若い姉妹が、1ー2カ月前に、こう言った。
岩に向かって命じるだけで良いのに、二回叩いたからと、カナんの地に入れずに死ぬようになさった神は厳し過ぎて、理解できない。やっぱり裁く神様は怖いお方だと言われたことが、気になっていた。
「祈り願っても思い通りに物事が進まない、神様は祈りを聞いてくれていない」というつぶやきの多い姉妹です。
彼女に、神様が、恵み豊かな方であることを深く知る体験を積み重ねて、日々喜び感謝する信仰生活を送ってもらいたいと願います。
モーセはすばらしく大きな働きをした人だった。その分、責任も大きかったと言える。多く与えられた者であり、多く任された者だったと言えます。
ルカ 12:48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。
★これまで戦う経験をしたことのなかった二世の若い人たちが、神の力強い御手によって、ヘシュボンの王シホンとパシャの王オグに対して勝利する戦いを一緒に見ることができた。
★自分は約束の地に入れないが、ヨルダン川の西側での勝利を見たことで、これからのイスラエルの民が、ヨルダン川を渡ってカナンの地に入って戦い勝利していくこができると確信が与えられた。
★リーダーをヨシュアに移すことで、若いリーダーシップと新しい組織力が形成されていくことになった。
★しかし、やっぱりモーセはそれまでの人生を振り返ると、寂しい部分もあっただろう。もはや若い頃からのモーセを知る人はすでに絶えている。体力も気力も残っていたとはいえ120歳。最前線のリーダーをとりなして祈る信仰の友もいない。
◎私の教会の牧師も、教会を何十年もリードして、信徒教育、弟子訓練を積み重ね、副牧師を生み出し、牧師訓練をしつつ、権限を委譲して行っている。
牧会の最前線に立ちつつ、これからの教会の成長を祈り続けておられる牧師のために、とりなしの祈りをすることを忘れてはならない。