教会の姉妹が属しているゴスペルを歌う会のコンサートがあって、スカーフマスク、手袋、眼鏡、帽子の完全防備で、行ってきました。
歌声、音楽として楽しめましたが、歌詞は英語で意味がよくわからなかった。
リーダーがクリスチャンではないので、マイクを持って話をすると、その内容がズレているのは、悲しいが日本ではこういうのが一般的なので仕方がない。
それでも、クリスマスにサンタクロースなどを話題にしないで、イエス・キリストのご降誕について話がなされたことは、感謝なことだと思うことにしました。モーセによる出エジプトの話も、面白がっているような口調ではあったが、話がなされました。申命記という言葉も出て来ました。
帰りの電車の中で、この聖句はどこだったかな、キリストが正しく宣べ伝えられていたわけではないけれどな・・・・と思っていました。
ピリピ人への手紙
1:17 他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。
1:18 すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
神も、キリストも、救いも、福音の意味も知らないにも関わらず、あんなにも熱心に、絶叫するように神をほめたたえている姿を見て、
神の支配の中で、イエス・キリストを贖い主とし、聖霊がうちに住んでいて下さっている私自身の讃美の姿勢が、彼らに比べてお粗末?だなと思いました。
私は、日常生活の中で、一人で讃美することが少なく、歌詞に気を取られていて歌っても声が小さいことを悔い改める機会が与えられて感謝しました。
教会で、礼拝で、兄弟姉妹とともに大声で讃美できることがとても貴重な時間だと再確認。
また、同じ2時間だったら、歌を聞くよりも説教を聴く方がはるかに価値があると私は思うということも、再確認しました。
明日、礼拝に行くのが楽しみです。分散礼拝なので、明日は会堂には入れないけれど、大型テレビの同時配信の画像を見ながら、ともに礼拝ができるので、幸いです。
万が一、体調が悪くなったら、教会に行かずに、同時配信を見て家庭礼拝をします。讃美は一緒に大きな声で歌います。
独り暮らしなのだから、誰にも遠慮することなく、大声で讃美できます。
教会の彼女は一番後ろの高いところに立って歌っていました。一番輝いて見えました。受洗して2年程の彼女は、これからゴスペルのメンバーに伝道するようになることでしょう。期待して応援して祈ります。
Now behold the Lamb
Grateful
There remaineth a Rest
We’re Blessed
I hear the sound of victory
Give me more of you
Lean on me
See the light
Joy to the world
Lord you are good
You’re all I need
Total Praise