ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

忙し過ぎて、聖書が読めない友に

2021-08-13 | 通読・出エジプト記

遠隔地に引っ越して数年がたった姉妹が電話で言われた。

夏休みで子供達が家にいて、いつもバタバタしていて、疲れている。パートの仕事も忙しい。落ち着かなくて、全然聖書を読んだり祈ったりする時間が取れない。せめて3分でも5分でも静まる時が持てるようにならないといけないのだけど、なかなか聖書が開けない。


祈っても、いつまでたっても神様は聞いてくれないので、がっかりして祈るのもやめてしまおうと思う。どうやったら神様の御声を聞こえるようになるのだろう。わからない・・・・・と言われた。

そして、彼女の教会の礼拝の時に聞いたみことばから、自分はイスラエルと同じだと言われた。
出エジプト記
 6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは【主】である。」
 6:9 モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった

●主が約束してくださっているみことばをちゃんと聞いていたら、信頼したら、落胆しなくてもよいはずで、かえって喜び希望が持てることでしょう。

●激しい労役については、出エジプト記5:9でパロがこう言っている
出エジプト記 5:9 あの者たちの労役を重くし、その仕事をさせなければならない。偽りのことばにかかわりを持たせてはいけない。


彼女が、みことばに聞く時間も持てない程に慌ただしい生活をしている背景には、サタンが、神のことばを偽りだと思わせて、かかわりを持たせないようにしようと働いている力があることを見抜かなくてはならない。

そして、イエス・キリストの御名によって祈って、悪しき働きを追い出し、霊的に勝利して、そのうえでみことばに向き合えば、よく読むことができることだろうと思います。           

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通読、次はどこを??

2020-02-08 | 通読・出エジプト記
去年12月から創世記、出エジプト記の通読をしました。
2カ月近くかかったことになりました。
不十分だから、もう一度読みたいという思いもあります。
ブログに書き残したのが、数えてみたら22回もあって、
自分では忘れていますが、神様はその日、その日に導きを与えてくださっていたことを振り返ることができて感謝です

出エジプト記40章の最後を読んで、旧約の時代の栄光と、新約聖書の時代の栄光とを比べてみました。

共通して 神は人に栄光を現わす
違うのは モーセには幕屋に。私達には一人一人の心の内に、また教会に

共通して 旅立つときは、主のしるしを確認したとき
違うのは モーセは雲が幕屋から上がったのを見て、私達はイエス・キリストの霊・聖霊の導きを聞いて

共通して 導きは昼も夜も
違うのは モーセは昼は主の雲、夜は雲の中の火。私達は三位一体の神が指し示しておられる。

そして、次の私の通読の旅路はどこに向かうのか・・・・・・
レビ記のつもりでいたのですが、変更して黙示録をすることにしました
押し入れや、ベッドの下を片付けて、むかーーーしの連続公開説教のノートを捜すことから始めよう

どうして黙示録なのか。それは
先日、遠隔地の姉妹が、お母様をイエス様を受け入れる祈りに導き、牧師と相談をして、自らの手を洗礼を授け、そして平安に召されたことから、死後のことをみことばから確信を得たいと思ったからです


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創世記・出エジプト記 まとめ

2020-02-08 | 通読・出エジプト記
神へのささげ物 創世記4章                     2019/12/16 
創世記5章 エノクと私の夫                                                                2019/12/16 
創世記6章 初めてノアに契約                                                           2019/12/16 
創世記9章 契約と契約のしるし と のろい                                    2019/12/18 
創世記10章 セム・ハム・ヤペテの系図は ?                                        2019/12/18 
創世記11章 全地に散らされた人々                                                  2019/12/19 
創世記12章 どこに行くのか知らないで                                            2019/12/20 
創世記13章 左右・東西南北・縦横                                                    2019/12/21 
創世記14章 いと高き神                                                                   2019/12/27 
創世記15章 旧約最初の「恐れるな」と「主よ」                                   2019/12/28 
創世記16章 ハガル。どこから来て、どこに                                        2019/12/28 
創世記44章 ユダの身代わりの申し出                                              2020/01/06 
出エジプト記 エクソドス                                                               2020/01/13 
出エジプト記 2章 幼少期の教育の重要性                                     2020/01/13 
出エジプト記 2章の改訂版                                                              2020/01/13 
出エジプト記3章 何度も尋ねるモーセ                                              2020/01/15 
出エジプト7-10章 エジプトの災難の中でのモーセの成長              2020/01/21
出エジプト18章 モーセのマネジメントは上意下達?                        2020/01/26 
出エジプト18章 リーダーのイノベーション その2          2020/01/27
出エジプト24章32章 モーセのマネジメントは             2020/01/30 
出エジプト26章手打ちうどんパーティーでの奉仕依頼に        2020/02/01 
出エジプト32章 従者ヨシュアの弟子訓練            2020/02/04  

