見えなかった時の盲人の気持ちは、
座り込んでいる。人に頼っている。自分の人生をあきらていた
見えるように盲人の気持ちは、
自分で立ち上がる気分。もっと見たいと思う。可能性まで見えてきた
私が見えてしないなと思うものは、
過去・現在・未来のほとんどのもの。人の思い・自分の思い。離れた場所のこと。政治・経済
今、私にとって、イエスを見とはどういうことか。
自分の弱さ・間違いを素直に認めること 他人を責めるよりも認めようとすること
私が、イエスは神の子・救い主と見えるようになったのは、いつからだったか
受洗後、奇蹟的に問題が次々と解決した時。どうしようもない自分の愚かさに気付いた時
霊の目が開かれて来た最近の体験
ものすごく長い期間を暗く重い苦しみの中でもがいて来られた80歳の女性が、最近牧師に導かれて、イエス様を受け入れるお祈りをされた。そこに立ち会っていた姉妹は、長年、福祉関係の仕事をしていた人で、彼女の話をよくよく聞いて、忍耐強く伝道をして来られた人です。
私は、彼女の伝道報告をこれまで冷やかやな目が見ていたが、疲れた女性が前進している話を聞いて、私の霊の目が開かれたと思えます。
イエス様は、すべての人が霊的に救われて、実生活においても救われて、神の支配の中で平安に生活することを願っておられるのです。私には想像することなら困難な問題も、全知全能の神にとっては解決のできない問題ではないと、分かったのでした
私も霊の目が見えるように、私にできることは何でしょうか
今日は、ゴスペルワークショップを開催。参加者の申し込みはまだありません。
祈って出かけます。神が導き連れて来られた方の話をよく聞きます。
同時に、臨在する聖霊の御声に耳をかたむけながら、対応して、来られた方の持っておられる問題・苦しみが理解できるように祈ります
このようにして、神から与えられる霊のレッスンを一回一回、謙遜な姿勢で忠実に熱心に体験し続けます。