マルコの福音書10章13-16節
10:13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
直前の、9章35節で、「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」と語り続けて
9:36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
と聞いたばかりだったのに、弟子たちはまだよくわかっていなくて、だれが一番偉いのかと考えていた。弟子たちは何度も繰り返し聞いても、なかなか本当に理解できない、心が変わらないままです。
10:14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
イエス様が憤った。新約聖書の他の個所では、腹を立てた、憤慨して、とか訳されている。主語がイエス様という個所はここだけです。イエス様が腹を立てるのは珍しいのではないかしら。
エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
ニュースを見ていて憤りを感じずにいられない場合、怒ることは罪ではない。怒りの感情を全部否定するものではない。しかし、怒りに身を任せると、とんでもない失敗をすることがある。注意するべきです。遠くの話に腹を立てるだけでなく、家族に、また教会の中で腹が立つ時があるが、それには相当気をつけて、自分の感情を治めなくてはならない。
マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
幼いとか子供っぽいというのではなく、神様に対して、素直な心で受け入れる。単純に信頼する。ギブ&テイクで計算などしない。神様を全面的に善いお父さまと思う。
10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
小さい時は教会に来ていたのに、中高生になって離れてしまっている子供たちがたくさんいます。イエス様がどれほど子供達を愛しているのかを考えて、私は、教会学校の教師だけに任せないで、子供達の成長にもっと関心を持って、一人一人を祝福しよう。教会を去った子供達に腹立たしい思いを隠し持っていたことを悔い改めて、イエス様の元に帰って来るように祈ろう。