ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

ひとりの御子をたまいしほどに

2021-09-27 | 讃美

 

ひとりの御子を  賜いしほどに
  神は世人を  いつくしみ給う
  かかる恵みの  父をも知らで
  長く闇路に我は  迷えり

‘For God so loved the world
that He gave His only Son
Without knowledge of the gracious Father
We wandered in a long, dark rood


罪多きところ  恵みも勝る
  主はさまよえる  我があと訪ね
  「帰れ我が子よ  帰れ我が子」と
  愛の御手もて  招き給えり

Where sin looms, grace is greater 
The Lord follows after us wandering lambs 
Come home My child, come home,
Our Lord beckons with loving hands 
危険・心配などが気味悪く迫る  手招きする

悔る心を  父はあわれみ
  走り迎えて  我をば抱き
  御子みこの血潮ちしおに  罪の汚れを
  洗いきよめて  救い給えり

He had mercy on our contrite hearts 
and came running to embrace us 
We are saved by the Blood of the Son
it cleanses us of sin
罪を深く悔いている    抱擁する

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神に従いなさい へりくだりさない

2021-09-27 | ヤコブの手紙

神はみことばを通してたくさんの命令をなさっているが
今日は受動態の命令形について、考えました。

神は、高ぶる者を避け、へりぐたる者に恵みをお授けになる。ですから神に従いなさい

この従いなさいが受動態でした。神の権威と力をもってすべてを支配しておられることを認めて、その下に身を委ねます。神の恵みの中を喜び感謝しています。
自分はやがて消える霧のような存在であるのにもかかわらず、何かをなすことができる者かのような思い違いをして高ぶった思いでいたことを悔い改めます。

神のみことばにより、取り扱われて、謙遜になって神の前に出て、神に受動態で従います。神の側に立たせていただくことによって、サタン、悪霊からの誘惑、惑わしを追い出して、勝利することができます。

 

主の前でへりくださりなさいとも命令しておられます。これも受動態の命令形です。

神は、神の存在を知った人を謙遜にさせます。神は、人をへり下らせる力、権威をお持ちです。

その神に聞き従うことによって、謙遜にさせられ、へり下るようにさせられるようにと言われています。

 

今日、インヌマヌエル、ともにしてくださる主に、従い、へりくだって、恵みの一日を過ごすことができますように。そうすればと続く約束に信頼いたします

ヤコブ
4:6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
 4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。

 

 

 

 

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キリストには かえられません

2021-09-23 | 旧約聖書


キリストには代えられません 世の宝ももた富も

このお方が私に代わって死んだゆえです

世の楽しみよ去れ 世の誉れよ行け

キリストには代えられません 世の何ものも

 

キリストには代えられません 有名な人になることも

人の褒める言葉も この心を引きません

世の楽しみよ去れ 世の誉れよ行け

キリストには代えられません 世の何ものも

 

キリストには代えられません いかに美しいものも

このお方で心の満たされてある今は

世の楽しみよ去れ 世の誉れよ行け

キリストには代えられません 世の何ものも

 

キリストには かえられません / I'd rather have Jesus (Japanese)

 

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君はわれの幻 Be Thou my Vision  

2021-09-21 | 讃美
BE THOU MY VISION -- My Favorite Irish Hymn! :)

 

君は我の幻 たれも他に持つべき
昼夜もわが身の 仰ぎ見るはただ君

み言葉なるキリスト 我と共にますとは
血を分けたる親子も 及ばざるつなぎなり

宝も名も 望まじ 君を宿しまつれば
いとも高き王なる 君ぞ我の富なる

君は我の幻 いかなることありとも
のぼらしめよわが身を いよよ高き空へと


Be Thou my Vision O Lord of my heart
Naught be all else to me  save that Thou art    
Thou my best Thought by day or by night
Waking or sleeping Thy presence my light

Be Thou my Wisdom and Thou my true Word
I ever with Thee and Thou with me, Lord
Thou my great Father I Thy true son
Thou in me dwelling and I with Thee one

Riches I heed not  nor man’s empty praise
Thou mine Inheritance now and always
Thou and Thou only first in my heart
High King of Heaven my Treasure Thou art 

High King of Heaven my victory won
May I reach Heaven’s joys O bright Heav’n’s Sun
Heart of my own heart whate’er befall     
Still be my Vision  O Ruler of all           

artの意味を調べたら《古語・詩》 be の主語が2人称・単数 thou の時の直説法現在形とありました。

そうです。主は目には見えませんが、実際に存在しておられるお方です。聖霊が私に内住しておられて、みことばから一歩一歩を導いてくださっています。

そのみことばの約束は必ずそのとおりに成ります。幻と訳されていますが、私のVisionは、ふわふわ夢のようなものではなく、はっきり主の約束に裏打ちされた確かなものです。

ですから、どんな試練の中に置かれても、私の主への信頼は揺らぐこととなく、喜びと讃美、感謝の中を歩み続けることができます。


エペソ人への手紙
1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
 1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
 1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

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英語の歌詞と、イザヤ書と

2021-09-18 | 旧約聖書

9月12日の礼拝の時、「栄えの冠を ささげまつらん かつてはいばらを かむりし主に」
を讃美しているとき、何気なく気になって、下の英語の歌詞に目をやりました。

すると、lipe fire  という単語が見えて、意味がわからなくて、気になっていました。

 

ところが、今日、イザヤ書6章を読んで、イザヤ書のこのみことばから歌詞が書かれているのかと、思いました。


6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の【主】である王を、この目で見たのだから。」
 6:6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
 6:7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」

燃えさかる炭とは、祭壇にささげられたいけにえが焼かれてできる「炭火」。身代わりとなる神の子羊であるキリストを啓示すると注解書にありました。


イザヤは主の座の上に「セラフィム」を見て、「聖なる、聖なる、聖なる」というセラフィムの讃美を聞くという特別に体験をして、主の前での自分の罪深さを認めたのでしょう。しかし、燃えさかる火がくちびるに触れたので、罪が贖われ赦されました。

1番

King of my life, I crown Thee now,
  Thine shall the glory be;
Lest I forget Thy thorn-crowned brow,
  Lead me to Calvary

Lest I forget Gethsemane;
Lest I forget Thine agony;
Lest I forget Thy love for me,
  Lead me to Calvary

5番

Fill me, O Lord, with Thy desire
  For all that know not Thee;
Then touch my lips with holy fire,
  To speak of Calvary.

イザヤ6章8節では、「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と、自ら進んで預言者としての働きへの再献身の意志を告げました。
人々に喜んで受け入れられるメッセージを語るのではなく、反対に、聞く人の心をさらに頑なにするメッセージを語ることになるので、預言者の働きは決して楽なものではない。しかし、神は人々に嫌われたり迫害されても、忠実に語り続ける預言者を求めていたのでした。

讃美の歌詞と、イザヤ書の通読から、私自身にも、チャレンジが与えられました。

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