦された。恐れが取り去られた。
クリスチャンになった今も、様々に犯す罪を、その都度悔改めて、赦されて生きている

  

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創世記43章安心しなさい。恐れることはありません

2020-01-04 | 通読・創世記

ヨセフの家の入口で、ヨセフの兄たちは、管理人に恐る恐る、長々と弁明をした。

すると彼は

「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのに違いありません。あなたがたの銀は私が受け取りました。」

そして、へブル人達と、ヨセフと、へブル人とは一緒に食事ができないエジプト人と、皆で一緒にご馳走を食べた。これは、天国での宴会のようです。イエス様を中心にユダヤ人と異邦人がともに祝宴をしているようです。

 

 

何年か前に、元牧師夫人の未亡人が話してくださったことを覚えています。
最期の病床で、何度もこんなことがありました。彼が「自分には罪がある。天国に入れるか不安があって、死ぬのが恐ろしい。聖書の〇〇の箇所を読んでください」と言われたので、読んで聞かせた。そして一緒に安心して祈ったものでした。

 

私の夫は強気な人でしたが、副作用で苦しんでいる時、「医者は病気や治療については教えてくれるが、どうやって死ぬのか教えてくれないから不安だ。」と、私に初めて弱みを見せた。
「どうやって死ぬのか、死んだ後にどうなるのかも知っていますから、私が案内をしましょう」と、退院するまでの三カ月間、一度も家で寝ることなく、昼も夜も、彼の枕元で過ごした。最初は頼まれて新聞を読み聞かせ、信仰書をボツボツ読み進め、聖書を読むようになった。その私の声は通路だれでなく、向かい側の看護師の詰め所まで響いていたかもしれない。

 

そしてとうとう、夫はイエス・キリストを救い主として受け入れた。私達の病室は聖霊の宮となった。入って来た医師や看護師が部屋を見回して「この部屋は、他の部屋に比べて、なんか明るいなあ」と言われることが何度もあった。香り付きのシートで床を掃除した後に入って来た人は「なんや、いい匂いまでする」と言われた。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。第一コリント6:20


 

牧師夫人は、聖書のどんな箇所を読んでおられたのかを、尋ねておけばよかったなあと、今思う。

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創世記18章サラは笑った 

2020-01-03 | 通読・創世記

私達の笑いも、表面上は同じでも、内面、動機、思いは色々なものがある
  皮肉、劣等感、疑惑、嫉妬心、羞恥心、戸惑い、不満、場をつくろう、あきらめ・・・・

 

私が笑って嬉しいのは、喜ばしい笑いとは
  希望、感謝、満足、期待、可能性、確信、謙遜、・・・他にどんな笑いがあるだろう

 

 

 

三人の人をソドムを見下ろすほうへ上って行くのを見送るために、彼らと一緒に歩いた。その人たちがソドムのほうへと進んで行った。その時アブラハムはまだ、の前にた立っていた。

ということは、主は、三人の人と一緒に来られて、三人が去った後もアブラハムのソドムのためのとりなしの願いを聞いて、何度も答えて、語り終えられてから一人で去って行かれたことになる。

 

 

 

私達の教会には、国内から、海外から、牧師やこの他の方々をお迎えする機会がたくさんあり、私は彼らの宿泊施設の整備をさせていただいている。ちょっと花を飾って満足して笑い、帰られたら、やれやれと笑ってすぐに片付けていた。今日も遠隔地会員のご夫婦をお迎えした。

彼らを接待する時、主が彼らとともにおられることを忘れてはならない。
またお帰りになった後も、彼らとの交わりの中で得た霊的なことを、すぐに忘れるのではなく、思い巡らせることが益となると思った

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創世記17章 しるしとしての割礼

2020-01-02 | 通読・創世記

99歳のアブラムに現れた主は、ずっと語り続ける
「わたしは全能の神である」
「わたしは・・・契約を立てる」
「わたしは・・・あなたをふやそう」
「わたしは、・・・契約を結ぶ」
「わたしは・・・あなたを父とする」
「わたしは・・・・・・・・・・・」
「わたしは・・・・・・・・・・・」
「わたしは・・・・・・・・・・・」

主の方から一方的に契約を結んだことを語り、アブラムには契約のしるしとして割礼を受けるように言われた
家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られた者も。

どういうことを意味するのだろう。私に言えることは何だろう。

  1. すべての事について、神に従うことを意味する
  2. 神に属する者であることを自覚し、他の民族とは全く違う者であることを表す
  3. 切り捨てるべきものを捨てて、きよい生活をすることを意味する

 

 

私より若いアメリカ人が、自分は割礼を受けていると言っておられた。今は日本人女性と結婚してアメリカに住んでいる。三人の息子さんたちにも、割礼を施しておられると、聞いた記憶があります。
日本人は、もともと神の契約の中にはなかった異邦人であるが、イエス・キリストによる十字架の贖いは、ユダヤ人にも異邦人にも、すべて信じる人には有効です。神の恵みによります。

 

日本人は江戸時代から、国策によって、全員が仏教徒にさせられたので、私の家にも夫の家にも仏壇や神棚があった。親戚にはお寺がたくさんあった。しかし、主の導きによって、だんだんに離れることができています。違いがあるために迫害があったりもしますが、それも救われているしるしなので喜んでいます。

 

過去には口に出すのも恥ずかしい罪を数々犯し、滅ぶべき私でしたが、今や、イエス・キリストが私の身代わりに罪の罰を受けてくださったことを信じ、罪が赦されています。今も様々に犯してしまう罪を、主に祈ってゆだねてきよめられつつ、新しい契約である聖書を読んで、聖霊に導かれて生活しています。 祈りとみことばの生活は平安です

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