ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

イエスが憤った

2022-12-15 | マルコのふくいんしょ

マルコの福音書10章13-16節

 10:13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。

直前の、9章35節で、「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」と語り続けて
 9:36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
 9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
と聞いたばかりだったのに、弟子たちはまだよくわかっていなくて、だれが一番偉いのかと考えていた。弟子たちは何度も繰り返し聞いても、なかなか本当に理解できない、心が変わらないままです。


 10:14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
イエス様が憤った。新約聖書の他の個所では、腹を立てた、憤慨して、とか訳されている。主語がイエス様という個所はここだけです。イエス様が腹を立てるのは珍しいのではないかしら。

エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません

ニュースを見ていて憤りを感じずにいられない場合、怒ることは罪ではない。怒りの感情を全部否定するものではない。しかし、怒りに身を任せると、とんでもない失敗をすることがある。注意するべきです。遠くの話に腹を立てるだけでなく、家族に、また教会の中で腹が立つ時があるが、それには相当気をつけて、自分の感情を治めなくてはならない。
マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。



 10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
幼いとか子供っぽいというのではなく、神様に対して、素直な心で受け入れる。単純に信頼する。ギブ&テイクで計算などしない。神様を全面的に善いお父さまと思う。

 10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
小さい時は教会に来ていたのに、中高生になって離れてしまっている子供たちがたくさんいます。イエス様がどれほど子供達を愛しているのかを考えて、私は、教会学校の教師だけに任せないで、子供達の成長にもっと関心を持って、一人一人を祝福しよう。教会を去った子供達に腹立たしい思いを隠し持っていたことを悔い改めて、イエス様の元に帰って来るように祈ろう。

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離婚に関する教え

2022-12-15 | マルコのふくいんしょ

 10:1 イエスは、そこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた。すると、群衆がまたもみもとに集まって来たので、またいつものように彼らを教えられた。
ヨルダン川の東側はベレヤ ヘロデアンティパスの領土

 10:2 すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである
ヘロデアンティパスがバプテスマのヨハネを殺したように、イエスをも殺されると考えた。

 10:3 イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」
この時はまだイエスは十字架にかかっていなくて、律法の時代です。

 10:4 彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」
申命記24章1-2節何か恥ずべきことをみつけたために気にいならくなったとき、拡大解釈をしていた。

 10:5 イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。
神の消極的なみこころです。そんなに言うならやってごらん。例、異邦の国のように王を与えた。

 10:6 しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。
重要ポイントです。 10:7 それゆえ、人はその父と母を離れ、
 10:8 ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。
創世記2章24節、そのまま語られた

 10:9 こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
マタイ19:6. エペソ5:28-31 現在も有効な結婚の原則です。元々の神のみこころです。
10:10 家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。

10:11 そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。
10:12 妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。」
平行個所マタイ
 19:9 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」離婚できる唯一の理由は不倫です
 19:10 弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」理解できない弟子達です。
 19:11 しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。
 19:12 というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。①結婚できない状態で生まれて来た人 また、人から独身者にさせられた者もいます。②当時、去勢された宦官がいた また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。③神の働きに専念しようとする人。独身の賜物のある人。 それができる者はそれを受け入れなさい。」
神は本来離婚することは想定していない。一体となったひとりの人を引き離すことは傷となり痛みがある。




イエス様は、私の祈り求めることが神のみこころにかなっていない、あるいはズレている部分があっても、あくまでも、かたくなに祈り求め続けるなら、「それでは好きにやってみてごらんなさい」と消極的に許すことがある。

だから、思い通りになるからと、自分のやり方を押し通し続けるなら、いつか、どこかで、矛盾が出てきたり、問題が起こって、神様は私の自己中心な考え方を修正しなくてはならない時を与える。

物事がうまく行かないと感じた場合は、果たしてそのことは、初めから神のみこころであったのかを、祈って悔い改めて、改善、改良していく恵みの時となる。

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主の備えがあるから私は備える

2021-06-06 | マルコのふくいんしょ

今週は、教会の奉仕当番になっていた。掃除して礼拝仕様に各部屋を私は備えた。

今週は、聖餐式がある。罪を告白して聖餐式にふさわしい者となって聖餐式にあずかろうと、前日または当日の朝に、前もって祈って、私は備えるようにしている。

今週の説教は、マルコ1章2--8節。原語をいくつか辞書で調べて主日説教に私は備えた

 


 1:3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、 1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。

3節の「用意しなさい」は、聖書の他の場所では、主語が神、主、イエスである個所があった。

御救いは、主が万民の前に備えられたものです(ルカ2:31)
イエス様は天に私達救われた者のために場所・都を備えてくださっています。(ヨハネ14:2)(へブル11:16)

私は、礼拝の前には、あれもこれもやっておかなくてはならないと、律法的で形式的であったこと悔い改めました。自己満足を求めていました。


主が天地の創造の時から、生まれる前から、救いの道を備えていてくださり、主が私達が最終的に入れていただく場所も備えて下さっている。
自分が何をするべきかということよりも、まず、神の救いの備えが恵みによって与えられていることを、喜び感謝します。

私自身が、考える順番を見失っていたことに気づきしました

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