ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

父と子との関係を喜び、証する

2024-08-26 | マタイの福音書

 私たちの「日ごとの」糧を「きょうも」お与えください。マタイ6:11

 

「日ごとの」「きょうも」、

これらの言葉を思い巡らしていた私は、礼拝での招詞:詩篇42編に、3節に「昼も夜も、私の食べ物でした。」8節に「昼には主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります」と書かれているのを読みました

そして、昼と夜、その日「今日」が積み重ねって、信仰を全うし、再臨を大喜びで迎えることになることを、礼拝讃美の中で思わされました。

628救い主イエスと・・「約束しませる 家に帰らば わが魂(たま)は歌わん 力の限り 君に守られて今日まで来(き)ぬと」
 帰る家とは、父なる神様の身元。父が喜んで両手を広げて迎え入れてくださる。私達は様々な困難を日々神様に守られて来たこと振り返り、大喜びで父の懐に飛び込むのです。

 

日ごとの「糧」とは

パン、食物、飲み物、最低限からだを維持するために絶対必要なもの。生命の糧です。人間にとって物質的な必要のすべてを神は満たし与えてくださいます。
さらに霊的な糧も与えられます。夫は癌で自宅で召されました。最後の5日間くらい、何も飲むことも食べることもできず、点滴を打つこともしなくて、讃美歌を聞き、みことばを聞いて、最後まで平安に生かされたのでした

6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

 

私たちの日ごとの糧を 

私たちとは、創造主である神が、地のちりから形作られ、鼻から神の息、霊を吹き込まれて生きる者となったものの、罪を犯してエデンの園から追放されたアダムとエバの子孫として生まれた者であり、やがて滅ぶべき者でした。

540:1 地の塵に等しかり何一つ取りえなし 今あるはただ主の 愛に生くる我ぞ 

しかし、神は御子イエス・キリストを天から地に遣わして、十字架上で贖いのみわざを成し遂げて後、イエスをよみがえらせて神の右の座に着かせられました。そのイエス・キリストを信じる私たちは、もう一度、鼻から永遠に生きる息、霊を送り込んでいただいて、聖霊が内に住む神の宮としてくださいました。

日ごとに内に住む聖霊と息をするように祈り、へりくだり心砕かれている私達は、霊的な交わりを持っているキリスト者であり、そのからだに必要なものは、ちゃんと与えられるのです。

 

お与えください 求めるべきは、必要なものを

=1=

私たちが求めるものは贅沢なものや余分なものを求めよとは言っていない。約束もされていない。神の約束は必要な物だけを指している。そして何が必要かは、私たちの考える物と神の考えとは同じとは限らない。けれども、神は私達に必要なものを祈り求めよと言われる。

 

=2=

あなたがたはこう祈りなさいと、原文では主語がわざわざ書かれている。主の祈りは弟子達に教えられたものであるので、この命令を個人的に受け止めて、一人で祈るのはみこころではない。今日の祈祷会では兄弟姉妹が心を合わせて祈りましょう

 

=3=

すでに神が知っているのなら、どうして祈れと言われるのか==6:8 あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

子は欲しいものを父の元に来て、おねだりをする。すると父親は喜んで先の事まで考えて、状況を見て一番ふさわしいものを与える。このことを知って子は喜ぶ。このような喜びの交わりが父と子の間にあるのです。

 

まとめ

讃美629: 「恐れなく近寄れ」と 主は語りたもう 信仰の手伸ばしつつ 近づきまつらん いよいよ汝ながそばに 我を引き寄せ いよいよ主よ汝が愛の 広さ知らせよ

罪が赦されて神と子としていただいている私の喜びは、何にも代えがたいものです。
昼に夜に、神のあわれみによる救いのみわざを喜び、感謝します。
そしてこの喜びと祝福を、他の人々に伝えて行きましょう

 

 


