ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

喜びのいけにえをささげよう

2024-12-02 | 旧約聖書

詩篇27:8 私は、その幕屋で、「喜びのいけにえ」をささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう

ヘブル 13:15 ですから、私たちはキリストを通して、「賛美のいけにえ」、すなわち御名をたたえる「くちびるの果実」を、神に絶えずささげようではありませんか。

 

待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。
私は恐れない。こわがらない。動じない。

私は願った。私は求めている。いのちの日の限り、主に家に住むことを。
主をもっと深く知りたいと求めるなら、主は必ず応じてくださると確信します。

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夫が召された日の日記 その1

2024-11-08 | 旧約聖書

 

10年前の、夫のこの世での最後の日、7月31日はとても不思議に何もかもが行き届いてピタッピタッと神様に導かれる一日でした。

夜ずっと讃美を続けた後、ふとまどろんで、二人して目が覚めた朝、少し苦しそうな様子だったので訪問看護師にメールをしたところ、すぐに来てくださった。

そうそれだけで夫は「安心だ」と言って笑顔を見せました。

 

午前中には、孫が聖書を朗読をし、次に娘も読んで、みんなで讃美をしました。
その間、苦しそうな表情は見せず、落ち着いていました。

前日の夕方にも替えを見に来てくださったケアーマネージャーさんが、この日は小学生の娘さんも連れて来てくれて、夫は笑顔でお別れをしました。
このケアマネの子どもさんは、なぜか夫が好きで、家で家族ごっこをする時、お父さん役は私の夫、お母さん役は私として、遊んでいるのだと教えてくれました。ふふふっ、どんな様子でしょう。

 

呼吸を苦しくなりドクターを読んだ所、病院へ出勤する車中だったのですが、一時間後には家に来てくださいました。
痛み止めの薬の中でも最強のものを点滴しましたから、(夫は残宅医療ではそれまで注射も点滴もしていませんでした)、そのまま意識を失ってしまうのではないかと思ったのでした。

つづく

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シューマンの歌は、聖書にある花の名前から

2024-10-11 | 旧約聖書

   (写真は借り物)

10月10日木曜日21時からのEテレのクラシックTVで
シューマンが結婚式の前夜に妻クララに送ったという「ミルテの花」という歌曲が歌われていた。
画面には白い花が挿してあるのが見えました。

もしかしたら、聖書に出て来る「ミルトス」のことかなと、調べてみたら大正解。
田舎で花が咲いているのを見たことがあります。
街の植物園の野草園のところでは、名札だけ見たけど、花が咲いているのは見たことがありません。
日本での名前は銀梅花ギンバイカ。

ミルトスは常緑低木。旧約聖書には6回登場する。
イザ 55:13 いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは【主】の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」

初めてギンバイカ・ミルトスの花を見て調べた時に
「祝いの木」と呼ばれ、結婚行などの祝い事でよく使われると知ったのですが
今回、シューマンが自分の結婚を祝う時に、曲の名前を聖書から名付けたことを知った。
なんだか、とても嬉しいです。ぜひ、咲いている花を植物園て見てみたいものです

 

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怒りの感情をコントロールする

2024-09-28 | 旧約聖書

 

 

私は、イエス・キリストを知る前は、すぐにカッとなって怒り、その怒りをずっと長い期間、もちあぐねて、苦しい思いをしていたものでした。私は正しい、相手が間違っている。私が怒っても当然だと、私はずいぶん思い上がっていたからでした。

 

「 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」エペソ4:26   

 

現在は悪に対する「怒り」をはっきり表現しない風潮ですが、聖書は「怒れ」と命令形で書いてある。
神に似せて造られた人間も、悪に対して怒りの感情を持つものです。
しかし、たとい正当な怒りであっても、怒り続けていると、怒っている私がガチガチに堅くなってきて的外れになってしまう。そして、いつの間にか怒られる側に立ってしまいかねない。

 

クリスチャンは、怒りだけでなく、恐れ、不安、その他どんな問題が起こっても、すぐに自分で解決しようとバタバタと行動する必要はない。感情的な言葉を軽々しく発する必要もない。

 

日々のデボーション、神様との個人的な交わりの中で、どう受け止めると良いのかを求めてよく考えるならば、神の守りと導きがわかって来るだろう。キリストは救い主でありまた裁き主でもあります。すべてのことを知って支配しておられることを信頼します。

 

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信仰から信仰 悔い改めから悔い改めへ

2024-09-17 | 旧約聖書

写真はボタンヅル  センニンソウとよく似ています
これには毒があります。要注意。

この世も天国も、同じ神が造り支配なさるもので、同じ秩序、同じ方向で一致している。
ですから、たとい、サタンに逆の方向に誘われて心が揺れても、正しい神の秩序に従う方向に戻らなくてはならない。
そうするなら、三位一体の神は、遠くに居られるのではなく、すぐ近くにいつもおられるという恵みが、だんだんに深くわかって来ることでしょう。

 

あるクリスチャンは、「自分は変えられる祝福をまだ体験していない。午後からコンサートに行くわ」と言って、天国の話を聞く事を中断して帰宅された。
えっ? コンサート? 私は自分の耳を疑った。何千円かのチケットを無駄にすることと、天国の話を聞き逃すことの差が、どれほど大きいかに、今はまだ気づいていないのでしょう。

 

「気が変ったわ。話を聞き続けることにするわ」と言われたら、私はどんなに嬉しかったことでしょう。今回は少しがっかりしたけれど、それは私の思いです。
神様はそれぞれ、一人一人を、信仰から信仰へ、回心から回心へと、神様のペースで導いておられますから、私は、神の臨在とみわざを喜び感謝します。
そして、「よくやった。良い忠実なしもべだ」と、言っていただける日に憧れを抱いて、日々教会生活をもに、互いに励まし合いつつ歩んで行きます。

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