ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

教会生活が混乱している母と子が礼拝に来られて

2022-09-26 | 旧約聖書

昨日は、礼拝の後、6歳の保育園の面倒をすることになりました。

 

諸事情があって、2年程前から、新幹線で何回か、子供をつれて礼拝に来るママがいて、
礼拝後の分かち合いでは、私のグループに入っていただいて、4人で、挨拶と互いに自己紹介をしました。

 

その後、入門クラスに移動されましたが、その間、子供については一言も話しをされませんでした。
子供は教会内を走り回っているのを見かけたので、呼んで、隣に座らせてお茶を飲ませて、話をしました。
受け答えがしっかりしていて、言いたいことをはっきり目を見て言える賢い子だと思いました。

 

お茶がもっと飲みたいというので、キッチンに連れて行った。
そして、ここはオフィスだから、用がないのに入ってはいけない。
ここから先は、小学校に行っていない子供は、ママか誰か大人と一緒でないと入ってはいけない。
などの約束事を、手をつかんだまま、教えた。

 

どうして、そういう事が決まっているのかも説明したら納得して、大人しくキッズルームに行ったので
私もついて行って、ママの入門クラスが終わるまで、一緒にブロックをして遊んだ。
キッズルームには、子供やママたちが何人か残って居ましたが、だんだんに帰って行ってしまって
最後は私と坊やの二人になって、楽しく遊んでいました。

 

キッズルームには、スタッフがいますが、礼拝が終われば責任は終わりです。
誰もこの子供の世話を頼まれていない様子だったので、私が面倒を見ると覚悟した。
入門クラスから出て来たママに子供を引き渡して、私の奉仕は終了ということにしました。

 

その後、ミーティングを終えて帰ろうと玄関に行くと、まだその親子は副牧師と立ち話を続けていました。
よほど聞いてもらいたい話があるのでしょう。

彼女は、せっかく救われて受洗したのに、教会生活が恵まれていない様子です。
ご主人は海外に単身赴任。超高学歴の綺麗な婦人ですが信仰生活が混乱している様子でした。

 

主日礼拝で語られたことばを思い起こす、私にとっては訓練の時でした。
そのママは私達の教会の遠隔地会員でもなく、客員でもない方ですが、主イエス・キリストを信じるクリスチャンです。


Ⅰコリ
 12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
 12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
 12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです

 

 

 

 

 

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復活により神の御子と示された主

2022-09-24 | 旧約聖書

ローマ人への手紙1章
2 この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
3御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
4聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示さ れた方、私たちの主イエス・キリストです。

・・・・・・・・・・・・・

神が、預言者を遣わして、聖書を与えて、救いの約束を与えた。
救い主を与えると前もって約束されていた。

その預言されていた救い主は、イエス・キリスト。神の子。神と同じ本性をお持ちの方。
私たちは、神の御子である救い主、イエス・キリストを主として
創造主である神に従うのと同じにように、主イエス・キリストに聞き従い服従します。

 

「預言とその成就」の最高のみわざは、復活です。
復活にこそ、全能の神の力があらわされています。
人間にはとうてい理解することができないけれど、実際に起こった偉大なみわざです。
イエス・キリストを信じる最大の理由は、イエスが死より甦らされたという事実があることです。
そして、今、天で生きていて、聖霊を与えて導いておられます。
偉大な神のみわざの中に私が生かされたいることに、感動します

 

 

9月24日土曜日
朝 さぬきうどん・トマト・ブロッコリー・ゆで卵・きゅうり・わかめ・煎り胡麻   ///ローマ書
昼 豚まん・ブロッコリー・わかめのスープ・小さな和菓子  ///第一テサロニケ1:2.3
間食 来客あり、バウムクーヘン・クッキー等
夜 白身魚のあんかけ・野菜の煮物・さぬきうどん・ゆで卵  ///オリジナル讃美

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2022-09-23 | 日ごとの生活

最近救われて、受洗までした男性が、受洗後2~3回は教会で会ったけど
それからは、姿を見かけません。

大学生の頃にイエス・キリストに出会ったけど、受洗にまで至らず、教会から離れた経験があり
今回、定年退職された後、もう一度、しっかり知りたいと来られた方です。
教会に来られない理由は、奥様が教会生活に反対されているから、家を出て来られないとのこと。


このことから、私自身の信仰を振り返りました。
私が主の御前に立つことを妨げているものは何だろうかと。

 

昨日から今朝にかけて、ほんの少しですが、頭がフラフラしています。
これまでの経験から、これはストレスが溜まっているサインです。
振り返ると、信徒メッセージ、遠隔地会員の三泊四日の教会滞在の受け入れ準備など
その他の事も、案外ストレスだつたのかな

 

体調に問題が出る程のストレスに感じさせたそもそもの原因は何なんか。
神様に聞き、委ね、任せないで、何とか、自分の知恵と力で何とか、問題のないようにして行こうという
自己中心だったと思いました。
万事を益としてくださる主に今一度信頼して、落ち着いて、今日も用いられるように仕えましょう、

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