黙々と、粛々と

2024-04-01 | マタイの福音書

パッション マタイ27:27-31より

イエスの霊、聖霊が私のうちに働いて、私が生きる目的・使命があることを教えてくださっています。私も、他の人を天国に導き入れる「アッシャー」のような働きを、導きに従って黙々と、粛々となして行けるようにと願います。

このところ、私は教会を訪問した方々の布団の寝具の整備などをする時に、「イエスの救いを、目に見える具体的な利得や出来事のように思う」という間違いをしていたことに気づかされました。
階段を登ると息が切れるからと、何でも人に助けてもらおうとする生き方ではいけない。

悔い改めて、キリストに従う道は苦しみの道なのだから、犠牲を払って私に託された使命を果たして行く覚悟をします。

反対者の多い中で苦しんで宣教の働きをしておられる兄弟姉妹を熱心に支えます。

自ら滅びへの道を選んでいる人の行き先が地獄であることを大胆に伝え警告して、イエスに聞き従う生ける道をともに歩むようにと、他の人に信仰を促す機会が与えられることを求めます。


兄弟に腹を立てる者はすぐ地獄か???

2021-10-13 | マタイの福音書

ーーー疑問ーーーー

マタイ5:21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。

教会では日常的に色々なことが起こり、腹の立つこともあるが、聖書では怒る人は、人殺しと同じようにさばきを受けなくてはならないのか・・・・・納得いかないな

ヤコブ1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません
ヤコブ1:19 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。

全く怒るのは駄目だとは書かれていないではないか。ここで怒るべきか、怒って当然か、ゆっくり考えてすぐに怒るなというのか。いつまで怒ることを遅らせよと言われるのだろうか。怒ってもその怒りを表現することを遅らせよと言われるのだうか。

ーーー兄弟に対して怒るとはーーー

エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。

クリスチャンと完全にきよめられている者ではなく、サタンが誘惑して怒るようにと働いている。そのサタンに乗せられて怒るというのなら怒れ。クリスチャンも感情があって揺り動かされやすいものである。しかしその結果、罪を犯し続けてはならない。サタンに挑発されて怒っている状態の上に太陽が沈ませるな。暗やみの中に沈み込んでしまうな。
★悪魔に場所・機会・余地・可能性を与えるな。


ローマ
 12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

★エペソでは悪魔に場所・機会・余地・可能性を与えるなと言われたが、それと対照的な表現で
★御怒りに場所・機会・余地・可能性を与えなさい。自分の怒りを神に任せる。委ねる。明け渡すのが良い。私の霊の中心に聖霊に入っていただき満たして悪魔の働きを追い出していただこう

 

ーーーでは、どうすれば良いのかーーー

コロサイ3:8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。

怒りを捨ててしまいなさい。片づけなさい。脱ぎ捨てて棄てなさい。アポティセーミのアオリスト中間態

エペソ4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい、

捨て去りなさい。取り去られるようにしなさい。アイローのアオリスト受動態

 

ーーー最初の疑問に答えが与えられたーーー

マタイ5:21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。

兄弟に向かって、サタンの誘惑にのせられて腹を立てつづけているならば、だれでも、さばきを受けることになります未来形。ですから、できるだけ早く、聖霊の導き、促しに聞き従って、悔い改めたり、神に委ねて聖霊とともに祝福のうちに歩むようにとイエス様は言われています。光のあるうちに光の中を歩もう。

 

1テサロニケ5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。


イエスの教え 怒りを発することについて

2021-10-08 | マタイの福音書

マタイ5章21~26節を、まずざっくり書かれていることを確認しました。同じ言葉が何度も出て来ることに注意する必要がある。

5:21

あなたがたは、モーセ以来の伝統的解釈としてこのようなことが言われたのを言い伝えとして聞いた来ました。「厳しく命令します。人を殺してはならない。もし人を殺したら誰でも、(23人からなる)地方裁判所での裁きの罰を受けなくてはならないのです。