 
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従者ヨシュアの弟子訓練

2020-02-04 | 通読・出エジプト記
出エジプト記24章で、ヨシュアのことを「従者」と呼んでいるのが気になっていた。
山に登るのに、モーセ、ヨシュア、そしてアロンと息子たち、千人の長、百人の長たちはどうしたのだろう・・1月30日「モーセのマネジメント」

32章17節で、「従者」の意味が読めた。
モーセが山で40日40夜神様と話している間、ヨシュアはモーセの言いつけを忠実に守って、山の中腹にとどまっていた。
ヨシュアは、山上の様子は見えず、いつまで待つのはもわからず、一方、山すその民叫ぶ声を聞いて、いくさの声だと思った。アマレク人か誰かと戦っているのかと気が気ではなかっただろう。自分も行って戦うべきかと、その情勢を心配をしながらも、一人でそこにいた。


下って来たモーセは戦いの声ではなく「歌を歌う声である」と言った。モーセはヨシュアよりもはっきりと声の意味が理解できて、ヨシュアの聞き違いを指摘した。
知恵という意味では、ヨシュアはまだ未熟だったと言える。


人の騒ぎを聞き分けることの知恵よりも、神のみこころを聞いて従う従順を選ぶ人が、将来のリーダーに成長していく。そのことをモーセはわかっていて、ヨシュアをリーダー訓練していたのだろうと思われる。
神と人との間に立つ人。リーダーと民との間に立つ人には、不安や苦しさの中でも、そこにとどまって神の時を待つという忠実性が重要なのだと学んだ。


一方、モーセ自身も神からの訓練を受けている。
教会でもどこでも、リーダーは自ら訓練を受けながら、次世代のリーダー訓練をしていると言える


「従者」という言葉を出エジプト記の中で検索したら次の33章に出てきた。
民はみな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見て、その場を離れて自分の天幕の入口で伏し拝んでいたが、ヨシュアだけは違った。幕屋を離れないでいた。
忠実であり、勇敢な若者だ。
33:11 主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。





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手打ちうどんパーティーでの奉仕依頼に

2020-02-01 | 通読・出エジプト記
今日の午後、を教会の中高生が学校の友達を何人か招いて、手打ちうどん作って食べて、その後、メッセージを聞くイベントが企画されています。

一昨日、私に台所にいて、サーブや片付けを手伝って欲しいとの依頼を副牧師から受け、快諾しました。四国出身のご夫婦が材料を準備し、教えてくださいますから、私はただ、その場にいれば良いのか・・・・と、軽く考えていたことを、聖書通読から、悔い改めました。

出エジプト記26章には、あかしの箱とあがないの蓋を、至聖所に運び入れる幕屋の構造が書かれていた。神様に祈る至聖所に至るまでには、聖所との間の垂れ幕を通っていかなくてはならず、それは大祭司が年に一度だけ入ることができた。そこに至るまでには、その前に祭壇にいけにえをささげなくてはならなかった。

イエス・キリストが十字架について、私達の身代わりのいけにえとなってくださったので、もう動物犠牲は必要がなくなった。イエスが死なれた時には、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地震が起こって岩が裂けた。

それで、今は万人祭司と言われるように、ただイエス・キリストを救い主、主と信じる信仰によって、主の前に出て、とりなしの祈りをすることがゆるされている。

そこで、副牧師は準備などで忙しいことと思い、中高生の教会学校の先生をしている姉妹に尋ねた。現在、教会の外からは3人の参加予定。

★英会話の生徒さんの中学生の女の子が友達を連れて出席。どんな子かな?
★教会の中学生の女の子の友達。礼拝や教会学校に時々出席している落ち着いた可愛い子。

この三人の子どもと、友達を誘ったクリスチャンホームの子の四人のために祈り、
その他の出席するかと思われる子供のために、その名前等を名簿で確認しながら祈り、
それから、お手伝いに教会に行くことにする。通読により、寝ぼけていた私は、まるで揺り動かされたような気分。とりなしの祈りによって、自分自身の姿勢も正される




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