5:22

でしかし、今私自身はあなたがたにこう言います。その兄弟、隣人、同胞に、怒りを発している人はすべて、(地方裁判所での裁きの罪というよりも)神の裁きの罰を受けなくてはならないのです。
それで、だれでも、その人の兄弟、隣人、同胞に向かって、能なし、知的欠陥者、ちぇっ、くそっ!という者は最高議会、サンヘドリン(イエスが最後に受けた)での裁きの罪を受けなくてはならないのです。でまた、誰でも(その人の兄弟、隣人、同法に向かって)バカ、道徳的欠陥者、反逆児と言う者は火の(性質の)ゲヘナ、ゴミ捨て場、ヒノムの谷、地獄の中に(投げ込まれます)

5:23

ですから、もし、あなたがたがエルサレム神殿の全焼のいけにえの祭壇の上に、神との和解をあらわす供え物をささげようとしていて、しかもそこで、あなたの兄弟、隣人、同胞が何かあなたに敵対して恨み、不平、不満を持っていることを思い起こさせられることがあったら

5:24

4つの命令をします。神との和解をあらわす供え物をエルサレム神殿の全焼のいけにえの祭壇の目の前にもそこにそのまま置き去りにしなさい。アオ
そして、まず最初に、戻って去って行きなさい。現
あなたの兄弟、隣人、同胞と和解をしなさい。関係をはっきり変えなさい。アオ
そして、その次に、やって来て、あなたの神との和解をあらわす供え物を好きなだけささげなさい。現

5:25

誰でも、あなたを訴えている敵対者に善意を示し問題を解決して仲良しになるようにと動作を開始しなさい。それも速やかに。彼とともに行く道の途中の中にいる間に。
このようになることを危惧してこうならないように、あなたを訴えている敵対者が、あなたを地方裁判所に引き渡して、さらにその結果その地方裁判官が部下の執行人に(引き渡して)そして、牢獄の中に投げ込まれることになることにならないように。

5:26

まことにわたしはあなたに告げます。あなたはそこから牢獄から決して出て来ることはありません。
最後の1コドラント最小限のローマの貨幣を支払う返済する賠償するまでは。


ガリラヤ湖の大暴風

2021-07-04 | マタイの福音書

弟子たちは、イエスと舟に乗り込んで大暴風にみまわれた。

イエスに付き従い始めている教会にも、地震コロナは起こるが、おびえて臆病になっていてはいけない。

天地創造主であり全地全能の神がともにいる。死にそうだと思っても、まだ死んでいなくて生きている。人間はそう簡単に死ねるものではない。神の召しがない限り。


イエスはすぐ前に、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と言われたのに、上に下に揺れ動く舟の中で枕して寝ておられた。私たちも不必要にバタバタ動き回らず、平常心で寝起きしていて良い。

弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
助けてください・・救ってください・・主は救い主です
おぼれそうです・・滅びそうです・・・主を信じ信頼するものは滅びません
主は、永遠の滅びから救い出して、永遠のいのちに入れてくださるお方。その方が同じ舟におられるのですから、平安でいられるはずです。


「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」としかられた。
こわがる者・・・おくびょう者/小胆・・黙示録21:8で滅ぶ者のトリスにはいっている。
信仰の薄い者・・信仰不足/わずかの信仰・・黙示録21:8では信仰のない者不信仰者が滅ぶ者のリストに入っている。ここではわずかではあるが信仰があることが認められている。

コロンだ。対面で礼拝できない。右往左往している間に、信仰を失ってはいけない。風や湖まで言うことをきかせる力のあるイエスを見失ってはいけない。わずかであっても信仰を持ち続けなくてはならない。

おくびょうで小心者、小胆者になるのではなく、大胆にイエス様に近づき祈りの声を上げよう。
コロナだからと大きな伝道集会を控えているが、伝道しよう宣教しようという熱心まで失ってはならない。コロナの収束の時にはリバイバルが起こることを祈り求めます